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異聞平安怪奇譚  作者: 豚ドン
外伝集
76/79

外伝集:紅葉伝説

 

 もうすでにいつの頃かも思い出せない程に昔の事。

 私には生国というものがあった筈ではあるが、それすらも思い出せない程に昔の事。


 私が生きていた、その時代に酷い飢饉があった。


 私の村では、力弱い者から段々と餓死していく、その中には父や母も入っていた。

 いとも簡単に天涯孤独となった私は、それでも文字通りに泥水を啜り、名もなき草を食べ、虫を食べ、何とか生きていた。

 酷い飢饉が起こればどこでも起こるものではあるのだが、死んだ者の手足を屠畜するかのように捥ぎ取り、笑い泣きながら煮て喰らう者、嬉々と貪り喰らう者もいた。

 やつらの目は窪んでいて、手足は細枝のようになり、肋が浮いて、皮が最後の砦と言わんがばかりに臓物がまろびでないように必死に堰き止めていた。が、そのくせに腹だけがポッコリと、はち切れんばかりに膨らんでいた。

 その状態は師の元で学んだ今なら分かるが、極度に栄養を損ねるとそうなるのだと。……まさに地獄絵巻に描かれる餓鬼のように、餓死しかけている者はそうなる。

 だがその時、私はただ死ぬのを待つばかりの小娘であった。そんな小娘に投げかけられる目は、鋭くギラついていた。

 腐肉を漁る猛禽類のように、はよう死ね、はよう死んで喰わせろと……鬼のような、その目で私に語っていた。


 私はその目に恐怖し、そして嫌悪した。ついには耐えきれず、ふらついた足取りで村から闇夜に紛れて逃げた。

 どこをどう歩いたのか走ったのかも分からない、ただ最後は転けそうになりながらも、霧深い中を切り傷と痣だらけの身体を無理にも動かしていた。

 そこが何処かも分からなかったが、村にいた頃には話にしか聞いたことのなかった、独特の海風の匂いで海が近いことを悟り、波の音が聞こえる方へ。


 山の中の村であった為に川魚が稀に食べれても、海魚は食べたことがなかった。

 海魚は美味い美味いと話は聞いていた。

 だからこそ、最後に食べたいものとして海魚が朦朧とした脳に強烈に浮かんだ。船も釣り竿もないのに足が向かった。

 足の裏から硬い土とは違い、サクサクとした砂を感じながら霧が立ち込める浜に立ち尽くす。


「海……魚、どこ?」


 水をもマトモに飲んでいない為に、自分のものとは思えないほどに潰れ、掠れた声が出る。

 魚を見つけようと、ゆっくりと注意深く霧の中の波打ち際を歩く。


 幾らか波打ち際を歩いたところで、私はふと気がつく。

 神様が行く道を指し示しているのか、霧が筋のように微かに晴れ、誘っている。

 その先には浜に打ち上げられた、まるまるとした魚の尻びれがはっきりと見えた。

 何度も何度も転びそうになりながらも近づくが、ついには転んでしまう。

 頭から転んだせいで口内に砂が入ってくる……が、唾液が一滴も出ないほどに乾燥していた為に苦もなく吐き出せた。

 足掻くようにもがくように、這って魚へと近づく。

 その魚の大海原で培われた血肉で、腹を満たし、喉を癒したい。


 たぺたい、いきたい、しにたくない。


 長く長く、這って進んだような気がする。

 途中、何度も気を失った気がする。

 ほんのりと生臭さが鼻につく。

 その滑らかで()()()()()腹鰭(はらびれ)背鰭(せびれ)も無い魚に手を伸ばし、齧り付いた。


 その身は今までに食べたことのないほどに甘く、蕩けるような食感であった。

 あの村で見てきた……そう、嫌悪していた餓鬼のように、私は魚の身を必死に貪っていた。


 あっという間に、尾鰭の方から順に、腹も食べ尽くし、胸付近に近づいた時に、それが顔にあたり気がついた。


 ()()()()


 魚の下半身に人の上半身が突き刺さっているような歪な形。

 長く白い髪が垂れ下がり、表情は分からない。


「……さかな……ひと?」


 分からない。

 何も分からない。

 海魚の味も知らないが、間違いなく魚であったはず。

 間違えるはずがない。魚と人を間違えるなんて。


 ぎょろりとした眼が、白い髪の奥から光ったような気がした。


「今度はお前」


 そう聞こえた。

 にわかに身体が、鍋に押し入れられ煮られるような熱さと、乱雑に手足を引き裂かれるような激しい痛みが襲ってくる。


 その痛みに耐え切れずに呻き声を上げながら、転がり回ってしまう。

 意識が途切れる間際に見たのは、人のような魚のような、それが泡沫となり海に帰ってゆくところだった。




「あねさん、あねさん。生きてるよこの子」


「おーん、あちこち汚れてるけど、見てくれは良さげな方か……これでアタシらのような醜女なら拾って帰るにはぴったりだったんだけどね」


「あねさん、あねさん。このまま捨てておくんか?」


 着飾って派手な格好をしてはいるが、見てくれの悪い。

 つまるところ醜男と醜女の集団である。

 その集団が砂浜で倒れた少女を囲みながら相談している。


「決めた! 拾って帰るよ!」


 細い少女を軽々と肩に担ぐ大柄な醜女。


「あねさん、あねさん。この子に名はあるのかな?」


「目を覚ましてから聞きやいいさ。無かったらアタシらで名付けてやればいい」


「あねさん、あねさん。蛙手(かえるで)が芽をつけ始めてるから、蛙手がいいんじゃない」


「ちょこっと安直だね。まあそれもこれも、この子が目を覚ましてからさ。……さあお前達! 鈿女党(うずめとう)の芸が求められてるとこに行くよ!」


 その一言で面々は大荷物を担ぐと、手に持った弦楽器から管楽器や鼓を各々が自由に鳴らし、唄いながら歩き始める。

蛙手=かえでの古めかしい言い方。

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