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迷宮のドールズ  作者: オグリ
三章
70/88

ざわめく海

 大型の海獣数体が現れ、一帯には警報が鳴り響いたままだ。


 シオンたちは合流したニコねこ屋の車で、アクアリア近くの漁港に駆けつけた。

「私たちは海での戦闘は不得手ですから。陸上で出来るだけのバックアップに参加します。何かお力になれることがあればご連絡ください」

 ユエがそう言い、トランシーバーを手渡してきた。

「海上からはこれで連絡してください。私たちワーキャットに出来ることがあるかは分かりませんけど」

「ありがとうございます」

「この機会に千葉の冒険者に会社の名前を売っておきますわ」

 非常事態だが、フリーの冒険者やバックアップ会社には名を売るチャンスでもある。

 リョータがシオンの傍にやって来て、小声で呟いた。

「ソウさんをよろしくお願いしますね。あんな人でも海に落ちて死んだらボスとシリンさんが悲しみますんで……オレらも」

「分かってます」

 なんだかんだで愛されている。もっとも蒼兵衛を心配することがあるとしたら、海に落ちることなんかじゃなく、妖刀の呪いだろうな……とは言わなかった。



 

 詰め所で、アイカは祖父の政市と再会した。

「おじいちゃん!」

「おお、アイカ! それにシオンさんたちも……無事でよかった!」

 海犬シードッグのクレイに腰かけたたまま、アイカが祖父に駆け寄り、首に抱き着いた。祖父がその背中を撫でる。

 詰め所には漁師らしいマーマンや人間の男性が大勢いる。冒険者らしき姿もちらほらと見えた。マーマンの男性は足があり人間に見た目は似ているが、耳ひれがあり、ハーフパンツからはヒレと鱗の生えた足が伸びている。

「ね……おじいちゃん。おじいちゃんも海に行くの……?」

「ああ。うちのは小さいボロ船だが、いくらあっても足りねえらしい。冒険者もアクアリアを守ろうとどんどん集まってる。アクアリアのもんがそれを守らなくてどうする」

「……おじいちゃん……」

 政市は力強く言ったが、アイカは不安そうだ。

 それでも、ちらっとシオンたちのほうを見てから、小声で言った。

「だったらおじいちゃん、シオンたちを乗せてあげてよ。ハイジさんはシャーマンだし、こっこちゃんは魔法を使えるの。サムライさんだって剣でゴーストを斬れるんだって」

「そりゃすげえな」

「大きな船はもう全部出ちまってて。なんとかならないですか」

 シオンも他の冒険者には聞こえないよう、小さな声で頼んだ。住民たちには不安なこんな状況でも、討伐報酬を稼ごうとやってくる冒険者もいる。

 港に並んでいた船は大きなものはすでに出払っている。警報が鳴ってすぐに集まった千葉の冒険者たちが乗り込んでしまったらしい。残っているのは政市が所有しているような小型の船ばかりだ。

 地元の漁師たちはほとんどが緊急時の自警団に属している。こうした状況で、モンスターと戦う冒険者たちをバックアップするのだ。

「シーゴーストを片づけてくれるなら願ってもないが。だが、うちの船はほんとに小せえし……。海獣のせいで大時化おおしけだ。マーマン以外は落ちたら助からねえぞ」

「大丈夫だ、私は柊魔刀流泳法を心得ている」

「絶対嘘だろ……」

 シオンの呟きに、蒼兵衛が顔をしかめた。

「む。まさかリーダーは行かない気か?」

「オレが行っても役に立たないだろ。ほとんど泳げないし。蒼兵衛とハイジが乗せてもらえたらいいかと……」

「キキちゃんはちょっと重いかもしんない……」

 背負ったリュックに紐で魔銃とハンマーと槍とおじいちゃん人形をくくりつけたキキが呟く。

「貧相な船じゃちょっと……プリンセスには相応しくないかな……」

「そうだなぁ。ワーキャットとリザードマンは海戦にはあまり向いてねえかもしれねえな。近くの漁港からも応援が来るはずだ。そんときもう少しでかい船も来るだろうが……」

 政市が言葉を濁す。

「魔力が無い者は留守番だな。僕と紅子はどっかの船に乗せてもらえるだろうけど」

 ソーサラーとシャーマンはいつでも人員不足だ。

「裏切り者ぉ!」

 キキが怒りの声を上げると、

「あれぇ、キキちゃんだぁ!」

 弾んだ少女の声がして、キキはぎょっと顔を上げた。大人だらけの詰め所の隅で、タズサがちょこんと椅子に座り、ゆらゆらとひれを動かしていた。

「た、タズサ……一般人魚がここで何して……」

「一般人魚ってなんだよ……」

 まだ苦手がってるのかと、シオンは呆れた。

「今日はおじいちゃんとお魚釣りに船で海に行く予定だったの」

「魚が魚を釣りに……?」

「でもこんなことになったから引き揚げてきたの。キキちゃん、ここで待ってようよ。トランプあるよ」

 キキが顔をひきつらせる。

「ぬぬ……なんて娘だ……この緊急時にあっけらかんと……マーマンさすが今時の亜人なだけはある……これだから若いモンは……」

「お前も若いだろ」

「君もいつもマイペースじゃないか」

 シオンはキキの頭を軽く小突き、ハイジが冷徹に告げる。

「実際、今回キキとシオンに出番は無いからね。トランプしてなよ」

「な、なんだとぉ!」

「事実だけどはっきり言われたらキツいな……」

 キキが手足をばたつかせ、シオンもしゅんと耳を下げた。

 紅子が不安そうに尋ねる。

「あ、あのう……そしたら私たちはどうすれば……」

「緊急の大規模戦闘では、多くの組織やパーティーが集まる。それが大きな集団となって的確に動くのは不可能だ。僕達のようにボランティアとして参加する冒険者は、地元の自警団に参加するか、警察や自衛隊の指示を待つか、単独で行動するか――いずれかになる」

 そこまで言って、ハイジはシオンを見た。

「ちなみに桜は面白そうなほうを取るタイプだったけど。どうする? じきに沿岸警備隊コーストガードもやって来る。指示に従う? それともパーティーで動く?」

「シオン! 行こうよ! あたしトランプはやだよぉ! ボロ船でもいいから!」

「私はどっちでもいいかな。バックアップのマーメイドのお姉さんがたくさんいるところで戦いたい。希望はそれだけだ」

「小野原くん……」

 パーティーから離れたことの無い紅子は当然というか、不安そうだ。だが、杖を握り締め、ぎゅっと唇を噛みしめてから、ぱっと顔を上げた。

「は、ハイジさんも一緒なんですよね!? だったら大丈夫! い、いけます!」

 紅子が冒険者になってから、シオンが目を離したことはない。

 ふうとハイジは息をつき、シオンの肩にぽんと手を置いた。

「たとえ戦力にならなくても、紅子の傍についててやるのもいいと思うよ」

 その声はいつも通りぶっきらぼうだが、少し優しくも感じた。

 それから紅子を見て、いつも通りの厳しい声音になる。

「埼玉での戦闘とは規模が違う。死者が出来ることは覚悟したほうがいい。いまこの瞬間だって、誰かが命を落としているかもしれない」

 紅子の顔が固まった。杖を握る手が小さく震え出す。


 普段通りの紅子だなとハイジは思った。

 普段通り過ぎる。

 あのとき、この娘が取り乱した直後にモンスターが現れて、シオンはそれを予測していたように思う。

 多分、紅子と共に何度となく冒険してきたシオンにしてみれば、こういうことは何度かあったのだろう。

 埼玉でのワイト湧きも不自然だった。意図的に召喚されたとはいえ、危機級アンデッドのワイトが街中にあんなに大量に出現することなどそう無い。

 紅子が魔物を呼ぶのか。

 強力なソーサラーは、体内保有魔素が多いため、そういう性質があることは確かだ。だが、まさかこんな大型が沖から大量にはありえない。マーマンの集落に惹かれてやって来たというほうが頷ける。

 彼女が持つ魔力の所為ではない。

 紅子の所為だとしたら、何か、別のきっかけトリガーがある。

 場所、季節、天候、それらがすべて魔物沸きしやすい条件に合致したうえで、紅子がこの地を訪れたことが、何らかのきっかけトリガーになり、魔物を呼んだとしたら。


 そんな娘を生み出した一族は、あまりに罪深いことをした。


「お、小野原くんはどうするの……?」

 紅子を見やると、彼女は不安を打ち消すように、指が白くなるほど杖を握り締めている。

 シオンは小さく頷いてから、全員に告げた。

「オレは浅羽の護衛をやる。戦闘の役には立たないかもしれないけど。他の皆は……オレは海の戦いに不慣れだし、ゴーストシップの対処法も知らない。そっちはハイジがやりやすいようにやってくれ。一体でも多くゴーストを倒してほしい」

「そうだね。分かった」

「蒼兵衛かキキを護衛につけたほうがいいか?」

「いや、要らないよ」

「要らないって言うなぁ! トランプは嫌ぁ!」

「キキちゃんはここにいなよー」

 タズサがクレイの背中を撫でながら、手招きする。キキはぶんぶんぶんと頭を振った。

「ならば私は老人に船を出してもらって、海獣退治をしよう。さっき車の中で酔いを紛らわせるためにシーサーペントの動きをずっと見ていた。どのへんが斬りやすいかなーとか」

「スキュラは?」

「うむ。やっぱりおっぱいは私には斬りにくいなぁと……」

「おっぱいついた化け物じゃんか……ついてりゃいいのかよ……」

 腰に差した刀から、異様な妖気を感じ、キキはそっと蒼兵衛から離れ、こそこそとハイジの後ろに隠れた。蒼兵衛がはっとした顔をする。

「む、いかん、こころちゃんが嫉妬してしまう」

「こころちゃん……?」

「私の刀だ」

 柄をナデナデとしながら、蒼兵衛が答える。

「《残心》じゃなかった?」

 ハイジが突っ込む。

「うむ。だからこころちゃんな」

 ヒィとキキが小さく悲鳴を上げ、ハイジの後ろにこそこそと隠れ、べえと舌を出した。

「うえええ、気持ちわりぃー……あの刀メスなのか……」

「そのうち妖刀のほうが呆れて離れる気もしてきた」

 ハイジがため息をついた。




「こっこちゃん」

 詰め所を出るとき、クレイに腰かけたアイカが、紅子を呼び止めた。

「アイカちゃん。おばあちゃんとマリさん、大丈夫だった?」

 アイカはさっき家に連絡をしていた。紅子も気になっていた彼女の祖母・露子と、姉のマリの様子を訊ねた。

「うん。ちょうどお姉ちゃんが病院行ってて、傍についてたみたい。アクアリアの中はなんともないから、お姉ちゃんは一回おうちに帰るって言ってた」

「アイカちゃんはどうするの?」

「あたしは戦えないから……どうしようかな。でも、こっこちゃんだけ……」

「え?」

 アイカが俯き、クレイの頭を撫でた。その腕にはまっている魔石を繋いで作ったブレスレットを外す。

「あの、こっこちゃん、気を付けてね」

 紅子の手を取り、外したブレスレットをその手首にはめる。

「持ってって」

「え、いいの?」

「何の力も無いけど。お守り。ごめんね。あたし、自分たちの街なのに、何にもできなくて……海での戦闘なんて、あたしたちがしなきゃなのに。ちゃんと訓練しとけば良かった……。こっこちゃんだけ戦わせてごめんね。あんまり無理しないでね」

「アイカちゃん……」

「こんなのクズ石のアミュレットだけどさ。気休めにもなんないけど……触ってるとちょっと落ち着くかもだから」

「……あ」

 シオンが時々スカーフの下に手を入れているのを紅子は思い出した。彼が無意識にする癖で、そうしてチョーカーに付けた魔石に触れているのだ。彼が死んだ姉から貰ったという魔石には、鎮静の効果があるらしい。

 紅子もアイカに貰ったブレスレットに触れた。

「……あ、ありがとう! がんばるね!」

「ほどほどにね」

 アイカは少し笑って紅子の手を握ったが、その瞳は不安げだった。




 ここへきてパーティーはバラバラになってしまった。

 ハイジは、「適当な船に乗せてもらう」と言い、一人去ってしまった。

 レベル50だったのが25までレベルダウンしたとはいえ、25でも中級以上のシャーマンだ。歓迎されるだろうし、心配する必要はないだろう。

 政市の船には蒼兵衛が乗り込むことになった。魔道戦士ルーンファイターとはいえ硬化ハードオン以外の魔法が使えない蒼兵衛は、サーペントと戦うにはかなりモンスターに接近する必要がある。それは政市が自分は船の操縦には長けているからと、引き受けてくれた。

 キキは詰め所に置いてきた。


「キキちゃん、可哀相なことしちゃったね……」

「大人しくしてるか分からないけどな……」

 絶対に大人しくはしないだろうが、今は考えないことにした。

「妹尾組に預けた方が良かったかな」

 海での夏休みを満喫した妹尾組のリザードマンたちは、遊びも済んだからと言って、今日はニコねこ屋と連携し海蝕ダンジョンをアタックしてくれていたのだ。

 優秀な探索屋のワーキャットたちに、戦闘専門のリザードマンたちが加わり、残っていたダンジョンを片っ端から攻略してくれる予定だったのだが、ユエたちの話ではリザードマンらは警報が鳴ってすぐに応援に向かったらしい。

 リザードマンが前線に立ってくれるなら誰しも心強いだろうが、海での戦闘は彼らも得意とするところではない。大型海獣との戦いでは、主力は高火力を出せるソーサラーになる。

 それを紅子も分かっているようだ。

「まずはどこかの船に乗せてもらわないとなんだよね?」

 腰に付けた猫の形のポーチから自分の冒険者証を取り出す。

「私のこれ、見せたらいいよね? ソーサラーだから……レベル低いけど……」

 紅子の冒険者レベルはまだ1のままだ。実力はあるのだからちゃんと実績の付く仕事をこなしてレベルを上げようと提案してくれた受付嬢の言葉を思い出す。本当にその通りだ。こういうときに役に立つのに。

 彼女はレベル1の実力ではないが、これまで積んできた経験など他人には分からない。それを分かりやすく数値化してもらう必要があるのだと、今になって受付嬢の言っていた意味が分かった。


 港にはまだいくつか船が残っていた。

「小さい船は駄目だ。詠唱どころじゃない」

 政市が所有していたような小型船では、詠唱に集中できない。政市の漁師仲間たちも同じような船しか持っていなかった。

「ひええ」

 強い風に紅子が身を竦ませる。シオンはその手をしっかりと掴んだ。

「杖だけは離すなよ。空いてる船はないから、出発準備してる船に交渉しよう」

「う、うん!」

 シオンは紅子の手を握り、身に染みるような潮風の中を進んだ。潮風に耳や尻尾の毛が湿って、夏なのに肌寒さを感じる。

 紅子は先を進むシオンに手を引かれながら、ほっとしていた。

 他のみんなとはバラバラになってしまったけれど、彼が一緒に来てくれて良かった。

 こうしていると、二人で冒険していたときみたいで、初めての場所も、戦いも、不安や怖さがなくなる。

「すみません、このパーティーに入れてもらえますか?」

「は!? こんなときに何ふざけてんだ! ガキは家帰って寝てろ!」

 中型船に乗り込む準備をしていたパーティーに声をかけると、革鎧を着込んだ強面の男が怒鳴ってきた。

「状況分かんねーのか! 急いでんだ、こっちは!」

 シーサーペントの鳴き声と、スキュラの呻きが響いている。共に大型海獣で、互いに威嚇し合っている。おかげで居住区アクアリアには近づいて来ない。

 シオンは男に自分の冒険者証を見せた。

「ちゃんと冒険者だ……です」

「だからなんだ、お前ネコじゃねーか! ネコでガキでファイターだと? 海で何が出来んだ! しかも女連れで!」

「オレは護衛で、こいつはソーサラーなんだ。だから役に立つ」

「ソーサラーだと?」

 男の語気が少し和らいだ。紅子が冒険者証を出そうとしたところを、シオンはそっと手で押しとどめた。レベル1の冒険証を見せても逆効果だろう。

「ずっとオレと一緒にパーティーを組んでる。実績も実力もある」

 すっかり敬語を忘れ、シオンは自分の冒険者証のレベルが良く見えるように男に見せた。

 シオンのレベルは15だ。ずっとパーティーを組んでいた仲間も同じくらいと思うだろう。ソーサラーのレベル15は充分中級者レベルだ。どこのパーティーも欲しがる。男の顔つきも変わった。

「もう定員オーバーだ。だが、女くらいなら乗れるだろう」

 えっ、と紅子が小さく声を上げたのが、シオンの猫耳には届いた。シオンは男に向かって首を振った。

「それは出来ない。オレも乗せてくれ。誰か替わってくれないか。その分の仕事はするから」

「だからネコが海で何出来るっつーんだよ! オメーら泳げねーだろーが!」

 取りつく島も無かった。

 まあ当然だろう。ワーキャットはここでは戦力にならない。だが紅子一人にするつもりもなかった。

「他を当たろう」

「う、うん」

 シオンは強風ですぐによろける紅子の手をしっかりと引き、準備をしている他のパーティーに近づいて行った。


 いくつかのパーティーに交渉してみたが、シオンが若いということ、ワーキャットだということで、ことごとく無下にされた。

 遠海にはスキュラとサーペントの姿があるが、いくつかの船は距離を取って包囲しているだけだ。

 積極的に戦闘を行っている船は、大型モンスターのおこぼれを狙ってやってきたハーピィやメロウなどのモンスターを狙っている。ゴーストシップはゆらゆらと波間に浮かんでいたかと思えばふっと姿を消し、船の進路を惑わせている。

「大きいのとは、誰も戦ってないね」

 紅子が呟いた。

「あれだけの数じゃ戦いようがない。居住区アクアリアに近づかない限りは戦う必要もないしな。このままモンスター同士で牽制し合って離れてくれればいいんだ。そのうち沿岸警備隊コーストガードや海上自衛隊が来て、でかい船で追っ払ってくれるから」

「はぁ……じゃあ、下手に手を出さないほうがいい?」

「いや、こんなにいっぺんに大型のシーモンスターが出て来ることってそうないから、どういう事態になるか分からない。火力のあるソーサラーをなるべく前線に連れていかなきゃなんねーのに……」

 シオンは強い潮風に眉をしかめた。

 こういうとき、無力さを感じる。ハイジのような特殊な力がない。蒼兵衛みたいな力もない。ちっぽけなワーキャットの子供だとしか見てもらえない。

「こういうときはハーピィやメロウのほうが厄介なんだ。数も多いし、好戦的だ。ゴーストもいくらでも集まってくるはずだ」

 ほら、とシオンが呟き、その目線を紅子が追うと、不自然にその場で旋回を繰り返している小型船があった。はたから見れば奇妙な光景だが、おそらくシーゴーストに惑わされているのだ。

「シャーマンはただでさえ少ない上に、嵐の海はゴーストがうじゃうじゃ湧いてくる。それが一番危険なんだ。事故が増えて死人も増える。マーマンは魔力を持ってるけど、得意なのは水や風の魔法で、ガルーダみたいに霊的な力を持ってる奴は少ない。ソーサラーやシャーマンはゴースト退治が出来るから、速めに前線に行ったほうがいいんだけどな……」

 しかしシオンが交渉している限り、舐められてしまう。陸での仕事なら構わずに進めばいいが、海ではそうも行かない。船は絶対に必要だ。

「小野原くん、私、一人でも……」

 と紅子は口に出してはみたが、本心ではなかった。仲間や――シオンと離れて戦うのは怖い。

「いいんだ。一人で戦うくらいなら、行かないほうがいい」

「でも……」

 シオンの言葉に内心ほっとしつつも、紅子は罪悪感を覚えた。

 最後に握ったアイカの手は冷たくて、不安に震えていた。自分の街や家族が危険に晒されているのだから、当然だろう。だが彼女は戦えない。

 だが、紅子は力のあるソーサラーで、大きな戦力になるはずだ。

 でも、出来る自信がない。

 一人では怖い。

 こんな状況なのに、自分のことばかり考えてしまう。

 だが、シオンは一人で行けなんて、絶対に言わないだろうと、分かっていて、それに安心して、甘えている。

 彼はどんな状況でもこの手を離すことなんてしないと、信じきっている。

「大丈夫。まだいくつか船はある。ちゃんと話つけてくるから」

「あ、でも、さっきの船……私一人なら乗れるって……だったら、私だけでも戦って……」


 いやだ。


「ね、私、大丈夫だよ。一人でも」


 うそ。

 ほんとうは、いきたくなんかないの。


「浅羽」

 作り笑いをする紅子の手を、ぐいとシオンが引いた。

「行こう。心配すんな。一人にはしないから」


 紅子は作り笑いのまま、黙って頷いた。

 ――普段は鈍いのに、こういうときの小野原くんは、私の気持ちなんてお見通しだ。




 いくつかの船に当たってみたが、シオンと紅子の姿を見ただけで乗船を断られた。

 いつもなら冒険者証を見せれば、レベルで判断してもらえるのに、海では何もかも勝手が違う。

「わ、あれってモンスター?」

 紅子が驚いた声を上げた。指差した先には、中型の海獣に騎乗したマーマンの冒険者の一団があった。トドのようなモンスターに手綱を付け跨っている。

「あれはシーホースだ」

ホース……? トド……じゃないの?」

「トドみたいだけどシーホースって言うんだよ。水馬ケルピーをシーホースって呼ぶこともあるけど、実際はあれがシーホース。海の中じゃすごく早いし、調教したらけっこう言うこと聞くんだ」

「へぇー。小野原くんてモンスターには詳しいよね」

「一応冒険者だし……。そんなことより、オレたちは船だ」

「そうだった!」

 はっと紅子が顔を上げる。マーマンでなければこんな嵐の海にシーホースを操り出撃するなんて不可能だ。

 そうしている間にも、港からはどんどん船が出て行く。

「私たちもアイカちゃんのおじいさんに乗せてもらったら良かったかな……」

「いや、蒼兵衛には蒼兵衛にしか出来ないことがある。最悪、沿岸警備隊コーストガードが来たら、事情を話してみよう。魔道士ソーサラーなら協力要請されると思う」

「でももうみんな戦ってるのに……」

 互いを牽制していたシーサーペントとスキュラたちが、少しずつ居住区アクアリアに近づいてきている。大型の海獣相手には、漁船やプレジャーボートでは近づけない。距離を取ってソーサラーの魔法で撃退するしかない。

「ここから撃っても、あまり効かないだろうなぁ……」

 紅子が杖を握り締め、自信無さげに言った。


 そのとき、シオンたちの前に、四人乗りくらいのプレジャーボートが停まった。というか、物凄いスピードで突っ込んできたかと思ったら、急ターンしながらギリギリで停まった。

「シオンくん!」

 キャビンから出て、身を乗り出したのは、桜のかつての仲間――やえだった。




「やえさん!?」

「乗って、乗って!」

 やえが叫ぶ。スタイルの良い体にぴったりとしたボディスーツ、上半身にはライフジャケットという軽装だ。

「えっ、だ、誰……? 知ってる人!?」

 紅子が船上の女性とシオンを交互に見る。

「サクラの仲間だった人」

「お、お姉さんの?」

「後で説明する!」

 シオンは紅子の腕を掴んだ。

 やえが嵐とエンジン音に負けない声で叫ぶ。

「ここ、桟橋無いからね、ちょっとじっとしてて!」

 やえが長い棒のようなものを掴んだ。魔道士ソーサラー長杖ロングロッドだ。

 ポニーテールに縛った長いウェーブヘアーが強風にばたばたと揺れている。どんどん風が強まっている。強く吹きつける風の流れに合わせ、やえが左手を伸ばす。右手に杖を握り締め、手のひらをくるっと上に向けた。

「――暴れん坊の風さん、風さん、手のひら止~まれ」

 歌うような呪文スペルだ。聞くだけだとふざけているように思えるが、術者によっては詠唱は短絡なほうが良い、と草間が言っていたのを紅子は思い出した。一番唱えやすい呪文が、一番力を発揮出来る。


(特に女性魔道士ソーサレスはな。理屈や理論で考えるより、ただ想像力イマジネーションで魔法を使うほうが向いているのだ。恰好つける必要はない)


 草間の言葉が紅子の脳裏に浮かんだ。やえの華奢な手のひらに、視えないはずの風が集っているように見えた。

「そうよ、いい子ね、妖精シルフィードちゃんたち。さぁ、あの子たちを連れてきて。みんなで一緒に遊びましょう」

 やえが微笑み、かざしていた手をシオンたちに向けた。すると、ふわっとシオンと紅子の体が浮き上がり、ぐいと引っ張られたかと思うと、ボートの上に着地していた。

 いや、引っ張られた、というより、体を押し上げられたようだった。

「〈浮上フローティング〉だ……」

 紅子が呟く。風の力を借り、浮遊する魔法だ。長時間維持するのは困難だが、このくらいの跳躍は充分可能だ。それに今日は風が強く、風の魔法は使いやすい。けっして難しい魔法ではない。しかし、二人同時に船の上に引っ張り上げるのは、ちょっとコツがいる。

 紅子の魔力ならパーティー全員を一気に移動させることも出来るだろう。ただ、加減を間違えて、ボートを超えて海に放り投げてしまう可能性が強い。紅子は大技が得意で、細かいコントロールは苦手だから、こういう便利だが繊細な術ほど御する自信がない。

 やえは造作もなくそれをやってみせた。必要な魔力量は少なくとも、言葉にするほど簡単に出来ることではない。彼女はとても魔力コントロールが巧みなのだろう。 


「怪我はないかしら? 他人に魔法を使うのは久しぶりだよ」

 やえがふうと息をつき、にっこり微笑んだ。

 紅子は思わず言った。

「じょ、上手ですね」

「ふふ。風の妖精さんのおかげ」

「妖精さん……がいるんですか……?」

 紅子が目をしばたたかせる。目をこらすと、魔法を使った後のやえがまとっている柔らかなピンクのような黄色のような温かい魔力光がうっすら見えたが、妖精らしきものはいなかった。

「そう。どんなものにも妖精さんはいるのよ」

 とやえがウインクした。

「……と思っているほうが、上手くいくのよ。私の場合はね。見えないものの力を借りたり操ったりって、なんだかピンとこないでしょ? 妖精さんがいると思って、お願いするのよ。こうしてほしいなって」

「あ」

 なるほど、イマジネーションだ。実は草間に言われたときにはいまいちピンときていなかったのだが、やっとピンときた。

「良かったら今度やってみてね。――わたしは皆森やえ。小野原桜さんの友人で、仲間だったの」

「あ、浅羽紅子です!」

 桜はシオンの姉ということを除いても、若い女性冒険者なら誰でも知っているし、憧れている。伝説の冒険者だ。カリスマといっていい。装備や振る舞いなど桜に似せている子がたくさんいるのだ。

 そんな人の仲間だった人。しかも同じ女性。しかも美人。スタイル抜群。ぴったりとしたボディースーツの、きゅっとくびれたウエストに下げた魔法銃も様になっている。

 紅子は女子高生丸出しの感想を口にしていた。

「か、かっこいい……」

「ふふ。ありがと。でもあんまし強くないから期待しちゃだめだよ。現場はとっくに引退して、すっかりスナックのママさんだし……」

「――おい、その船、乗せろ!」

 出遅れた冒険者パーティーがやって来て、陸の上から怒鳴っている。

「乗せてくれ!」

「さっきまでの私たちだね……」

 紅子が言い、うん、とシオンは呟いた。

「女子供だけじゃ無理だ! 俺たちはセンターの要請を受けて駆けつけたんだ!」

 リーダーらしきフル装備の男が、背中に大きな槍を背負っている。他の者も同じだ。ソーサラーらしき杖を持った者もいた。

「船で行くなら、こういうでかい得物か、ソーサラーがいないと話にならん。あんたボートの操舵が出来るなら、そっちは頼む。戦闘は任せてくれ」

 ふふっ、とやえが唇に指を寄せる。

「お兄さんたち強そうねぇ~。魅力的だけど、わたしたちソーサラーだから大丈夫よ。護衛なら腕利きがいるし。ね」

 と、シオンを見る。海での戦闘は慣れていないので、「はい」とは言い辛い。

 すると冒険者たちも苦笑いを浮かべた。

「って、子供のワーキャットじゃねえか。悪いことは言わねえから、俺達と替わったほうがいい。言いたかねぇが、海で何の役に立つんだ。非力な種族にでかい得物は扱えねえだろ。魔法も魔銃も使えねえ。ロクな得物もなくハーピィを追い払えんのか。メロウだってうじゃうじゃ寄って来るぞ」

「んー、でも可愛いし?」

「は……?」

 ぽかんとすると男に、やえは船から身を乗り出し、船乗りを惑わすメロウのように妖艶な笑みを浮かべた。

「ここは譲ってあげてよ。お兄さんたちならどの船でも大歓迎。でもね。若者には経験が必要よ。心配してくれてありがとう。優しいのね。素敵な冒険者の人たち。次はぜひご一緒したいわ」

 ウエストポーチから取り出した小さな紙に、ふっと息を吹きかける。

「妖精ちゃん。優しいお兄さんに届けてね」

 ひらりと男の手に落ちたのは、

「……《スナック・熱帯魚》……?」

「えへへ、わたしのお店」

 ぺろっとやえが子供のように舌を出す。

「それ以外では、こうやって若手冒険者を育成しているの。経験豊富なお兄さんたちともっとゆっくりお話ししたいから、良かったら遊びに来てねぇ~」

 ひらひらと手を振ってから、やえはシオンたちに告げた。

「やえさんって、若手冒険者の育成もしてたんですか?」

「ううん。してないよ~。適当。そう言っておけば、なんとなくそ~なんだ~ってなんない? なんないかな? でもあの子たちにもプライドってあるからさ。さ、急いで出発するわね。ハイちゃんにも用あるし……」

「ハイジ? とっくに別れちまったけど……」

「あの子はどこにいても目立つからすぐ分かるわ。渡したいものがあるから、見つけたら船を寄せるからね。さ、入って」

 やえがキャビンのハッチを開ける。

「わぁ、ボートって初めて……きれい~」

 キャビンに入った紅子はきょろきょろと中を見回し、びくっと体を強張らせた。

「ぎゃあっ!」

「どうした!?」

 シオンは腰からダガーを抜き、紅子の前に立ち、ぎょっと目を見張らせた。鱗を持った巨大なモンスターが床に這いつくばっていた。

「ワ、ワニ……?」

「モンスターが入り込んでるよぉ!」

 紅子が叫ぶと、ワニのようだと思ったモンスターががばっと立ち上がった。

「いやいやいや! オレです! 鯛介ですよ! 妹尾の! ほら!」

 ちょっと太り気味の大柄なリザードマンが、ライフジャケットを身に着けた姿でそこに立っていた。

「た、鯛介さん!?」

 外から姿が全然見えなかったので驚いた。

「な、なんで床に……?」

「重しにぴったりでしょ?」

 やえが後ろから入って来て言った。

「波が荒いからね~。タイちゃんには船の中で重心コントロールしてもらうからね。……また太ったよね?」

「いやいや……ちょっとすよ」

 鯛介が頭の後ろをぽりぽりと掻く。

 たしか、千葉に行く前に連絡したら、ぜんぜん応答がないとキキが怒っていた。

「千葉にいたんですか?」

「いや、昨日までは群馬に。そんで休みになったんで、ケータイ見たらキキやら大伯父貴やらから着信入ってたもんで。で、大伯父貴に連絡したら、キキの様子を見に行ってくれって泣きつかれちゃって。まあハイジさんもいるし。じゃ、千葉行こっかなーって。やえさんにも会えるし。そしたら警報鳴ってるでしょ。慌てて連絡したらハイジさんには繋がらなかったけど、やえさんには繋がったもんで。で、気がついたら船の重しに」

 鯛介が体を揺すって笑うと、そのたびプレジャーボートが揺れるような気がする。

 ぽん、とその肩をやえが叩き、にっこりと微笑んだ。

「タイちゃん、這いつくばっててね」

「……あ、ハイ……」

 レベル48の歴戦のリザードマン戦士が、すごすごと床に丸まる。ちょっと船体が安定した。

「ちょっと狭いけどオブジェだと思って」

「思えません……」

 さらっと言って微笑むやえに、シオンは顔を引きつらせた。

「シオンくんたちは、ライフジャケット着てね」

 ソファの上にライフジャケットが置いてあった。

「この船は、やえさんの……?」

 そんな場合じゃないと分かっていても、聞かずにいられなかった。

「ううん。借り物」

「借り物……」

 誰に借りたか知らないが、壊れたらどうするんだろう……とシオンは不安になった。

「これって何人乗りなんですか?」

「四人くらいかな?」

「四人乗りって、人間の四人乗りですか……?」

 ライフジャケットに袖を通しつつ、床に丸まっている鯛介の背中をちらと見て、シオンは尋ねた。

「大丈夫よ、重しだから」

「大丈夫っすよ、重しなんで」

「本当に重しでいくんですか……」

「二人いたら、前と後ろでがっつり重しになるんだけどね~」

 言いながら、やえがウエストポーチの中にごそごそと手を入れる。

「目薬さしていい? ……あら? やだ~さっき名刺出したときに、冒険者証落としたかも」

「冒険者証?」

「更新してなくてそのままだけどね~……いちおう使えるかな、と思って持って来たのに。うーん、ま、いっか。海に落ちたならそれでいいし、誰か拾ったならセンターに届けてくれるだろうし」

「そんな……」

 シオンのほうが不安になる。一応個人情報の載った大切なものなのだが、やえはあっけらかんとしていた。




 その頃、スナックの名刺と一緒に、やえの冒険者証を手にしてしまった男が、呆然とそのカードを見ていた。

 ばっちりメイクを決めた女性の顔写真と、皆森やえという名前。年齢は見た目から推測するよりちょっと上だった。

 そんなことよりも男の目を丸くさせていたのは、彼女の冒険者レベルだった。


「……よ、49……」

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 読み返したらここレベル15の4章でレベル14で時系列ちょいわからなくなるな
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