E-330 能力重視の階級社会
朝の一服を楽しんでいると、メイドさんがデオーラさんに王子様達が館に着いたことを知らせに部屋に入ってきた。
ソファーから腰を上げて、王子様の到着を待つ。
程無くしてやって来た王子様は、昨日の老神官と若い神官が一緒だが、若い神官は別人のようだな。
朝の挨拶を交わしたところで王子様がソファーに腰を下ろしたのを見計らって俺達も腰を下ろす。
「神殿からエミール様を迎えて来たよ。さすがは審議官を務めるだけあって私より遥かに博識だからね」
「恐れ入ります……。あれから神殿に戻って、王国史を紐解いてみました。写本ではありますが、3度以上読み比べて誤りを是正する習わしですから、宮殿の歴史書と同じものです。それを読んで、いくつか気になる箇所があったのは確かです」
「ほう……。レオン殿の言葉から、歴史書を見直すという観点が私には理解できないんだが?」
「王国初期にどのような統治方法を選んだのか……。それが気になった次第です。現在王国には、6つの侯爵家、それに26の男爵家がございます。公爵は王族のみなのはご存じのはず。初代国王は王国を起こすために努力してくれた家臣に公爵位を与えました。家臣の部下の中で特に重要な働きをしたものに対して男爵位を与えました。
当時の公爵の数は5つ、男爵の数が15です。その後王国が発展するにつれ、平民から男爵、男爵から侯爵に位を与えて現在に至ります。
爵位の変化は国王陛下の戴冠の年に行われておりましたが、6代前より行われておりません。行われなくなった当代国王陛下の先代国王時代に、1つの改革が行われました。身分の厳格化を目的とした世襲制殿の導入でございます」
世襲制度は悪いわけではない。親から子に技術が受け繋がれていくことになるんだが、それを極端に進めると王国が停滞してしまいかねない。
それに、受け継ぐべき子供は何人になるのだろう? 場合によっては殿職業にも属さない人間が出てしまうんじゃないかな。
「今の王国もそれに近い気がするね。少なくとも子供の内1人は親の仕事を引き継ぐんじゃないかな? だけど、引き継げなかった子供達が他の職業を選んだとしても、問題は無いと聞いているのだが?」
「世襲制度を運用し始めて直ぐにそれに気付いたようです。引き継ぐのは1人だけ、他の子供達を世襲制度で縛ることはないとの布告を出しておりました。ですが、農民が商人になるのはかなり難しいことです。その逆もありえないでしょう。よって、世襲制度で保障された住民達の暮らしを補完する職業に彼らは就いて行きます。これが貧民街の始まりでしょう」
親の仕事を見て子は育つ。そうなると似た仕事以外には就けなくなってしまいかねない。運よくそんな仕事に就けるなら問題は無いだろうが、見つからなければそれまでだ。
糊口をしのぐために、低賃金労働に就かざるを得ないということになるんだろうな。
「だけど、考えようによっては、貧民達の働きで政庁市が成り立っていることも確かだ。彼らがその仕事を止めたなら、誰がその仕事に就くのだろう?」
「一番簡単な対策は彼らの仕事に対しての賃金を上げることでしょう。下水官の掃除や市内のゴミの回収とゴミ捨て場への搬送等は、貧民街の住人の仕事になっています。今回就職斡旋所を作る事になれば、その賃金は一般住民街の住人とそれほど変わらなくなるはずです。そうなれば、誰も汚い、臭い、そして低賃金の仕事は見捨てられることになります」
俺の言葉に全員が溜息をもらす。
誰もがやりたがらない仕事なのに、その報酬が少ないのだ。
貧民街の住人がその仕事をしなくなれば、政庁市の機能がマヒしかねない。
「なぜそんなに低い賃金だったんだろうね? もっと上げても良かったと思うんだが」
「階級意識が働いたのでしょう。自分より身分の低い者なら、同じ仕事をしても賃金が安いのは当然だという考え方です。その考えが無意識に働き、何時のまにか一般住民よりも貧民街に住む住民の賃金が安くなっていると考えられます」
エミールさんの言葉に、皆が驚いているようだ。
王子様やデオーラさんはある意味階層社会の上流に位置しているからなぁ。そんな事を考えることが無かったに違いない。
「まさか、軍もそうなんだろうか?」
「さすがにそれは無いでしょう。グラム殿に確認してみますが、そうであったなら王国が滅びかねません」
俺も、さすがにそこまで酷くは無いと思っているけどねぇ。とは言っても、出世は絶望的かもしれないな。
階層意識が働けば、どうしても貧民街出身の兵士は下に見られてしまうだろうからね。少なくとも階級と賃金が同一であるなら、それほど不満は出ないだろう。
「今までの話を纏めると、能力があっても、その出身で差別されるということになるのかな?」
「そうなるでしょうね。ですが政庁市で試みるには条件としても最適ではないかと思います。各職場が人手不足を訴えておりますからね。昨日の会談後に神殿の事務方と話をしたのですが、やはり人手が足りないと嘆いておりました。神殿の中は見習い神官達が働いておりますが、神殿の外側にはあまり手が回らないようです。子供達への仕事に出来ないかと水を向けると、直ぐにいくつかの作業名を上げるほどです」
「なるほど……。秘密組織は問題なさそうだね。となると、その後の話が一番の課題になる。子供達に教育を施し、読み書きと計算ができるようになれば、成人後の仕事の幅が広がる。ここまでは良いね……。そしてその仕事の斡旋を行うのが職業斡旋所になるわけだ。ここからが一般の住民と同じ立場に立たされることになるわけだが……。雇う方も階層意識を持っているということになるわけだね」
「当然そうなるでしょう。王国民は階層社会の中で、自分の立ち位置を確認しながら暮らしているんですから。王国内で人間は平等ではないんです。平等なのは神の前だけかもしれませんね。場合によってはその神の前でさえ、平等では無いのかもしれません。ブリガンディ王国が良い例です」
「王国の統治における毒ともなり得るという事かい? あのような極端な協議の解釈を良くも国王が認めたものだと感心してしまうよ」
要するにバランスなんだろうな。階層社会は封建社会の骨幹でもあるからなぁ。乱れれば王国が滅びてしまいかねないし、あまり固執し過ぎるのも問題だろう。
「さすがに一気に平等にするとなれば、反対者が続出するでしょう。少しずつ進めれば良いんですよ」
「課題の先延ばしに思えますが?」
俺の話を聞いて問い掛けてきたのはデオーラさんだった。
「確かにそうかもしれません。ですが現状より少しでも良くなればやった価値があるでしょうし、個人の思想を簡単に変えることはできませんよ。ゆっくりやればいいんです」
「学ばせるのは良い。だが何を学ばせるかということだね。読み書きと計算……、その先にあるのは、歴史と経営学、それに神学辺りになると思うが?」
「医学に薬学もありますよ。場合によっては錬金術も範疇に入るでしょう」
錬金術……。金属の精錬に関わるものだがドワーフ族が独占している技術でもある。薬学も生薬は神殿が取り仕切っているし、生薬以外の薬剤はドワーフ族の管轄だからなぁ。
直ぐに一般化して教える必要もないだろう。
「最低限の教育を行うことで、王国民に将来を持たせることが第一段階。第二段階は彼らがそれ以上の教育をどこまで臨むか、そしてその人数がどれほどいるのかということに関わると思います。先ずは第一段階で留めて状況を見るということでも十分かと」
エミール様の話も問題の先送りに思えるけど、現状ではそれが一番じゃないかな。
「文字を読めるなら、自分の知識を高めるために更に努力する者も出て来るでしょう。彼らの為に誰もが利用できる図書館を作るのもよろしいかと」
「そうだね。それも考えるべきだろう。蔵書についてはある程度考えるべきだろうが、向上心があるなら独学で学ぶこともできそうだ。そんな住民がいるなら、統治のための役人として雇う事もできるだろう。これは上級教育の場として別途考えないといけないようだ」
王国の統治は貴族が責任者に任じられて行っているのは、どの王国も同じらしい。
その役職を既得権益と考えてしまうのが問題ではあるんだが、彼らを補助する役人が優秀なら問題は無いのだろう。
その補助者の多くが同じ貴族の子弟だというのがねぇ……。
どう考えてもまともに機能していないように思えるのは、ブリガンディ王国が頭にあるからだろうな。
国王の委任を受けて、その役職に全霊を傾けているような貴族はいるんだろうか?
案外グラムさん達が少数派になるようではエクドラル王国の将来は暗いものになりかねない。
「どうしたんだい? だいぶ考え込んでいるようだけど」
王子様が俺の様子に気付いて問い掛けてきた。
苦笑いを浮かべて、首を振る。
「いつものレオン殿の様子ではありませんね。何をお考えでしたの?」
デオーラさんまで、話し掛けてくる。ここは正直に話した方が良いのかもしれないな。
「実は……」
王国を統治するために、統治の各部に責任者を国王が任じる。この責任者は期限を切って任じられるのか、それとも存命期間中はその任に当たるのか……。
先ずはそれを確認することにした。
「かつては10年を単位に各部の責任者を決めていたらしいが、今では重鎮達が代々その任を任されているよ。レオン殿が危惧していたのは、それによる弊害ということなんだろう? 今のところは問題なさそうだね。貴族家の継承は長男が第一継承者となるんだが、その任に堪えないと当主が判断したなら次男もしくは3男に継承される。それも出来ないということになるとその任を任せられる者を長女の婿にして継承しているぐらいだ。その任を解かれるようなことがあるなら家の恥ということになるんだろうね」
王子様の解説を聞いて胸を撫でおろす。
かなり極端な話だけど、それなら問題は無さそうだ。それにしても能力で継承者を決めるとはねぇ。
家の中で兄弟喧嘩が絶えないように思えてしまうんだが……。
オルバス家の兄弟を見ている限り、皆仲が良いんだけどね。




