ようやく一人になれる
昂大はすべてはっきりと思い出した。いや、忘れていた訳ではないのだが、ここまで強く意識したことは久しぶりだった。
突如訪れた幸せな日々の崩壊。血の海に沈んだ父、目の前で殺された母、そして自らが撃ち殺してしまった妹。
自分への嫌悪感が止まらない。憎い、自分が憎い。どうして自分だけ生き残れたのか、最も愚かな自分が。
昂大はわかっていた。結局最後に自分が逃げたのは弱さ故。自分だけは生き残りたいという醜い人間の本能。昂大はどんどん呼吸が浅くなる。そして心臓の鼓動が強く、そして早くなる。息が、できない。まるで自分が今にもこの世から消えてしまいそうな感覚があった。
「うう・・・グスングスン。なんて哀れな話なんでしょう・・・」
オーバーなリアクションで号泣するベルフェゴール。涙をハンカチで拭いても拭ききれないほどの量を流している。
「ああ・・・あなたは愚かな人間ですぅ。自分が生き残りたい、死にたくないなどという感情から逃げ出してしまったのですねぇ。ああ、罪深い人だ。」
ベルフェゴールは涙を拭き終るとケロッと元の様子に戻り、再び昂大の顔に近づく。
「さて、そもそもあなたは何でここに来たのでしょう?よーく考えてみてくださいぃ。なぜですぅ?」
ベルフェゴールは首を右に90度に傾け、昂大の顔を見つめた。
「・・・そんなこと、決まってんだろ。みんなを助けるためだ。」
昂大の声は暗く、小さい。下を向いて消え入りそうな声でそう言った。
「なぜ?なぜですぅ!?あなたは学校でも友達を作らずに1人で孤独。なのに助けるのですかぁ?そんなに自分がかわいいのですかねぇ?」
「・・・違う。」
「よーく考えてみてくださいぃ。あなたがここに来たのは結局自分を守るためなのでしょう?もし自分の前で同級生に危害が及べばあなたのメンツは丸つぶれだぁ。結局あなたは正義の味方ヅラをしていても、自分の保身のためになっているわけだぁ。」
「違う。」
「何が違うのですかぁ?ではあなたが戦う理由ってなんなんですかねぇ?簡単ですよ。自分を守るためです。あなたの本質は愚かで浅はかな自己中心的気質。すべては自分の保身のため。だからぁ!家族も、親戚も、友さえ手にかけて、自分だけ生き残ったのでしょうぅ?」
「黙れーーーーー!!!」
静寂が広がっていた。昂大の荒い息遣いだけがこだまする。昂大の叫びは湿気の多い部屋に吸収され、消えた。
「どうせ、自覚あるんでしょうに。」
ベルフェゴールは昂大を蔑み、完全に侮蔑したのだ。昂大はなにも言い返さなかった。そう、すべては自分のせいなのだ。そこにどんな感情があったとしても、目の前の狂人が言っていることは紛れもなく事実なのだ。昂大は全身の力が抜け、悔しくて悔しくて涙が止まらなかった。
「あーあ!まったく、到底許されないことをしてしまった罪深き人ですねぇ、あなたって。しかしお喜びくださいぃ。あなたの罪は、メガミがお許しになってくれます。ですからっ!!これより禊を行いましょう。入ってください。」
ベルフェゴールは上半身をくねらせ、指を鳴らす。すると重々しい扉が開き、そこから誰かがゆっくりと入ってきた。
「・・・!!!どうして、ここにいるんだ!?」
黒い者に車いすを押され、入って来たのは昂大がよく見知った人物だった。
「昂大・・・」
「雪!なんでお前が・・・!」
車いすに乗せられ、拘束されているのは昂大とともに育った幼馴染の近藤雪だった。
「てめえ!雪に手ぇ出したら許さねえぞ!!」
昂大はベルフェゴールを睨みつける。目の前の狂った男が何をしようとしているのかを必死に考える。焦って全身から汗が噴き出してくる。
「この方はぁ、あなたの大切な方ですよねぇ?近藤雪さん。あなたが罪を犯し、拾われてから一緒に育ったぁ。」
ベルフェゴールはにたりと笑い、睨みつける昂大の顔を上から見据える。
「お喜びなさい!寵愛を受けし者よぉ!最後に、そう!最後にこの方の血をささげることで完成しますぅ!『あなたという人間』がぁ。」
「何をする気だ・・・」
昂大は考えても考えても良い答えなど浮かばない。目の前の狂人が行おうとしていることなど1つしかない。そしてそれは昂大にとって絶望を与える行為だった。
そのことにハッと昂大が気づいた時には目の前に雪が静かに立ち尽くしていた。雪はゆっくりと昂大に近づくと優しい声で、
「・・・昂大。おめでとう!これで。」
「「「「「「「「「「「「「「ようやくお前は一人になれるね。」」」」」」」」」」」」」
様々な人たちの声が重なり合う。1人になる?何を言っているんだ。みんなは。
「ぐしゃ・・・」
鈍い音とともに昂大の目の前で雪は血まみれで倒れた。
「う、うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!・・・・・・・・・・・・・・。」
昂大の声はただ深く、深淵に消えた。
☆
午後5時
「コツ、コツ、コツ。」
長い廊下に響く靴の音。あまり早くなく、そして遅くもなく、進んでくる。
「がちゃがちゃ・・・」
何やら歩くたびに音がする。よく見るとどこに売っているのかと尋ねたくなるほど巨大なリュックサック。殺風景な色合いである。なのでチャックの先についたかわいらしいライオンのストラップに目が行ってしまう。
「ここやな・・・」
男は立ち止まる。廊下の先にある一室。ロックがかかっており、扉の横にある機械にカードキーを差し込まなければ開かない。男は首からぶら下げていた免許証のようなカードをピッと機械に当て、ロックを解除した。
「ウイーン。」
扉はスムーズに開く。中はモニタールームになっており、地下研究所のセキュリティを一括で担っていた。
「はーい。こんちわー」
男は軽快に挨拶をする。中にいたのは2人の黒い者。扉は閉まった。
「き、貴様!なぜここに?持ち場はどうした?」
黒い者の1人が詰め寄ってくる。
「持ち場?なんすかそれ?」
「バン!」
男は黒い者の頭に一発、銃弾をお見舞いした。
「お、おい・・・!」
「バン!」
もう1人の黒い者が懐から何かを出そうとしたその瞬間一撃で沈黙させる。
「さーて。」
カタカタとモニターをいじりまくってカメラをどんどん切り替えていく。そして、見つけた。
「待っとれよ。昂大!。」
モニターで場所を確認し、1つのパソコンにあるUSBを差し込む。すると、次々とシステムがダウンしていく。
「これでええわ!」
この場には似合わない市販のジャージを着て重々しいリュックを背負った楠木将人はニヤリとほくそ笑んだ。
☆
学校の地下に広がる巨大な空間。元は兵器工場になっていたその空間は今となっては閑散としていた。ベルトコンベアを含む生産ラインはすべて撤去され、ただただ広い空間が広がるばかりである。
「フン。行動が早いな。俺たちに荒らされたら速攻で撤去。まるで狙っていたみたいじゃないか。」
長い階段を下って行き、その空間にたどり着いた時、石川雅治は初めモニターではなく自分の目でその空間を見たのだが、期待外れといった表情である。
「で?俺に何の用だ?今回俺に言い渡されているのは手を出すなという指示だ。お前たちが何もしなければ俺は動かん。」
石川の目の前にはこの空間に石川を招き入れた張本人のがいた。ここまで沈黙を貫いていた2人。重々しいその足取りは石川の一言でようやく止まった。
「そうですねっ!ここまでくればいいでしょう!」
くるっと回転した日向智明はにっこり笑い、石川を見つめる。
「手を出さない、ですか。ハッ!笑わせますねっ!このような暴挙に出ておいてまだそんなこと言いますか?」
「何のことだ?」
日向の表情が曇る。
「先ほどシステムがダウンしました。生徒たちのいる空間を除いて、ですがね?何ででしょうね。それに私の仲間とも連絡が取れません。なぜでしょうね?」
日向が石川の思っていた以上にまともなセリフを吐いてきたので石川は思わず笑ってしまった。
「はっ!なんだそれ?俺が知らないとでも思ってんのか?お前たちの正体、それに仕事の内容。お前たちは実験の邪魔をするものがいないか見張れ、そしてもしそのような輩がいれば排除しろ、だろう?それ以上でもそれ以下でもない。だってお前らはメガミ教に雇われた身、まさかそんなまともなことを言うなんてな。さしずめ楽しみで楽しみで仕方なかったくせに。だからこんな誰にも邪魔されない場所に俺を誘き出したんだろ?俺の仲間の存在は無視してなあ。」
石川の表情は自信に満ちていた。すべて計算通りと言えばうそになるかもしれないが、あの日ヒューから渡された指示書にはちゃんと書いてあった。日向智明を足止めしろ、と。
「フフフフフ・・・くはははは!!そうかばれていましたかっ。あんたはやはりおもしろい。では・・・」
日向智明、いやその皮を被った存在は首元からその皮を剥ぎ取った。そこに現れたのは真っ赤な髪に右耳ピアス、右頬に入れ墨が入った若い男だった。
「コードネーム“紅蓮”、緋山烈火、だっけ?メガミ教とやらはよほど人手不足だと見た。こんなチンピラを雇うなんてな。」
石川はやれやれ、と言うように首を横に振った。
「・・・ヒヒヒ。チンピラぁ?よく言ったな子鬼ちゃんよぉ!だったら確かめてみるかよぉ!?」
日向改め緋山烈火は怒りに身を任せて石川に襲い掛かった。
☆
「カツ、カツ、カツ。」
静かな研究所の廊下は今まで誰にも通られることなく現れるであろう通行人を待っていた。きれいに舗装されたままの道はその女の足音をより引き立てた。この先にあるのは搬入口。研究に必要な物資を運ぶだけではなく兵器工場として機能していた時期はここから武器を大量に運び出していた。
そんな誰も来なくなった場所に向かう1人の女。長い髪をなびかせヒールの音を鳴らすその姿はまるでランウェイを歩くパリコレモデルのようである。
女はしばらく行くと、なにやらカードキーのようなものを扉の横の機械に差し、ロックを解除する。女の目の前にあるトラックが通れるほど大きな扉を開くと学校の近くにある雑木林に出る。国有地であるその林は誰も近づかない不毛の地であった。女はスイッチを操作してその扉を開こうとする。しかしその歩みは急に止まった。
「おやおや。こんな時間にどこに行かれるのですか?淡路先生?」
女の背後から声がした。振り返らずともわかる。女から10m位のところにいると。このダンディで存在感のある声は女にとっても聴き覚えがあった。
「あら。ヒュー先生。そちらの方こそこんな場所にどうしていらしたの?」
「質問を質問で返すのはよくないな。」
ヒューはじりじりと淡路真須美の方へ歩み寄る。ヒューは淡路の冷静な受け答えに警戒の色を強めた。淡路はゆっくりと振り返る。
「そうね、わたしはただチェックしていただけよ。このルートで脱出できるかどうかを。」
淡路はゆっくりと、そして誘惑するようにそう言った。
「そうですか。私の方はあなたを追いかけて来ただけです。まさかこんな行動をするとは思わなかったですが。」
「あら。」
淡路は驚くそぶりを見せるが、言葉と態度は余裕そのものだ。ゆっくりと胸の下で腕を組む。
「あなたの正体は全く分からなかった。この1か月間かなり調べたんですがね。ことごとくまかれて失敗。あなた、何者なんです?」
ヒューの声色が少しづつ変化する。ここまでは計算通り。だがこの淡路真須美と言う女は全くの謎そのもの。ヒューは少しにこやかな表情で相手の出方を伺うことにする。
「レディのプライベートを覗くなんて、無粋な男性は嫌われますよ?」
「そりゃいけないな。」
2人は小さな声で笑う。だんだん声が小さくなりそして消える。沈黙が場を支配する。
「・・・ハッ!」
沈黙を先に破り、仕掛けたのはヒューの方だった。真っ直ぐに淡路目がけて正拳突きを繰り出す。その速度は並の人間の比ではなかった。しかしまるで時がゆっくり加速するかのごとくのっそりとした動きで淡路はその攻撃をひらりとかわした。
「あら。情熱的♡」
「まだだ!」
ヒューは突き出した右の拳の甲から瞬時に三本の刃を出現させる。そして躱した先の淡路を切り裂こうと腕を振るう。その攻撃は淡路が再び攻撃を躱すまでの時間を与えない。いわば不回避の一撃。しかし取った、と思ったその時に淡路の姿がヒューの視界から消える。
「・・・今のをかわすか。本当にあなたの正体が気になりますね。レディ?」
ヒューは一息つくと真上を見上げた。そこにいたのは天井からワイヤー1本でぶら下がっている淡路の姿だった。
「・・・驚いた。その手の甲に装着していたのはクローだったのね。ただのアクセサリーかと思っていたけど。」
淡路はぶら下がっていたワイヤーを収縮させ、もう一度伸ばすとヒューから距離を取って着地する。
「あなたの方はわかりやすくていいわね。ワイルドな姿に人間離れしたパワー。それにその立派な爪で戦うアメリカ人、なんて闇の業界の中では1人しかいないわ。」
「おやおや、それはどうも。」
ヒューは淡路の余裕の表情を見て少し下唇を噛む。
「でもまさか日本の高校にALTとして赴任してくるなんて、考えもしないけど。」
「ALTだけではなくてCIRもやっていますよ。」
ヒューはニヤニヤしながら淡路を見つめている。
「・・・多忙な人ね。」
淡路は微笑しつつも余裕の構えを崩さない。油断も隙もないこの目の前の相手にヒューはますます興味が湧いてくる。
「フフ、こちらは正体を明かしてそちらは明かさない。これはアンフェアですね。女性に対して紳士的ではありませんが仕方がない。力ずくで、行きますよ!」
ヒューは再び淡路に高速接近し、右腕に装着されたクローを突き出す。しかし再び淡路にさらりと躱される。
「あなた。日本語お上手なのね。」
「ほざけ。」
連続で切り付ける。そのスピードは残像が見えるほど。しかし前後左右、縦横無尽に繰り出されるその攻撃を淡路はまるで児戯の如く躱し、さばき、そしてフックショットを巧みに扱い、距離を取っていく。
(ほう。)
ヒューは内心焦っていた。無論殺す気で行けば簡単に当てられるだろう。ただ今はこの得体のしれない女の目的が何なのかを知ることがヒューの最重要目的である。よってヒューはこの女を殺すことはできない。そんな気持ちがヒューの行動を鈍らせるほど甘くはないはずなのだが。
「!!!」
今度は一気に間合いを詰め、クローを形成してない左腕で女の腕をつかもうとする。しかしその行動は完全に読まれている。女はさっと懐から短刀を取り出し、ヒューの左腕が来る方向に構えた。
「ちっ。」
ヒューの腕はピタッと停止する。このままつかもうとすれば当然左腕を切り裂かれてしまう。戦闘は完全に淡路のペース。
「うふふ。優しいのね。あなたが本気を出せば私なんて一捻りでしょうに。」
ヒューはさすがにいらだちを隠せない。そんな表情を見てなのか淡路は息も切らさずに短刀を再び懐に仕舞い込んだ。
「本当に食えない人ですね。すべてお見通しっていう訳ですか。」
ヒューは闇雲に攻撃してもこの女には通用しないと完全に悟った。よって攻め方を変えることにした。
「では、攻撃するのはやめだ。私は今からあなたを完全に尾行します。あなたのやりたいことをさせません。いいですか?」
肩の力を抜いてリラックスするそぶりをみせるヒューを見て淡路は少し意外そうな顔をした。
「へえ~。賢明な判断をするのね。あなた本当にす・て・き」
露骨に色気を出してヒューを挑発する。しかしヒューが一瞬油断した隙に淡路は手に持っていたフックショットを再び駆使し、逃げようとする。
「おっと、話には続きがありますよ。」
しかし、ヒューはそのフックショットの先が天井に張り付くその瞬間を見計らって、隠し持っていたリボルバーを発射する。弾は見事にフックショットの先に命中し、空中を移動していた淡路はバランスを崩し、落下する。
「うそ。」
淡路はとっさに受け身を取り、衝撃から身を守ったが、立ち上がった先にはニタニタ笑うヒューの姿があった。
「ここからあなたを決して逃がしません。」
ヒューは自信満々に淡路を見据えた。
ヒュー先生の元ネタ、分かりやすすぎだろ。




