20 てっぺん!
「はぁい、上路ぃ!」
ホームルームが始まる前の騒がしい教室――そんな場所で俺は雷人に朝の挨拶をする。
「あ?」
だが、雷人はこちらを一瞥しただけで挨拶を返さない。今時の小学生の方がしっかりと挨拶を返してくれるぞ。雷人は悪い奴だな。
「へい、ボーイ、挨拶は返すものだぜ」
雷人はこちらを無視している。
「おやおや、無視ですか。なるほど、プレゼントがないと挨拶が出来ないんだな。欲張りさんめ。それなら、このウェットティッシュをつけちゃうよ」
俺はブレザーのポケットから八十枚入りのスペシャルなウェットティッシュを取り出す。百円プラス税で買えちゃう、手洗いから口拭きまで出来る便利なウェットティッシュだ。
「ちっ」
雷人は舌打ちをしている。
「おやおや、その汚く腫れ上がった顔にぴったりな一品ですよ」
取り出したウェットティッシュの封を開け、その中から一枚だけ取り出す。どうだ、ふきふきして綺麗にしてやろう。
「うぜぇんだよ!」
雷人がウェットティッシュを持った俺の手を振り払う。なんてヤツだ。
「そうか。人に拭いて貰うのは恥ずかしいものな。机の上に置いとくぜ、な」
俺は雷人の机の上にウェットティッシュを置く。百円プラス税で買える八十枚入りのウェットティッシュだ。一枚使ったので残りは七十九枚だな。
だが、雷人はそのウェットティッシュを俺の方へ弾き飛ばす。
「お前の方が必要なんじゃないか、あ?」
腫れ上がってボコボコの顔の雷人がそんなことを言っている。
……。
今の俺は包帯ぐるぐる巻きで雷人に負けないほど腫れ上がった顔になっている。頭の傷は医者に怒られながら縫い直し、体中が打ち身と切り傷で大変な状態だ。外見だけで言えば俺の方が雷人よりも酷いだろう。だが、それでも再起不能になるような怪我じゃない。こうやって学校に来ることも出来るんだぜ。
この間の戦いは過去の自分と比べたら――かなり無様なものだった。ズタボロになって、それはもう酷い戦いだ。だが、負けなかった。やり遂げた。引き籠もっていた頃からすれば充分過ぎるくらい大きな進歩だ。
そうだ、俺はまだまだ進化している途中だ。
「俺はいいんだよ。それより雷人、噂だよ、噂」
「ん? あ? 何の噂だ」
「雷人、お前が湖南高校のヤツらを倒したって噂だよ」
俺の言葉を聞いた雷人がニヤリと笑う。
「なるほどな」
何がなるほどだよ。
「おい、雷人、何、お前一人で納得しているんだよ。こっちはな、大変だったんだぞ」
雷人が俺の言葉を手で遮る。
「ああ、そうだな」
「おい、こら。何がそうだな、だ。分かってるのかよ」
雷人がニヤリと笑ったまま頷く。
「分かってるさ。湖南高校の制服狩りだろう?」
「ああ、そうだぜ」
「デブイチ、安心しろ。それなら、俺が止めた」
はぁ!?
「はぁ!?」
はぁ!?
思わず口と心の両方で言ってしまったが、本当に『はぁ?』だぞ。俺が止めたって、どういうことだよ。いや、確かに噂ではそうなっていたけどさ。
「おい、雷人、何を言ってやがる。あの湖南高校の連中はなぁ!」
「その怪我、ヤツらにやられたんだろう。良かったな、俺がトップで」
おいおい、まさか、俺が負けたと思っているのか。
「ふざけんなよ。おい、雷人、俺は負けてねぇよ」
「へぇ。返り討ちにしたのか。凄いな」
何だ、この上からの物言い。ちょーむかつくんですけど。
「おいおい、雷人さん、言ってくれるねぇ」
「相手にしたのは二人か? 三人か? こっちは十人以上を相手にして、湖桜高校の存在を分からせてやったからな」
雷人はニヤニヤと笑っている。な、殴りてぇ。
「まぁ、一人で二人を相手にしたのは大変だったろう。こっちは数を集めての混戦だったからな」
何で俺が二人しか相手してないことになってるんだよ。こ、この野郎。にしても、混戦だと。俺が相手したヤツらだけじゃなかったのか。くそ、抜かったぜ。
「へ、へぇ、雷人さんは一人じゃあ戦えない、と」
俺は雷人を煽る。
「人望の差だな」
だが雷人は挑発に乗ってこない。余裕の表情でこちらをあざ笑っている。
こ、この野郎、いい加減思い知らせてやった方が良いか。良いのか? 良いよな? うん、俺の中の俺が許可するぜ。
「雷人さんよぉ、ちょっと調子に乗りすぎじゃねえか?」
「デブイチ、安い挑発は止せ。俺は乗らない。今は同じ湖桜高校同士で争っている場合じゃないからな」
「んだと」
俺の言葉に雷人が肩を竦める。
「お前じゃあ分からないレベルで問題は起こっている」
ら、雷人の分際でレベルだと……。
「何がレベルだ。お前なんか雑魚相手に経験値稼ぎをしているようなレベルだろうが」
「お前は何を訳の分からないことを言ってる」
雷人が大きくため息を吐き出し首を横に振る。
くっ。挑発していたつもりが挑発されているだと……。
「アラタ先輩が湖山高校の連中が立ち上げたライジンを潰した。その意味が分かるか?」
「わかんねぇよ」
「湖南高校みたいな格下は俺ら一年で充分だと任せてくれたから出来たことだ。それだけ俺の力を買ってくれているのさ。そして湖山高校と湖南高校が潰れたとなったら――荒れる。群ユー割キョ、だ。しかも、その中心は俺たちだ!」
雷人は楽しそうに笑っている。
まるで酒に溺れているような――酔っているかのような表情だ。
良くねぇなぁ。
これは良くない。
「お前、自分が言っていることが分かっているのか?」
「アラタ先輩がやろうとしていることが分からないか」
「分からねぇなぁ」
「デブイチ、お前みたいな雑魚には分からない世界だってことだ」
アラタ先輩ね。
この雷人の馬鹿が心酔している先輩のようだが、あまり良くない影響を与えている感じだな。馬鹿な雷人がさらに馬鹿に、救いようがない馬鹿になっているな。
世界とか言い出すのは酔っている連中かスポーツマンやミュージシャンくらいだ。駄目だな、これは。
そこでホームルームのチャイムが鳴り響く。
俺は、まだ何か言おうとしていた雷人を無視して自分の席に戻る。
アラタ先輩、か。
三年だよな?
湖南高校の連中を無視して三年が何をしているかと思えば抗争を広げてた、と。
喧嘩で高校一位にでもなるつもりか? 頂点を取るとか、そんなことを考えているのか?
そんなのは大馬鹿のやることだ。喧嘩で頂点を取るような時代じゃないだろ。
……。
会ってみるか。
こいつぁ、ちょっとお仕置きが必要かもしれないな。




