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片腕の盾使い、騎士を志す  作者: ニシノヤショーゴ
浮雲の旅団編
29/154

マトのはなし


 ヨシュアがこのマーセナルの街に着て、早くも十日が経過した。


 ヨシュアの生活は、レントの村で家族と一緒に生活していた頃と比べ、大きく変わったかというと、実はそうでもなかった。

 生活の一部に傭兵ギルド<浮雲の旅団>としての活動が加わったものの、それだけだ。そして問題なのが、傭兵ギルドにて満足な活動ができていない、ということだ。


 練習相手には困っていない。数日前に実家から、二体の<魔法人形マギアドール>を送ってもらったからだ。

 でも、試験官にも言われた通り、片腕のヨシュアが見習い試験に合格するには、普通に強くなるだけでは足りない。


 何かを変えなければ来年の試験に合格することはできない。けれど、まだこの街に来てそれほど日は経っていないとはいえ、実りのある日々を過ごしているとは言い難い。ヨシュアは少しばかり焦りを感じ始めていた。


 変化がない理由の一つを自分なりに考えるならば、ヨシュアが持つギルドカードはまだ最低ランクの白色ということだろう。

 まだ入団して間もないから仕方がないものの、高いレベルの仕事を一向に回してもらえない。これならレントの村で修行していた方が、無駄な時間を過ごさずに、より自分のために時間が使えてよかったのでは…… そんな考えがここ数日何度もよぎった。



 そんなことを考えながら、今日も早朝の街を黙々と走るヨシュア。

 片腕が無いヨシュアにとって『走りに関すること』だけは誰にも負けたくなかった。だから、一日の中でもこの朝の時間を一番大事にしていた。

 ────とはいえこれも、村に住んでいた時から意識していたこと。この街に来てからの変化では無いのだ。





 そうしていつものようにウルプス河までやってきたヨシュア。橋の上から景色を眺める。


(やっぱり…… マトがいる)


 橋の上からマトの姿が見える。晴れた日は、毎日のように岸辺の長椅子に座って、スケッチブックに向かって何かを描く彼女の姿があった。


(何を描いているのだろう?)


 そこは、ヨシュアが走るルートとは少し離れた場所なので、おそらくマトはヨシュアに気がついたことは無いと思われる。もちろんこちらから声をかけたことは無い。何か特別な用があるわけでは無いからだ。


 だから今日もヨシュアは、マトの視線の先が少し気になりつつも、そのまま走り抜けようと思っていた。


 ────のだが、ふと試験終わりに聖騎士のマオと話した言葉を思い出す。



(新しい出会い…… か)


 何も変わらないのは、何も変えようとしていないからかもしれない。

 思い返せば、せっかくこの街に来たというのに『特に話しかける理由がない』からと、ヨシュアはこの十日間ほど、他人と積極的に関わろうとはしなかった。


(せっかくだ、少し話しかけてみるか)


 岸辺に降りて、ヨシュアは妙に緊張しつつも、意を決してマトに話しかけてみる。



「……おはよう、マト……さん」



 後ろから不意に話しかけられたマトは、少し驚いた表情で振り返る。

 丸眼鏡の奥の瞳がヨシュアの姿を捉える……


 マトは、相手がヨシュアだと分かるとその場で立ち上がって、少しばかり緊張した面持ちで挨拶を返す。



「あ…… おはようございます。えっと…… 今日も走ってたんですか?」


「えっ…… そうだけど、どうしてそれを?」



 なぜマトは自分の日課を知っているのだろう?

 二人は酒場では毎日のように会うものの、あくまで客と店員の関係だ。だから、会話らしい会話をしたことが無かった。彼女に自分の日課を話したことも勿論ない。



「あの! ごめんなさい。えっと…… ジルさんが教えてくれて」



 何故かマトは慌てて謝る。

 もちろん知られてはいけないような秘密でもなんでもないから、謝る必要は全くないのだけれど。



「あっ、そうか、それでか。えっと…… そう…… なんです。毎朝走ることを日課にしてて、だから今日も走ってたんだけど。すぐそこの橋の上からマトさんの姿が見えたから……」



 とりあえず話しかけることには成功した。

 けれど二人ともどこか会話がぎこちない。

 マトもスケッチブックを両手に抱え込んで黙り込んでしまう。


 お互い緊張しているのか、それとも慣れないことをしているからなのか、いずれにせよヨシュアとしては、もう少し普通に話したいところだが……


 何か気の利いた話題はないかと探すヨシュアに対し、意外にもマトの方から話しかけてくれる。



「あの、ヨシュアさん。あんまり気を遣わないで、いつもみたいに話して下さい。私たち同い年みたいですし…… 」


「そう…… だな。けど、そういうならマトだって普通に話してくれよ。別に今は店員と客ってわけでもないし」


「うん、ヨシュア君がそういうなら…… 」


「隣り、座ってもいいか?」


「うん、どうぞ」



 マトが気を遣ってくれたこともあり、少しお互いの距離を詰めることができたように思う。心なしかマトの表情も少しだけ柔らかくなったような……


 ヨシュアは彼女の左隣に座る。

 妹以外の女の子、しかも同い年の女の子の隣に座ることに不思議な高揚感を覚える。

 でも恥ずかしがってばかりいても始まらない。せっかくなのでこの機会に、前から少し気になっていたことを尋ねてみる。



「ずっと気になってたけど、マトはいつもここで何を描いているんだい?」


「えっと、目の前の風景を模写していたの」


「見せてもらってもいい?」


「…… うん、いいよ」



 マトは少しだけ恥ずかしそうに顔を赤らめつつも、両手で抱え込んでいた白いスケッチブックを渡してくれた。

 そこに描かれていたのは、岸辺から見えるウルプス川の景色だった。

 青い空、白い雲、キラキラと光る水面に原っぱ、川の奥には等間隔に植えられたマナの木々……


 様々な絵の具を使って、沢山の色が重なるように描かれたそれは、淡く優しい色使いで丁寧に描写されている。

 ヨシュアは夢中で、目の前に広がる風景とマトが描いた絵を何度も見比べる。



「────凄いな。こんなにうまく描写できるものなんだな。細かいことは分からないけれど、これはちょっと驚いたよ」


「あ、ありがとう…… 」


「なにか描くときコツとか、気を付けていることってあるの?」


「えっと……、それじゃあ、あの花をちょっと描いてみるね」



 マトはヨシュアから両手でスケッチブックを受け取って一枚捲ると、白い紙に鉛筆でさっそく、うっすらと花の輪郭を描き始める。

 マトは目の前に咲く小さな赤い花とスケッチブックを交互に見ながら、すらすらと簡単そうに描いていく。



「まずはこんな感じで、薄い線で簡単に下書きをして────」


「”簡単に”って言うけど、絶対難しいよな、それ」


「えっと、いきなりは難しいかもだけど、慣れればヨシュア君も、これぐらいすぐできるようになるよ」



 そう言いながら早くも下書きを完成させると、筆をとって絵具を準備する。

 まずはパレットに緑や赤や黄色だけでなく青色なんかも出して、それを筆で混ぜ合わせていく。出来上がった色を紙の余白で確認しつつ、そうして準備ができたら、いよいよ花に色を付けていく。



「私が描くのは水彩画といってね、こうしてまず淡い色から順に、どんどん塗り重ねていくの」



 マトは言葉通り次々と色を塗り重ねていく。赤い花を塗るときも、水を使ってうまく濃淡をつけながら、時に少しだけ黄色も織り交ぜていく。


 花びらを塗り終えると、続いて葉や茎も部分にも取り掛かる。

 パレットの上の濁ったような、正直ヨシュアは「こんな色どこで使うんだろう?」と疑問に思っていた色も上手に交えつつ、花や茎や葉の部分を塗っていく。



「よくみんなは『花びらに赤色、花びらの真ん中は黄色、茎と葉は緑』なんて具合に一つの色だけを使いがちだけど、よく見ると実はそうじゃないの。特に風景とか自然を描くときは、沢山の色を少しずつ重ねることでうまく描けるようになると思う。…… どうかな?」



 絵具を塗り始めて五分もかからぬ間に、真っ白なスケッチブックの上に、優しい色合いで描かれた鮮やかな赤い花が咲いた。



「凄いな、マト! まるで魔法みたいだ!」


「そ、そうかな…… 」



 ヨシュアの言葉に、マトは両手で眼鏡の縁をさわりながら恥ずかしがるそぶりを見せる。彼女の顔がほのかに赤く染まる。眼鏡の奥の瞳も、ヨシュアをまっすぐ見ることができないでいた。

 恥ずかしがる彼女をよそに、ヨシュアが尋ねる。



「茎や葉を塗るのに、青や紫をあんなにうまく使うなんて思いもしなかったな。どこでこんな方法を知ったんだ?」


「街のアトリエ。…… この街にもね、絵を描く先生がいたの。何年か前にその人はニルローナへと引っ越してしまったのだけれど…… それまでの間、何度もアトリエに通って水彩画の描き方を教わったんだ」



 懐かしい思い出に浸るような、そんな表情を見せるマト。どんな人なのか分からないが、きっとマトにとって、その先生はとても大切な人だったのだろうと思った。



「どうして水彩画を習おうと思ったんだ?」



 なんとなく気になって軽い気持ちで質問してみたのだが、マトは俯いて少し困った表情を浮かべる。何かあまり人に知られたくない事情でもあったのだろうかと思い、ヨシュアは慌てて続ける。



「ごめん、聞いたらまずかった、かな?」


「えっと、そんなことは…… 。ただ、まだ誰にも話したことがなくて。その…… 実は私ね、将来は『本を書く人』になりたいなって思ってて。それでもし自分の本が出せたなら、その時は表紙の絵や、本の中の挿絵も自分で描けたら素敵だなって…… 」


「…… いい。とってもいいじゃないか! 素敵な夢だと思う!」


「あ、あの…… ! まだ誰にも言ってないことだし、そもそもなれるかどうかも分からないから、あの、その…… このことはまだ誰にも言わないで欲しい…… かな」



 マトは俯きながら、右手で丸眼鏡のフレームを抑えつつ左手で髪をさわる。真横に座る彼女の、かきわけた時に見えた左耳は真っ赤になっていた。


 ヨシュアは、マトの夢をとても素敵だと思っていた。お世辞なんかじゃなく本当に。

 だからもっと堂々と語ればいいと思うのだが、彼女の性格上それはできないみたいだった。恥ずかしさから黙り込んでしまったマトの隣で、ヨシュアは思考を巡らせる。


(人の夢…… か。こんな形で他人の夢を聞いたことが無かったな。当たり前だけど、皆それぞれに夢があるのだろう。俺もガトリーさんやラスティさんみたいな立派な騎士になって、それから…… )



 ────それからどうしたいのだろうか。



 いや、騎士なのだから誰かを守って生きていくのだろう。

 けれど、その誰か…… っていったい誰だ?



 初めて自分の夢に疑問を持った瞬間だった。


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