たださずにはいられない
下総国を目指す将門……相模国より北上し、武蔵国足立郡の辺りまで来ていた。
「ふむ、海の近くは沼地であったが此方の方は……川も近くにあって、良い土地ではないか。それに民の顔が明るいのは良い事だな」
ゆるりと馬上より、蒼穹がどこまでも続く様を見ながら、時折吹く風に乗ってやってくる、土の香りを楽しむ将門。
「さて……一度、郡役所の方に顔を出しておくか」
陽の光にキラキラと輝く広大な水田、明るく笑いながら働く人々、元気に楽しそうに走り回る童を見やりながら将門は言つ。
ふと、気がついた時には童の一人が将門の近くまで、走って寄って来ていた。
「新しく都から来た御役人様?」
舌足らずだが、愛らしい声で喋りかけてくる童。
将門は、仕立ての良い衣服を着ていた為に、要らぬ誤解を与えたと感じ。――下馬し、童の頭を撫でながら返答する。
「こんな格好をしていれば、間違えるのも仕方ないか……だが、役人ではないぞ、これから下総国まで戻るものだ……役職も無い、官位も無い、ただの男よ」
将門は笑いながら、わしゃわしゃと童の髪を少し乱暴に撫でる。
「そうだ、童よ。ここの郡司殿の在わす、郡役所はどちらにある? お隣さんみたいなものだからな、挨拶しておかねば」
将門の言葉に引っかかったのか、頭を傾げる童。
「お隣さん? 郡役所は向こうの方だよ、途中に大きな門とかあるから直ぐに分かるよ」
童は郡役所のある方向を指差しながら、将門に屈託のない笑顔を見せる。
「ふむ、向こうだな、ありがとう。そうだ、礼と言っちゃなんだが……」
そう言いながら、将門は馬の背に括り付けられた袋を開けて、ガサゴソと何かを探し回る。
「お、あったあった……これよ」
取り出したるは、竹で作られた薄く平べったい翼――その中心に一つ穴が空いている。そして細長い棒状になった竹籤。
「見てろよ、この穴に竹籤の心棒を入れて。心棒を回すと――」
くるくると竹籤を両の手の平で挟む様に回し、勢いをつける――すると、高く飛んでいく。
「わ! 飛んだとんだ、すごい! おじちゃんが作ったの?」
おじちゃんと呼ばれたのに少し落胆したのか元気なく、答える。
「いや、都で商い人が持ってきおった物よ。何処かの職人が作ったのであろうな……ほら、幾つか渡す故、友達と遊んできなさい」
いわゆる、竹蜻蛉……を、将門は幾つか纏めて童に手渡す。
「おじちゃん、ありがとう!」
お礼を言い、手を振りながら友達の元に駆けていく童、それを見ながら優しい笑みを浮かべる。
「子は良いな、やはり……宝だ」
言ちながら馬に跨り、童や働く人々から手を振られ、将門は笑顔や手を振り返しながら、教えられた郡役所を目指していく。
将門を見送るように竹蜻蛉が群れを成すように蒼穹に羽ばたく
そんな微笑ましい光景をジッと見つめる影一つ……
幾分か走った後に、童の言っていた、大きな門が見えてくる。
「おお、ここか! 見事なまでの門と柵ではないか、これなら万が一に、盗賊が来ても民を守れそうだな」
将門は軽く嘶きを上げた馬の手綱を強めに引き、なだめながら下馬する。
すると、嘶きを聞いた為か門番の男が二人出てくる。
「ここは郡役所だ、何用だ!」
将門を警戒するように、俄かに刀がある腰に手をやる。
「おっと、これは申し訳ない。平将門である。親父殿、平良将が没してな……一悶着あるやもしれんという事で、お隣さんである、郡司殿へ挨拶に伺った次第だ。お取り次ぎ願いたい。」
それを聞いて、腰にやっていた手を戻す門番二人。
「これは……大変な失礼を致した。最近、将門殿が言うように……お隣さんである下総国が、きな臭くなったため郡司様が警戒せよ。――と御達しを出されましてな」
深々と礼をし、謝罪の言葉を述べる門番二人。
将門は二人の肩をぽんと叩きながら、顔を上げるのを促す。
「職務に忠実なのは良い事だ、咎めはせんよ……逆に良くやったと褒ようぞ、しかと郡司殿に報告しておこう」
将門は笑い、門番達も貰い笑いをする……が、一つの足音共に門番達の笑いは消え、苦い顔となる。
「おや、こんな田舎で会うとは奇遇な……滝口で勤めていた平小次郎将門ではないか」
足音の正体は奥より出てきた、神経質そうな顔をした男であった。
「門番よ、此奴のような荒くれ者を通してはならんぞ。此奴には京で酷い目に遭わされたのだからな」
将門はじっと口を開かずに、神経質そうな顔の男を見る。
「うむ……顔に覚えが無いぞ? すまぬ、何処の誰であったか?」
将門は京で遂行した、職務を幾つか思い出したが……男の顔に見覚えなく。心から出た言葉であった。
「ぐっ……失礼な。将門よ、通して欲しくば――分かっておろう? 誠意次第だぞ?」
神経質そうな顔の男は怒り顔のままで、袖を振り、指差しながら言葉を続ける。
それを見た将門は、ふつふつと怒りが湧き上がったのか、阿修羅のような顔となる。
「公明正大で在らねばならない役人が! 袖の下を要求するか!!」
怒号――地の果てまでも響く様な声と共に将門は男に向かい、一歩踏み出す。
――その一歩は将門が地響を起こしたと錯覚する程に、力強く、怒りが篭った一歩。
「そ……袖の下など、誰もが……やっている……だろう」
恐ろしさの所為か、男は戦慄きながらやっとの事で言葉を絞り出す。
将門は男に向かい、一歩、また一歩と近づき……七歩目、男の前へと立つ。
「ひゅ、ひゅい……一体どうするつも」
将門が手を男の顔に持っていった直後に破裂音――神経質そうな男は言葉を、最後まで紡ぐ事なく、頭が前後に揺れ、ガックリと膝をつく。
「馬鹿者が……しかし、一体誰であろうな此奴、記憶に無いぞ」
ぽりぽりと頭を掻きながら独り言つ。
将門は、はたと気がつき、くるりと門番らの方に向きながら。
「此奴は郡司殿の元に連れて行く故な、これからも不正などをせず、屈せず職務に励めよ」
気絶した男の襟首を掴んで、引きずりながら、ずんずんと郡役所を奥へと進んで行く将門。
その光景を唖然としながら見送る門番と、遠巻きに眺めていた影一つ。
「へえー平将門……面白い男じゃないの」
影の声は小さく誰にも聞こえない……




