E-163 ティーナさんの家族
かつての渡河地点まで2日半。それから3日程馬車に揺られて小さな村に到着する。
小さな村には過ぎた宿屋があったけど、どうやら俺達の国へやってくるエディンさん達や近くの荒野で狩りをするレンジャー向けに、新たに建設した宿らしい。部屋数だけでも20はありそうだから、普段は半分以下の利用になっているに違いない。これでやって行けるのかと心配になった俺に、エクドラル王国で宿の管理をしているとエディンさんが教えてくれた。
公営の宿ということかな?
それなら、こんな寒村でも維持できるだろうし、村人に職を与える意味でも有効に違いない。
一泊しただけだけど、それなりに疲れがとれる。
久しぶりに朝食をテーブルで取ると、再び馬車を連ねて南へと向かう。
南に2日、馬車に揺られると町に到着した。
さすがに町だけあって活気がある。日中に通りを歩く連中はどんな仕事をしているんだろうな。無職というわけでもないと思うんだけどね。
石作りの大きな建物がレンジャーギルドらしい。オビールさん達が建物の前に並んで俺達の馬車に手を振っている。
オビールさん達の役目は、ここまでということなんだろう。
大きな宿に泊ると、贅沢な夕食が出てくる。
魚料理まで出てきたから、ナナちゃんが目を輝かせているんだよねぇ。
「南に半日ほど向かうと、街道に出ます。街道を西に4日進めば旧王都に到着しますよ。途中にいくつか町や村がありますし、道も良いですからここまでくれば安心です」
「滞在費まで用立てて貰って申し訳ありません」
「問題ない。全て公費で賄えるからな。ところで、レオン殿の目ではこの町はどのように映るのだ?」
「活気のある町だと感心しています。エクドラル王国の統治が上手く機能しているからでしょう」
俺の返事に、ティーナさんがうんうんと嬉しそうな笑みを浮かべながら頷いている。
もう少し寂しげな町人を想像していたのだが、全く別の顔をしているからなぁ。やはり旧サドリナス王国の治世は酷かったということだろう。
マーベル共和国を出発して9日目。前方に大きな城壁が見えてきた。
町の規模が街道を進むにつれて大きくなっているから、そろそろかなと思っていたのだがようやく到着できたようだ。
高さ10ユーデを越えそうな城壁の楼門を潜ると大きな広場に出た。
広場に前で馬車が止まる。警備兵が数人俺達の馬車の確認にやってくるのが見えたから、旧王都への不審者の立ち入りを防ぐための事前確認ということだろう。
ユリアンさんが馬車を下りて、やって来た警備兵と話をして帰って来た。
「このまま進みます。ここでエディン殿と別れて、私達はオルバス家の館に向かいます」
ユリアンさんが馬車の壁をトントンと叩くと、再び馬車が動き出した。
エディンさんの店はこの近くにあるのかな?
俺達を乗せた馬車は大きな広場を左回りして広場の反対側の大通りを進んでいく。
大きなお店がいくつも並んでいるからか、ナナちゃんが馬車の窓から顔を出して眺めている。
ちょっとお行儀が悪いけど、これほどの賑わいはブリガンディ王国の王都以来だからなぁ。俺もちらちらと店を眺めているぐらいだ。
そんな俺達が面白いのか、ティーナさんが下を向いて肩を震わせている。
笑っても良さそうなんだけど、案外礼儀はしっかりしているんだよね。厳しく躾けられたのかな?
「オルバス家は貴族街の一角にある。そろそろ第二城門に入るぞ」
前方に5ユーデほどの城壁が見えてきた。
どうやら旧王都は二重の城壁で守られているらしい。あの城壁の中が貴族達の住む区画になるのだろう。
立派な城門をくぐると、再び馬車が止まる。
ここでも出入りする人物の確認があるのだろうが、直ぐに動き出したのはオルバス家の私兵が1個分隊いたからに違いない。
城門からまっすぐ伸びる道の奥に、大きな城が見えた。あれが宮殿ということかな?
その城に向かって、馬車が進む。
庶民の暮らす賑やかな町とは異なり、この辺りは緑がいっぱいだ。それだけ邸宅が大きいということなんだろうけど、なんとなく貴族と庶民の隔たりが大きいように思える。その隔たりに見合うだけの仕事をしているなら問題はないだろうけど、なんとなく権威主義の一角を見せられた感じだな。
城が目の前まで来ている。
城の城門を守る近衛兵の姿まではっきりと見える。
このまま城に入るんだろうかと考えていると、馬車が右手に向きを変えた。
開け放たれた鉄の門を過ぎると、かなり先に館が見える。大通りのような立派な道の両側には春の花が咲いていた。
「ようやく着いた。疲れただろう? 今夜は父上が歓迎会を開くと言っていたが、身内だけの宴だ。あまり気負うことはあるまい」
「宿を用意していただけるだけでもありがたかったんですが……」
「それでは父上の顔が立つまい。私も友人達を集めてお茶会をしたいと思っている。武官ばかりだが、それは我慢して欲しいところだ」
まあ、お飾りにはなるんだろうな。
王子殿下が認める存在ということなら、それなりに会ってみたいと思う人物もいるのだろう。オリガン家の名を知る武官なら、是非にとティーナさんに頼んだのかもしれない。さすがに公式な晩餐会等に参加するとなれば面倒なんだろうけど、ティーナさんの私的なお茶会ともなればそれなり敷居が低くなるということかな。
「どこにでもいる普通の男なんですけどねぇ……」
「弓を誇る者が、砦の話を聞いて早速やってみたそうだ。的から10ユーデがやっとらしいぞ。館の訓練場で一度は見せて欲しいものだ」
「さすがに馬を使うのは……」
「それは王宮で見せれば良いだろう。私の馬を使って欲しい」
溜息を吐いたところで、小さく頷いた。
武技は見世物ではないんだけどねぇ……。とはいえ、滞在費を全額出してもらっているんだから、それぐらいはやるべきなのかもしれないな。
オリガン家の館の数倍ほどもある立派な館が目の前に建っている。玄関先だけで長屋が1つ作れそうだ。
玄関前の車寄せに荷馬車が止まると、ずらりと家人が並んで俺達を出迎えてくれる。玄関前にいるご婦人がグラムさんの奥さんなんだろう。その隣には青年と少年が立っている。ティーナさんの兄上と弟なのかな?
ティーナさんの後ろについて玄関先に向かうと、ご婦人達に深々と頭を下げる。
「初めてオルバス館を訪問します。マーベル共和国のレオン・デラ・オリガンです。隣は私の従者を務めるナナと言います」
俺の挨拶が終わると、ナナちゃんが『ナナにゃ』と元気に挨拶してくれたからご婦人が笑みを浮かべてナナちゃんに頷いている。
「デオーラ・オルバスです。隣が長男のバリウス、そして次男のケイロン。オリガン家の名はエクドラル王国にまで届いておりますよ。バリウスは一軍を率いているのですが、オリガン卿が訪ねておいでになると聞いて、昨日から滞在しているのです。グラム殿が知ったら叩き出されそうですが……」
結構厳しい家のようだ。ティーナさんから想像した家風通りのようだな。オリガン家とは少し違った武官貴族ということになるんだろう。
「いつまでも玄関先では失礼ですね。さあ、どうぞ中に」
デオーラさんの案内で広い玄関ホールを横切り、奥に続く廊下を歩く。2つ目の扉を開くと、中は応接室になっていた。
指揮所が2つ程入りそうな大きな部屋には、中庭に面した窓際にベンチ型のソファーが並んでいる。
入ってきた扉側の壁と左手は低い棚があり、その上の壁には大きな絵画が飾ってあった。
部屋の真ん中には大きな絨毯が敷かれ、その上に3人が座れそうなソファーが3つ、1ユーデ半ほどもある低いテーブルを囲んである。
「どうぞお座りくださいな。今飲み物をご用意いたします」
言われるままにナナちゃんと一緒にソファーに座ると、テーブル越しの席にデオーラさんと2人の兄弟が座る。俺の左手のソファーにはティーナさんと副官のユリアンさんが座った。
それにしても柔らかなソファーだな。かなり腰が沈んだ気がする。
「ティーナから、小さな少女を従者にしていると聞きましたが、本当だったんですね」
「お恥ずかしい話ですが、まったく魔法が使えないのです。姉上が見かねて生活魔法の一部が使える魔道具を作ってくれたのですが、やはり回数制限がありますから、ナナを連れいる次第です。とは言っても砦で魔族を相手にしていましたから、小さくとも腕は確かですよ」
ほう……、と感心した表情で2人の兄弟がナナちゃんに視線を向けたから、ナナちゃんが下を向いて顔を赤くしている。
「ほらほら、そんな目で見てはいけませんよ。立派なレオン殿の従者なのですからね。バリウスの副官は貴方の無茶をいつも嘆いているようですよ。少しは自制を学びなさい。ケイロンも仕官学校を卒業したなら、しっかりした副官を選びなさい。容姿で選んだりしたら父上のお叱りを受けますからね」
「そうだぞ。副官候補を連れてきた時は、父上が嘆いていたからな。女性では先陣を切ることは出来んと言っておいでだった」
「でも、ナナ殿は女性ですよ?」
「レオン殿の背中を守れる技量があるのだ。弓の腕はマーベル国の弓兵を凌ぐぞ。もっとも、弓と言えば一番はレオン殿になるのだがな」
「お恥ずかしい限りです。オリガン家ではありますが長剣検定2級ですからね」
「でも、グラム殿は、レオン殿には隙が無いと言っておりました。確かに、この席でもそうですね」
デオーラさんが俺に顔を向けて笑みを浮かべたけど、目が笑っていないんだよなぁ。
何となく猛獣の前に裸で投げ出された感じがする。背中に冷や汗が出てくるのはしょうがないのだろうけど……。
ひょっとして、デオーラさんも軍人だったのかな?
直ぐに殺気が遠のいたけど、かなりのやり手だったのかもしれない。
「母上、また悪い癖が出てましたよ。賓客なのですから……」
「あら! そうだったわね。私としたことが……。ごめんなさいね。グラム殿の言葉を確かめたかっただけですから」
ホホホ……と小さな笑い声を上げて誤魔化しているけど、やはりそれなりの武技を誇った人物に違いないな。
「それで、母上の評価は?」
「グラム殿が言った通りです。長剣を抜けば、倒されるのは私でしょう。オリガン家ともなれば、たとえ長剣2級であっても軽んじることは出来ませんね」
「あまり試さないでください。小心者ですから対応に困ってしまいます」
「ごめんなさいね。レオン卿の武技は明日にでも見せて頂きましょう」
デオーラさんの話が終わったところで、侍女がお茶のカップをテーブルに並べてくれた。
デオーラさんがお茶のカップに手を出したところで俺とナナちゃんもお茶を頂くことにする。
「そうそう、お茶で思い出しました。お土産を用意したのですが、受け取って頂ければ幸いです」
お茶のカップをテーブルに戻して、木箱をテーブルの横に2つ取り出した。厳重にロープで梱包しているから、ロープを切り取って中身を取り出す。
「陶器! 頂けるのですか?」
「あまり出来栄えが良いとは言えないのですが、お茶会にでも使ってください」
カップだけでも6個はあるからね。近所の御婦人方と飲むなら問題は無いだろう。
取り出したポットをデオーラさんが手にもって、白地に黄色の花が描かれているのを感心してみている。
「王宮内の競売に参加したかったのですが、グラム殿に止められまして……。とはいえ、ティーナがあの皿を持って来てくれた時には嬉しさで飛び上がりましたのよ。これだけの品を持っている者は王女殿下だけだったのです」
「どんどん作っていますから、さらに良い物が出回ると思います。グラム卿の判断は正しかったと俺には思えるんですが」
全ての陶器を取り出して、壁際の棚に並べたのはバリウスさんだった。
うっとりとした目で陶器を眺めているけど、まだ観賞用にしかならないんだろうか?
俺としては使ってもらいたいところなんだけどなぁ。




