語られるニアの過去
ニアが語り始めたのは彼女の父親の話だった。それは、今まで一度も語られることの無かったニアの身内の話である。
「アタシね、小さい頃は両親と一緒にエテルマギアに住んでいたんだ。こう見えてアタシ、一応貴族の生まれでさ、本土のそれなりに良いお家に住まわせてもらってたんだ」
エテルマギアは三大大国の一つで、環状列島の島国の中で最も北に位置している。建国者は「ルーカス」で、シモンズ劇団が演じた「世界樹と三人の英雄」の演目にも登場した人物である。
エテルマギアは宗教国家であり、世界樹の攻略に最も力を入れている国でもある。非常に鎖国的で、ニルローナ以外とは貿易すら行っていない。更に言えば、ヨシュアたちが住むアリストメイアとは敵対関係で、頻繁に武力衝突が起きている。
また、エテルマギアは貴族制度があり、特権階級の人間が市民を支配しているとも聞く。本土に住める人間も限られいると聞くから、二アは相当裕福な家の生まれということになる。ニアの着ている服装から、何処となく気品のような物を感じてはいたが、ヨシュアは今の話を聞いて、そう言う事だったのかと納得する。
「それでね。今から八年ほど前、だからアタシが九歳頃かな。その時まではお父さんとも仲が良かったんだ。お父さんはちょっと変わった人で、何か気になる事があると周りが見えなくなる人だったし、困った人には簡単にお金を渡しちゃうようなお人好しだった。貴族らしくないって周りから散々言われていたけど、アタシはそんなお父さんが大好きだった」
「その頃、お父さんは貴族でありながら研究者でもあったんだ。貴族の風習や、夜な夜な開催されるパーティーなんかには一切興味が無くて、ずっと自室にこもっては実験を繰り返すような人だった。それでも、幼い私が駄々をこねると、すぐに実験を中断してまで一緒に遊んでくれるような、そんな素敵なお父さんだった」
ニアの目は空虚を見つめていた。過去の懐かしい記憶を見ているようだった。そんなニアの隣で、ヨシュアとロイは黙って話に耳を傾けた。
「何を研究していたのかは教えてくれなかった。けれど、お母さんの病気を治す薬だと言ってたことは覚えてる。お母さんは優しくて綺麗な人だったけれど、アタシを産んでから体調が悪くなったみたいで、次第に痩せ細っていった。日に日にベッドの上で過ごす時間も長くなっていった。そんなお母さんの為に頑張っているんだって思うと、お父さんの研究は凄いんだって、子供ながらに思ってた」
「ライがアタシたちの家に使用人として雇われたのは、アタシが七歳の頃だった。アタシが住む家は裕福ではあったけれど、家事などは基本的にお母さんが自分でしていたんだ。けれど、病気が進行して、思うように動けなくなっちゃって。だからライが雇われることになったんだ。ライはアタシより八歳も年上だったけど、なんだか年の離れたお兄ちゃんが出来たみたいで、結構嬉しかった。ああ、でも、最初はいきなり家族が一人増えたことが受け入れられなくて、ずっと泣いてたんだっけ…… 」
「当時は幸せだったよ。お母さんの体調はずっと優れなかったけれど、それでもいつも笑顔を絶やさない人だったしね。それに、きっとこの病気もお父さんが治してくれるって信じてた。ライも、アタシたち家族をいつも最優先に考えてくれて、時間が余った時はいつもアタシと遊んでくれた。ホント昔から良い奴だよ、ライは」
記憶を辿るニアの口元がほんの少しだけ緩む。話を聞いている限り、ニアの家庭は少し変わった事情を抱えていたいだけれど、それでも当時のニアは凄く幸せだったのだろうというのが、話の端々から伝わってくる。
「それなのに…… ある日突然、お父さんが家を出て行ってしまったんだ。それも何も言わずに。それが八年前の出来事だった。誰にも一言も告げず、ただ書置きに『薬の研究の為、暫く留守にします』って書いてあって。確かに昔からお父さんは言葉足らずなところがあったけれど、それでもこんなこと一度も無かった」
「すぐに捜索願は出した。”暫く”なんて言葉、信じられる訳が無かったからね。何か事件に巻き込まれたんじゃないかと、金目当ての奴に誘拐でもされたんじゃないかと心配だった」
「けど、実際は違った。自分から家を出たんだって。実は底を尽いていた研究資金を援助してくれる人を求めて旅に出てたらしくってさ。それで支援者を見つけた後、一度だけひょっこり家に帰って来たんだ。いなくなってからちょうど一年後ぐらいだったよ」
「『なんで誰にも言わずに飛び出したの?』って聞いたら、『お金が無くなりそうだなんて、研究が思うように進んでないって、そんな事誰にも言えなかった』って。その時アタシは初めて、お父さんがずっと一人で問題を抱え込んでいたんだって気付いたんだ。けれど、だからって何も言わずに家を出ることが正しいとも思わなかった」
「お父さんは言った。『────また暫く戻れない』って。『どれくらい?』って尋ねても首を横に振るだけだった。何処に行くのかも、何の研究をしてるのかも答えてくれなかった」
「お母さんは何も聞かなかった。『優しいあの人の事だから、何かきっと事情があるのよ』って言って、お父さんの事を一度も責めなかった。ライも使用人の立場だからか黙ってたよ」
ここまで語ると、ニアは少しの間黙り込んでしまった。俯きがちな彼女の瞳は、相変わらず何も捉えてはいなかった。
気まずい沈黙が三人の間を流れていた。けれどヨシュアは、再びニアが口を開くのを静かに待つことしか出来なかった。恐らくはロイも同じ気持ちだっただろう。
ニアが続きを語り始める。そして、その声は次第に涙声へと変わっていく。
「────その日以来お父さんは一度も家に帰ってきていない。お金だけは何処からか送ってくるんだけど、手紙すら送ってきていないんだ。だから、研究が何処まで進んだのかもずっと分からなかった」
「そうこうしている内にお母さんの病気が悪化した。きっと体だけでなく心も限界だったんだ。アタシとライでお母さんを懸命に支えたんだけどね、でも病気の進行は止められなかった。そしてついに医者は言ったんだ。『あなたのお母さんの命はあと持って一月ほどでしょう』って。もうどうにもならないんだって。それが、お父さんが家に戻らなくなってから三年後のことだった」
「信じられなかった。信じたくも無かった。でも、それと同時にお父さんが憎かった。どうしてお母さんが死にそうなのに側にいてくれないの? お父さんはお母さんを助けたくて研究を続けていたのに、どうして肝心な時にいないの? アタシは何も分からなかった。言いたいことは沢山あるのに、連絡の一つも取れなかった」
「お母さんは死んだ。結局は医者の言った通りだった。お母さんは死ぬ間際まで笑顔で、お父さんのことは一度も悪く言わなかった。最後の瞬間まで、お母さんはお父さんを愛していたんだ」
「アタシはずっと泣いていた。泣き続けた。火葬され、灰になった母親を直視できず、それから数日間泣き続けた。アタシは部屋から出られなくなった。ライがいなかったら、きっとアタシは部屋で一人死んでいたと思う」
「悲し過ぎて身動きが取れなくなった。けれど、その悲しみは次第にお父さんに対する憎しみに変わっていった。聞きたいことも言ってやりたいことも山ほどあった。お母さんの墓の前に引きずり出して謝らせてやりたいと思った」
ニアは指先で目元の涙を拭う。目頭は真っ赤になっていた。
「だからアタシは旅に出た。お父さんを探す旅だ。アタシはもう僅かにしか残っていなかったお金を搔き集めて、家も売り払って、身支度を整えた。ライを雇い続けるお金は正直無かったんだけど、それでもライはついて来てくれた。もしかしたら、アタシがあんまりにも惨めで放っておけなかっただけかもしれないけれど、それでも一緒にいてくれることが嬉しかった」
「始めは国中を探して歩いた。けれど手掛かりすらつかめなかった。一年ほど探しても見つからないとなると、もう国内にはいないのかもしれないと思った。だからアタシたちは一先ずニルローナを目指すことにした。当時からエテルマギアとアリストメイアの情勢は良くなかったからね」
「そうして環状列島の国々を反時計回りに周った。旅を始めたのは四年近く前になるのかな。傭兵になったのもその間で、旅をしながら稼ぐことが出来る傭兵という職業はアタシたちにピッタリだったんだ。自由に旅するには、ある程度強さも必要だったしね」
「やっと手掛かりを見つけたのがつい最近だった。ちょうどヨシュアやアルルたちと食事をしていた雨の日の出来事だよ。外は土砂降りだったけど、アタシはいてもたってもいられずに外へと駆け出していった。そしてその日のうちに馬車を手配して、アタシとライはオルリベスの街へと向かった」
ヨシュアもその日のことを思い出していた。あの日ニアは、飛んできた魔法文を見るなり血相を変えて店を飛び出したことを、今でもよく覚えている。あの時から何となく嫌な予感はしていたが、まさかこんなことになるとは、当時は全く思ってもみなかった。
「手紙の差出人は名前も顔も知らない様な情報屋から。信憑性は極めて薄かったけれど、それでも動き出さずにはいられなかった。そうしてアタシとライはオルリベスの街と、街の近くの山をひたすら嗅ぎまわった。するとその甲斐あってか、アタシたちはとある研究所を見つけたんだ。そして────」
「お父さんもそこにいた。遠目からだったけれど、間違いなかった。ちょうど研究所に入っていくところをアタシはこの目で見たんだ。流石にその時は胸がざわついたし、冷静じゃいられなかった。きっと、少なからずライも同じように感じていたと思う」
「でも、それは罠だった。いや、何処から何処までが罠かは分からないけど、でも確実にアタシたちは嵌められたんだ。気付いた時にはライの背中に矢が刺さっていた。しかも、その矢じりには毒が塗られていた」
「勿論アタシ達だって抵抗はした。力の限り戦った。でも無駄だった。何も出来なかった。傷一つ付けることが出来なかった。ザウィードの体には傷一つ付かなかった。槍が呆気なくへし折られた時、アタシの心も折れてしまった。そうしてアタシたちは逃げることを選んだ」
「逃げたというか、逃がしてもらったというか、遊ばれていたというか…… 。とにかくもうダメだと思った。世界中を転々としていたアタシの味方はライだけで、他の人が助けてくれる訳も無くて、トーレス山もオルリベスの街も完全に相手のテリトリーだった。だから、もうダメだって思った。悔しいけど、アタシもライも助からないと思った」
「後はまあ、二人が知っての通りだよ」とニアが弱々しい口調で言う。その横顔はやはり悲しそうで、唇を噛みしめた時に出来たであろう傷跡が、当時の悔しさを物語っていた。
また沈黙が三人の間を流れようとしていた。けれど、その静寂をロイが破る。
「で、お前はこの後どうしたいんだ?」




