クビ喰む
平将門の首。――呪と怨念を撒き散らしながら、ずるりと……髪を手足のように動かし、桶より這い出る。
その姿を焼き付けるように、しっかりと両目で見つめる面々。
「首だけでも動くなんて。小次郎に掛けられた呪は強力なんだろうね」
呻き声を発し、将門の首は帝の首筋を噛み切ろうと跳ねる。
「貞盛! 帝を守れ!」
いの一番に切羽詰まった声を発したのは、藤原忠平。
――帝の眼前に迫る、将門の口。
――が、平貞盛が片膝をついた状態で、帝と将門の首の間に右腕を滑り込ませ、阻む。
「従兄弟殿……お鎮まりになられよ、帝の御前ですぞ」
首に噛みつかれ、ぽたりとぽたりと右腕から血が滴る。――貞盛は痛みなど意に介さず。幼子を諭すように、ゆっくりと将門の首に語りかける。
「ふう……肝を冷やしたわい」
藤原忠平は汗を拭いながら、襟元を正す。
「むう……ふう……」
藤原秀郷は貞盛の右腕に噛み付いて離さない、将門の首を両手でしっかりと持ちながら、溜息を吐く。
「斬った後に、将門の体から出てきたモノは蜈蚣切丸で突き刺して消滅させたんじゃがな……よもや、此方にも。頭にも残っておったとは」
秀郷の話を聞きながら、帝は手に持ちたる扇で口元を隠す。
「藤太、そのまましっかりと持っておいて……平太も、そのまま少し我慢してね。先にこの呪を祓うから。――このままだと将門の魂に語り掛けるのに支障がでるから」
帝の顔から笑みが消え、幼いながらにも真剣な面持ちとなる。
秀郷と貞盛は縦に首を振り、秀郷は将門の首が動かないように……さらに両手に力を込める。
将門の首も、負けじと。――髪を秀郷の両手に巻きつかせ、ぎちぎちと音を立てながら締め上げる。
「天清浄、地清浄、内外清浄、六根清浄と祓給う」
帝の口から紡がれる祝詞、それは聞き惚れる、鈴のような声。
「天清浄とは、天の七曜九曜、二十八宿を清め」
扇を上げ、紡ぐ祝詞に、天も、地も、呼応する。
きらりきらりと淡く輝く蛍火が天より舞う。
「地清浄とは、地の神、三十六神を清め」
帝の足元より、三十六の細い光柱が出で、花紋を形作りはじめる。
「内外清浄とは、家内三寶大荒神を清め」
徐々に蛍火や花紋が一所。――将門の首に纏いはじめる。
「六根清浄とは、其身其體の穢れを、祓給、清め給ふ事の由を」
帝は口を窄め、扇にふっと息を吹きかけ、将門の額へとあてる。
「八百万の神等、諸共に、小男鹿の八の御耳を、振立て聞し、食と申す」
将門の呻き声と強い光。目をつぶらねばならぬ程の光。
俄かに、秀郷の腕を締め上げていた髪は外れ、貞盛の腕を噛んでいた口も、赤い血の糸を引きながら外れていく。
「呪も解け、準備は整った」
帝は将門の額にあてていた扇を外す。
目を見開き、全てを呪うような恐ろしい顔、ではなく……妙見菩薩のように優しい顔となっていた。
「――と、その前に平太。……その傷は後々になると、祟るかもしれないから手当してきなよ」
帝は扇で貞盛の右腕を指し示す
……しかし、貞盛は首を横に振る。
「それは、従兄弟殿の……魂への語りかけが終わってからにします……それに、これくらいの傷など!」
何を思ったのか、貞盛は右腕の袖を捲り……しっかりと、くっきりと付いた歯型を見せる。
「むん! むん!」
掛け声と共に、右腕に力を入れる貞盛。
見る間に、腕の筋肉の力のみで傷を塞ぐ。――ぽんぽんと傷が塞がった、右腕を叩きながら、大笑いをする貞盛。
「大丈夫? なら始めようか。小次郎の首は……首桶の蓋を閉めて、その上に置いてね」
秀郷は帝の指示通りに、首を置く。その腕には締め付けられた跡が、未だに赤々と残っていた。
帝は将門の首を正面から見据えるように座し、右手を将門の額へとあてる。
「平小次郎将門よ……この呼びかけが聞こえるだろう、さあ返事をしておくれ」
帝の澄んだ声が遠くまで……東国や黄泉の国まで届いていく。
黒い……一切の陽の光も、火の灯りも奪い去るような漆黒の湖。
辺り一面も闇の帳が降りた世界。
そんな湖に五体を投げ出し浮かび、揺蕩う男。
『小次郎』
何処からか響く声、 無であった湖に波紋が生じる。
ゆっくりと響く声に反応して揺蕩いながらも、目を開ける男。
「懐かしい呼び名だ……この将門を……今もそう呼ぶ者は少ない。とうとう幻聴まで聞こえるようになったか」
誰もいない……独り笑い、独り言つ。
ふいに将門の視界を光る物が横切る。
「む、なんぞある?」
ぱしゃりと水面を掻き乱しながら、慌てて起き上がり、光る物を探す――それを見つけるのに時間は掛からず。
闇の世界でここに居るぞと主張する、水面に留まる、光る蝶。
「これは一体……」
光る蝶が、ついて来いと言わんばかりに飛び舞いながら、将門を誘う……蝶に釣られ将門も、ぱしゃりぱしゃりと水音を立てながら歩みはじめる。
幾ばくか歩むと、湖に浮かぶ島のようなものが見えはじめる。
そこにだけ闇の中で唯一、陽の光が天より射し込んでいた。
光る蝶が島に止まり、人型に変わる。
「久しぶりだね、小次郎」
その姿と声に驚き、将門は体制を崩しながらも駆け寄る。
――あの時から随分と時が経ち、成長している。が、それでも将門は見間違う筈もなく。――平伏す。
「お久しゅう御座います、帝。――この度は我が不徳の致すところ、如何様な裁きでも受ける所存」
将門の謝罪の言葉に対して、からからと笑う帝。
「もう君の体は罰を受けた、乱も鎮まった、魂にまで罰を与える気はないよ……それよりも、東国に戻ってから起こったことを……そして何より、君を、小次郎をこんな所に幽閉している者の話を詳しく聞かせてよ」
その言葉を聞き、面を上げる将門。
「些か、長くなると思いますが……よろしいのでしょうか?」
「もちろん構わないよ、此処は誰にも邪魔をされない場所だ……ゆっくりで構わないよ」
島に唯一ある切り株に座し、扇で、ぱたぱたと扇ぎながら、将門の次の言葉を待つ。
将門は記憶を呼び起こすように、ゆっくりとつい先日の事のように思い出せる。
まさに激動の数年を語り出す。
朱雀天皇の祝詞=天地一切清浄祓




