E-205 揺り籠から墓場まで
春分が近づくと、周囲の雪も少しずつ融けてくる。
野原や畑はまだ雪の中だけど、通りはすでに石畳が顔を出しているぐらいだ。
そんな中、一際勢いよく煙を上げているのは陶器工房のようだ。
まだコークスに着火しないのだろう、黒い煙をもくもくと上げていた。明日には黒い煙は無くなるんだろう。今焼いているなら、エディンさん達の来訪には間に合うに違いない。
さらに進むと白い煙を上げているような場所を見付けた。あの辺りに民家は無かったはずなんだが……。
近づいてみると堆肥小屋から上がる水蒸気を煙と勘違いしたみたいだ。
発酵熱で、かなり温度が上がっているんだろう。
良い堆肥になると良いんだけどね。
石垣で三方を囲み、その中に家畜の糞と藁や落ち葉を交互に積み重ねているだけらしいのだが、話を聞いている内に一番下の土が欲しくなってしまったのを覚えている。堆肥作りの過程で硝石が取れるとの記憶があるのだが、本当に取れるのだろうか? 1度試してみたくなったんだよなぁ……。
堆肥小屋の西には家畜小屋がある。
子供達の話声が聞こえてくるから、今日も山羊や羊達と遊んでいるに違いない。
草が芽吹くまでは山羊達も小屋暮らしだからな。今年も子供が何頭か生まれたに違いない。
今のところは山羊達の乳をチーズやバターに加工するだけだけど、数を増やして畜産を始めたいところだ。肉の入手が、レンジャー達の狩りの腕次第というのもねぇ。
今夜にでも提案してみるかな?
そろそろ兵士を廃業してからの事を考える連中もいるだろう。彼らが路頭に迷うようなら国造りは失敗ということになる。
「また、だいぶ先のことを持ち出してきたのう」
夕食後にいつものように集まってきた連中に、老後の話をしてみた。俺の話が一段落したところで、ガラハウさんが2杯目のワインのカップをテーブルに戻すと、俺の顔を面白そうに眺めてくる。
確かに、かなり先の事には違いないが、共和国の地盤を盤石にするには、生まれてから亡くなるまでの人生がきちんと整備されていることが必要だろう。
フレーンさんが行ってくれている学校を終えた後に、どのような人生を送るか子供達の選択を広げることも大事ではあるが、兵役を終えた後の生活についても考えないといけない。
老後は共和国から支給される年金で暮らせるようにしたいところだが、そこまで国庫に余裕があるとも思えない。
無理のない労働を行って貰うことで、支給額の足りない部分を補充して欲しいところだ。
「建国に寄与して、なおかつ共和国の維持に貢献したのですから、それなりの補償はして頂けると考えていたのですが……」
「兵士だけでなく、非難してきた開拓民やブリガンディから逃れて来た住民達も同じように貢献してくれました。兵士だけを優遇することもできないのでは?」
エルドさんやエクドラさん達がガラハウさんに続いて発言してくれる。
こういうことは暗黙の了解ということにはいかないだろう。やはりきちんと皆で相談しておくべきだ。
「レオンの危惧も理解できます。私達も若者をいつの間にか卒業してしまいました。身を固めることなくこのままだとすれば、子供達の世話を受けるわけにもいきません。かといって、血の繋がりのない子供達の世話になるのも……」
レイニーさんは、俺の考えるその先まで考えているようだ。
晩年の暮らしについても考えるべきかもしれないな。
「となると今までの仕事から引退した後の暮らしと、その暮らしが出来なくなった晩年について考えることが大事かもしれません」
「待て待て、老後を考えることも大事じゃが、先ずは生まれて直ぐの事を考えるべきかもしれんぞ。たまに広場を巡ってみるんじゃが、若い母親が子供達を抱いている姿を見かけるし、午前中ならまだ子供達の輪に入れん幼子を母親達が遊ばせているからのう」
「子供が小さいから、仕事が出来ないという話はよく耳にしますね。私のところでも、何人かが一時的に仕事を休んでいますよ」
「子供達は年長者が面倒を見ていると思ってたんだが、その中に入れない幼子を何とかしないといけないということか。なら、まとめて誰かに面倒を見てもらうのが一番じゃないのか?」
確かにそれが一番だろう。となると、『誰が』、『何時から何時まで』、『世話をする子供達の年齢は』……、といろいろな考えるべき項目が出てくる。
俺の問題提起は後回しになりそうだな。これが獣人族の良いところでもあり問題点でもあるんだけど、先ずは子供達を考える姿勢にはいつでも感心してしまう。
「少なくとも乳飲み子は無理ですね。オムツは仕方がないとして離乳食を食べることができれば、他人が世話をしてもだいじょうぶでしょう」
「年長の女の子なら手伝いもできますよ。男の子と違って言いつけを良く守りますからね」
エクドラさんの言葉に、エルドさんが思わずヴァイスさんに顔を向けたけど、本人は気が付いていないようだな。
俺もエルドさんと同じ思いだから、その心境が良く分かる。エクドラさんの言葉は『世間一般では』という言葉が抜けているに違いない。
「フレーン様に頼むのが一番なんでしょうけど、生憎と子供達に勉強を教えていますからねぇ……」
「若い娘を募ってみたらどうじゃ。その内にどこかに嫁入りするんじゃろうから、その練習にもなるじゃろう。掲示板に掲げれば数人は直ぐにでも集まりそうじゃが」
全く、こんな話だと誰もが意見を出すんだよなぁ。
黒板に次々と始めるための課題が書かれ、その対応案が隣に書かれていく。
この状態だと、案外早く幼子を保護する仕組みが出来上がりそうだ。
「概要はこんなところでしょうか? 後の詰めはエクドラさんの方でお願いします」
「国会で審議ということですね。根回しもマクランさんとしておきますよ」
俺の提案はどうなるんだろう?
全く別の結果になってしまったけど、一応皆には話したからある程度過ぎたところで再度確認してみるか。
「これで開拓も捗るじゃろう。小さな子供を背負って鍬を振る光景は見ていても心が痛むからのう」
「開拓村ではそれが一般的ですよ。でもこの国ではそんなことにはならないということになるんですね。さすがに私にはそんな暮らしは想像すらできませんでした」
マクランさんが涙を浮かべて言葉を繋ぐ。
マクランさんのお嫁さんも、そんな姿でマクランさんと一緒に鍬を振るっていたのだろう。それが開拓民の苦労に一つだったに違いない。
「最初のレオンの提案も重要に思えます。生まれてから亡くなるまで、私達が個人の生活を型に入れることは出来ませんが、せっかくこの世界に生まれたのですから亡くなるその時まで幸せに暮らせるようにしたいですね」
「職業の選択は自由じゃが、老後はそれなりの面倒を見て貰える仕組みを作るのじゃな。
ワシにはまだまだ先になりそうじゃが、それが分かっておるなら安心して仕事が出来そうじゃ」
安心して酒が飲めるの間違いじゃないかな?
ガラハウさんは長命種族であるドワーフ族だ。引退まで100年はありそうだ。
だが俺の話を真剣に聞いている人達もいる。
すでに種族としては長老も良いところのマクランさんや、老婦人に足を踏み入れ始めたエクドラさんだ。
マクランさんは、死神がその存在を忘れている感じに思えるほどだからなぁ。今でも若い連中と一緒に、鍬を担いで畑に出掛ける姿を見るんだよね。
エクドラさんは食堂の運営を行っているんだけど、さすがに一線を退いて味の最終確認と事務処理が主な仕事になっているらしい。
世代交代しているってことだな。だけど食堂裏での権力の頂点にいる人物であることは確かだ。ガラハウさんでさえエクドラさんにはあまり逆らえないと聞いたことがある。
考えてみると元気な老人ばかりに思えてきた。
それが俺の提案を後回しにする最大の理由なのかもしれないな。
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春分を5日過ぎた午後に、エディンさん達が荷馬車を連ねてマーベル共和国を訪れた。
ティーナさん達も同行してきたらしい。大きな商隊だし、警護のレンジャー達も1個分隊ほどだから、ティーナさん達も王国軍の護衛がいらないからだろう。
エディンさん達は指揮所を素通りして食堂に向かったようだ。ティーナさんの顔を立ててということなんだろうな。
車列が指揮所前を通る音がする中、ティーナさんがレイニーさんに到着の挨拶をすると、席に座り簡単な状況説明をしてくれた。
それによると、第一回目の図上演習は大成功に終わったらしい。戦史に残る橋を巡る戦いを再現したらしいのだが、どうやら結果は戦史と逆になったとのことだった。
監察部隊が詳しく時系列を記録したらしく、その結果を後で見せてくれるらしいからちょっと楽しみだな。
「同盟軍に参加するマーベル国の部隊に石火矢を持たせると聞いて、父上と王子殿下が驚いていたぞ。装備一式と補給については全てエクドラル王国が提供してくれる手はずになった。雪が消えたころに馬具を装備したボニールが50頭届く。足りぬ装備があれば私から連絡することになっている」
「ありがとうございます。そうなるとボニール慣れたころに合流ということになりそうですね。指揮官は誰に?」
「従姉のエルネールが率いることになった。私は大使を続けることが大事だと王子殿下に諭されてしまった……」
「と言うと、トラ族ということですか?」
「エルネール姉様はネコ族なのだ。軽装歩兵と弓兵の混合中隊を指揮していたから、ある意味栄転ということになるのだろうな」
ネコ族が従姉ねぇ……。とはいえ、それなら軍馬でなくボニールでも問題は無いだろう。後は性格になるんだろうがヴァイスさんのような人物だったら、ちょっと困ってしまうな。
隣で話を聞いている、レイニーさんは穏やかな顔をしているのは同族としての安心感ということに違いない。
夏至に、訪ねて来るらしいから楽しみに待っていよう。




