勝者の特権
「おい、起きろ嬢ちゃん」
遠く向こうから誰かに呼ばれた気がする。でも私は反応できなかった。なぜなら、強烈なめまいと吐き気を感じていて、それどころでは無かったから。頭痛も酷い。呼吸も苦しい。全身が火照ったように熱い。自分の体じゃないみたいで、とてもじゃないけれど起き上がれそうになかった。
それなのに誰かが私を起こそうとしている。お願いだから、そんなに体を揺さぶらないで。
「おい。いい加減目を覚ませよな!」
パチン、と乾いた音が鳴る。遅れて、右の頬がじんじんと熱くなる。その痛みによって、ほんの少しだけ意識が覚醒したような気がする。相変わらず気分はもの凄く悪いけれど。
アルルはうっすらと目を開けた。するとそこには見慣れぬ金髪の男が。
いや、私はこの男を知っている。
でも誰だっけ?
アルルは男をぼんやりと見つめながら、記憶を遡ろうとする。けれど視界はぐにゃぐにゃと歪んでいて、頭もクラクラしていて思考はまとまらず、体中を渦巻く気持ち悪さと戦うことで精いっぱいだった。
「だ、誰ですか?」
アルルはかろうじて言葉を発した。それが今できる精いっぱいだった。
「オーウェンだよ。アンタらの敵だ。そして目の前でぐったりと倒れているコイツが、アンタのお仲間だ」
アルルは髪を乱暴に引っ張られ、頭を無理やり上げさせられた。
その時、アルルはようやく自分の体勢を知った。私の体は地面にうつ伏せに寝かされていた。金髪の男は右側にいる。そしてその男に「前を見ろ」と髪を掴まれ、顔を持ち上げられているのだ。アルルは言われるがままに視線の先を見つめる。
瞳に映るのは、木に持たれかかる、ぐったりとした様子の赤髪の……
ヨシュアさん?
「まさか…… 」
「死んじゃいねーよ。嬢ちゃんのナイトはお眠りしてるだけだ。けどまあこれで、自分の置かれている状況がちったぁ分かったか?」
私たちの置かれている状況……
危機感を感じたからか、アルルの頭はようやく回り始める。
そうだ。私に話しかけてくるこの男は、私たちを追ってきていた密売組織のリーダーだ。私はこの男に何かされたんだ。そしてヨシュアさんも……
ヨシュアは気を失っていた。背中を大木に預け、項垂れている。後ろの木には血の跡が見える事から、ヨシュアは何処から出血しているのかも。
アルルは自分さえ迷惑を掛けなければ、あるいはヨシュアがまともに魔法を使えたなら、きっとこんな最低な男に負けはしなかった、と悔しさを滲ませる。
「さあて、お譲ちゃんには明け方まで地味に待たされたからな。勝者の特権って訳で、お譲ちゃんには洗いざらい情報を吐いてもらおうと思ってる。まあ恨むなら、アンタを守り切れなかった、片腕の騎士気取りを恨むんだな。つー訳で質問だ。特別な色の魔法結晶の作り方はお前も知ってるよな? あれ、どうやって作る?」
特別な魔法結晶?
ダメだ。まだ頭がぼんやりと……
それに思い出そうとすればするほど、頭痛と吐き気が酷くなる。
その時、オーウェンがアルルを仰向けに回転させ、かと思うと、胸元のペンダントを強引に引っ張る。
「これだ。コイツのことを聞いてんだ! 知らねーわけがねーだろ!」
男の口調が強くなる。耳元で怒鳴られ、余計に頭の痛みが酷くなる。
「そ、その作り方は…… 」
言葉で繋ぎながら、アルルはもう一度記憶を辿り始める。
でも無理なものは無理だ。いくら懸命に思い出そうとしても、記憶に靄が掛かったように思い出せないのである。頭がおかしくなってしまったのではないだろうか。この男に記憶を弄られたのではないかと、そんな錯覚さえ覚えてしまう程だった。
それなのに、アルルの苦しみはオーウェンにはまるで理解してもらえない。
「話したくないなら別にそれでもいいぜ。けどな、その場合はお友達がどうなるか、よーく考えることだな」
オーウェンが低い声で脅すように言った。そして目の前でナイフをちらつかせ、そのままヨシュアの首元にナイフを押し当てる。アルルはハッと息を呑んだ。
それだけはダメだ。
「ま、待って下さい。頑張って、思い出しますから…… 」
アルルは懸命に言葉を絞り出し、オーウェンに必死になって懇願する。
「ようやくいい顔になってきたな。そうだ、敗者は勝者のご機嫌を伺うために、もっと必死になるべきだ。さて嬢ちゃん。仲間の命はアンタに掛かっている。それぐらいは分かるな?」
アルルはコクコクと頷いた。それから、このペンダントを作った時のことを思い出そうと試みる。
「えっと…… そう、普通の、透明の魔法結晶に炎を込めるんです」
「炎? 炎なら何だっていいのか?」
「いえ、違うはず。えっと…… そう、数字魔法。魔法の炎に数字魔法を掛けると、色が変わる…… 」
「数字魔法か。なるほどな。つまり魔法の炎にどの数字魔法を使うかで、色が違ってくると。そういう事だな?」
オーウェンが話を先読みして尋ねてくるので、アルルは「そうです」と力なく答えた。体の火照りは一向に収まらず、息をするのも辛かった。
「信憑性はねーが、試してみる価値はありそうだ。これでようやく死んだ二人が浮かばれるってもんだぜ」
そう言うと、オーウェンはアルルの胸元に今一度手を伸ばし、「一応コイツはもらっていくぜ」と言って、ナイフを使ってペンダントを勝手に奪ってしまう。
「さて、もうお前らに用はねーし、後はテキトーにくたばってろ」とオーウェンは立ち上がりながら言った。「あぁ、そうそう。寂しくねーように、魔物の群れを呼んでやるから安心しな」
そう言って懐から取り出すのは、笛の形をした何か。
確かその道具は”魔物寄せ”の……
耳が痛くなるような不快な音が辺りに響く。ゆっくりと、静かに朝を迎えていたはずの森が、その音に呼応するかのように、また急にざわつき始めたようだ。
去り際に「それじゃーな」と言い残し、オーウェンが足早に去っていく。残されたアルルはどうすることもできず、仰向けのまま、男の後ろ姿を見つめることしかできなかった。
その時だ。
アルルの視界を一つの影が横切った。そしてその影は、猛スピードでオーウェンに向かっていく!
その足音にオーウェンも反応した。男は振り返り、素早くナイフと蹴りで応戦するが……
その影はヨシュアだった。
目覚めたヨシュアはオーウェンに一気に接近。オーウェンが振りかざすナイフと蹴りを盾で防いでいく。
────ヨシュアさんが立ちあがった。
よかった。もう大丈夫だ。私たちはもう大丈夫なんだ。
アルルは涙ぐんでいた。安心してほっとしたからか、今まで胸の内に押し留めていたあらゆる感情が、涙となって込み上げてきた。
激しい攻防を繰り広げる二人。アルルの目には全く追えないほどである。それでもアルルは二人の戦いの行方を見守っていた。そして必ずヨシュアが勝つと信じていた。例え何が起ころうと。
突如、大きな爆発音がした。二人が爆風に包まれる。それでもアルルは不安を覚えなかった。なぜなら、爆発の瞬間、ヨシュアの盾が光っていたからだ。
予感した通り、何事も無かったかのようにヨシュアは大地を踏みしめていた。吹き飛んだのはオーウェンだけだった。それでもオーウェンは立ち上がるものの、その姿は痛ましく、右腕からは出血している。
というより────
オーウェンの右腕は爆発によって吹き飛ばされ、下半分がなくなっていた。
そう、ヨシュアと同じように、オーウェンは右腕を失ったのである。




