2:昔は気づいていませんでした。ですが今は…… エリシア後編
エリシア続きです。
マクシミリアンが生まれてから五年が経ち、今の私はスフィールド公爵家の一振りの剣としての役割を与えられています。昔思い描いていた冒険者ではなくなりましたが、ラルフを選んだ時点でそれは諦めるべきだと思います。私が冒険者を選んだことでジェイクを失ったように、何かを得るには何かを失うことが必要だという……当たり前のそれだけの話でしかないのです。
剣を振るうことは好きなのでそれを許してもらえているだけでも幸いと思うべきなのかもしれません。それにしても本当に私を厳しく教育してくださったマリーナお義姉様にはいくら感謝してもしきれません。お役目とはいえこんな私を見捨てずにいてくれたことに心から感謝しています。
私は今、ラルフが三男ということもあって王都にあるそれなりの大きさの屋敷にラルフと子供達、それに侍女のマリーとエリーに料理人のグンドと庭師などの少数の使用人で住んでいます。ラルフ自身は子爵の爵位を持っていますので貴族ではあるのです。もっとも実際の子爵とは訳が違いますが。
やはり公爵家の力は大きいです。国内で有数の貴族ですし、王家の信頼も厚い家系なので表立って敵対するような貴族が今の所無いせいか、子爵でもそれなりの扱いをされているようです。
子供に関してですが、貴族は乳母に育てさせることもあるらしいのですが、スフィールド公爵家では母親が育てることの方が多いそうです。なので私が子育てをすることについては何も言われませんでした。
お義姉様の手助けもあり子供たちと穏やかな日々を過ごしていました。ただ、ラルフは子供には興味が無いようであまり相手をすることはありませんでした。貴族の男性はそういう人もいるということですから、妻はそういう夫には子供のことは期待せずにいる方が良いとお義姉様に言われた時は思わず納得してしまいました。
そんな幸せな日々に、ただ一点だけ悩みがあります。
――それは
「奥様、旦那様は本日も遅くなるとのことです」
「そうですか……ありがとう。もう休んで構いませんよ」
子供たちに絵本を読み聞かせ終わった私に家令がこっそりと今日もラルフの帰りが遅いことを伝えに来ました。そのまま子供達を寝かしつけるとラルフの帰りを暖炉の前で待つことにしました。
ここ一年くらい前からでしょうか。ラルフが家に帰ってくるのが遅くなってきたのは。もっとも二年くらい前から少しずつラルフが私に嫉妬のような感情を向けてくるようになりました。それまでは普通に過ごしていたのですが、きっかけは私が一人でキマイラを倒してしまったことだったように思えます。
それはたまたまラルフが貴族としての所用で王都を離れていた時のことでした。私は子供達も甘え盛りで手がかかることもあり家に残っていたのですが、王都のすぐ近くにキマイラが出たという知らせが来たのです。ところが、それに対する騎士団の派遣に一部の貴族が反対して、冒険者を投入することになったのです。
確かに騎士団よりも冒険者の方が魔物の相手に慣れている場合はあります。しかし、それでも騎士団という数の力に勝るわけではないのに彼らは騎士団を派遣しませんでした。
キマイラは個体差によって強さが大きく違う魔物です。強靭な体躯に炎を吐く獅子の頭、魔術を使うヤギの頭に毒を持つ蛇という古の魔術師によって作られたと言われる恐ろしい禁忌の魔物です。今回は最悪なことに特に強い個体だったらしく、最初に討伐に向かった冒険者達は全員が食い殺されたそうです。
しかも運の悪いことに、その時は王都の高ランクの冒険者は全員出払っていました。このまま放っておけば被害は増すばかりで、王都近くの村が壊滅するのも時間の問題でした。
戦える冒険者は誰もおらず、騎士団は動けない。そんな状況で私に指名依頼が来るのは当然の結果だったと言えるでしょう。王家からの指名依頼なので拒否することは出来ません。それにあのキマイラを放っておけば私の子供達くらいの年齢の子も危険にさらされてしまいます。
幸い、依頼を受け続けていたおかげで腕は鈍っていませんでした。だから私はキマイラを討伐することに決めたのです。
「思っていたよりも弱そうで安心しました。あなたを放っておくことは出来ないのでここで仕留めます」
私がキマイラを討伐しに向かうとキマイラはちょうど王都への街道を真っ直ぐに向かってきている途中でした。きっと王都に多くの人間がいることに気が付いたのでしょう。人間など餌に過ぎないと思っていればそういう風に行動することも理解できます。
私はクロノスフィアを構えてキマイラを迎え撃ちました。
魔術を使うまでも無いと甘く見たのでしょう。キマイラは私に向かってその豪腕を振るってきました。でも侮った一撃など恐ろしくもありません。その一撃をかわし、懐に飛び込むと腹を深く斬り裂きます。
「フレイムバンカー!!」
そのまま至近距離で炎の魔術で作った杭を傷口に叩き込んでやると流石に効いたのか一瞬動きが止まりました。その隙を逃さずに魔術を使用してくるヤギの頭を斬り落とした後は蛇の尾を斬って落とします。
「今更気が付いても遅いですよ。もう、あなたはお終いです」
私を見るキマイラの目に怯えの色が映りました。そのまま逃げようとするその背中を魔力の刃で深く斬りながら私は予め溜めておいた雷の魔術を解放します。
「雷よ滝のように降り注げ! サンダーフォール!!」
雷がキマイラの足を止めた瞬間、止めに魔力の刃で両断してしまえば流石のキマイラでも終わりでしょう。あっけなく倒せましたが、向こうがこちらを甘く見てなけれな危なかったかもしれません。
その後、キマイラ討伐の功績を認められ報酬と陛下からお褒めの言葉を頂きました。御当主様からも良くやったとお褒めの言葉を貰えました。王都でも単身でキマイラを斬った“赤雷の剣姫”の名は一気に話題に上がったようです。
その評判はラルフが戻ってくる頃には王都一の剣士にまで上がっていました。それからでしょうか? ラルフの瞳に嫉妬の炎が宿り始め、少しずつ私を避けるようになったのは。
私はラルフが少し様子がおかしくなった時に話しかけてみました。
「旦那様、最近お忙しいようですけれど、何かあったのでしょうか?」
直接聞くのは貴族としてはしたないことなので少しだけ遠回しに聞いてみます。ラルフも貴族だからそれくらい分かっているはずです。
「いや、大した用事ではないよ。すまなかったね、寂しい思いをさせて。今夜は少しだけ一緒にゆっくりしないか? 良いワインを貰えたのだよ」
お酒を飲みながらですか……それでは冷静に話を聞くことは出来そうにありません。ですが、まずはラルフと過ごす時間を作ることを優先しましょう。こうやって一緒にいる時間を作れば話せる機会はある筈です。
そう思って何度か一緒に晩酌をしたり話をしようとしましたが、私がそれとなく真剣な話をしようとするとするりと逃げるように話をはぐらかせるようになりました。
こらえきれずに時間のある時に何度も話し合おうとしたのですが、避けられたり話を途中で切り上げられたりして何も話せていないのです。今思えば、帰りが遅くなったのは何度か無理矢理捕まえて話そうとした時からだったかもしれません。
まるで私がジェイクから逃げたように今度は私からラルフが逃げているようです。これも私に下された罰なのでしょうか?
だとすれば子供達まで巻き込むことになるのは申し訳ないことです。
「お帰りなさいませ。外は寒くありませんでしたか?」
季節がそろそろ春に差し掛かるだろうこの時期ですが、王都はまだ寒いです。帰って来たラルフのコートを受け取ろうとしますが、ラルフは返事もせずにそのまま部屋へと向かってしまいました。
どうして返事もしてくれないのでしょうか?
何故、私を見ようとしないのでしょうか?
私はもうあなたに愛されていないのでしょうか?
このままではまた前の繰り返しでしかありません。私はラルフを追いかけて部屋に向かおうとする背中に声をかけました。
「せめて、せめて理由を教えてもらえませんか? どうして私は避けられているのかを?」
「……エリシア、君は……明日からしばらく出かける、子供達を頼む」
私を見ないようにしながらそんなことを言われてもどうすればいいのでしょうか? その苦しそうな背中に声をかけようにも、その背中からはハッキリと拒絶の意思が示されていました。
何度も話そうとしたけれど拒絶されてばかりです。淑女として教育を受け直した私は以前のように感情のまま動くことに躊躇いがありました。それでも……話をすることを止めてはいけないのです。
ジェイクが諦めなかったように……最後まで私と向き合おうとしたように。
たとえ、帰りが遅い理由が他の女性の所にいるのかもしれないとしても
知らない香水の匂いがしたとしても
私を見る目が嫉妬に溢れているとしても
私はラルフの妻です。一度ジェイクという素晴らしい人から逃げ出した私が、私から逃げようとする夫を批判する資格など無いのですが……ジェイクがあそこまで追いつめられるまで私から逃げなかったように、私も今度は逃げてはいけないのです。
家族やジェイクに酷い言葉や態度をとっていたことは今でも悔やんでいます。ただ、それはあの頃に戻りたいという感情ではなく、ただ申し訳ないという感情です。
もしかしたら母のあの怯えた態度は私のそれまでの振る舞いのせいかもしれないと最近は思っています。謝れるなら謝りたい。あの頃の私は自分で考えず人に任せてばかりで、アニーの優しい言葉に甘えて責任を人に押し付けていました。
だからこそもう同じことを繰り返してはいけないのだから。次の日、朝早く出て行くであろうラルフを待ちましたが、既にラルフは夜中に出て行ってしまったそうです。
またすれ違ってしまいました。
神様……これが私がジェイクに犯した罪の罰だというのなら甘んじて受けます。ですが、子供達から父親を失わせるような罰はお許しください。私の罪は私が償います。
それとも、ジェイクを捨てるような振る舞いをした私が再婚などしたこと自体が罪だということなのでしょうか?
私はジェイクを愛していました。それだけは間違いなく言えます。ただ、あの頃の私はどうかしていました。それが何故なのかは分かりませんが……アニーの言葉を素直に聞き入れてしまっていたように思えるのです。
もちろん、アニーのせいだとは思っていません。あくまでも決めたのは自分です。ですが、どこかに違和感のようなモノが付き纏っているのです。
ラルフがしばらく留守にすると言って出て行ってから三日ほど経ったある日、ケートの神殿から嬉しい報せが届きました。なんとレイラが治療されて元に戻ったというのです。あのペトリリザードの毒で石になった人は全て救われたという素晴らしい報せです。なんでも癒しの術の使い手の最高峰である聖癒師である“命を繋ぐ者”と呼ばれている人が治してくださったそうです。神殿が後ろ盾になっているらしく、二つ名しか教えてもらえなかったのですがどんな人物なのでしょうか?
気にはなりますが、それよりも私は嬉しさのあまり涙が溢れてきました。良かった、レイラが元に戻って。落ち着いたら会いに行っても良いのか悩みましたが、一度手紙を書いてみることにします。いきなり押しかければ迷惑になるかもしれません……子供達もいますし。ですが、元に戻ったレイラに会いたいですし、彼女には話さなければいけないこともあるので。
でも、本当に良かった……治って……本当に。
溢れ出る涙をこらえることが出来ずに次から次へと零れ落ちていきます。そんな私を心配して子供達が慰めようとしてくれるのがまた嬉しくて泣いてしまいました。
ああ、私は家族というものがこんなに暖かいものだと知っていたのに……あの頃はなんて愚かだったのでしょうか。
母が私からアリアを守ろうとしたことが今ならよく理解できます。きっと母は私のことも同じように守ろうとしてくれていたのでしょう。
それに気が付かないで愚かな選択をした私は大事な家庭を壊してしまいました。ならばせめて今は子供達だけでも守らないといけません。
時間は掛かるかもしれませんが母にも許してもらえるように手紙だけは欠かさないようにしたいものです。直接謝ることすら出来ていないのですから。手紙で謝罪を済ませる訳にもいきませんしね。
そうしてラルフの帰りを待って一週間程経ったある日、子供部屋で子供達と遊んでいると家令が慌てた様子で駆け込んできました。
「大変です!! 奥様!」
「いったいどうしたというのです!? そんなに慌てて」
「……旦那様が……」
様子がおかしいので子供達に聞かせないように侍女のマリーとエリーに任せて退出させておきました。子供達が出て行った後、私は湧き上がる不安に心が押しつぶされそうになりながらも家令に続きを促しました。
「……大怪我をされて帰って来ました」
ラルフは物凄い大怪我をして帰って来ました。怪我をしていない場所は無く、顔は半分焼け爛れ、右腕は肘から先がありません。いくら包帯を替えても血が滲んできてすぐに真っ赤になってしまいます。痛みの苦しみでずっと唸り続けているラルフを見ていることしか出来ません。
治癒師に来てもらおうとしたのですが、これでも既に治癒師に治してもらった後だと言うのです。これ以上の治癒術を施せば逆に命を縮めると言われました。この状況から治癒術を施して傷を癒せるとしたらあの“命を繋ぐ者”と呼ばれている人だけだそうです。
ただ、今は遠いケートにいるらしく頼りにすることは出来そうにありません。ラルフの怪我は重くそんなに長くは保ちそうにないのです。
「……どうしてこんな大怪我を」
「……旦那様は火竜を倒しに行かれたようです」
「……火竜……あの火竜ですか!?」
人の身で戦うのは無謀と言われているあの火竜に挑んだと言うのですか!? もしそうならこうしてまだ生きていることが奇跡のようなものです。聞けばラルフは従者と二人で火竜の所まで赴き、単身挑んだのだそうです。
もっとも結果はこの怪我が示す通り、敵わず命からがら逃げ帰って来たとのことでした。従者はおそらく死んだのでしょう。なんて……無謀な真似を……そこまで私が一人で功績を挙げたことが悔しかったのですか?
……火竜は自らの財宝を守るために住処を動かないと言います。だから何もしなければ問題のない相手だというのに。最悪、火竜が暴れ出すかもしれません。そうなれば公爵家の責任が問われるでしょう……私も覚悟をしておかないといけないかもしれません。
それにしても、私はもうそんな功績など欲しくは無かったのに。あなたにはそれが我慢できなかったのですね。
「……おのれ……め」
ラルフが何か呻きながら話し始めました。
「気が付かれたのですか!? 旦那様!」
私は必死に呼びかけますがラルフには聞こえていないようです。ラルフは熱に浮かされたように何かを話し続けます。
「私は……負けてなど……いない……貴様などに……たかが……平民の……分際で、私に……歯向かうなど……だから……その目を……やめ……ろ」
……平民? ラルフは何を言っているの? 誰と話しているの?
「だから……その目を止めろ……ジェイク!……私をバカにするな!私は貴族なんだ! 私を見るなぁぁぁぁぁ!!」
突然暴れ出したラルフを家令と二人がかりで押さえつけるのですが凄い力で暴れるので傷が余計に悪化していきます。
「止めて! ラルフ! 死んでしまうわ! お願いだから大人しくしてて!!」
私はそう叫びながらも頭の中は混乱していました。何でジェイクの名前が出てくるの? どうしてそんなにジェイクに怯えているの?……ラルフ……あなたはジェイクと何があったの?
「私は!私は!貴様などに負けた訳ではぁぁぁぁぁ!!!!」
宙に手を伸ばしたラルフは目を限界まで開ききったまま固まると、血を吐いて倒れました。そしてそのまま動かなくなったのです……二度と。
私は受け止められませんでした。ラルフが話していたことも。ラルフが死んでしまったことも。いったいラルフとジェイクに何があったというのでしょうか。
ただ、今は呆然と立ち尽くすしかありませんでした。
というわけで、ラルフさん退場です。
この展開予想されていた方はいたでしょうか?
もしいたなら素直に称賛します。
ラルフはどんなざまぁにあったのか、もう少しお待ちください。
次は時間が戻ってジェイクのあの後の話です。
◆エリシア(25歳)
剣術:130/120+10
雷魔術:90/90
炎魔術:60/60
風魔術:65/65
魔力操作(剣):110/100+10
体術(身のこなし):105/100+5
魔力内蔵量:60/60
直感(戦闘):65/75
料理:1/30




