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Act0-84 ナイトメアウルフからの依頼

 蹴りと牙が交差する。


 お互いの攻撃による風が、お互いの肌を打っていた。


 でか犬は強い。いままで対峙した魔物で最強だった。


 むろん、対峙していないのであれば、見たことがあるという意味であれば、ゴンさんたちの方が確実に格上だろう。


 だが、こうして戦ったという意味であれば、でか犬が最強だった。


 ダークネスウルフであれば、もう十頭分は優に「討伐」できる攻撃を放っていた。


 それでも、目の前にいる一頭のでか犬──オスのナイトメアウルフを「討伐」できないでいる。


 この世界で最強になったと思っていたわけじゃない。



 だけど、それなりの強さはあると思っていた。


 天の力を使えるようになってからは、それこそAランクの魔物でも、「討伐」できるんじゃないかっていう自負はあった。


 でも、その天の力をこうして使っているのにも拘わらず、Bランクの魔物を「討伐」できないでいる。


 つまり俺はまだAランク相当の実力者ってわけではないということだ。だが、Bランクの魔物とこうして真っ向勝負ができるくらいには強いということはわかった。


 たぶん、冒険者としての強さはBランクくらいになるのだろう。


 まだ実績がないから、Bランクに昇格できるわけではないけれど、少なくとも強さはBランクくらいあると思う。


 もっともBランクの魔物とタイマンできることが、Bランク冒険者の資格というわけではないだろうけれど。だけどBランクの魔物とタイマンが張れるくらいには強いという示唆にはなるはずだ。


 いまのこの戦いをククルさんに見てもらえていたら、Bランクに昇格させてもらえるかな、と一瞬考えてしまう。が、すぐにそんな余裕は消えた。


 でか犬が、俺が放ったミドルキックを避けると、そのまま突っ込んできたからだ。


 普段であれば、跳んでよけたのだろうけれど、余計なことを考えてしまっていたから、反応が少し遅れてしまう。


 しまった、と思ったときには、でか犬がネコパンチを放っていた。


 避けられない。


 どう考えても間に合わない。余計なことを考えたばかりに。そう思えども、もう後の祭りだった。


 当たれば、それで均衡が崩れる。立て直しをさせてくれる暇は、きっとでか犬は与えてくれないだろう。つまりは、直撃を受ければ、俺の負けが確定するということだ。


 こんなところで負けられなかった。


 しかしどうすればいいのか。時間はない。あるわけがなかった。こうして思考している暇があれば、対処するべきなのに、俺の頭は対処ではなく、こうなってしまった原因を悔やんでばかりしていた。


 意味がない。そう思うのに、その意味のないことをしている。


 なにをしているんだろう、と自分でも思う。


 だけど、どうしてか対処法を考えることができなかった。


 ここまでなのか。俺はこんなところで終わってしまうのか。


 嫌だ。


 たとえ負ける相手が、でか犬であったとしても。こんなところで死ぬわけにはいかなかった。いや死にたくない。こんなところで俺は死ぬわけにはいかない。


 目を凝らしながら、でか犬を見つめる。


 すでにでか犬の爪が肉薄していた。ここから避けるのは難しい。かと言って、ここまで近づかれてしまっていたら、攻撃を潰すことも難しい。


 万事休すか。そう思い、来る衝撃に、少しでも耐えようと思っていた。


 だが、なぜかいつまで経っても衝撃は訪れない。


 見れば、でか犬は止まっていた。


 いや正確には、少しずつだが、動いてはいた。


 それまでのように、すさまじい速さで動いていなかった。いまの動きは、スローモーションっていうレベルじゃなかった。ワンフレームごとにミリ単位で動いているようにしか思えない。


 なんでまた急にそんなわけのわからない動きをしているのだろうか。


 バカにされているのかと一瞬思ったけれど、そんな動きができる生物なんているわけがなかった。


 そもそもでか犬は地に足を着けていない。脚が地面から離れていた。脚を地面から離しながら突っ込んできている。魔物とはいえ、物理法則を無視することはできないはずだ。


 なのに、でか犬は物理法則を無視した動きをしている。そんな動きができるのであれば、最初から使っているはずだ。それもこんなゆっくりとした動きではなく、目にも止まらない速さで動けていたはずだ。


 だが、いまでか犬はとてもゆっくりと動いている。いやきっとゆっくりとは動いていないのだろう。単純に俺の目がそういう風に見せているというだけなんだと思う。


 メスのナイトメアウルフを「討伐」したときも、なぜかとてもゆっくりと動いているように見えた。いまはあのとき以上にゆっくりと見えている。


 あのときでさえ、時間という枠組みから外れたように思えていたのに、いまは外れたどころか、その時間を俺が操っているようにさえ感じられた。


 実際は違うのだろうけれど、少なくとも、そういう風に感じていることだけは、たしかだった。


「これなら」


 理由はなんにせよ、これなら避けられる。


 でか犬の爪を受け流すようにして、くるりと回転する。


 その回転の勢いを乗せて、がら空きの後頭部へと渾身のソバットを放った。


 これで終わる。そう思ったけれど、なぜかソバットを放った脚は、天属性の力を付与していなかった。


 なんでと思ったが、付与させる間もなく、脚に強かな衝撃が走る。


 でか犬が弾き飛ばされるようにして、地面を転がっていく。


 時間の経過がもとに戻っていた。


 でか犬は驚愕とした風に、俺を見つめている。


 ベルセリオスさんも仮面越しでもわかるほどに驚いていた。


 一番驚いているのは、でか犬でも、ベルセリオスさんでもなく、俺自身だけど、余計なことを考えている余裕などなかった。


 距離が開いてしまった。


 幻覚を使われる可能性がある。そうならないために、距離を詰めておきたかった。


 地面を蹴る。と同時にでか犬の雰囲気が変わった。でか犬が目を細めていく。


 間に合わないか。


 舌打ちをしながらも、幻覚を見せられないように、必死に間合いを詰めていく。


 だが、それよりもでか犬が幻覚を見せる方が早い。そう思っていた。


 だが、またでか犬の動きが止まった。


 目を細めていく速度が一気に落ちた。


 いや止めたのだろう。俺自身が、あいつの動きを止めてしまっているのだろう。


 ロードローラーを投げつけてくる、金色のラスボス様になった気分だ。


 だが喜んでいる余裕はない。


 あの作品だと、時を止めていられるのは、せいぜい十秒程度。


 いまどれほど時間が経っているのかはわからないけれど、早めに動くことに越したことはない。


 でか犬との間に開いた距離を詰めて、またソバットを放つ。


 かかと落としでもよかったけれど、下手をすればあいつの目を見てしまう可能性があった。なら弾き飛ばせるソバットの方がいい。


 そうして放ったソバットはでか犬の顏に直撃した。


 しかし天属性を付与していなかった。素の力でのソバットが直撃する。


 手ごたえはあるが、倒せたというほどではなかった。でか犬の体が、地面を転がっていく。


 さっきまではまるで違う展開だった。


 時を操ることで、でか犬を凌駕できるようになっていた。


 どうして時間を操れるのかは、さっぱりわからないけれど、これなら、このまま押し通せそうだった。このまま倒しきる。そう思い、地面を蹴ろうとした、そのとき。


「……やるじゃないか、人間の娘」


 不意に声が聞こえた。聞いたことのない声だ。


 思わず、脚を止める。


 でか犬から、視線を外さないまま、周囲を見回す。けれど誰もいない。ベルセリオスさんくらいしかいなかった。いまの声はいったい。


「どこを見ている? 貴様の正面にいるであろうに」


 正面にいる。だが、正面にいるのは、でか犬だけだった。それ以外に誰もいない。


 でか犬の背後をじっと見つめるも、やはり人はいないようだった。


「……我の後ろに誰かいるのか?」


 でか犬が後ろを向く。が、すぐに顔を戻し、首を傾げた。


「誰もおらぬぞ? 娘」


 でか犬が言った。不思議そうに首を傾げる。


 オーケイ。ちょっと待とうか。


 もしかして、さっきから聞こえてくる声は、こいつの声なのか。


 いやいや、まさか魔物が人の言葉を話せるわけがないじゃないか。


 うんうん、そんなわけが。って待てよ、ゴンさんにキーやん、コアルスさんも一応魔物に属するよな。あの人たちが話せるのであれば、こいつも話せてもおかしくはない、のかな。


「……おまえが話しているのか? でか犬」


「その呼び名は、好ましくはないが、その通りだ」


 でか犬が頷いた。マジか。知能が高いとは思っていたけれど、人の言葉を話せるとは。いや、ゴンさんたちという前例はいたけれど、あの人たちはまだ「ロード」だから話せるのだと思っていた。


 でも、どうも「ロード」だけではなく、普通の魔物でも言葉を話すことができるようだった。が、一応確認はしておきたかった。


「あんたも、「ロード」なのか?」


「違う。我はナイトメアウルフだ。まだな」


「まだ?」


「知りたくば、自分で調べるがいい。この戦いは我の負けなのだ。我を狩ったあとに、調べるがいいさ」


 でか犬、いや、ナイトメアウルフは諦観したかのように、そう言った。

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