告白
ロイは人垣が見えなくなるほどに離れると、居ても立っても居られずに駆け出していた。頭の中で整理が追い付いていなかったものの、とにかく早く会いたいという一心だった。
ウルプス川のほとりに辿り着いたロイの視界に、西日に照らされているマトの後ろ姿が映る。小さく儚げなその後姿は、気やすく声をかけることを躊躇わせる。
目をつむり、深呼吸して、それからゆっくりとマトの方へ向かって歩く。
「────マト…… 」
声をかけると、マトはビクッと体を震わせ、そのままゆっくりとこちらを向いた。少し怯えたような表情を浮かべている。理由は分かっている。つい昨日、この場所でマトに酷いことをしたばかりだということをロイも忘れてはいない。
「あっ、えっと…… こんにちは、ロイ君」
マトは何処か他人行儀だ。それが単純に悲しいけど、仕方が無いことだ。全ては自分が蒔いた種なのだから。
「えっと、その…… 」
「ヨシュアはここには来ない」
「え?」
マトは目を丸くして驚く。
「来れなくなったんだ」
「そっか…… 」
「隣り、いいか?」
マトはコクリと頷いた。
混乱するマトの隣にロイはゆっくりと腰を下ろす。
(はぁ…… 、来たのはいいけど、何から話せばいいやら…… )
ロイも混乱していた。
何も考えずにマトの前に姿を現してしまった。そのことを失敗だったと思う一方で、マトの隣に座っているという事実が、彼女の存在を感じとれるこの距離が、何よりも愛しく感じていた。
────まずは謝らないといけない。
そう感じたロイは一度立ち上がると深々と頭を下げた。
「マト、この前は本当にゴメン!」
「えっ? ええー!? ど、どうしたの、ロイ君?」
驚き慌てふためくマトは、とても信じられないと言った表情でロイを見た。そして申し訳なく感じたマトは「頭を上げて!」と言うが、それでもロイは頭を下げたまま言う。
「この前も、酒場でのことも、全部全部ゴメン!」
「う、うん。わかったよ。わかったから、一度座ってよ。ね?」
ロイは頭を上げると、マトを真っすぐに見つめた。
目の前に座るマトはぽかんとした表情を浮かべている。まだ混乱しているようだが、ロイに対する恐怖心は多少なりと消すことが出来たいみたいだった。
再び長椅子に腰を下ろすロイ。
とりあえず謝ったけど、この後の展開も当然ながらノープランだった。でも、まぁいいかと、隣り合って座っているだけでもいいかと、そんなことを考え始めていた。
(────攻める勇気、か…… )
不意に頭に過る言葉。
それはヨシュアに言った自分の言葉。勿論ロイは恋愛に関してこの言葉を使ったわけでは無いが……
(アイツ、もし俺に勝ったら本気でマトに告白する気だったのか?)
ふと疑問に思いロイは考え込む。
ヨシュアは、仕合の一番の目的は「片腕でも強いと認めて欲しかったから」だと言ったが、実際のところ、マトの事はどう思っているのだろうか? そもそもヨシュアはマトの事が好きだったのだろうか?
(もしアイツが本気だったなら、ここで告白しなけりゃどうなるんだ?)
最悪の事態を想定しては一人思い悩むロイは、思わず頭を抱え込んで唸る。
その様子にマトは心配になって声をかける。
「ど、どうしたの、ロイ君? 何か悩み事?」
「そう! …… なんだけど…… 」
「えっと、良かったら相談に乗るけど…… 」
────何と罪な一言だろう。
もし”マトが好きなことで悩んでいる”なんてさらっと言えたなら……
でも、そんなことはロイのちっぽけなプライドが許さない。だから悩んでいるのだ。
ころころと変わる表情を見て可笑しく感じたのか、マトは口元に手を当てて笑う。
「な、なに笑ってんだよ」
「あはは。ごめんごめん。でも、なんだか昔のロイ君みたいだなって」
「昔の?」
「うん。最近はこんな感じでずっと難しい顔してたから」
マトはそう言って眉間にしわを寄せる。
どうやら最近のロイの顔真似をしてるらしい。
「…… あのなぁ、俺だって色々と考えることがあるんだよ。難しい顔にだってなるわ」
「ふーん。何を考えてたの?」
「そりゃあ、まぁ、色々だよ」
他人を見下して馬鹿にしていただけ、なんてことは口が裂けても言えない。
「そっか。色々かぁ。でも、私は今の笑ってるロイ君の方が好きだな」
「え?」
マトの口から「好き」という言葉が出てあからさまに動揺したロイは、思わず彼女から目を逸らしてしまう。
(ヤバい。今絶対に顔が赤い)
恥ずかしさから、顔から火が噴き出しそうに熱かった。
ちらっと横目で見たマトはきょとんとした表情を浮かべているものの、その頬は少々赤い。気のせいと言えば気のせい程度だが、自分と同じような気持ちなら嬉しいとロイは願った。
「ねぇロイ君、こんな時に何だけど、一つ聞いても良いかな?」
「な、なんだよ、いきなり?」
「…… ロイ君はもう聖騎士見習い試験を受けないの?」
────え? なんで今更?
聖騎士を目指していた過去は、ロイにとって一番触れられたくない部分である。そのことを知らないマトでは無いはずだが、なぜ今その話題に敢えて触れてきたのだろう?
ただ、自分でも意外だったが、ロイは今、あまり嫌な気分では無かった。それは好きな人の隣にいるからか、それともヨシュアとの仕合で何処か吹っ切れたような清々しい気分だったからか、ハッキリとした理由はロイにも分からない。
ただ、いずれにしても今のロイには、マトの言葉の続きを静かに待つ心の余裕があった。
驚きつつも静かに次の言葉を待つ。
そんなロイの表情を伺いながら、マトは慎重に話を続ける。
「ごめんね、いきなり。でもどうしても聞いてみたくて…… 」
「…… おう。まぁ、別に構わねーよ。でも、なんで今更聞いてみようなんて思ったんだ? いつもならそんな質問しねーのに」
そうだ。いつものマトならそんな質問は絶対にしない。他人のデリケートな部分に敢えて踏み込むような話題を選ぶような性格では無いのだ。
「うん、なんでだろうね。最近ヨシュア君と話すことが多かったからかな」
────まただ。
ここでヨシュアの名前を出すということは、間違いなく敢えて踏み込んできている。でも、マトの顔を見るに悪気は一切感じられない。
マトは川を見つめながら話を続ける。
「私ね、最近楽しかったんだ。毎朝のようにヨシュア君と話せて。でもね、それはね、昔ロイ君とお話した時にも感じていたんだよ」
「マト…… 」
「ロイ君とヨシュア君。二人はあんまり似て無いけど、でも、夢を諦めない姿はカッコいいなって」
「でも、俺は…… 」
────俺はもう夢を諦めてしまった。
そう言おうとしたロイを遮るようにマトは話し続ける。
「一番カッコいいと思ったのは二年ほど前。ちょうど一度目の試験に落ちたときかな」
「え? あの時?」
「うん、そうだよ。あの日から話す機会は減っちゃったけど、でも、次の一年後の試験に向けて諦めずに頑張るロイ君は素敵だった」
ロイは何も言葉が出なかった。これからどうすればいいかも分からなかった。マトは聖騎士になることを望んでくれているのかもしれないが、今更一度諦めた夢に向かって再挑戦するなんて、簡単に決められることじゃない。
でも、ここでマトが言いたいことは少し違うみたいだった。
「ロイ君は今何を目指していますか?」
「え? 今…… ?」
「そう、今」
────それは……
ここ最近の目標は”赤のカード持ち”になることだった。それは充分に立派なことだ。
でも、それは他人を見下す為である。目指そうと思った動機は決して褒められたもんじゃない。だからロイはまたしても答えに困ってしまう。
「…… 私はね、本を執筆する人になりたいんだ」
「…… そうなのか?」
初めて聞くマトの夢。とても新鮮な気持ちだった。
「あと、本の表紙の絵も自分で描きたいんだ。どうかな?」
「素敵だと思う。マトなら出来る気がする」
嘘でもお世辞でもない。本心からの言葉だ。
「応援してくれる?」
「そりゃあ勿論。応援ぐらい幾らでも」
「そっか。それじゃあ私も応援するよ」
マトはそう言って微笑む
でもその柔らかな笑みが今は辛い。誇れる夢なんて何も無いのだから。
「いや、でも…… 何を?」
「何でもいいよ。ロイ君の夢なら」
────それって……
「聖騎士を目指すことじゃなくても…… だよ」
「それでいいのか?」
「うん。でも、聖騎士を目指すんだったら、もっと応援するかも」
いたずらっぽい笑みが西日に照らされてなんとも眩しい。
何だかいいムードに感情が高ぶっていくのが自分でもわかった。この雰囲気に流れを任せてみてもいいかもしれないと感じ、ロイも一歩踏み込んでみる。
「もしも俺が”もう一度聖騎士を目指す”って言ったら、近くで応援してくれるか?」
「近く、か…… 」
今度は不服そうな顔。
踏み込んだ分だけ離れた気がして気落ちするロイだったが……
「私は隣でもいいんだけどな」
────え? それってどういう……
一気に高まる期待感。
ロイは生唾を呑み込み、マトの言葉の続きをじっと待った。
けど、マトは川の流れを見つめたまま、指で眼鏡の縁にそっと触れた。
少しの沈黙。
そよ風がマトの短い髪を揺らす。
彼女の頬は先ほどよりずっと赤い。
マトが一瞬だけロイの方を見ては、また目を逸らす。
きっとマトもロイの言葉を待っているのだと感じた。
(────攻める勇気を持て)
そう自分に言い聞かせてロイは立ち上がる。そしてマトの目の前へ、彼女の視界からウルプス川を遮るように仁王立ちする。
マトは視線を上げ、済んだ瞳でロイを見つめ返す。
ロイは右手を真っすぐマトへと伸ばして言った。
「マト。俺と付き合ってくれ」
短くも、ありったけの勇気を込めた言葉だった。
そしてマトの答えは勿論一つだった。
「────はい。お願いします…… !」
差し出された右手に、小さな左手が添えられた。




