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迷宮のドールズ  作者: オグリ
二章
49/88

敗北者

 ダンジョンの中からも外からも、戦闘音が聴こえていた。だが、当初は耳障りだったアンデッドの泣き声は、だんだんと薄らいでいった。ハイジの仕業だろう。

(浅羽やキキは大丈夫かな……)

 いままさに戦っているかもしれないと思うと、いてもたってもいられない思いだったが、仲間の力を信じるしかない。

 リノを抱えて外に出ることも考えたが、意識の無い彼女を連れているときにアンデッドに囲まれると危険だ。

(そうだ、電話……)

 ピンクシャトーから少し離れたところで、斬牙のヒロが車ごと待機している。電話をかけると、すぐに出た。

〈シオンさんですか?〉

「リノがアンデッドにやられて……無事だけど、気絶してる。最上階にいて、動けない」

〈分かりました。うちのボスが斬牙の連中を連れて、ダンジョンに向かったとこです。すぐそっちに連絡入れますよ〉

「セイヤさんが?」

〈じつは、ソウさんには内緒だったけど、シリンさんが連絡してたんです〉

「……そっか。なら助かった。ありがとう。……お願いします」

 電話を切ってほっと息をつき、シオンは部屋の探索を始めた。

 元々、ストライブが行った悪事の証拠品を探すという目的があったのだ。

 敵対グループの拉致監禁や暴行だけではなかった。こんな場所でブラックドッグを大量に飼っていたり、生きている者にゴーストを憑依させていたのなら、ヒュウガの罪は相当に重くなる。魔法を悪用した罪は決して軽くはない。

 もはや証拠品など必要ないかもしれないが、待っているだけというのも気が落ち着かない。

(斬牙を潰すためとはいえ、これだけの騒ぎを起こして、本当にただ前のボスを追い出したいだけなのか?)

 拘るにはあまりにくだらない理由だと思う。

だが、そのくだらないことが彼には大事なのかもしれない。どちらにせよネクロマンサーの考えることなんて、常人には及びもつかない。

 ベッドにリノを寝かせたまま、シオンは室内を漁った。

 バブル期に建てられたラブホテルの最上階は、かつては高級ホテルの一室のようだったのだろう。シオンの住んでいる部屋よりずっと広い。、カーペットは色褪せ、床には瓦礫やいつのものとも知れない衣服が散乱し、ドレッサーやチェストが倒れ、鏡がひび割れてはいたが、そこかしこに豪奢な部屋の面影が残っている。

 バスルームに足を踏み入れると、そこもベッドルームと同じくらい広く、室内ほど荒れてはいなかった。壁面は一面ガラス張りで、そこから街が見渡せた。

 プールのように広い浴槽は空だ。そこに、なぜかぽつんとベビーベッドが置いてあった。近づいて中を覗くと、埃かぶった布団しか無かった。手にしたナイフの先で布をめくってみると、黒ずんでカラカラに干からびた小さな塊があった。

「……なんだ?」

「オレの兄弟だよ」

 独り言に、応える者がいた。

「なんてね。冗談。それはね、ここで産まれて死んだ赤ん坊だよ」

 ナイフを構え振り返ると、そこにいたのはヒュウガだった。

 右手に魔銃を手にしている。

 いつの間にここまで?

 内心では驚いたが、表情には出さないようつとめた。

「これだけ騒がしいとさすがに気付かなかったろ? 魔法で足音くらい消せる」

 ヒュウガはにこりと微笑み、その笑みには相変わらず邪気を感じられなかった。

「それは、オレが初めて見た死体」

 彼はベビーベッドに目線をやり、慈しむような目を向けた。

「ここで産まれて、死んでいった赤ん坊の死骸さ。子供を産む直前の女とヤリたいって変態もいるんだよ。こいつらなんかより、人間のほうがよっぽど化け物だね」

 そう言ったヒュウガの足許に、二体のブラックドッグがまとわりついている。これまで見た個体よりもさらに一回り大きく、逞しい。いまはまだ大人しいが、いつでもシオンに飛びかかって来るだろう。

「そいつは産み捨てられて、ベッドの下に放置されて、そのまま死んだ。従業員が見つけて、オーナーだったオレの母親は警察沙汰にしたくなくて、死体をこっそり瓶詰めにした。ブラックマーケットにはそういうのを買い取る奴もいるんだよ」

 薄気味悪い話だった。シオンは黙ってナイフを構え、ヒュウガの話を聴いた。いまはそうするしか出来ない。相手の戦い方が分からない。ましてここは彼の縄張りテリトリー内だ。

「けど、オレがねだって譲ってもらったんだ。死んでなお魂がとどまっているのが分かったから」

「そのとき、シャーマンの能力に気付いたのか?」

「どうだったかな。まだモンスターにもなってない、誰も気づかない霊の存在には、小さいころから気づいていたけどね。だからってどうしてやることも出来ないし、まぁいいやってかんじ。そいつの声も、最初はオレにしか聴こえてなかったよ」

 ヒュウガは銃を向けたまま、話すことが楽しいというように、饒舌に語った。

「オレは瓶詰めの赤ん坊の死体が泣いてるのを、いつも聴いてた」

 黒い耳がひくひくと動く。

「気の短い親父に気まぐれに蹴飛ばされたときも、忙しいおふくろが顔も見せないときも、チビのワーキャットハーフだからって、人間にもワーキャットにも小突き回されたときも、オレが泣きたいとき、コイツが代わりに泣いてくれた。ガキがさ、ぬいぐるみを友達にするような感覚かな? それがだんだん、優越感になった。誰にも望まれずに産まれて、死んで瓶詰めにされて、救われることもなく泣き叫ぶ魂。こんなみじめな奴でも、オレの気分を良くするためにこの世に存在してる」

 あははっ、とヒュウガは笑った。

「でもさぁ、いま生きてる連中が、コイツよりも偉いっていうのか? 存在する価値があんの?」

「知るかよ」

 シオンは短く返した。何を言っても、どうせコイツは狂ってる。

「そんなに大事にしてたなら、どうしてこんなとこで干からびてるんだ」

「そこに魂はもう無いからだよ。憑依霊ポゼッション化させて、とり憑かせた。オレがガキのころにやった、最初の実験だった。ここで捕まえたドブネズミの死骸にさ。いまもホテルのどっかで鳴いてるよ」

 ヒュウガが口許を歪める。

 干物のような死骸に、シオンはそっと布をかけ直した。埃かぶっているが、戦いが終わったら埋葬してやろう。

「……そっちの部屋にリノがいたはずだ」

「何もしてないよ。もう役目は果たしてくれたからな」

 興味なさげにヒュウガが言った。

「セイヤの目の前でいたぶってやろうと思ったんだけど、もうどうでもいいや。セイヤが強かったのは、ソウジュがいたからだ。それもシリンに惚れてたからだしな。ソウジュは奴から離れて、いまはお前のパーティーにいるんだろ?」

 シオンは返事をしなかったが、こちらの素性はすっかり把握しているようだ。

「リノだけじゃない、斬牙にはいくらだって俺の操り人形がいるんだよ。ただ、この場所に来てくれねーと、支配が及ばないんだけどな。それにあまり複雑な命令も出来ない」

 ヒュウガの口調や態度は余裕たっぷりだったが、表情にわずかな疲れがあることをシオンは見逃さなかった。魔素の強いこの場所に助けられ、どれほどの才能があるといっても、高等な魔力を使い続けているのだ。

「斬牙を同士討ちにしようとしてるのか」

「いや、リノはガキだしシリンへの猜疑心が強かったから、憑依霊ポゼッションが馴染んでよく動いてくれたけど、どんな種族でもオスは操りづらいんだ。自尊心プライドが高いから、せいぜい情報を引き出すくらいだな」

「そうやって、チームを強くしていったのか」

「ああ。強さを求める奴には力と地位と報酬を与えた。人間にはその方法が良かった。人間は利己的かつ合理的で分かりやすいよ。従わない奴は徹底的に痛めつけた。特にワーキャットは縄張り意識が強いからな。群れのリーダーともなると同族のオスに簡単には屈服しない。大事な女や仲間を痛めつけられれば、結局許しを乞うんだけど。拷問や凌辱を受けた奴らの恨みや憎しみや絶望が、またここを穢してくれた」

「……お前ぐらい力があったら、もっとまともな方法で仲間を増やせただろ」

「オレにとっちゃまともな方法だよ。セイヤだって力を持ってたからボスになった。アイツにはたまたまソウジュがいたからでかい顔が出来たけど、そうじゃなきゃそのへんのチンピラになってたと思うぜ」

「出会ったのはたまたまでも、二人が友達になったのはたまたまじゃないだろ。お前はただ、羨んでるだけじゃないのか」

 ヒュウガがねじ曲がったのは、生い立ちや環境のせいかもしれない。だが、手を差し伸べる者たちがいなかったとは、どうしても思えない。

「斬牙にいた頃、みんなに良くしてもらったんじゃないのか。そこにはちゃんと居場所があったんじゃないのか」

「セイヤもシリンも良い奴だし、ソウジュの親はメシを食わせてくれて、子供みたいに可愛がってくれるからって? ははっ、人間に施し受けて、傷を舐め合って、ソウジュの強さをかさにきてるだけの男の下で、他の連中みたいにセイヤさんセイヤさんってバカみてーに尻尾振るのが正しい生き方だっていうなら、オレは外道でいいよ」

 笑ってはいたが、最後は吐き捨てるようだった。

「小野原紫苑。人間の親に育てられ、人間の姉に鍛えられたんだってな。小野原桜。わずか一年でレベル30に到達した冒険者。すごいね。銀華さん――本当はハイジさんか、彼のような能力の高いシャーマンが心酔するほどだもんな」

 子供が楽しい話をするみたいに、ヒュウガが語る。

「リザードマンの妹尾一族とも繋がりがあるんだってね。長老の孫娘がパーティーメンバーなんだろ。それに……あのソーサラーの女、オレの手下をあっさり倒しちまった」

 浅羽は敵を倒したのか、シオンは内心で安堵した。

「いいよなぁ。お前の周り、強い連中ばっかじゃん。ワーキャットの群れの中でデカい顔してるセイヤなんかよりよっぽど目障りな奴が目の前にやって来たってかんじ。そういうの、ムカつくんだよな」

 ヒュウガが笑ったまま魔銃を構えた。

「撃ち抜け」

 短い詠唱とともに、魔弾が発射される。発射速度を魔法でアップさせた弾丸を、シオンは発射と同時に避けていた。シオンの足を狙った弾は、ベビーベッドに着弾し、ベッドは破壊された。カラカラと音がして、乾いた死骸が落ちた。かつて赤ん坊だった、ヒュウガに弄ばれた魂の器だったもの。

 咄嗟に手を伸ばし、拾い上げた。その動きはヒュウガは見逃さなかった。

「撃ち抜け」

 咄嗟に身を捩ったが、肩を掠った。

「あがっ……!」

 さっきゾンビドッグに喰われた傷口が抉れ、それにはさすがにこらえきれず、膝をついた。しかしナイフと赤ん坊はそれぞれの手に持って離さなかった。

「あっははは! なんだそれ! そんなゴミを手放さないなんて、お前聖人? やっさしーんだ、シオンくん?」

「べつに……優しさとかじゃないだろ……お前がやってることが、最低過ぎるだけだ……」

 自分でも馬鹿なことをしたと思うが、反射的にそうしていたのだから仕方ない。

「そういうセリフは倒した相手に言わねーと。ほら、撃ち抜くよ?」

 ヒュウガが軽い詠唱と共に、シオンの頭を狙った。彼の目線や銃口の動きをしっかり見て、シオンは発射より早く身を低くした。

「速いな。よく避けれるね」

 心底感嘆したようにヒュウガが言う。

 避ける練習だけは、桜からしっかり叩き込まれている。

射撃士ガンナーと戦うときは、相手から目を逸らしちゃだめよ。表情、目線、体の動き、すべてで発射の方向を予測して、撃たれる前に避けるの。アンタなら出来るから)

 最初はただの小石で、そのうち当たれば皮膚に穴の開くスリングショットで特訓された。当たったこともある。肉まで抉れて医療士ヒーラーの世話になった。姉の訓練は鬼だと思ったが、すべてが後々シオンの命を救った。

「――っ!」

 連続して足を狙われ、シオンはその場から飛びのき、躱した。

(アンタ、足だけはヤラれちゃだめよ)

 分かってる!

 姉の言葉を思い出さずとも、自分の取り柄は速さだと分かっている。そこを封じられたら終わりだということも。

 魔弾が浴槽を破壊し、瓦礫を増やす。

 隙を見てヒュウガを狙っても、彼には魔弾も魔法もある。彼ほどの使い手なら、短い詠唱でもシオンを吹き飛ばすくらい出来るだろう。それに二体のブラックドッグもいる。

 それならこのまま躱し続けて、仲間たちの援護を待ったほうがいい。

「いいねー。強くて、真っ直ぐで」

 自分を睨みつけるシオンを、ヒュウガは笑いながら見た。

「そんな魂を持って生まれてこられたら、良かっただろうな。皆に愛されて、慕われて、幸せだろ? ただ生きてるだけでさ、自分が物語の主人公になっちゃったような気分だろ?」

「魂のせいにすんなよ……」

「そんなことねーよ? 性質も、能力も、才能も、運命も、誕生したときから決まってるんだからさ。その魂と器に見合った運命を生きるだけだ」

「……ざけんな」

 それなら、あの若さであっさり死んでしまった桜は、それだけの運命の持ち主だったというのか。

 自分や、父や、桜の仲間たちは、桜を失って当たり前の運命だったのか。

 キキが産まれて一度も両親に甘えることが出来なかったのも、セイヤやシリンやリノたちが不遇な身の上に育ったことも、この干からびた赤ん坊が生まれてすぐに捨てられたことも。

 紅子のような普通の少女が、薄暗いダンジョンで、命を落とすかもしれない危険とともに戦っていることも。そうしようと誓った決意も。

 すべて見合った運命だと言うのか。

「……ひさしぶりに、すげー腹立つ……」

 口の中で小さく呟くと、ウエストポーチを外して、足許に落とす。目はヒュウガを捉えたままだ。

「そのカスみたいな死体も捨てたら?」

「離したら撃つだろ」

「あはは。分かる? 離さなくても撃つけど!」

 魔弾が放たれ、避けたが弾け飛んだ瓦礫が体に当たる。

「でもそれ、守ったとこでなにも得しないよ。それとも良い行いをしてたら、いつか良いことが返ってくるとか思ってる? 死んで天国に行けるとか信じてる?」

「手放したからって、急にオレが強くなるわけでもないだろ」

「あははっ。たしかに」

 銃を撃ちながら、ヒュウガが声を上げて笑う。

 一発撃つごとに会話を挟むのが気になった。

「捨てなよ、そんなもの」

「オレの勝手だろ。お前にとってはもう要らないものなんだろ。それなのに、オレがコイツを拾ってから、お前はずっとイラついてる」

 シオンの言葉に、ヒュウガが微笑み、魔銃を構えながら軽く首を傾げた。

「……別に?」

「お前は疲れてるんだ」

 ヒュウガは笑っていたが、その目はすっと鋭くなった。明確に殺意が宿った。

「お前みたいなタイプは見せかけだけで魔銃を使ったりしない。本当はもっと射撃の腕も良いはずだ。魔銃は普通の銃と違って、一発当たってもほとんど致命傷にならない。なのに連続して撃ち込んでこない。それはお前が強い力を使い続けてるからだ」

「急によく喋るじゃん。時間稼ぎ?」

「強さで誰かを支配し続ければ、それからもそうするしかなくなる。ずっと魔法を使って、神経を張り続けて、気の休まるヒマもないんだろ。圧倒的な力で他人を支配してるお前は、もう泣くことも出来ないし、そうやって笑い続けるしかないんだ」

「だから?」

 張り付いたような笑みのまま、ヒュウガは答え、叫んだ。

「オレがどうあろうと、お前が死ぬことに変わりはないんだよ!」

 二体のブラックドッグが駆け出した。殺せばまたゾンビドッグになる。ヒュウガが撃つ魔弾を避けながら、ブラックドッグを蹴飛ばす。

「強い奴が王になるんじゃない! 強い奴を従える奴が王になる! お前みたいな奴に目の前をチラつかれるのが、オレは一番ムカつくんだよ!」

 牙を剥いて腕に噛みついてきたブラッグドッグの口に、シオンはナイフの刃を押し込んだ。足に飛びついてきたほうは蹴り返す。小さくとも荷物を捨てたぶん身は軽い。最近は蒼兵衛の訓練に付き合っているから、持久力も増えた。二体をあしらいながら、魔弾を避けるくらい造作もない。魔弾など、蒼兵衛の突きに比べれば当たる気もしない。

「炎よ怒りの化身となれ、猛り狂い、身も魂も焼き尽くせ!」

 ヒュウガが火炎魔法を唱えた。

 魔弾を撃ちながらの詠唱は器用だが、紅子の炎より威力は低い。彼女に間違って燃やされたときに比べたら、恐ろしさはない。

「敵対者よ、屈服しろ」

(――〈束縛バインド〉!)

 どんな混戦の中でも、シオンの耳は敵の詠唱を聞き逃さない。

(ソーサラーと戦うのはチョロいわ。強力な魔法ほど詠唱はそれなりに長くなる。そしてそれがどんな魔法か、詠唱のさわりで大体分かるからね)

  桜にそう教わった。同じ魔法でもソーサラーによって好む詠唱式は違うが、いずれにしても発動させたい効果に添った内容だ。特に使い勝手が良く使用率の高い呪文は限られている。

(アンタせっかく耳がいいんだから、詠唱を聴き分けなさい。防げる攻撃なら唱えさせてからその後の隙を突くのも手だけど、発動させたらマズい魔法は詠唱の段階でキャンセルするのよ)

 シオンはズボンのポケットに干からびた死骸を入れ、ナイフをしっかりと握った。肩は痛むが、戦闘中に傷の痛みは気にならない。

(ソーサラーと組むときは、詠唱の間そいつの壁になるのがファイターの役目。そしてソーサラーと戦うときは、そいつから壁を引き剥がすの)

 姉さん。やっぱりオレは、今もずっとアンタに守られてるな。

 でもこれからは、自分が仲間を守る番だ。

「があぁぁぁぁっ!」

 シオンは吼え、ヒュウガはくっと笑った。

「お前が死んだら、皮と肉を綺麗に剥いで、スケルトンファイターにしてやるよ!」

 飛びかかってきたブラックドッグが、右腕と左足の太腿に喰いついた。振り切って駆けると、ブラックドッグが追う。浴槽の縁を蹴り、ヒュウガに向かって跳躍した。二体のブラックドッグもシオンに喰いつこうと跳ぶ。

 距離を取ったガンナーの前で跳躍すれば、狙い撃ちにされる。

 ヒュウガが悠然と魔銃を構えた。

 魔弾がシオンに着弾し、咄嗟に腕で庇ったが、衝撃弾は二体のブラックドッグごと巻き込み、窓まで吹き飛ばされた。背中でガシャンと音を立てて、ガラスが割れた。

「それはさすがに短絡な攻撃だろ」

「一対一ならね!」

 背後からの声にヒュウガが振り返ると、リノが手にしたスプレーを顔の前に向け、思いきり噴射させた。

「ぐっ……!」

 防犯用スプレーの煙をまともに喰らいながら、ヒュウガが魔銃をリノに向ける。

 直後、割って入った男に、魔銃を弾き飛ばされた。

「セイヤっ……!」

「お前さ、魔法に頼り過ぎて、感覚が鈍ってんじゃねーか?」

 セイヤが手にしていたのは、変わった形のナイフだった。ダガーのように真っ直ぐな刀身だが、時代劇に出てくる十手のように、持ち手にかぎが付いていた。

 ヒュウガが牙を剥き、伸ばした爪を突き出した。

「クソ雑魚がぁっ!」

「お前がな」

 凄まじい速さで伸びてきた木刀が、やすやすとヒュウガの胴を打ち抜いた。




 目で捕えることも難しい素早い一撃で、ヒュウガの小柄な体が軽く浮いた。

「あがッ、はっ……!」

 あれは骨までイッた。そう思いながら、シオンは窓辺から身を起こした。

 蒼兵衛は間髪入れず、木刀でヒュウガの横面を打ち、床に叩きつけた。瓦礫の中に身を突っ込ませ、ヒュウガはぴくりとも動かなかくなった。

「シオン、大丈夫!?」

 リノが駆けてきて、シオンの胸に飛びついた。

「いたたたた!」

 怪我した肩に響いて、思わず声を上げた。

 バタバタと複数の足音が近づいてくる。

「網、網!」

 キキが網を抱えて浴室に飛び込んできて、衝撃弾を喰らって倒れている二体のブラックドッグにがばっと被せた。

「……は……」

 瓦礫が崩れる音がして、ヒュウガが苦しげに息を吐いた。気絶せずに意識を保ったようだ。

「……来るのが遅せーと思ってたよ……」

 蒼兵衛が木刀を肩に担ぎ、告げた。

「うちの女魔道士ソーサレスはお前のような半端者じゃなく、有能でな。広範囲に消音魔法をかけてくれた」

 消音魔法は、常時発動状態で効果を発揮し、範囲が広がるほど使う魔力も膨大になる。紅子の魔法はこのフロアのみならず、階下から仲間たちが上がってくるまで効いていたに違いない。並みの魔道士なら数分と持たずにへばるだろうが、紅子の魔力は並みではない。

「それと、うちのリーダーは囮になるのが上手いだろ?」

「……さっき吼えたのは、部屋に入ってくるのを気づかせないためか。ガキみてーな手に引っかかったぜ」

 ヒュウガはゆっくりと、瓦礫から身を起こした。立ち上がろうとしてふらつき、脇腹に手を当てた。

「捨て身に見えるような攻撃も、魔弾を喰らったのも、オレに隙を作るためかよ……」

 ヒュウガは笑ったが、整った顔の半分は歪み、口の端に血が滲んでいた。

「仕留めるのはオレじゃなくていい」

 シオンの役目は、仲間の盾になることと、敵の盾を引き剥がすことだ。

 横ではキキがせっせとブラックドッグを網で包んでいる。

「クソガキ」

 くっとヒュウガが笑った。立ったのはせめてもの矜持プライドだろうが、まともに戦うことは出来ないだろう。

「時間稼ぎご苦労! あたしらが来てんの、よく分かったね!」

「いや、分からなかった」

「おいっ!」

「ただ、浅羽がいるなら、なんか魔法を使ってくれると思って……気を逸らしてればなんとかなるかなー……と」

「アバウトな……」

 強力な魔道士は戦況を一気に変えてくれる。紅子はきっともう、スランプを脱出しつつある。

「……あーあ……皆が大好きなシオンくんを、もっとズタボロな姿で会わせてやりたかったな……油断してついお喋りし過ぎたよ。シオンくん、なんか喋りやすいんだよね」

 はぁ、とヒュウガは苦しげに息をついた。おそらく肋骨が折れていて、軽口を叩くのも辛いのだろう。

 蒼兵衛がヒュウガの喉許に木刀を突きつける。

「そいつはいつもズタボロだから別に動揺はせんぞ」

「仲間に燃やされるもんね!」

 言い返せなかった。

「……でも、遅せーよ」

 ヒュウガは口から血と何かを吐き出した。パラパラと落ちて転がったのは、折れた歯だった。蒼兵衛の目線が一瞬そちらに動いた。その間に、ヒュウガが脇腹を押さえていた片手を、蒼兵衛のほうに突きつけた。

 持っていたのは、手の平に乗るほど小さい銃だった。それを蒼兵衛に向かって撃った。

「蒼兵衛!」

 シオンが叫んだとき、すでにセイヤがヒュウガに近づき、ナイフの柄で銃を弾き落とした。が、銃弾はすでに放たれていた。

 手にしているのがいつもの刀であれば、蒼兵衛は弾丸でも斬り裂くだろう。だが、いま手にしているのは何の変哲もない木刀で、エンチャントをかける間も無い。

 蒼兵衛は銃弾を左腕で受けた。

「きゃあっ! ソウくん!」

 撃たれたばかりの蒼兵衛は、涼しい顔で間合いを詰めた。

「柊蒼兵衛、一生の不覚だな。つい歯の数なんて数えてしまった」

 右手に持った木刀ではなく、左の拳を振り上げる。

「三本だったぞ」

「ぐっ!」

 頬に拳をめりこませながら、再びヒュウガを地面に叩きつけた。

「いまので増えたかな」

 平淡な声で言い、みぞおちにつま先をめり込ませる。

「ひうっ!」

 さっき木刀で打たれたばかりの胴を蹴り飛ばされ、ヒュウガの口から細く息を吐き出すような悲鳴が漏れた。

 蒼兵衛が冷たい目を向けた。

「殺しはせんが、お前は少し痛みを知っておいたほうがいい」

 白いコートの腕には穴は開いていたが、血は一滴も流れていなかった。

「おいサムっ、大丈夫なのっ?」

 キキが尋ねた。

「うむ。私のコートはいずれも母特製で、袖には鉄板を仕込んでいる。鍛錬にもなるし、トカゲ娘の歯も通さんのだ」

「噛んだら硬かったのはそのせいかぁっ!」

「まあ、ヒビくらいは入ったかもしれんが、ヒビくらい一晩寝れば治るからな」

「そうだっけ……?」

 シオンは思わず呟いた。

「……は、……はぁっ……! がはっ……!」

 痛みに耐えるヒュウガの腕を、蒼兵衛が硬いブーツの底で踏みつける。

「あがあああっ!」

「これで銃も握れまい」

 両方の手を潰し、屈んで尻尾を掴むと、ぎゅうと引っ張り上げる。

「うぐっ……!」

「あれは痛い……」

 シオンは顔をしかめた。見ているだけで耳が下がる。

「おい、セイ。ナイフ貸せ。これ半分くらい斬り落とすか」

「だめっ!」

 リノが叫んだ。

「ムカつく奴だけど、こんな奴のために、ソウくんがそんなことする必要ない!」

「じゃあ尻尾はやめておく」

 ぱっと片手を離し、木刀を握り直す。

 目が据わっている。シオンははっとした。

「尻尾はな」

 そうだ、彼は怒りをあまり表に表わさないタイプだが、内に秘めた正義感は強い。違反冒険者にレベルダウンするほどの暴行を加えてしまったように。

 自分がいない間に仲間たちが散々傷つけられて、涼しい顔をしているようでいて、その内に怒りをずっと押し殺してきたのだ。

「俺の斬牙――仲間を、めちゃくちゃにしやがって」

 蒼兵衛が目にも留まらない速さで、倒れているヒュウガの頭めがけて木刀を振り下ろした。

「蒼兵衛、やめっ……」

 シオンは制止の声を上げ、体を起こした。相手を殺しかけたら止めると約束したのに、間に合わない。

 が、その前にセイヤが動いていた。

 ガキンと音がして、彼は手にしていたナイフのかぎで、木刀を受け止めていた。凄まじい速さで振り下ろされたそれを、押し返すのではなく、軌道を逸らすように受け流したのだ。

 そして言った。

「ソウ、もういい。これ以上は死ぬ。お前が捕まったら皆が困るだろ」

「……あ、そっか」

 蒼兵衛は憑き物が落ちたように呟き、頷いた。

「危ないところだった」



 セイヤがヒュウガを後ろ手に縛った。美形は見る影もなく、顔の半分を腫らし、口からは血を流している。それでもその目はどこか、嘲笑うように敵対者たちを見ていた。

「さっき、遅いと言ったな。まだ何か仕掛けてるのか?」

 木刀を突きつける蒼兵衛に、ヒュウガは悠然と微笑んで見せた。

「やっぱりもう少し痛めつけておくか」

 蒼兵衛が呟いた直後、ホテル全体が震えた。

「わっ、地震だ!」

 キキが声を上げ、慌てて床を這って窓辺から避難する。

 激しく傾いた床を、網で捕えられたブラックドッグが転がっていく。か細い声を上げ、もがきながら、割れた窓のほうに向かっていった。シオンは走ってその網を掴み、引き上げようとした。

「……くっ!」

 ずるりと網が手の中を滑り、皮が擦れた。大型犬サイズの二頭の魔犬は、暴れていることもあって支えきれず、五階の窓からシオンもがくんと上半身が落ちた。

「シオンっ!」

「なななな、何してんのっ!?」

 リノがシオンの腰にしがみつき、キキもまた慌てて床を這って戻って来た。

「バカたれえっ! モンスター助けることないじゃん! どうせ網から離したらまた襲ってくるんだし!」

「……でも、野生じゃないしっ……! そういう訓練されてるから、襲ってきたんだろっ……もう戦意は無いんだ……!」

「いやいやいや、モンスターだからさぁ! 感謝とかしないからねコイツら!」

 シオンの腰を引っ張りながら、キキが声を上げる。

 窓から乗り出した体は、力を抜くのを少しでもやめたとき、シオンを暗い闇に引きずり込むだろう。

 シオン自身、どうして自分が手を伸ばしたのか、分からなかった。ただ、咄嗟に動いていた。

 少し前の自分なら、平然と見捨てていたはずだ。鬼熊の仔を殺そうとしたときのように。

「自分の正義に従ったのなら、それでいい。リーダーが担ごうとした荷物が重いなら、パーティーが一緒に持ってやればいい」

 蒼兵衛がシオンの腕を掴んだ。

「それが仲間というものだ」

 そのままぐいと引き上げる。網をしっかりと握った手は、皮のグローブがすり切れていた。腕は割れたガラスで傷ついていた。

「いまのは減点100だからっ!」

 キキが怒鳴る。

 本当にそうだ。咄嗟に行動したせいで、仲間に迷惑をかけた。

 これがソロなら自分の身が危なかった。

「……なんでだろう」

「こっちが訊きたいよっ!」

「でも、見捨てたくなかったんだ」 

「意味不明っ! ほんっと、お人好しにもほどがあるっ!」

 違う。

 怒鳴り続けるキキに、シオンは心の中で呟いた。

 お人好しなんかじゃない。いままでのオレなら、殺してたんだ。あのときだって、親を殺されたモンスターの仔を殺すべきだと、紅子と蒼兵衛に言い放って、実際にそうしようとした。

 でもいまは、あのときアイツらを殺さなくて良かったと思う。

「私はお前みたいなお人好し、嫌いじゃないぞ」

 自身の行動に呆然としていたシオンが顔を上げる。

 蒼兵衛は口許に笑みを浮かべていた。

「お人好しのリーダーじゃないと、私と付き合っていけないだろ?」

「たしかに……」

 リノが頷く。ヒュウガを押さえながら、セイヤも苦笑いを浮かべていた。

「うわーん! バカバカ! うすらバカッ! こんなとこでシオンが死んだら、紅子に何言っていいか分かんないよぉ~!」

「いてっ! いてっ!」

 キキが飛びついてきて、ガツガツと頭突きを喰らわされた。どんなモンスターの攻撃よりもキツい。




 震えとともに地の底から響く慟哭は、建物が上げる悲鳴のようだった。ただでさえ朽ちていた廃墟の壁が割れ、あちこちからガシャンガシャンと音がする。灯りがチカチカと激しく点滅していた。

「テメエ、何をした」

 セイヤはヒュウガの喉元にナイフを突きつけながら尋ねた。ヒュウガは小さく笑い、掠れた声で答える。

「……あまりに騒ぐから、眠っていた魂がムカついたんじゃない……お前らが茶番を見せてくれてる間にさ……」

「真面目に答えろ」

「答えてるよ……顔と腹が痛いんだよ……ほんとは気が短いよね、セイヤさん……」

 ナイフが喉の皮膚を薄く切っても、構わずヒュウガが薄く笑う。

「……昔、ここは墓地だった……建物の下には、いまも多くの骨がそのまま残ってる……魂を宿したまま眠ってるんだ……この建物のそこかしこに、封印と鎮魂の魔石がある……」

「そいつらを、アンデッド化させたのか」

「……呼びかけただけだよ……そんなところで人間に踏みつけられて、悔しくないのかってさ……」

 がくんと建物が今度は逆に傾いた。セイヤはナイフを引いた。

「きゃっ」

「うわわわっ!」

 いたるところから何かが崩れる音や、砕ける音がする。

「……アンタら斬牙のメンバーにも、リノのようにオレの手駒にした連中がいるからな……戦いが終わったら、そいつらに封印の魔石を破壊するように命令した……」

「あたしたちのこと、弄んで!」

 リノが怒りに震えながら叫んだ。

「言っても無駄だ。操られた奴らのことはハイジさんに任せよう。警察も消防もじきにくる」

 セイヤはこれ以上聞く話も無いというように、ヒュウガに猿ぐつわを噛ませた。

 詠唱させないためもあるが、自殺防止の意味合いが強い。ネクロマンサーは死ぬと高位のアンデッドモンスターに転生する。霊体でありながら強力な魔法と霊術を操るワイトや、さらにその上位種であるリッチになるともう手がつけられない。

「とにかく脱出したほうがいい。脆い建物だ。どんどん崩れるぞ」

「この犬どうすんだよぉ! 邪魔ぁ!」

 言いつつ、キキが網ごと背負う。

「ふんがぁ!」

「す、すごい力……ほんとにリザードマンなのね……」

 リノが感嘆の声を上げる。

「まったくキキちゃんは荷物運びじゃないんだよっ! せっかく助けたから連れてくけどさぁ! 今回限りだよっ!?」

「ありがとう、キキ」

 口うるさく喚いているようで、肩と腕を怪我しているシオンを気遣っているのだ、キキなりに。

 もうコイツのこと、仲間には出来ないなんて言えないな。どこに行っても、立派に戦える戦士だ。うるさいけど。

「もー! 荷物あるからキキちゃんは先に脱出っ!」

 と言い、キキがさっさと部屋を出て行く。

「シオン、リノ、お前らも行け」

 蒼兵衛が告げた。

「私たちが、ヒュウガを連れていく。構わんから、先に行け」

「うん! シオン、立てる?」

「ああ、大丈夫」

 あちこち怪我はしているが、足は無事だ。

 それに、まだ何か嫌なかんじがする。

 ただの揺れで終わるとは思えなかった。

「蒼兵衛たちも、早くな」

 そう言って、先に脱出した。転がされているヒュウガの横を通るとき、彼の目が笑ってるような気がした。敗北してなおその状況を愉しんでいられるのか、ただ強がって笑っているのか、シオンには分からなかった。もう本人にも分からないんじゃないかと思った。




「なぁ、こっそり窓から放り出しとくか、こいつ」

 蒼兵衛の言葉に、セイヤが冷静に返す。

「それやると、リッチになるかもしれねーぞ」

「そうだった。リッチは不味いな」

「コイツは警察に引き渡す。それでいい」

 これだけの罪を犯しても、死者は出ていない。これまで殺人にまで手を染めていないのなら、親はいくらでも金を積むだろうし、そう短くない刑期で戻ってくるだろう。だが、ネクロマンサーとなると話は別だ。成人していないことを差し引いても、法を破った魔道士への罰は重い。

 他のストライブのメンバーとは違い、彼は犯罪魔道士を収監する専用の施設に送られることとなる。自殺しないように常に拘束具を着用させられ、厳重に監視されながら、長年かけて罪を償う。刑期を終えたのちも体内にチップを埋め込まれ、永久に国の監視下に置かれることとなる。

「ヒュウガ」

 縛られ、口も利けないヒュウガを、セイヤは見下ろした。

 怒りも蔑みも無く、彼は告げた。

「もし、お前がこれから罪を償って、自分がやってきたことを心から反省するときがきたら」

「いやー、こないと思うぞ」

 蒼兵衛が口を挟んだ。

「そんとき、なにも頼るモンが無かったら、居場所くらい作ってやる」

 えっ、と蒼兵衛が目を見開く。

「マジか。お前、お人好しなんてレベルじゃねーぞ、聖人か?」

「違げーよ。責任だ。同郷の、同種族としてのな。罪を償って戻ってきたとき、一つくらい受け入れる場所がねーと、真っ当になりようもねーだろ」

「なるほど。そういう考え方は嫌いじゃないが」

「今回はお前やシオンたちに助けられたけど、そのころにはオレももっと力をつける。他の種族に負けねえぐらい、ワーキャットの結束を固くする。そんで、またコイツが暴れたら、止めてみせる。同族としての責任だ」

 セイヤはそう言って、ヒュウガを肩に担いだ。

「仲間の尻ぬぐいは、何度でもやるさ」

「らしいぞ、良かったな」

 担がれているヒュウガに告げ、蒼兵衛はその頭をぽんと叩いた。

 そのとき初めて、ヒュウガは心底悔しげな、憎しみに満ちた目を向けた。

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