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Act0-87 シリウス

「……本当にいいんだな?」


 意味はないかもしれないけれど、問いかけた。


 ナイトメアウルフは、もう覚悟を決めてしまっている。


 子供のために、死のうとしている。


 みずからの命を捨てて、子供を生かそうとしている。


 悪く言えば、自分勝手。


 子供のためにという、お題目はあったとしても、子育てを放棄し、俺に押し付けようとしていることには変わりない。


 実際はそんな無責任なことをしているわけじゃないけれど、言葉尻だけを捉えれば、そういうことだった。


 ほんのわずかにだけ、腹が立っていた。


 このナイトメアウルフは、俺の親父と似ている。


 妻はおらず、ひとりっきりで子どもを育てなければならなくなった。


 親父は自分で育てることを決めた。


 ナイトメアウルフは、自分の命を金に換えて、子供を託すと決めた。


 親父の背中を見てきたからこそ、じいちゃんやおばあちゃんに手伝ってもらいながらも、俺たち兄妹を必死に育てあげてくれた背中を見てきたからこそ、ナイトメアウルフの選択が無責任なものに思えてならなかった。


 その妻を殺したのは俺だ。


 そんな俺が思っていること自体が、身勝手なものだってことはわかっている。そう、わかっている。


 こいつがどんな想いで、自分の命を投げ捨てることにしたのか。想像することしかできない


 自分の子供を他人に託すことしかできない、その気持ちがどんなに辛いことなのかも想像しかできない。


 だから俺が勝手に騒ぐのは、俺がこいつを悪く思うのは、お門違いだってこともわかっていた。それでも言わずにはいられなかった。


「……あんたの奥さんの素材だけで、請け負ってもいいんだぜ? あんたとその子を、俺の使い魔ってことにして、あんた自身でその子を育てるのだって」


「いいのだ、カレン。もう決めている。我はここで死のう。いや死なねばならぬ」


 ナイトメアウルフは、頑なに生きることを拒んでいた。


 まるで責任を取るために、腹を切ろうとしているように見える。


 時代劇で見る切腹のようなものなのかもしれない。


 武人というよりも、武士と言った方がいいのかもしれない。


 ナイトメアウルフの高潔さは、そう思わせてくれるものだった。


「……責任を取ろうとしているのか?」


「ああ。もともとはこの子を育てるために、群れを率いて移動していたのだ。ここの森で配下のダークネスウルフやブラックウルフが何頭か犠牲になることがあった。進化した個体である彼らでさえ、死ぬような場所だった。そんな場所では、満足にこの子を育てられるかもわからぬ。もう少し安全な場所で育てようと思い、移動していたんだ。そうしたら、配下の、死んだダークネスウルフの臭いがした。それどころか、ブラックウルフたちの臭いもしていた。ブラックウルフたちの方が近かったので、向かってみれば、何人もの人間が死んでいた。そいつらから、ブラックウルフたちの臭いがしていた。そやつらの死体は、死んだブラックウルフたちの家族に仇として喰わせたよ。次はダークネスウルフの臭いを追った。そうして向かった先に、貴様と貴様の友がいた。死んだダークネスウルフは、我の友であった。その友の臭いが貴様からしていた。頭に血が上り、殺せと命じていた。仇を討ちたいのであれば、我みずからが戦えばよかった。そうすれば、犠牲は我だけで済んだ。この子以外のすべてが死ぬことにはならなかった」


 ナイトメアウルフの言葉に、なにも言えなくなってしまった。


 すべては俺があのダークネスウルフを「討伐」したことがきっかけになったんだ。


 ブラックウルフのことに関しては、わからないが、たぶん、あの盗賊たちのことだと思う。


 もしあのダークネスウルフを俺が「討伐」しなければ、モーレが死ぬことはなかったんじゃないか。


 俺が金目当てに「討伐」したばかりに、金では買うことができないものを、失ってしまった。


 怒りが萎えていく。


 ナイトメアウルフに対する怒りは、もうない。


 代わりに浅慮だった俺自身への怒りが芽生えていく。


 だけど、どんなに俺自身に怒りを向けても、モーレが生き返るわけじゃない。


 それに俺が「討伐」しなくても、あのダークネスウルフの「討伐」依頼は、誰かがやっていたはずだ。


 その誰かがソロの冒険者であればいい。


 けれどソロの冒険者なんて、そうそういない。


 基本的にはクランごとに受ける。それも「討伐」依頼であれば、Cランクのダークネスウルフであればなおさらだ。


 今回は、俺というソロの冒険者だったから、狙いは俺だけで済んだ。


 けれどクランであれば、最低でも四人が標的になる。


 そしてそのクランが、護衛依頼なんて受けていたら。


 その依頼の途中にこの群れが出くわしていたら。


 被害はもっと多かった。


 クランどころか、護衛対象さえも死んでいたはずだ。


 今回、死んだのはモーレだけ。


 単純な数だけで言えば、俺が受けたのが最良だった。


 犠牲はモーレだけだったのだから。


 だけど、話はそう簡単じゃない。


 数の上では、正しいのかもしれない。


 最良だったのかもしれない。


 けれど俺の腕の中には、命を失った人がたしかにいるんだ。


 命の重さは、計り知れない。


 それでも複数よりもひとりの方が軽いことはたしかだ。


 たしかだけど、モーレを目の前で喪ったことには変わりない。


 なら、モーレが死なず、他の誰かが死ねばよかった、とは言う気もない。


 俺でもなんて言えばいいのか、わからなかった。どうしたらいいのか、もうわからなくなってしまった。


 一を捨てて十を取る。


 一も十も救う方法なんてないんだ。


 大きな決断のときに、突きつけられるのは、いつもそれだ。


 一を助けるために、十に背を向けるか。


 十を救うために、一を切り捨てるか。


 その判断は、そのときどきによって変わるかもしれない。


 でも大局的に見れば、十を救わなければならない。


 失われる一を見捨てなければならない。


 漫画やゲームのように、一も十もすべてを守り切ることなんてできない。


 そうしようとしても、きっとどこかでひずみが生れ、それ以上の決断をさせられることになるんだ。


 わかっている。


 俺が「討伐」を受けたことが、最良だったってことは。


 そして俺がモーレを守り切れればよかったってことは。なにもかもわかっている。


 ナイトメアウルフの行動が悪かったわけじゃない。


 友達の仇を討とうとした。


 それは決して間違いじゃない。


 だって間違いだと言ったら、俺がナイトメアウルフの奥さんを手にかけたことも、間違いだったってことになってしまう。


 モーレの仇を討ったことが間違いだったってことになる。


 だからなのかもしれない。ナイトメアウルフから、殺意がなくなっているのは。


 ナイトメアウルフは、自身の友人を殺された恨みを、モーレを、俺の友達を殺すことで晴らした。


 友人を失った悲しみを、俺に植え付けた。


 だが、俺はその恨みをナイトメアウルフの奥さんを殺すことで晴らした。


 その恨みを晴らしたくても、ナイトメアウルフには俺を殺す手段がない。


 その恨みを晴らす代わりに、俺に自分の子供を育てろと頼んできた。


 お互いに一回ずつ復讐を果たした以上、これ以上の復讐は意味がないと言っているようなものなのだろう。


 もしくは、この子供の狼が成長して俺の喉笛を噛みちぎるように促すつもりなのかもしれない。


 標的の身内として潜り込ませること。


 一番成功率が高く、なによりも相手に精神的なダメージを負わせられるやり方だった。


「……将来的に、この子に俺を殺させるのか?」


「貴様次第だ、カレン。この子が貴様を主と認めるか。それともこの子が我と妻の仇を討つのが先か。そういう勝負になるさ」


 喉の奥を鳴らして、ナイトメアウルフが笑った。


 してやったり、という風に見えるけれど、実際はただの強がりだろう。


 ナイトメアウルフはもうわかっているのかもしれない。


 自身が言った勝負が成り立たないってことを。


 足元を見やる。


 子供の狼が俺の脚に体を摺り寄せている。


 油断させようとしているわけじゃない。


 だって尻尾がはちきれんばかりに振っている。


 そんな我が子の姿にナイトメアウルフは、苦笑いしていた。


「やれやれ、これでは勝負にもならぬか。まぁ、よい。我としては、その子が立派に育ってくれればいいのだ。復讐を果たすかどうかは、その子自身が考えればいい」


 ナイトメアウルフは、そう言ってまぶたを閉じた。


 これで役目は終わったと言うことなのかもしれない。


 ナイトメアウルフとしては、もう言うことはなにもないのだろう。だが、俺はそれじゃ納得できない。


「名前をつけるよ」


「ほう?」


「だから、その名前でこの子を呼んでやってくれ。あんたに対する、せめてのもの手向けだ」


「……感謝する、カレン」


 ナイトメアウルフは、閉じていたまぶたを開いた。


 目の端が濡れ光っているように見える。


 それをあえて見ないようにして、足元の子供の狼を見やる。


 白と黒の斑模様の毛並みに合わせているのか、瞳の色は薄いグレーだった。


 白と黒が合わさった色。光と闇を合わせ持つ子。相応しい名前はひとつだけあった。


 それは夜空に浮かぶ無数の星々の中で、もっとも明るい星。プロキオン、ベテルギウスに並ぶ冬の大三角の一角にして、天狼と呼ばれる星。その名前は──。


「シリウス。この子はシリウスだ」


 子供の狼、いや、シリウスを見つめる。


 シリウスは自分が呼ばれていることがわかっていないのか、不思議そうな顔をしている。


 生まれたばかりっていうのは、どうやら本当のようだった。


 ただシリウス本人とは違い、ナイトメアウルフは、満足げに笑っていた。


「シリウス、か。よい名だ」


 ナイトメアウルフは、その名前を何度か口にすると、シリウスにと目を向ける。


「我が子、シリウスよ。父と母の仇を討つのも、カレンを生涯の主とするも、貴様次第だ。好きにせよ。ただひとつだけ言おう。己が誇りを見失うな。その誇りをみずから穢すとき、その誇りは見失うことになる。ゆえに穢すな。誇り高く生きよ。父も母も母神のもとで、そなたを見つめていよう」


 ナイトメアウルフはそう言ってまぶたを閉じると、あとは任せる、とだけ言った。


「……シリウス。目を閉じていろ」


 シリウスに言う。


 けれど、シリウスは目を閉じない。


 じっと父親を見つめている。本来なら抱きしめて、見せないようにするべきなのだろう。


 でも、モーレを抱いているいま、この子を抱き締めることはできない。


 だからと言って、父親を殺すところを見せるわけには──。


「よいのだ、カレン。シリウスよ。父の最期、見つめていよ。その目に、その心に、父の最期を焼き付けよ」


 ナイトメアウルフがそう言って立ち上がった。


 座ったまま死ぬつもりはないのか。


 父親として偉大な姿を見せてあげたいのか。その心意気を俺は買ってあげることしかできない。


「じゃあな、ナイトメアウルフ」


「さらばだ、我が友カレン」


 モーレを抱きかかえたまま、跳び上がる。


 右足に天属性を付与させ、ナイトメアウルフの首筋に向けて振り下ろした。


「天刃脚」の亜種。「天斬脚」と呼ぶべき一撃を放った。


 ナイトメアウルフの首が飛んだ。


 血が舞った。


 ナイトメアウルフの体は首を失っても立ち続けていた。


 着地し、首が地面に落ちてもなお、ナイトメアウルフは立ち続けていた。


 シリウスは涙を流しながら、父親の亡骸を見つめている。


 一瞬たりとも目を逸らさない。その姿から、そんなシリウスの気持ちが伝わってくるようだった。


「シリウス。俺が憎ければ、いつでも殺せ。おまえであれば、俺は殺されてもいい。けれどまだ死ねない。おまえの父さんと母さんの命を、俺は背負っていく。その命を無駄にしないために、俺が目標を達して、もとの世界に戻るまで、俺は死ねない。だから、殺したくなったら、いつでも殺しに来てもいいけれど、できれば、それまでは待っていてくれないか」


 シリウスは父親を見つめている。


 俺を見ようとしない。


 だが、小さく鳴いた。


 それが了承を意味しているのかどうかはわからない。


 だが俺はそれを了承と受け取った。


 シリウスから目を逸らし、ナイトメアウルフを見やる。ナイトメアウルフは、まだ立ち続けていた。死んでも立ち続けている。


「……おまえの父さん、すごいな。カッコよすぎるぜ。おまえもああいう狼になれよ、シリウス」


 シリウスは小さく吼えると、いきなり天を仰いで遠吠えを始めた。


 小さな体なのに、まるで大人のように吼え続けている。


 その遠吠えに呼応するかのように、雨が降り始めた。


 雨に当たっても、ナイトメアウルフは、立ち続けている。なにがあっても倒れない。そんな意思をその姿からは感じ取れた。


「見事だよ、ナイトメアウルフ」


 倒れることなく、立ち続けるナイトメアウルフを見つめながら口にした言葉は、雨とシリウスの遠吠えに掻き消されてしまう。


 雨は血と涙を洗い流していく。


 ナイトメアウルフの返り血を、シリウスが流す涙を、雨は洗い流していく。


 すべてを洗い流す雨を浴びながらも、ナイトメアウルフは立ち続ける。


 その誇りを穢すことなく、立ち続ける。


 そんな亡骸のそばに落ちた首は、笑っていた。その一生を誇るようにして、笑っているように俺には思えた。

明日の更新は十六時です。

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