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「あー、美味かった! ただ焼いただけかと思ったら、ちゃんと塩味きいてんのなー!」
猪の肉は多少硬くて匂いもあったが、空腹時の食欲を前にすれば、その程度は些細なことであった。それどころかしっかりと効いた塩味が肉汁と絡みつき、たまらない旨さとなって口の中へ広がっていく。
「当然よ! 誰が調理したと思ってるの!?」
「そりゃサーシャだけどさ、まさかこんな特技があるなんて……」
「ねね、わたしってさ、結構いい奥さんになれそうだと思わない? もっとも料理を自分でするなんて、貴族としては失格なのだけれどッ!」
食事が進むにつれて、サーシャの機嫌が良くなっていく。
言葉遣いに関しても、「公の場では絶対に気を付ける」という約束をしたら、特に文句を言わなくなった。
――とはいえサーシャの機嫌は、山の天気よりも変わりやすい。些細なことで口をへの字に結んだり、そうかと思えばケラケラと腹を抱えて笑い出すのだった。
だから俺は、なるべくサーシャの機嫌を良好に保つための努力をしている。それは、なるべく彼女の言動を否定せず、貝のように無言を貫くことであった。
というか基本的にサーシャは何を言うにせよ、ガバガバ理論なのだ。だから無言を貫けなければ、俺が必ずツッコミに回ってしまう。
例えば今だって、「素敵な奥さんが山の中で猪を狩り、解体して焚火で調理する方法なんか知ってるかよ!」と言いたくて仕方が無いのだ。
「…………」
ちなみにサーシャは、こちらが話を聞いているそぶりさえ見せれば、俺が無言でも構わないらしい。
今も彼女は炎を見つめながら、滔々と言葉を紡いでいる。
それとも炎には、人だけでなく魔族さえも饒舌にする効果があるのだろうか……。
「……でもね、もともと父様は貴族じゃなかったの。平民で、しかもニンゲンだったから。それも、勇者パーティーの一員で、ステリオンの敵だったのよ。
だからこっちに来た当初は、随分と苦労したみたい。当然よね――当時のステリオンにもニンゲンはいたけれど、勇者パーティーを裏切り魔将になった者なんて初めてだったんだから」
両手で膝を抱え込み炎を見つめるサーシャの横顔は、どこか陶然としていた。赤々と燃える炎の中に、父の面影でも見ているのかも知れない。
「――父様は生前、ニンゲンも魔族も変わらないんだって、いつも言っていたわ。母様も微笑みながら、そんな父様を見つめていたの。それで必ずこう言ったわ。『サーシャ、だから貴女が生まれたのよ』ってね。
もっとも母様だって父様と結婚する時は、かなり反対されたらしいわ。だって魔王の妹がニンゲンに嫁ぐなんて――有り得ないものね」
サーシャは拳をギュッと握り締めていた。
今日、彼女は自らが死に直面したことで、亡くなった父を身近に感じたのかも知れない。だから会ったばかりの俺に対してさえ、心情を吐露せずにはいられないのだ。
そうと気付けば、流石に俺だって無言を貫けない。歳の変わらない少女が、こうまで心身ともに追い詰められている様を見てしまえば……。
「その――なんつーか俺もさ、お前の父さんや母さんに賛成だぜ。それに二人が本当に愛し合っていたからこそ、サーシャが生まれたんだ。そこは種族とか関係なく、誇っていいと思うぜ」
「……そうね、確かにそうだわ、ありがとう。アンタって平たい顔の割に、いい事言うじゃない」
「おおおぉぉぉい! 平たい顔は関係ねぇだろぉぉぉお!?」
「あははははははッ!」
サーシャは焚火から視線を移し、俺の顔を見た後で笑い始めた。
「お、おい……人の顔を見て笑うとか、超失礼なんですど……」
不平を口にしてみたが、実際はサーシャを笑わせることが出来て満足だ。焚火に薪を足しながら、俺は少しだけ誇らしい気分になっていた。
笑いを収めると、サーシャは目尻に浮かんだ涙を指で拭い、再び言葉を紡いでいく。
「でもね、父様と母様が死んじゃったあとは、本当に色々あったのよ。わたしね、魔族には魔族じゃないって言われて、ニンゲンにはニンゲンじゃないって言われたりしたの。
だったらわたしって、一体何なのよ!? ってさ、アイデンティティーの崩壊よね。
だから、一時は両親を恨んだこともあったわ。だって二人はニンゲンも魔族も同じだって言っていたのに、現実は違ったのよ。まさか魔族からもニンゲンからも受け入れて貰えないなんて……酷いじゃない」
「とっても悔しかったわ」と言いながら、両手で頭を挟み込むサーシャ。それから彼女は顔を俺に向け、二ッと笑って拳を握る。
「――だから頑張って、幼年学校を次席で卒業したの。わたしは魔族でもニンゲンでもないけれど、サーシャ=メロウなんだって。それを認めさせてやるって思ったの。でね――そうしたら、いきなり魔族として認められたのよ。何それ、遅いっつーの!」
「……かなり頑張ったんだな」
「ううん、実際は運が良かっただけ。だってわたしの母様は前魔王の妹だし、父様はニンゲンだったけれど、歴代最強って言われる程の四天王だったから。
その血筋を絶やすまじ――という力が陰で動いていただけだったのよ。例えばシンフォニア様がその筆頭で、随分といろいろ動いて下さったみたいなの」
「それにしたって、お前の努力があったからだろ……」
「でもね――」
サーシャは長い溜息を吐き、吐き切ったところで次の言葉を口にした。
「――今回の敗戦で、全て台無しになるんでしょうね。わたしを失脚させようという動きは当然出てくるし、場合によっては敵と内通していたのが、わたし――なんて流言も覚悟しているわ。
でもね、ニンゲンと魔族がいがみ合う世界を終わらせたいって――それがわたしの夢なの。だってわたしには、両方の血が流れているから……だからこそ絶対に、死ぬわけにはいかないのだわ」
絶望と覚悟と決意を口にしたサーシャの表情は、色々と吹っ切れたのかさっぱりとしている。
俺は無言で彼女に頷き、パチパチと爆ぜる焚火を見つめていた。
「その夢の実現に手を貸してやる」と素直に言えたら、きっと楽だったのだろう。
けれど、今の俺に一体何が出来る? そもそも、この世界のなり立ちだって知らないのに……。
だから俺は何も言えず、ただ炎に新たな薪をくべるだけだった。
「不思議だわ。こんなこと話したの、アンタが初めてよ」
首を傾げ、サーシャがニッコリと笑っている。
俺は曖昧に頷き、色々と考えを巡らせていた。
ある意味で彼女の存在は、魔族と人間を繋ぐ架け橋なのだ。
もしかしたらザーリッシュがサーシャを執拗に狙っていたのは、その事実があるからだろうか。
逆に魔族側にすれば、彼女をどういった意図で最前線に置いていたのだろう。
仮にサーシャの言う通り、魔国ステリオンに内通者がいるのなら……それは……。
ううん……ダメ。
考えたら、知恵熱が出そうだった。
「俺がこの世界の人間じゃあないから、話せたのかもな」
俺の言葉に、たっぷり十秒ほど間を置いてからサーシャが言う。
「――かもね。じゃ、食事も済んだことだし、水浴びしてくるわね。今日は随分と汗もかいたし……アンタは見張り、よろしく」
サーシャは立ち上がると、俺に背を向け歩き出した。
「お、おう」
ごくりと唾を飲み、俺はサーシャの後ろ姿を見送った。
水浴びということは、やっぱりサーシャも裸になるのだろうか? なるよな、当然。
サーシャの白い肌を思い、心臓の鼓動が早まっていく。視線の先にあるサーシャのお尻が艶っぽく見え、俺は静かに息を飲んでいた。
「いかんいかん……こんなとこで覗きなんて最低だぞ、俺! 今、とんでもなく深い話を、彼女から聞いたところじゃねぇかッ!」
『キョウダイ。オメェの夢はナンだ?』
「ゆ、夢……」
『男の夢ってなァ、女のハダカを見ることに決まってんだろォォがァァ!』
「――だな、兄弟ッ!」
どうやら俺の夢はサーシャのそれに比べ、酷く小さくて醜いものであるようだった……。
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