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偽りの惑星―fake planet―  作者: 過去(10年前)のくろひこうき
二章
10/32

夜が明けて

第二章が始まります( ;∀;)

もうええよって方もいらっしゃるかと思いますが、良ければお付き合いください。過去のくろひこうきが喜びます。


 「コン、コン。」


 乾いた扉に重々しいノック音が響き渡る。


 「入りたまえ。」


 男は待っていたかの如く返事をする。


 「ガチャ。」


 大きな、そして重苦しい扉がゆっくりと開いていく。


 「すみませんね。こんな時間に。」


 入ってきた者を少し見て、部屋の中の男は聞こえない音で嘆息を漏らす。


 「君たちも、いや君も大胆なことをしでかしたね。まったく。」


 部屋に入ってきた長身でかつガタイのいい男はこの部屋に全く似つかわしくない若い男だった。


 「それはお互い様ですよ、新田警察庁長官殿。」


 男はにやけながら皮肉めいた言い方をする。このことがこの新田という男の気に障る。


 「全く偉そうに。さすがは天下の防衛省様だ。言うこともやることも我々“庁”とは格が違いますな。」


 新田は組んでいた足を反対に組み直す。


 「まあ、そんなくだらないことを気にしていたんですか?全く我々はあなた方が思っているよりそんなに警察の事を敵視したりしていませんよ。できることならもっと仲良くしていきたいと考えているのですがね。」


 新田はこの男の笑みが嫌いであった。腹の底では何を考えているかわからない。そんな印象の笑み、まったくこいつは恐ろしい、と新田は思った。


 「お互いが腹を見せ合っているんですよ。こんなに信用できることはないじゃないですか。ですからとにかくよろしくお願いしますよ、長官。」

 「・・・わかっている。」


 新田の声に覇気はない。そうしている間に男は立ち上がる。


 「では、失礼しますよ長官。私も出勤しなけれればならないので。」


 出て行こうとしている後ろ姿が新田の目にははっきりと見えている。


 「なあ。君、年はいくつだ。」


 唐突にそんなことを聞かれた男は足を止める。


 「今年で28になりますけど。」


 新田は机に腕を組んで男を直視する。


 「親父さんは元気にしているかね?君みたいな立派な息子を持てばさぞかし老後安泰だろうね。聞けば君、その年で三佐なんだってね?」


 男はニヤッとしてゆっくり振り返る。


 「お褒めいただき光栄です、長官。父は元気にしていますよ。少し元気すぎるくらいですね。まあもう少しで元気がなくなると思いますけど。」

 「・・・。」


 とても乾いた会話だった。それ以降楠木正成は何もしゃべらず、振り向くこともなく長官室を後にした。


 「ふん、ケツの青いガキのくせに、思い上がるな!」


 新田は長官室にある机を蹴り飛ばした。



 ただただサイレンの音が不快なのは今日という日がおかしな日だからか、藤堂刑事は正門の近くにある木の下で俯いている。ただならぬ感情がこの男を締め付ける。


 「先輩、大丈夫っすか?」


 そんな大谷の言葉によって藤堂はふと我に返る。手には先ほど見たアンパンと牛乳を持っている。


 「何か食べないと元気出ませんよ。」


 そういうのでとにかく受け取ってみるが、少しこの組み合わせが気になる。


 「・・・いらん。」


 小声でそういうと、大谷に無理やり押し返し、急に立ち上がり、歩き出す。


 「えー、受け取ってくれたのに。」


 あわてて後についていくその姿を見て藤堂は少しだけニコッと笑った。


 「藤堂。話がある。」


 前から現れたのは内村警部だった。


 「もちろん、すべてお話ししますよ。」


 そうして藤堂は現場検証に向かうのであった。



 「パシャ、パシャ。」


 鑑識のシャッター音が校長室に響く。中央の席では周りに血が飛び散り机は血の海となっている。


 「ひどいっすね。うえ。」


 大谷はハンカチで口を押えながら部屋の隅でうずくまっている。


 「無理なら出てろ!ったく最近の若いのは・・・」


 内村警部はぼやきながら死体の後ろの窓の方へ向かう。


 「この部屋には鍵がかかっていた。オートロックでキーは暗証番号を入力することになっていた。見てのとおりここから飛び降りるのは不可能だ。つまり、犯人は暗証番号を知っていたということになる。」


 内村警部は饒舌に語りだす。


 「いや、中から開けることもできますよね?校長が。」


 藤堂は死体をまじまじと見つめた後、続ける。


 「この体勢で首を切られたということは完全に害者は切られる寸前まで兆候に気が付かないほど安心しきっていた、ということになりませんか?つまり校長が犯人をこの部屋に自ら招き入れたということなんじゃないですかね。」

「そんなわけないだろ!その推理が当たっていれば犯人はこの学校の人間の可能性が高くなる、そんなわけないだろう・・・」


 内村警部は藤堂の顔呆れたように見る。


 「いや、あいつは・・・」


 藤堂はあの部屋にいた異質な存在を思い出していた。野球のユニフォーム姿のあれが纏っていた気配は死そのものであった。まるでこの世のものではないように。


 「先輩?大丈夫っすか?」


 大谷は藤堂の顔色を見て声をかける。


 「大谷。この事件の裏には、なにがあるんだ?俺にはわからない。」


 いつになく弱気な藤堂を見て少し心配そうに、


 「それを俺たちが解き明かしましょう!」


 と言った。


 「ふっ。まさかお前に励まされるとはな。」


 藤堂は何かが吹っ切れたようににやっとすると、


 「いくぞ。」


 と言ってゆっくり立ち上がる。


 「はい!」


 2人は再び歩き始めた。



 見事、という言葉が真っ先に来るだろう。それぐらいきれいに眉間を打ち抜かれていた。まさに芸術の域。


 「うわっ、きもいっすね。なんなんすかこの格好。」


 目の前で教頭の吉田が股を広げて倒れている。


 「どこから狙撃されたんだ?」


 藤堂は窓から身を乗り出して狙撃地点を探す。


 「まさか、あのビルか?」


 藤堂の目にはあきらかにとても小さな建物が写っている。


 「約二キロ先の廃ビルの屋上から撃たれている。壁に突き刺さっていた弾から銃はレミントンという銃らしい。まだ詳しい型はわかていないが、これは並大抵のスナイパーでは打ち抜けないほど高度だ。」


 後ろの方から内村警部が声を出す。


 「なんかゴルゴ30みたいっすね。」


 大谷は感心して壁の弾を見ている。


 「ということは犯人は複数いることになるな。まさか二キロ先の狙撃地点まで同じ犯人が行くとは思えない。」


 藤堂は考え込む。


 (じゃあアレには仲間がいるのか。)


 藤堂は部屋の中をうろうろしている。すると急に、


 「警部!給食室で妙な薬物が検出されたとの報告が。」

 「なに!?」


 内村警部は急いで部屋を出る。


 「俺たちも行きましょう!」


 大谷が後を追おうとする。


 「いや、いい。これだけのことがわかれば後は聞くだけだ。あの男に。」


 藤堂は静かにそう言うと部屋を出る。


 「俺も行きますよ!」


 2人は警察署に向かうことにした。



 「もう一度聞く。お前はあそこで何しとったんや!」


 刑事は机を蹴り上げる。大きな音がこの密室に響き渡る。


 「・・・。」


 男は俯いたまま何も言わない。ここに来てからかなり時間が経つが何も言葉を発しなかった。


 「いつまでも黙っていられると思っとるんか?あ?」


 刑事は苛立ちの色を隠せない。しかしその甲斐なく、男が言葉を放つことはない。


 「チッ!」


 刑事は大きく舌打ちをし。今にも殴りかかろうとしたそのとき、


 「コンコン。」


 不意に取調室のノック音が殺伐とした室内に響き渡った。


 「だれだ?」


 刑事は拳をおろし、重そうに腰を上げて、ゆっくりと立ち上がり扉を開ける。


 「あっ、どうもっす。」


 そこには決まりが悪そうに頭をかく大谷の姿があった。


 「なんだ、お前。地域課は関係ない!」


 刑事はそう言い放ち、扉を閉めようとする。


 「ああ、待ってくださいよ。ちょっと、ちょっとだけでいいんで替わってください。お願いします。」


 大谷は頭を下げる。


 「チッ。」


 刑事は静かに舌打ちをすると渋々、


 「少しだけだからな。」


 と言って大谷と入れ替わる形で取調室を出て行く。その様子を中の男は下目で見ていた。


 「いやー、怖いっすよねあの人。新田川署一の鬼刑事、なあんて言われてるんすよ。」


 そう言って大谷は取調室の席に腰を下ろした。男は俯いたままである。


 「でも俺、なんかあんたの気持ちわかる気がするんすよ。うまく言えないけど俺たち警察と同じっすよね。そりゃ黙秘したくもなるわー。」


 大谷はそう言って立ち上がると扉を開け、何やら受け取った。


 「・・・!」


 それはとてもよく見かけるカツ丼(・・・)であった。それも大盛り。和風だしと卵が絡み合うツヤのある色、食欲をそそる香り、今まで厳しい取り調べを受けていた男にとってそれはどんなに恐ろしく見えたのだろうか。


 「グー。」


 まるで漫画の様なタイミングで男の腹の虫が鳴る。


 「ハハ、腹減ってたんすね。」


 大谷はそのカツ丼を割り箸とともに机に置いた。男の顔は少しほころぶ。


 「いいんですか?」


 よっぽど腹が減っていたのか、男が初めて放った言葉がそれであった。今までどこかくたびれていた男の顔もまるで慈雨を注がれたかの如くぱっと明るくなった。


 「じゃ、俺も。」


 そうして大谷と容疑者は取調室でカツ丼を頬張り始めた。男はがつがつとカツ丼を胃の中に入れていく。


 「おいしいっしょ?このカツ丼俺めっちゃ好きなんっすよ。」


 大谷はおいしそうに食べる男を見て、どこか得意げな様子である。


 「いやー、気に入ってもらえてよかったっす。」

 

 しばらくして丼ぶりはきれいにさっぱり片付いてしまった。


 「・・・うまかったです。」


 男はどこか申し訳なさそうに大谷を見る。当の大谷も好物のカツ丼を食べられてとても満足げであった。


 「やっぱりカツ丼っすよね。」


 大谷はそそくさと割り箸を元入っていた紙の鞘に戻すとそれとお椀を片付ける。


 「すいません。」


 男は軽く頭を下げた。


 「気に入ってもらえたならよかったっす。」


 大谷は無邪気に笑う。男はこの刑事がまさかカツ丼を引っ提げて取り調べをするとは思ってもいなかった。しかしその行為が男の気を緩めたのは間違いない。


 「さっきも言ったけど、なんかあんたとは馬が合いそうな気がして。」


 男はこの刑事が自供を取りたいがために自分に優しさを振りまいているのではないと思った。先ほどの刑事とは違い、この刑事になら話せるかもしれない、男はそう思った。


 「少し頼みごとをしてもいいか。」

 「えっ、いいっすけど。」


 大谷は男のその言葉に少し驚く。


 「あの刑事を、呼んできてくれ。俺を捕まえたあの刑事を。」


 男は再び俯いた。


 「いいっすよ。」


 大谷は笑い、静かに立ち上がる。

 

 「ガチャン。」


 扉が静かに閉まる音が聞こえる。入ってきたのは藤堂だった。


 「いい加減、あなたの名前教えてくれませんか。」


 その男は静かに問う。


 「あんたの名前も、聞かせてくれ。」


 容疑者の男はそう答える。


 「俺は藤堂だ。」

 「俺は平本。」


 お互いがそう名乗り合うと藤堂は静かに席に着く。その傍らで大谷は様子を静かに見つめている。


 「あんたのことを教えてほしい。」


 藤堂はそう切り出した。


 「俺は何もそんなにたいそうな人間じゃない。体育教師をしていたただの中年さ。」


 平本は疲れたように笑った。


 「あの施設は何なんだ。俺はそれが知りたい。」


 藤堂は机に腕を置き、身を乗り出す。


 「・・・。」


 平本は何も答えない。


 「なぜ、あんなものを学校の地下で作っていた。なぜ、あの校長や教頭が殺された!」


 藤堂の語調はどんどん強くなる。


 「なぜ、あんたがあそこにいたんだ。あの野球のユニフォームを着た奴はなんだ。」

 「・・・。」


 平本は厳しい表情で何も語らない。


 「俺は真実が知りたい。ただそれだけだ。」


 藤堂は平本の瞳を強く覗き込む。そこには強い意志が見てとれる。平本は軽くため息をついた。


 「わかった。」


 平本は静かにそう言い、藤堂の目を見つめた。


 「これから話すことは、おそらく誰からも信じてもらえんぞ。それでもいいのか?」

 「もちろんだ。俺はこの目で見たからな。」


 藤堂は即答する。そして男は静かに語り出した。


「日本人がこの国の事を好きだと思っているか?」

 「???」


 藤堂は少し困惑した。


 「日本は平和だ。なに不自由なく暮らせる。アメリカなどとは違い、銃という武器とは無縁だ。食も安全そのものだ。だが日本人はこの国の事に誇りを抱いているか。好きと胸を張って言える者が右翼以外いない。俺は学校に来てからこのことをより強く感じていた。日本人は何も考えていない。あまりにも知らなさすぎる。」


 藤堂は少し上目遣いで平本の顔を見ていた。


 「だが、現実は違う。実際俺も知らなかった。この国の裏側を。」


 平本はイスに深く腰を下げる。


 「それがあの工場なのか?」


 藤堂は静かに言い放つ。


 「ああそうだ。いくつあるのかは知らないが工場はいくつかあるらしい。しかもそれは全て防衛省の管轄だ。純国産の兵器が欲しいらしい。もちろん兵器を作る会社は日本にもあるがあまり作りすぎては世論に睨まれかねない。」

 「あそこで働いていたのは自衛官か?」

 「ああそうだ。俺もその端くれだった。」


 平本は立ち上がり、取調室にある鏡の前に立った。


 「あの工場で作られた銃がどこに消えていたのかは俺も知らん。知りたくもないがな。」

 「待て、通常兵器を作るためだけならあんなにこそこそしなくてもいいのではないか?政府はまもなく防衛装備の国産化を認めるそうじゃないか。防衛装備庁なんていう組織も作られたそうだし。」

 「確かにその通りだが、政府が決めるよりずっと前に工場はあった。俺も知らなかったのだが。政府の意はおそらく介さずに動いている。」


 平本は再び席に着き、足を組む。


 「そうか・・・。質問を変えるが、俺が突入したときあんたと戦っていたのは誰だ?あいつが校長と教頭を殺したのか?何者なんだ、アレ(・・)は。」

 「・・・さあな。」


 平本は少し笑った。


 「ただわかるのは、俺を殺しに来たことだけだ。」

 「・・・そうか。」


 藤堂は静かに席を立つ。


 「・・・待て。」


 藤堂の足が止まった。


 「藤堂刑事、いいのか。俺はおそらくこのまま釈放されてしまうぞ。」

 「あんなこと、許されるはずはない。」


 藤堂は冷たく平本の言葉を遮った。


「それにまだこの事件は終わってない。たとえあの工場が世間に晒されることなく政府が隠ぺいしても俺がいる。必ずすべてを暴いて見せますよ。たとえ命を懸けてもね。それがあなたに対する罪の裁き方です。法で裁けないなら俺が裁きますよ。」


 藤堂はそれだけ言うと取調室を後にする。平本は一人残された取調室で陰惨な表情を浮かべていた。


 「あの刑事なら・・・」


 平本はそう言って静かに窓の外を見た。



 昨日の夜から降り続いている雨音は静かでそして見る者たちの心を絞めつけていた。京都の六月の雨というものは湿っぽく、そして生暖かい。新田川高校の校長、そして教頭。2人の死はあまりにも急で誰もが驚きの色を隠せなかった。前川という化学教師の自殺と合わせて市立新田川高校の評判はメディアでも取り上げられている。もちろん言うまでもなく評判はダダ落ちである。そして何より生徒たちの学校に対するモチベーションもダダ下がりであった。そんな中今日。全校生徒の保護者が集められて事件に関する説明会が始まろうとしていた。普段PTA総会などでは集まりそうもない膨大な数の保護者が参加していた。

 体育館の舞台、その中央に見慣れない姿の若い男が立っている。


 「保護者の皆様、今日はお足元の悪い中わざわざお集まりいただき、誠にありがとうございます。このたびは新田川高校の校長だった橋本米と教頭の吉田愚糲戸(ぐれこ)が同時に事故死するという痛ましい事件が起こりまして、大変ご迷惑をおかけしております。教員一同を代表して深く、深くお詫び申し上げます。」


 男はそう言って保護者に向かってきれいに頭を下げる。男の態度はどこの誰が見ても誠実そのものだった。


 「私はとりあえず来年度まで臨時校長をさせていただくことになりました黒田弘毅(ひろき)と申します。皆様よろしくお願いします。」


 黒田と名乗るその男は、細身で癖のかかった髪で少し色黒の男だった。


 「ええー、今回の事故に関しましては、警察の方々に強く、事故の早期解決を求めて参る所存です。保護者の皆様には何卒、ご理解いただきたく思っております。本当にご迷惑をおかけして、誠に申し訳ございません。」


 黒田は再度、深く礼をする。黒田の誠意が届いたのであろうか。この時までに不満や意見を述べる保護者は誰一人いなかった。


 「そして只今より、お集まりの保護者の皆様が最も気にしていらっしゃる生徒の皆さんに対するケアについてや今後の予定などをまとめたプリントをお配りいたしますのでご覧ください。」


 黒田の声とともに素早くプリントが回されていく。天井の高い体育館にはプリントの回される音がよく響いている。手に取ってまじまじと内容を見た保護者は皆驚き、ざわめき立つ。


 「ええー。では説明をさせていただきたいと思います。まず保護者の皆様が驚きになっているのはおそらく毎日四時間授業についてだと思われます。これは昼からの時間をすべてカウンセリングの時間とし、生徒たちの心のケアを必ず行うというものでございます。これは自由参加型カウンセリングだと行かない生徒がいることを考慮しての事でございます。」

 「そんなの、反対です。うちの子は今年受験生なんですよ?そんなことをしてたら京都大学に受からないじゃない!」

 「そうよそうよ・・・!」


 会場内に怒号ともとれる騒音が響く。


 「そこに関しては大丈夫です。毎日放課後に特別補習を自由参加型で行い、納得のいくまで教師が付く予定です。補習ではしっかりとした入試対策を行う予定です。」

 「そんなことじゃ・・・」


 その保護者はまだ何か言いたげだったがさすがにこれ以上は何も言えなかった。


 「とりあえず今から秋口まで学校を休校し新たな行事として遠足に行くことを考えております。これは少しでも生徒たちにこの嫌な状況を克服する時間が必要でさらに遠足でどんな状況でも対応できる絆を持ってもらいたいと考えているからです。私たち教育委員会並びに新田川市市長からのほんの少しの気持ちです。もちろんプリントにあるように全額市が負担いたしますのでそこはご安心ください。」


 保護者の表情は終始芳しくないものだったが不思議と文句や不満などを口にする保護者はあまりいなかった。


「本日は足元の悪い中、ご理解いただき誠にありがとうございました。今後ともご支援よろしくお願いします。」


 こうして保護者説明会はお開きとなった。



小雨が降り続く午後下がり。ジメジメとした警察署から一人出てくる男がいた。どこかくたびれた表情の男は釈放されたのに全くうれしいなんていう気持ちはなかった。男は傘も差さずにとぼとぼと歩いて行く。

「全く、なんてザマだ俺は。」男はそんなことを自分に言い聞かせた。

自分がここまで積み重ねてきたものをあの白い悪魔に叩き壊された。その白い悪魔は自分が目をかけていた生徒だったのだ。その事実は男に忘れようとしていた良心の呵責をはっきりとグロテスクに思い出させたのだった。

男は考えた。「国を守るために武器を生産し、余った物は秘密裏に紛争地帯に輸出するなどあってはならないことだったのだ。」と。

しかしそれはやはり『良心』いや『偽善』に過ぎず、そんな脆い盾は『金』や『地位』といった欲望の矛にいとも容易く破壊されてしまった。そのことを男は強く自負し、否定しようとしていた。

雨の降りしきる県道沿いを亡霊のように進んでいく。どこへ向かうのか、これからどうするのかを男は何も理解しようとしなかった。ただ無心に強くなる雨脚に身をゆだね、すべてを洗い流してもらいたい。ただそれだけを男は考えていた。

男は十年前に妻と二人の子供に別れを告げられたのだ。それからというもの男は一人だった。男は仕事を愛し、妻を愛さなかった。毎日夜遅くまで仕事をしていた男を妻は待っていた。男はその時の妻の顔を思い出していた。だが男は思い出せなかった。それほどにまで妻を見ていなかったのである。怒っていても笑っていても男は妻を突き放した。子供たちもそうである。息子が2人いた。男は強くたくましく育てたいという理想があった。野球をやらせ、将来は自衛官にするつもりでいた。その教育の結果は言うまでもなく残酷なものであった。男の目から涙が流れる。しかし強くなる雨はその涙さえもみ消していく。誰からも見放されていると男は感じる。もう何も自分には残されていないと。

その時男はふと気が付いた。自分の横に黒いレクサスが並行していることに。ずーっと後部座席の窓が下がる。


 「お久しぶりですね。平本一等陸佐。いや今は名もなき無職のおじさんですかね。」

 「・・・!!」


 その男の顔を見た平本は我に返る。


 「今更、何の用ですか?正成様。私はあなたの言うとおりただの無職です。放っておいてください。」


 平本の語気は弱弱しい、そしてそのまま立ち去ろうとする。


 「まあまあ、乗ってくださいよ。私があそこにあなたを派遣したんだから責任は私に取らせてください。この話はあなたにとってとてもいい話です。」


 平本はドキッとした。この男の言葉は嫌に美しく聞こえると平本はわかっていた。派遣の時の声色も同じだった。この男の笑顔は何かどす黒い破壊をイメージさせるのであった。だが平本は気持ちとは裏腹に本能で車に乗ってしまう。楠木正成はまるで平本に見えない糸を括り付けているようだった。


 「バン。」


 静かにレクサスの扉を閉める平本。決して隣に座っている楠木の顔を見ようとはしなかった。


 「雨に濡れてビショビショじゃないですか。これを。」


 楠木はシンプルなデザインの黒のハンカチを平本に手渡そうとする。


 「結構です!」


 平本はその手を強く跳ね除ける。


 「・・・そうですか。」


 楠木は上着のポケットにハンカチを直す。だがその表情は薄笑いを浮かべたままである。平本は内心びくびくしていた。


 「ではこれを。」


 そう言って平本に差し出したのは一枚の紙切れだった。


 「これは・・・!」


 平本の表情はほんのわずかだけ綻んだように楠木には見えた。この男は真に利用しやすいと楠木は思っていた。


 「私のところの親戚がやっている建設会社です。ここの部長クラスのポストの席が空きましてね。私があなたを推薦したわけです。どうですか?これからも定年まで働けますよ。ああ、そうだ。特別にあなたのご家族の居場所、探しておきました。そこに住所があるので会いに行ってあげればどうです?」

 「・・・っ。」


 平本は心底感動していた。もう二度と会えないと思っていた家族にまた会えるのである。そう考えただけで彼の心には明るい日差しが差し込んでいた。


 「・・・本当にいいんですか?」


 平本は涙目で訴えるように楠木の顔を見た。


 「ええ。もちろんですとも。」


 楠木は口角を片側だけ上げて応える。


 「家までお送りしましょう。」


 車は静かに発進する。雨音は少しずつひどくなっていく。


 「それにしてもあなたも老けましたね。涙もろくなった。少し前まで『鬼教官』なんて呼ばれていたのに。」


 楠木はこの時初めて一瞬だけ暗い顔つきになった。

 車は平本の住んでいるアパートに到着する。楠木はその建物を横目で観察していた。


 「本当にありがとうございました。これで私は面と向かって妻に謝罪できます。」


 それだけ言うと平本はそそくさとアパートに向かっていく。その後ろ姿を楠木は鼻で笑うかの如く嘲笑していた。


 「いくぞ。もうバカな犬の無様な姿なんて見るに堪えない。」

 「かしこまりました。」


 運転手の若い男は静かにそう言うと車を発進させた。


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