朱雀邸にて
新田川市郊外、少し小高い丘の上にその屋敷はあった。周りを西洋風の壁に囲まれ、中はまるでおとぎ話の世界に出て来そうな西洋古典建築の洋館がそびえ立っている。当然面積はかなりのものである。
「さ、ここが私の家だ。どうぞ。」
「す、すげー広さ。」
昂大は完全に面食らったような表情でぼんやりと屋敷を眺めている。
「とりあえず、お上がりください。」
村上に促されて扉をくぐるとそこには豪華絢爛なエントランスが広がっていた。大きなシャンデリアに西洋風の甲冑のような装飾品、大きな絵画とまるで貴族の屋敷に来たようである。
「も、もしかして朱雀さんって超お金持ちだったりします?」
「え?今更気づいたの?」
きょろきょろと落ち着かない昂大をしり目に屋敷の階段を上り、二階の奥の一室にたどり着いた。
「本日はここでお休みください。後で旦那様のお部屋に来てほしいとのことですので、寝る前にお立ち寄りください。」
「あ、ありがとうございます。」
その客間はとてもきれいに掃除されており、まるでホテルのスイートルームに来たようである。
「うわー、ふっかふかー」
昂大はしわひとつないシーツがかかったふかふかのベッドに飛び込んで枕を抱きかかえる。
「きもちー」
昂大はごろごろとベッドの上を転げまわる。普段は無論床で寝ているのでこういう時のベッドは格別にうれしいのである。
「はっ。やべ、寝ちまう。」
昂大は朱雀の部屋に行くことにした。しかしこの広い屋敷のどこに朱雀の部屋があるのかわからない。
「ま、探険すっか。」
とりあえず誰かいそうな部屋を手当たり次第に探すことにした。
☆
廊下を来たとおりに進み、階段を下りてエントランスに出るとそのまま奥の廊下に進んで行く。廊下は淡いオレンジ色のおしゃれな電灯が並び、温かく照らしている。その先を進んで行くと明かりのついた大きな部屋があった。昂大は部屋に入ろうと手をかけたが、中から女性の声が聞こえたので少し手を止めた。どこに朱雀の部屋があるかを聞きたかったが、客の分際で屋敷をうろうろしていることが朱雀の家族にばれたら失礼かもしれないという気持ちが昂大を硬直させる。しかし開けなければ場所を聞くことはできない。昂大は行こうか引こうか迷って緊張し、その場でたじたじしていると、
「そこで何をしているの?」
緊張を切り裂くように女性の声がした。その声は薄く、鋭かった。
「え?い、いや、その・・・」
昂大は突然声をかけられたのでかなり驚いてびくっとしてしまった。
「あなた、見ない顔ね。まあ屋敷に入れているだけ敵ではないようだけど、何の用でこの部屋の前にいるの?」
昂大はこの時初めて女性の姿を見た。西洋風のメイド服を着て、髪型は短髪。昂大を睨んでいるため目つきは悪かったが、それでもかなりの美人である。年はかなり若く、10台であることに間違いはないだろう。
「えっと、おれ朱雀さんの部屋に行きたくって・・・」
「どうして?」
「えっと、それはおれにもよくわかんねえんだよ・・・」
その時突如として拳が昂大の顔の右に突き刺さる。その衝撃は昂大の右耳にびりびりと伝わってくる。
「ふえっ・・・」
昂大は変な声を出してしまった。
「ええ、わかったわ。あなたは見るからに怪しすぎる。見た目もかなり貧乏くさい。答えなさい。あなたを雇って旦那様の身辺を調べさせたのは誰?」
「だだだ、だから誤解ですって!」
昂大は必死に弁明しようとする。が、しかし聞く耳を持たない。
「いいわ。答えないのなら体に聞くだけよ。」
メイドの少女は再び拳を振り上げる。
「だから誤解だってー!!」
昂大の必死の叫びもむなしく拳が振り下ろされた。
「パン!」
拳は昂大にあたる寸前に何者かの手によって止められる。
「・・・落ち着きなさい。茜さん。この方は怪しい者ではないよ。」
そこにいたのはきりっとした顔つきのオーラ丸出しの白髪の老人であった。
「む、村上さん・・・」
昂大は少し心の中で安堵する。
「昂大君。当家の使用人が大変失礼しました。どうかお許しを。」
村上は頭を下げる。
「い、いやおれも誤解させるようなまねをしてしまってましたし、こっちこそすいません。」
昂大は焦って自分も深々と謝った。
「ほら、茜さん。君も謝罪しなさい。お客様にご迷惑をかけてしまったんだから。」
「ふん、こんなに怪しい奴がいたら疑うのはメイドとして当たり前の事です。」
そう言って茜と呼ばれた少女はすたすたとどこかへ消える。
「まったく・・・当家の使用人たちは少し気が立っているところがあるのかもしれませんね。本当に失礼しました。」
「いやいや、すごいですね。おれの方こそ不用意にうろうろしたりしてすいません。」
昂大はあまり気を使われたりするのに慣れていなかったのでかなり動揺している。
「あら?何やら騒がしいですわね。どうかなさったの?」
廊下が少し騒がしかったので部屋の中から先ほど会話をしていた女性が出てきた。
「あ、あなたは・・・」
その女性は少し驚いたように昂大の顔をまじまじと見つめる。
「えっと、すいません。お騒がせしまして・・・」
その女性があまりにも見つめて来るので昂大は顔をそむけた。しかしすぐに何か得体のしれない違和感を覚えた。
「・・・どこかで会ったことありましたっけ?」
昂大の口から出たのは意外な言葉だった。
「え、そそそそんなことありませんわ。私たちは初対面ですわ。」
少女はかなり動揺している様子。長い金髪をたなびかせ、可憐なドレスを身にまとっているその姿はまるで貴族を思わせる。しかも日本語が流暢とはいえ、外国人。昂大とはあまりにも住む世界が違うようなこの女性と何か接点があるはずなど普通に考えればない。
「そ、そうっすよね。変なこと聞いてすいません。」
「い、いえ。こちらこそ見つめてしまってごめんなさい。昂大君。」
あれ、と昂大は思った。今自分の名を言わなかったか。まだ名乗ってもいないはずなのに。
「はっ!!!」
女性は何かに気づくと、顔を真っ赤に赤らめて走り去ってしまった。
「な、なんなんだよあの人・・・」
疑問点は多かったが、ひとまず冷静になる。
「今の女性は誰なんですか?メイドさんってわけじゃないっすよね?」
昂大は村上にそう尋ねる。
「はい。あの方はステファニー・A・アーチボルト様とおっしゃって、今現在朱雀家の食客です。日本の大学へ留学するためはるばるロンドンからいらしたそうで・・・」
村上もどこか言葉を濁すような感じがあった。
「そうなんですか・・・」
昂大は名前を聞いても全くぴんと来なかった。やはり考えすぎなのか。
「まあいいです。で、朱雀さんの部屋はどこですか?」
「ええ、二階の一番奥の部屋なのですが、さっき道場に行ってしまいまして。」
「道場?」
「はい。お屋敷の離れに大きな道場があるのですが、さっき稽古をつけるとかなんとか言って・・・」
こんな時間に、と昂大はかなり驚いた。時刻はもう11時近くになっている。
「わかりました。とりあえず行ってみます。」
「申し訳ありません。ご案内して差し上げたいのですが、明日の準備がありますので。」
村上は頭を下げる。本当にすごく礼儀正しい人だと感じた。それに、かっこいい!
「いえいえそんな。全然いいっすよ。一人で行けます。村上さんも無理しないでお仕事がんばってくださいね。」
昂大が少し照れくさそうに言った言葉を聞いて村上は意外そうな顔をした。
「お気遣い、大変ありがたく存じます。」
昂大は少し小走りで玄関に向かっていく。
☆
夜の朱雀邸を出るとかなり暗い。漆黒の空間が広がっていたが、すぐに目が慣れて星がはっきりと見えてきた。少し歩くと薄明かりが付いた大きな離れがある。「ばち、ばち」と何か竹刀を打ち付けるような音が連続で聞こえる。昂大は恐る恐る近づいていく。
「はあ、はあ・・・」
誰かの息遣いが聞こえる。相当疲れているようだ。
「ふん、まだまだだな。よし、今日はこれくらいにしておくか。根を詰めすぎてもしょうがない。」
聞きなれない女性の声が聞こえる。こちらは全く息が乱れている様子はなかった。
「いや・・・まだやります・・・」
かなり消え入りそうな声である。相当絞られたのか。
「根気だけは認めてやるが、まだまだ基礎がなっておらん。もっと相手との差を意識して素振りをするんだな。」
「はい、わかりました。」
昂大はまだ道場の中には入っていなかった。話を聞くのに夢中になりすぎて聞き耳を立てているようになってしまっていた。
「・・・おい。聞き耳とはよくないな。誰だ?」
「えっ?」
昂大はその師範のようなふるまいの女性の声を聞いて初めて我に返ったのである。その時まで完全に夢中になっていた。昂大は驚きながらも急いで道場に入った。
「ん、お前は。」
「す、すいません。別に聞き耳を立てていた訳ではなくて。」
この時道場にいた2人を昂大は初めて見た。驚いたのは師範の女性。声ににじみ出た厳格さとは裏腹に、とても美しい女性だった。着物を着ていたが、どこかハーフのような顔立ちで先ほどの食客のように優雅な雰囲気がある。そしてもう1人、稽古をつけてもらっていたのは昂大と同い年くらいの太眉の少年だった。
「そんなことは分かっている。つまるところ旦那様が呼んだ食客と言ったところか。しかし・・・」
急に顔を近づけて来た。
「お前、臭うな。」
「えっ!?」
昂大は必死に自分の服の匂いをかいだ。先ほど風呂に入ってから汗をかいたりした記憶はないのだが、いや回鍋肉、つまるところ口臭であったか。
「フフフ、はっはっはー!違う違う。誰がお前の臭いを気にするんだ。私が言ったのは雰囲気の話だよ。」
女性は豪快に笑うとくるっとターンし、持っていた竹刀を道場のかごに刺した。
「お前からは血の臭いを少なからず感じたわけだ。」
「臭くなくてよかった・・・でもすごいっすね。なんでわかるんですか?」
「まあ、ずっと暗殺者を見てきたからよくわかる。30年以上は旦那様に仕えてきたわけだからな。」
「さ、30年!?」
昂大は女性の年齢が非常に気になる。
女性は道場の下駄箱に入れてあった自分の下駄を履くと昂大に再び接近する。
「私の名前は巴守。お前は?」
「沖田、昂大です。」
「そうか。いい名だな。ちなみに旦那様ならお前と入れ違いで屋敷に戻られた。」
巴と名乗る女性は不敵に笑うと、闇に消えて行った。
「なんかすげーオーラだったな。」
村上にどこか似た、いやそれとも根本的には違う雰囲気があった。
「えっと、なんかすいません。邪魔しちゃって。」
昂大は目の前で不思議そうに昂大を見つめる少年に少し焦っていた。完全に邪魔者である。それにしてもそんなに不思議そうに見なくてもいいのに。
「いや、別に大丈夫だ。」
少年は昂大の言葉を聞いてねじまきが巻かれ動き出すように素振りを開始する。
「さっき、沖田昂大って言ったか?」
「は、はい・・・」
「俺の名前は村上壮悟だ。ちなみに歳は16だ。よろしく。」
「あ、ああ。同い年か。よろしく。」
まるで表情が変わらない。絵を見ているようである。
「村上って言った?もしかして。村上さんの家族とかか?」
「ああ、孫だ。日々祖父の様になろうと努力している。しかしあまりうまくいかない。だから努力をするしかないんだ。」
「そ、そうなのか。大変だな。」
昂大は邪魔をしたら悪いと思い。道場から出て行こうとする。
「あんまり根詰めすぎるなよ。」
「ああ、気遣いありがとう。」
昂大は道場を出た。少し変わった奴だと第一印象で内心思っていたが、あの一心不乱に竹刀を振る姿は印象に残り、決して嫌いになれなかった。
「村上さんの、孫ね。」
昂大は顔が全く似ていないことをふと考えて不意に笑ってしまった。
☆
「で、屋敷内を探険してきたわけか。」
「はい・・・」
結局、さっき村上に教えてもらった朱雀の部屋に行くと、案の定本人はいた。会うのに時間はかかったが昂大は別に気にしてはいなかった。朱雀の部屋はまるで執務室のような配置で、左右には本棚が立ち並んでいる。奥の窓側に朱雀が座る椅子がある。まるで社長が座るような椅子だ。そして大きな木の机があった。
「で、どうだった?我が家は。変な人間ばっかりだっただろ?」
「・・・否定はできないかもしれません。でもみんないい人達ですね。」
昂大は朱雀邸で会った少し濃いメンツを思い出す。
「まあ、そうだね。気に入ってもらえてよかったよかった。」
別に気に入ったとは言っていないのだが、昂大の満足げな顔に書いてあったのか。
「でだ、今回の君の任務は簡単だ。明日一日中私の家にいること、だ。」
「は?」
昂大はその意味が全く分からなかった。
「どういうことですか?」
「それは言えない。だが君は明日10月21日に何があっても私の家から出てはならない。わかったね。」
「・・・」
昂大は返事ができなかった。何せ朱雀の言い方だと明日何かが起こるということになる。それもかなりの出来事が。
「あの、何が起きるかだけでも教えていただけませんか?それじゃないと納得いきません。朱雀さんが襲われるとか?」
「・・・まあ、軽いことさ。」
朱雀は立ち上がり、窓から外を眺めた。軽いことと言いながらも昂大は違和感を覚える。
「わかりましたけど、明日学校は・・・」
「問題ない。1日休んだところで大丈夫だろう?それとも成績はあまりよくないのかね?」
「うーん微妙です。」
成績は確かに平凡であったが朱雀が言う様に1日休んでもおそらく何の問題もないであろう。
(まあ、明日たしか朝に集会あったし、めんどいからいっか。)
昂大は毎月朝1限目にある全校集会が嫌いであった。わざわざ体育館に集まってくだらない話を聞かなければならないのは苦痛である。とはいえ、話など全く聞いていないのだが。
「じゃあよろしくね、お休み。」
昂大も挨拶をし、朱雀の部屋を出て、自分の部屋に向かった。部屋に戻ってみるとちゃんと空調が利いており、とても過ごしやすい空間になっていた。
(すげーな。ホテルみたいだ。)
昂大は少しふわっとした眠気を感じたので、部屋に用意されていた歯磨きセットで歯を磨いたら、すぐにベッドに飛び込んで寝息を立てた。疲れもあってとても幸せな気分だった。しかしこの時昂大は知らなかった。明日という1日がどんな日になるのかを。
なんか出てきたステファニーさんという方は、次に書く話(これを執筆した当時はすでに書いていた)に出てくるキャラクターです。原文のまま出すということでそのまま出しましたが、一切覚えなくても良いです。




