Act0-54 湯あみにて
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お湯を頭から浴びせられた。
お湯をかけられるたびに、赤黒い湯が地面に溜まっていく。
見ようによっては、赤黒い湯は、きれいに見えた。でも口にすると、精神を疑われそうな気がした。実際これを見て、きれいだと言ったら、精神的に異常をきたしていると思われる。
「……服だけではなく、全身に血がこびりついていますね。これは、そう簡単には落ちませんね。臭いもですが」
やれやれ、とため息混じりに、ギルドマスターが言う。いま俺がいるのは、ギルド内にある浴場だった。浴場とは言うものの、実際のところは、ギルドマスター専用の風呂場だった。しかし専用の風呂場なのに、その広さは、まさに浴場と言っても差し支えない。銭湯の男湯と女湯の仕切りを失くして、ひとつにしたくらいだろうか。
ギルド内のどこにこんな場所があったのかと招かれたときは、驚いたものだった。
「すみません、ギルドマスター」
「構いませんよ。ちょうど私もひと汗を流したいところでしたからね」
ギルドマスターは後ろから、何度も掛け湯をしてくれていた。掛け湯にしては、勢いよく頭からお湯を浴びさせてくれているが、実際それで血が落ちていくのだから、問題はない。それに久々の風呂だった。風呂の醍醐味と言えば、思いっきり掛け湯することだろう。湯が熱ければ、熱いほどなおよし。
「それにしても、中身は男性のようでも、やはり女性ではあるのですね、あなたは」
何気ない口調で、ギルドマスターが俺の背中に指を這わせた。思わず、変な声が出てしまう。女の子っぽい声だ。誰だ、こんなかわいらしい声を上げるような奴は。って俺か。自分でかわいらしいとか思ってしまうとは、なんたる不覚。かわいいと言われるのが、大嫌いなくせして、変な声をあげたら、かわいいと思うとは。これでは、佐藤のばあちゃんに会ったら、もうなにも言えなくなってしまうじゃないか。
「な、なにをするんですか!?」
いきなり変なことをしてきたギルドマスターに抗議するべく、振り返る。ギルドマスターは、意に介していないようで、おかしそうに笑っていた。すごく大人っぽい笑顔だ。加えて、なんかこう、身の危険を感じる。主に性的な意味で。いや、主にもなにも、この状況では、性的な意味でしかないか。ああ、どうしてだろう、いつもの俺らしくない。
やはり状況が、ギルドマスターと、なぜか裸の付き合いをすることになってしまっているのが、まずいのだろうか。そもそもなんでこうなったのかは、俺自身よくわからない。
モーレを抱きかかえて、森の入り口までに戻ったら、そこにはギルドマスターが馬車とともに待ち受け入ていた。どうしてこんなところに思っていると、ギルドマスターは、俺に馬車に乗るように言った。全身が血まみれになっていたから、馬車に乗ることは憚れたのだけど、そんな恰好では、街の中に入ることさえできないと言われた。仮に血を洗い流すにしても、そんな姿では、川の血が真っ赤に染まってしまうから、やめてくれと言われた。
血を川で洗い流すことができない以上、ギルドマスターの指示に従うしかなかった。そうして俺とモーレはギルドマスターの馬車に乗り込み、首都「エンヴィー」に戻った。だがその間、モーレが目を醒ますことはなかった。
ギルドに着いても、モーレは気絶したままだった。俺があの盗賊連中を手に掛けている際に、いつのまにか気を失ってしまっていた。俺自身、最中のことをいまいち憶えていない。気づいたら、モーレに圧し掛かろうとしていたおっさんだけになっていた。そのおっさんを殺したことは、はっきりと憶えている。加えるのであれば、最初に立ちはだかった誰かを殺したこともだ。
それ以外の殺人は、まったく憶えていない。シリアルキラーと言われても、否定できないほどに、俺は人を殺していた。
友達がそんな惨劇の真っただ中にいれば、気を失うのは当然だろう。それはこの世界だけではなく、地球でも同じだ。もっともいまのいままで、俺はそんな惨劇の真っただ中にいたことも、見たこともなかった。が、今回初めて俺はその惨劇の真っただ中にいた。初めて人を殺した。
地球とは違い、この異世界において、殺人というもののハードルは、それほど高くはない。地球でも、日本以外、特に紛争地域なんかじゃ、殺人のハードルなんて低いものだろう。
しかしその紛争地域よりも、この異世界でのハードルは、より低いように感じられる。無理もない。紛争地域以上に、この世界では、ひとりひとりの命が軽く扱われている。地球でもここまで人命が軽く扱われる地域はないはずだ。
だがそのないことが、この世界ではまかり通ってしまう。それを俺は、盗賊たち全員を始末したことで、はっきりと理解した。
なにせ血まみれで帰ってきた俺を見て、みんな褒めてくれた。よく盗賊を始末したな、とか。無事でよかったとか。人命をよしとするような言葉はなにひとつかけられなかった。その時点で、この世界では、人命はとても軽く扱われていると言われているようなものだった。
モーレは、モーレの両親と一緒に、ギルドの一室に通された。モーレが目を醒まさなかったことが原因だったのだろうけれど、ギルドマスターは、どうにもモーレたちを帰したくなかったようだ。たぶん、事情を聴きたかったというところなのかもしれないが、モーレたち家族に対してのギルドマスターの姿勢は、どこか不審さを感じさせる。けれど俺個人がなにかを言ったところで、意味はなかった。
それにギルドマスターには、いろいろと世話を受けている。その恩を仇で返すわけにはいかなかった。職員のお兄さんに連れられて、ギルドの一室へと連れて行かれたモーレたちに、俺はなんの言葉も掛けられなかった。
その後、俺は血生臭いという理由で、ギルドマスターにこの浴場に連れてこられた。そこまではまだいい。が、なぜギルドマスターも一緒に、浴場内にいるのかがわからない。しかも一糸まとわぬ姿でだった。
どうやらこの世界では、タオルを巻くという習慣がないようだ。バスタオル(のようなもの)はあるけれど、体には巻かないようだ。
風呂に入る以上、体を洗うのは当然だから、タオルを巻かないというのはわかる。わかるが、まだ体を洗ってもいないのに、一糸まとわぬ姿っていうのはどうかと思う。
それも脱衣場のときから、この人はなにも巻かずに、服を脱いでいた。服を脱ぐのはいい。だが、せめて隠すことくらいはしそうなものなのだけど、やはりあれだろうか、女性も、歳を重ねると徐々に羞恥心がなくなっていくというあれなのか。
そういえば、おばあちゃんもそうだった。普段は、女の子らしく振る舞えとか言うくせに、ふたりで銭湯に行くときは、タオルで肌を隠すことなんてしていなかった。平然と服を脱いでいたのが、とても印象的だった。ギルドマスターは、あの頃のおばあちゃんよりも、ご年配だから──。
「いま失礼なことを考えませんでしたか?」
服を脱ぎ終わったギルドマスターに思いっきり睨まれた。ぶるりと体を震わせながら、俺は必死に首を振った。ギルドマスターは、ため息混じりに、そうですか、と言い残して、俺を置いて風呂場へと入ると、さっさとあなたも入って来なさい、と言われた。
状況について行けていなかったが、言われるがままに、俺は服を脱ぎ、近くにあったバスタオルで体を隠しながら、風呂場へ入った。そうして気づいたときには、ギルドマスターに掛け湯をしてもらいながら、体を洗ってもらっているという、よくわからない状況に陥っていた。
うん、振り返ってみても、状況がうまく呑み込めない。加えて、現状は貞操の危機だった。なんでこんな雰囲気になってしまったのだろう。まったく理解できない。まさか、異世界で食われそうになるとは。正直怖い。地球でもそんな状況になったことはないが、まさかこの世界でこんなことになるなんて、誰が思うだろうか。
しかしまさかギルドマスターの趣味が、俺のようなちんちくりんとは思ってもいなかった。
いやいや、ギルドマスターは、エンヴィーさんを、いろんな意味で慕っているのだから、俺みたいなちんちくりんには、興味ないはずだ。うん、だから安全。そう安全のはずなのに、なんでもこうも安心できないのだろうか。もしやここは虎口なのだろうか。いつのまに、そんな危険地帯に飛び込んでしまったのだろう。だらだらと冷や汗を流しながら、ギルドマスターを見やる。
「なんですか? さっきから私のことをちらちらと見て? もしかして、私に欲情でもしているんですか? この色ガキ。同性相手に欲情するなんて、生きている価値もありませんね。死んでください」
あんたに言われたくねえよ。口から出そうになった言葉を、どうにか抑え込む。初対面の際に、エンヴィーさんの紹介状に頬ずりしながら、メス顔を晒していたのはどこのどなたですか、と言いたくなるのをぐっと堪えた。
本当にもう少しで言いそうになったが、どうにか堪えることができた。その分、少し緊張が解けたように思える。もしかしたら、ギルドマスターは、わざとこういうことを言ったのかもしれない。それくらい平然とやりそうなのが、この人のすごいところだった。
「ありがとう、ございます」
「……なんに対してのお礼なのか、見当もつきませんね。が、一応言っておきましょうか。気にしなくてもいいです。こう見えても、あなたよりも十倍は長く生きていますからね。この歳まで生きると、いろいろと見ていますし、してもいますからね」
「……その傷も、ですか?」
服を脱いでいたときには気づかなかったけれど、ギルドマスターの右腕には、手首から肘あたりにまでに、大きな傷があった。鋭利な刃物に切り裂かれたような傷だ。かなり深そうに見えるけれど、ギルドマスターは、平然と右手を動かしている。これといった後遺症もない傷なのだろう。それにしては、ずいぶんと大きな傷ではあるけれど、後遺症が残らなかったのは、奇跡的なことなのかもしれない。
「……これは、百年前、現役だった頃に、やらかした傷です。私もまだ五十歳を過ぎたばかりの、子供でした。当時は仲間と一緒になって、いろいろとやったものです。当時のギルドマスターや、お姉さまにはいろいろとお世話になっていましたよ」
「いまの俺みたいですね。まぁ、俺には仲間はいないですけど」
なんとなく想像できた。ギルドマスターの見た目は、いまとさほど変わらないのだろうし、五十歳が子供というのはどうかとは思うけれど、少なくとも、いまみたいに落ち着いてはいなかったのだろう。やんちゃして回るギルドマスターなんて、いまのギルドマスターからは想像もできないけれど。
「そうですね。ちょうどいまのあなたと冒険者ランクも同じでDでした。仲間と連携すれば、Cランク相当と言われていました。だからでしょうね。少し増長していた。その結果が、この傷と仲間を失うということになってしまいましたが」
「じゃあ、そのお仲間さんたちは」
「ワイバーンのお腹の中ですね。仲間はみんなエルフ系の種族で、私が一番年下だったから、みんな私を庇ってくれました。おかげで私だけが生き残った。当時の私は、エルフ系の種族のくせして、付与魔法ばかり得意で、ひとりで前衛を担当していました。クランがCランク相当と言われているのは、私が強いからだと、そんなバカな勘違いをしていた報いなんでしょうかね」
ワイバーンに食われた。Cランク相当のクラン。百年前。ひとりだけ生き残った。それらひとつひとつは、どこにでもありそうな内容ではある。だが、すべて含まれると導き出される答えはひとつだけあった。
「もしかして、個人依頼を調査するようになった原因のクランの生き残りって」
「……ええ。私のことですよ。いまのあなたのように、無茶ばかりして、みんなに迷惑や心配をかけているのに、まるで気づかなかった。いや気づこうともしなかった。目標ばかりを見据えて、足元を見ていなかった。その結果、みんなを死なせてしまったのですよ」
ギルドマスターに表情はなかった。けれど目はいまにも泣きだしてしまいそうなほどに、悲しみを帯びていた。
「目標って」
「……交代しましょうか。私ばかり洗うのは、不公平ですから」
ギルドマスターは俺から離れ、俺の隣に腰掛けた。続きを聞きたければ、言うことを聞けってことなんだと思う。ギルドマスターの話は、興味ある。というか、今回俺はギルドマスターと似たような目に遭っていた。故意と事故の差はあるけれど、思ってもいなかった状況に巻き込まれたことには、変わりなかった。
「失礼します」
ひと言掛けて、ギルドマスターの背中に回った。ギルドマスターの体は線が細く、華奢だった。しかし肌には、大小さまざまな傷痕があった。
俺の体も似たような傷はある。この世界で負った傷ではなく、地球にいたころに負った傷だけど。それでも同年代の子とは比べようもないほどに、傷だらけだった。そんな俺よりも、ギルドマスターの体には、傷跡が刻まれていた。それは痛々しくもあるけれど、どこかきれいだった。傷痕をきれいと思うとか、どういう思考回路をしているんだと、自分でも思うけれど、きれいだと思ったことは事実だった。
「……すごい傷痕ですね」
「冒険者なんてしていれば、誰しもこうなりますよ。あなたは比較的少ないですが、その年齢にしては傷痕が多いですね」
言われてようやく気づいた。ギルドマスターが俺の背中に指を這わせたのは、傷痕に触れていたんだと。いきなり背中に触れられたから、なんだと思ったけれど、なんてことはない。ただ俺の傷痕に触れただけだった。しかしなんでいきなり傷痕に触れたのか。いまいちわからない。
「カレンさん。あなたにとって、あなたの傷痕はなんですか?」
「え?」
「その傷を負ったことは、あなたにとって勲章ですか?」
傷痕が勲章。考えたこともなかった。だが、俺の体にある傷は、すべて一心さんや弘明兄ちゃんの稽古
で受けたものだ。ふたりとも普段はすごく優しいくせに、稽古になると一切の優しさがない。
特に一心さんに至っては、本気で俺を殺そうとしているんじゃないかと思うくらいに、躊躇うことなく、仕掛けてくる。おかげで弘明兄ちゃんの稽古以上に、傷を負うことになってしまっていたが、それが今回の盗賊たち相手に発揮できた。人を殺したことはなかったし、殺そうとも思ったこともない。
けれど今日俺はたしかに人を殺した。なのに罪悪感はなかった。当然の報いだと思っている。けれどどこか違和感もあった。それがなんなのか、よくわからない。
「そう、ですね。この傷は、俺の師匠ふたりとの稽古で負ったものです。ふたりとも普段は優しいのに、稽古になると、一切の優しさがなくなりますから。それこそ俺の命を奪いに来ているんじゃないかって思うくらいには。そんな稽古を乗り越えられた証ですから、そういう意味では、誇らしいのかもしれません」
「そうですか。私とは違いますね。私の傷は、特に右腕の傷は、ただの汚点でしかありません。みずからの未熟さを棚に上げ、忠告さえもまともに聞かなかった、愚か者が負った傷でしかありません。それで自分だけが死ねばいいのに、仲間を犠牲にして、自分だけが助かった。そこには誇らしさはありません。ただ卑しさしか感じられない」
ギルドマスターは、俯いた。俯きながら震えていた。怒りで体を震わせている。なんて言えばいいのだろうか。いまのこの人に、なんて声をかければいいのか、俺にはわからなかった。
「ねぇ、カレンさん」
「なんですか?」
「これ以上無茶をするのは、やめませんか?」
「え?」
「あなたに目的があることはわかっています。それでも言います。これ以上、目標だけを見据え続けるのはやめてください」
ギルドマスターは、振り返りながら言った。その表情はとても真剣なものだった。




