12:彼女を殺した日
この話から暗さが増していきます。心の明かりを忘れずにお持ちください。
――レイラさんが石になった。
最初に聞いた時は理解が追いつかなかった。いったい何を言っているんだろうとすら思ってしまった。何とか話してくれたシェリアさんは泣きじゃくっていて、とても落ち着いて聞ける状態じゃなかった。オーベルに抱きしめられながら慰められているシェリアさんをとりあえずオーベルの家に泊めることにした。今は落ち着かせないと。
シェリアさんがオーベルの家に泊まることは何の問題も無かった。最近交際を始めた二人は初々しいカップルらしくいちゃつき方が分からないといった感じだった。僕はそれを見ながらニヤニヤしていたのに、そんなシェリアさんのこんな悲しそうな泣き声を聞くとは思っていなかった。
結局シェリアさんが落ち着いたのは次の日の夜だった。僕は話を聞くついでに夕飯を作りに行くことにした。オーベルは雑だし、シェリアさんは今はそれどころじゃないだろう。
夕飯を食べ終わってから僕は薬草茶を淹れておく。リラックス効果と鎮静効果のあるやつにしておいたから少しは落ち着いて話せるかな。シェリアさんは薬草茶を一口飲んでから何があったのかをポツポツと話し始めた。
「つい、三日前のことだったよ。あたしたちは複数のパーティーと一緒に依頼でケートから割と離れた森でモンスターの討伐をしていたんだ。モンスター自体は今のあたしらにはたいしたことのない相手だったさ。ウッドタートルって言う亀みたいな奴でね、動きは鈍いがひたすらに頑丈で力の強いのが特徴さ。植林している木を片っ端から食べちまうから退治の依頼がよくあるんだよ。予定通り討伐を済ませたあたしらはそのまま帰る準備を始めたんだ。その時だったよ……そいつは現れたんだ」
シェリアさんはそこまで話すと両手で体を抱えるようにして震えだした。オーベルが優しく抱きしめて落ち着かせるようにシェリアさんの髪を撫でる。
「無理はしないでいいんだぜ、シェリア」
「そうですよ、まだ無理はしない方がいいと思います」
オーベルと僕がシェリアさんにそう言うのだがシェリアさんは首を振ると続きを話し出した。
「そいつは見たことの無いモンスターだった、黒い鉄みたいな甲殻に鋭い大きな口。爪は剣のように鋭く、腕は丸太みたいに太く力強かった。見た目は四足のトカゲに近いけどどこか違う……そうドラゴンとトカゲの中間みたいなやつだったよ」
シェリアさんはどこか遠い目をしながら続ける。
「ソイツはどこからやって来たのか分からないけれど、あたしとエリシアが駆け付けた時には既に冒険者が一人食われていた。ソイツはあたしらを見つけるといきなりブレスを吐いてきたんだ。あたしは一切反応できなかったけどエリシアは反応していたよ。もっともブレス相手には意味なかったけれどね。危険に気が付いたレイラだけが対応出来たんだんけど……レイラはブレスを魔術でそらしたけど自分は守れなかった。あたしらはすぐに応戦したけどレイラは意識を失っていたし相手は強かった。結局何人もの犠牲者を出したのにも関わらず、何とか撃退することしかできなかったよ」
喉が渇いてくる。ようやく出てきた言葉はそれでとしか聞けなかった。
「レイラが受けたブレスは石化毒のブレスだったみたいでね。少しずつ石化していくのに気がついたアニーはすぐに治療を試みたよ。でもいくらアニーが優秀な癒し手と言っても限度があるからね。治せなかったんだよ、あの化け物が放った毒は……呪いの毒、呪毒だってさ。急いで近くの村まで戻ったんだが、結局昨日、レイラは石になったよ。あたしらの前で」
オーベルが静かに泣き出したシェリアさんを抱きしめてもういい、もういいんだと話しかけている。僕はもう頭が真っ白だった。知り合いが急にいなくなる、これが冒険者の現実なんだと思い知らされた。
「あたしも、傭兵をやっていたからね、仲間が死ぬのは初めてじゃない。人間相手に殺されるなら慣れている。モンスター相手でも慣れていたさ。でもね、あんな化け物は初めて見た。勝てる勝てないとかじゃなかった、前に立てないと理解させられたんだ。あたしは心が折れちまったんだよ、あいつの前で。そのせいかね、応戦したときに腕をやられちまってね。もう斧が持てそうにないんだ。だからレイラやあたしが抜けることになって“女神の剣”は解散することになった。これで全部だよジェイク、オーベル」
聞いただけで震えてくる恐ろしい話だった。エリシアは無事なのだろうか? 昨日は聞けない状態だったから聞くのを何とかこらえたけれど、心配で一睡も出来ていない。もし怪我をしていたらどうしようか。それともエリシアも石になってしまったのだろうか? 聞くのが怖かった。
「え、エリシアは?……どうしているんですか?」
「エリシアは無事だよ。エリシアがいなかったらあたしらは全滅していたかもしれなかったくらいさ」
良かった、無事ならまずはそれでいい。でも何でシェリアさんと一緒に帰ってこなかったのだろうか?
「エリシアは今ケートにいるよ。きっとあの化け物を追うつもりだと思う。とりあえず後片付けがあるから五日後に帰ると伝言をあたしに頼んできたよ」
ということは四日後か。そんなに時間がかかるくらい被害が出たのだろうか? もしかしたらその化け物を追う準備もしているのかもしれない。
ふとそう思った瞬間、僕はあまりにも恐ろしい不安に包まれた。もしその化け物を追っていって今度は無事ではなかったら? 次は怪我だけで済むのだろうか? もしかしたら石になるのかもしれない。最悪……
―――死ぬかもしれない
そう思ってしまった。僕はこの瞬間まで本当の意味でエリシアの死の危険性を理解していなかった。僕がしたと思っていた覚悟なんてつもりでしかなかったんだ。
「ごめんな、あたしに余裕が……あればすぐに……帰るべきだろうって言ってやれたんだけど……その余裕が無かった……ホントに……ホントにごめんよジェイク……ごめんよ、レイラァァァァァ」
僕はそっとオーベルの家を出た。懺悔のように泣く声が聞こえてくる。弱い自分への怒りなのか仲間を救えなかったことへの悔しさなのか僕には分からない。戦う力が無い僕には決して理解できるものではないのかもしれない。
エリシアは今どうしているのだろうか?
きっと辛いのを我慢して一生懸命出来ることをやろうとしているかもしれない。帰ってきたらエリシアを慰めないといけないな……でも……僕はエリシアをもう一度送り出すことは……出来るのだろうか?
「ただいま、ジェイク。お腹すいちゃった」
エリシアが帰って来たのはちょうど夕飯の支度が済んだ時だった。僕に泣き顔を見せないように必死にこらえているのがバレバレだった。きっと泣いたって何も解決しないとか思っているのかもしれないけれど、そんな考え方はエリシアには似合わないのに。泣かないエリシアにどう接すればいいか僕は少しだけ分からなかった。
夕食の最中エリシアにオーベルやシェリアさんのことを話しておく。エリシアの仲間のことだからちゃんと話しておかないといけない。そしてレイラさんに何が起きたのかを全て聞いた僕はもうそれだけで十分ショックを受けていた。
しかし、それ以上にショックだったのはエリシアが敵討ちを望んでいるということだった。生きるために何かの命を奪うことは必要なのだからしょうがない。でも恨みのために命を奪うことを望むエリシアに僕は言いようのない不安を感じていた。今まで怒ることはあっても恨むことが無かったエリシアが憎しみで行動している。
優しくてちょっとそそっかしいけれど明るい笑顔が良く似合う普通の女性だったエリシアはいつの間にか剣士の目をする女性になっていた。僕の知らないエリシアの顔は凛々しくてカッコよかったけれど、どこか怖かった。それにエリシアは許可を求めに来たんじゃなくて報告に来ただけ、そんな顔をしていた。そのことには、たぶん自分でも気が付いていないのだろうけれど……。
だったら僕はエリシアのなんなのだろうか? 決まったことだけを告げられる存在。家族だけれど僕にだって言いたいことはある。それすら気にされないのなら同居人と変わらないのではないのか?
そんな感情が渦巻く中、僕はレイラさんが少しでも早く治りますようにと祈りを捧げることにした。そうでもしないと感情のままにエリシアに言い放ってしまいそうだったから。
明らかにエリシアは変わってきている。でもそれは感情のぶつけ合いをして解決するものでもないだろうし、今はぶつけるべきじゃない。エリシアだってレイラさんを失っているのだから冷静じゃないのは当然だ。そんな時は少しでも冷静にならないといけない……そうだ、冷静になるんだ。
「どうしたの? ジェイク。急にお祈りなんかしちゃって」
「レイラさんが早く治りますようにってお祈りしてたんだ。気休めにもならないけどね」
これくらいしか出来ないのも悔しいけれど。かといって何もしないのはもっと嫌だ。
「そうだね、ありがとうジェイク。気持ちだけでも嬉しいよ」
エリシアはそう言うけれど祈るつもりはないらしい。昔はこういう時は祈るくらいはしたのに。それとも祈るくらいなら自分で何とかするというつもりなのだろうか?
「あの化け物を追うことにしたの。仲間の仇も討ちたいし、剣士としても負けたままでは終われない。だから私はラルフ達とで新しいパーティー“勇気の剣”を組むことにしたの」
これは本当にエリシアが前に進むために必要なことなんだろうか?
ただ仲間を失った痛みを復讐でごまかしていないだろうか……いや、違う。僕がそう思いたいだけだ。僕はエリシアにその化け物を追ってほしくはない。話を聞けば聞くほど死ぬ可能性が高い恐ろしい相手だということが分かる。
エリシアがやらないといけないことなのかと聞けばやりたいことだと、危険な化け物を放っておきたくないと言う。僕が他の冒険者や領主様が対処してくれるかもしれないと言った時、エリシアは僕を見てきた。そしてハッキリと告げたんだ。
「他の誰にも譲りたくないんだ。あいつは……あの化け物は私が殺したい」
殺意があると認める言葉を……僕は驚いた。だって隠すこともなく僕に殺したいと願望を述べてきたのだから。顔に出さないようにしたつもりだけれど、多分隠せていないな。
「一年の約束は守るよ、それまでに終わらせる」
正直に言えばもういっぱいいっぱいだった。とにかく今は冷静じゃいられなかった。僕は答えを出さずに少し時間が欲しいと言うことしか出来なかった。
あれから三日経ったけれど僕は答えを出すことが出来ていなかった。エリシアはこの問題を有耶無耶にする気はないようで、家事や訓練をしながら答えを待っていた。熱心に訓練に励む姿はエリシアらしいけれど、その姿は僕を不安にさせた。まるでエリシアじゃなくなっていくみたいで。
その日の夜、会話もないまま夕食を食べ終わった後、晩酌もせずにぼんやりと月を見上げていたエリシアを僕は見ていた。何度考えても僕の答えは同じだったから。
冒険者をすること自体は反対する気はない。でも化け物を追うのは賛成できない。それにエリシアの様子も見たかった。本当に変わってしまったのか……それとも僕の知っているエリシアのままなのか。だから僕は……。
「エリシア……やっぱり、危険すぎる。僕は賛成できない……化け物を追うのは止めて欲しい」
「やっぱり心配だよね」
確実にエリシアを止める手段を僕は持っていた。ただ、それを使うのは凄く卑劣なことだと理解している。でもそうまでしても止めたかった。このまま行かせたら何か取り返しのつかないことになる気がしていたから。今から僕が言うことは最低だけれど、エリシアには復讐するということをもう一度見つめなおす時間は必要だと思う。
そう、時間が必要なんだ。エリシアの夢を否定する気はないけれどこのまま行かせることも出来ない。僕は同居人ではないのだからちゃんと話し合うための時間が欲しい。これはそのための時間稼ぎなのだ。
そんな言い訳を並べながら僕はただ、エリシアを……失いたくなかっただけだった。だから僕は卑劣な言葉を放つ。
「エリシアを失うことも嫌だし、そんな化け物を追えば帰ってこれる日も減るだろう? 流石にこれ以上はつらい……かな」
「……そっかぁ、ダメ……だよね」
「ズルいと分かっているけれど、僕はエリシアがこれ以上遠くに行くのは嫌なんだ。だから側にいて欲しいって素直に言うよ」
側にいて欲しいと言えばエリシアは断らない。それを誰よりも分かっている僕は本当は耐えられるくせに、夢を追っている姿が好きなくせに……側にいないと耐えられないと嘘をついた。
「……うん、分かったよ。ジェイク」
僕はエリシアを愛している。きみを失うことなんて耐えられない。
気が付いていないよねエリシア? 理解したような顔をしているけれどそれはきみが諦めた時の顔だって。
エリシアは昔から諦めることだけはしなかった。そんなきみが折れたのなら、それは凄い苦痛を与えてしまっていると言うことなのだから。
ああ、僕は何という選択をしたんだろう。
君の夢を否定しないと言いつつ僕がしたのは夢を諦めさせることに等しい。
復讐を済ませないまま終わってしまえば、もう君の憎しみは時間をかけて呑み込んでいくしかなくなる。
僕はそれをエリシアに強いてしまったんだ……自分の中の恐怖に負けて。
僕は……冒険者エリシアを殺してしまったんだ。
それからエリシアは家にいるようになった。冒険者として出かけることもなくなり、装備も家の片隅に放っておかれるようになった。クロノスフィアは立てかけてあるだけで手入れもされていない。
いつものように元気そうに振舞うエリシアは笑っているのに僕の好きな笑顔じゃなかったし、心はどこかに置いてきたかのように瞳に力が無かった。
今日もエリシアは元気そうに振舞う。
諦めた顔で諦めきれない夢を胸に抱きながら。
雲が太陽を遮る。それはまるで僕が奪った輝きのように暗い影を落としていた。
この話は難産で正直かなり苦労しました。
それでもこのシーンのジェイクの心情は書けたのかなと思います。
こうしてみるとこの段階でエリシアは随分変わってきているんだなと思えてきます。
ただの村人って無力なんですね。




