ナイトウォーカー
────絶叫!
ヤバイ、死ぬ。これは死ねる!
今、ヨシュアは飛び降りたことをものすごく後悔していた。何でこんなことしてしまったんだろう。
吹き付ける風圧と、落下する恐怖と、そして後先考えなかったことへの後悔。これ以上無く焦りを感じていた。
それでも……
「────光球!」
抵抗しなければ死ぬ。アルルの命を背負っている以上、それだけはダメだ。
落下していく中で、ヨシュアはかろうじて魔法を唱えて周囲を明るく照らす。そして状況を把握しようと目を見開き、周りを見渡した。
何処かに引っかけられそうなところはないか。
懸命に探し、そして見つけたその場所、自分たちのほぼ真上に向けてワイヤーを伸ばす。
「しっかり掴まってて!!」
崖とワイヤーが繋がる確かな手ごたえを感じた。ヨシュアはアルルに聞こえるように声を張り上げると、ワイヤーで落下にブレーキをかける!
ギリギリと軋むワイヤー。
左腕にもそれ相応の負荷がかかる。
途中で切れないでくれよと、ヨシュアは祈るように願った。
アルルもなんとか振り落とされまいと、ヨシュアの首筋にしがみついている。
そして────
「な、なんとか止まった?」
「そう…… みたいですね」
宙づりのまま、ヨシュアは二人の体をワイヤー一本で支えていた。地面すれすれ。間一髪、とはまさにこのこと。アルルも気の抜けた様な、乾いた笑い声が漏れ出していた。もしワイヤーが遅れていたり、距離が足りなければ、あるいは地面から突起物が伸びていたら、二人の命はなかったかもしれない。
結局、ヨシュアがワイヤーで狙ったのは、飛び降りた崖の側面であった。ポイントショットで吸着させたのだが、岩盤が脆い個所では無くて本当に良かった。もし途中で崩れていたなら、やはり二人は助からなかっただろう。
そのままするするとワイヤーを伝って地上に降り立った二人。見上げた崖は首が痛くなるほどに高く、よくここから落ちて助かったものだと、ヨシュアは他人ごとのように思った。
同じように上を見上げていたアルルが言う。
「何も見えなくて良かったです。もし明るかったら、とてもじゃないですけど飛び降りる勇気が出なかったですもの」
「確かに。もう一度飛び降りてくれって、いくら金積まれても絶対に嫌だ」
「あはは、同感です」
もうこんな怖い想いはこりごりです、とアルルは苦笑いだ。
「このままもうしばらく走って逃げるから、またしっかり掴まってて」
「まだ慌てて逃げる必要が有るんですか?」
「オーウェンたちがこのまま諦めるとも思えない。だからなるべく遠くへ逃げたいと思うんだ」
「…… 分かりました。ヨシュアさんがそう言うなら、振り落とされないように掴まっておきます。でも、しんどくなったらいつでも降ろしてくださいね!」
気遣いの言葉に「ありがとう」と返し、ヨシュアはアルルを背負ったまま、また南西の方角へ向けて走り出す。疲れてはいるが、悪意を持った敵が近くにいないと言うだけで随分と心が軽い。
とはいえ、此処は魔物がひしめく異界の地。気を引き締めて進まないと。
そのまま十分、二十分と走ったところでヨシュアも流石に疲れを感じ、一度立ち止まってアルルを降ろす。それから川で汲んだ水筒の水を一口飲んで、また歩き始める。
「大丈夫ですか? 汗も凄いようですけど…… 少し休憩しませんか?」
「疲れてるけど大丈夫。立ち止まると何に狙われるか分からないし、今は少しでも前に進もう」
心配そうな顔をするアルル。そんな彼女に明るく笑って欲しくて、ヨシュアは励ます言葉を探してみるものの、この状況では特に何も浮かばなかった。今は何を言っても気休めにしかならない気がしたからだ。
「あっ、蝶だ」
そこへ、一羽の蝶がひらひらと舞い込んだ。
羽根は蛍光色の緑。暗闇でも独りでにぼんやりと光る羽根を持った蝶が、木の陰からふらりと現れたかと思うと、ヨシュアの鼻先をかすめるように飛んできた。
「…… えっ、あっ、ダメ、ヨシュアさん!」
ダメって、何が?
戸惑っていると、アルルに引っ張られ口を塞がれた。
そのままアルルに抱えられながら、ヨシュアたちはその蝶が飛び去るのを目で追った。静かな夜、アルルと身を寄せ合いながら、時が止まったような、そんな奇妙な感覚を覚えた。
「あの、アルル?」
「体に異変はありませんか!? 何かおかしな感覚はありませんか!?」
アルルはヨシュアを揺さぶり尋ねる。いつになく真剣な表情である。
「おかしな? えっと…… 」
当然ながら怪我はしていない。体調も悪く無いように思う。いつもより鼓動が速いのは、アルルと身を寄せ合っていたから。もちろん、そんなことは何も問題ではない。
そう思っていたら、光球が一つ、また一つと消えた。
おかしいなと思いつつ、ヨシュアはまた光球で周りを照らそうとするも、何故かうまく魔法が発動できない。ヨシュアは急に不安になった。
「もしかして、アルルが心配してくれたのって、これ?」
「そうです。私も本でしか見たことがなかったのですが、たぶんあの蝶々は『魔を封じる美しき蝶』といって、目に見えない鱗粉をまき散らし、吸ったものの体内の魔力操作を一時的に狂わせて魔法を使えなくさせてしまうんです。気付くのが遅れてごめんなさい」
「アルルのせいじゃないよ。それに、魔法が使えないのは一時的なんだよね? それなら、たぶん少ししか鱗粉も吸って無いだろうし、そのうち元に戻るはず。そんな心配ないよ」
「怖くは無いのですか?」
問いかけられ、少しばかり言葉に詰まった。
怖くないと言えば、それは嘘になる。この魔の島で魔法が使えないということは、裸で魔物と対峙するようなもの。得意の<衝撃吸収>すらも使えないのだ。
答えを迷っていると、アルルが意を決したように言った。
「あの、私頑張ります。此処までずっと頼りっぱなしでしたし、あまりお役に立ててなかったですけど、此処からは私が頑張りますから、その…… 頼りないかもしれないですけど、今までのことを考えたら信じてくださいともとても言えないですけど、あの…… 」
と、途中で自信が無くなってきたのか、急にしりすぼみになるアルル。
でも、気持ちは物凄く伝わってきた。
「そっか。なら、何も心配ないね」
ヨシュアは明るく笑った。不安はひとまず置いておこうと思う。
「頼ってもいい?」
「はい、勿論です!」
アルルも笑った。今はそれだけでいい。魔法が使えないことはとても怖い事だけれど、だからって今はどうしようもできない。それなら笑いあってる方がいい。特に根拠も無いけど。
ヨシュアとアルルは手を繋ぎ合った。それもごく自然に。そして再び森の中を歩き出す。行く先はアルルが光球で照らしてくれている。その光は明るくて、暖かくて、何より優しさに溢れていた。




