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獣達の騎士道  作者: 春野隠者
王都経略編
55/117

刻印の弱点

 振り下ろされた長剣の衝撃が、受け止める長剣伝いに握った手のひらに伝わる。少しでも気を抜けば零れ落ちそうになる長剣を、さらに力を込めて握り締める。しかし、続いて視界に入った相手の強引な突進に、思わず舌打ちしたくなった。

 振り下ろされた剣を盾にするように、あまりに早すぎる突進。肩の防具を長剣に押し当て、一気に視界に敵の姿が広がり迫る。先ほど長剣の衝撃を受け止めるため踏ん張った足が、根を生やしたように地面から離れない。頭では避けねばならないと分かっているのに、その命令が足まで伝わる前に敵の次の行動がくる。わかっている。先程受けた衝撃が、抜けきらないのだ。

 ──横に。

 剣戟一つの衝撃に、次への対処が遅れた。

 致命的なまでに遅いそれに、敵の追撃は容赦なく襲い来る。

「──」

 結果として横に受け流がそうとしてびくともしない敵の長剣に、失敗を確信する。ならば、次善の行動をとらねばならない。

 悲鳴をかみ殺し、上から下に迫る突進の衝撃をふわりと足を浮かせることで受け流そうとする。ここで踏ん張ってしまっては、相手の衝撃に潰される。まるで枯れ木を木剣で薙ぎ払うように、衝撃をまともに受けてしまっては、手か腕か腰か足か……いずれかが悲鳴を上げて壊れるだろう。

 そしてそうなってしまっては、これ以上敵を抑えることが出来ない。多少の被害を許容して相手の衝撃を受け流す。

 そのためには、まず相手を見ることだ。

 無意識に目を見開く。衝突の瞬間を──相手が力を籠めるその一瞬を、その目に焼き付け、一瞬──ほんの刹那の瞬間だけそれに先んじて飛ぶ。

 できなければ命に関わるそれを瞬時に決断して、相手の鍔迫り合いの勢いに押されたように半歩引く。イメージするのは風に舞う木の葉だ。風に突き破られることもなく、その身を躍らせる。

 まるで肩を槍の先端のようにして突進してくる敵の衝撃のポイントを足を引いて僅かにずらす。だがこれをずらし過ぎれば敵はそれに応じて修正をしてくる。あくまでも敵に気づかれない程度、敵が思う通りの突進から違和感を感じない程度に僅か、こちらに有利な条件を引き出す。

 見開いた瞳に映る敵の突進の肩。

 それが鍔迫り合いの長剣に衝突する瞬間、つま先に力を込めて衝撃の方向を見極めて飛ぶ。

「──っ!?」

 相手の速度、対格差から衝撃の強さを予測してはいたが、その予想を大きく上回る衝撃力が体を襲う。まるで本当に風に舞う木の葉のように、自分で後ろに飛んだ予測着地地点から、大きく後ろにずれた。

 肩を中心とした突進と合わせて、相手は更に長剣を押し込んできたのだ。

 空中にある間さえ、反撃など思いもよらない。体幹を意識して着地の姿勢を維持するのが精一杯だった。着地の衝撃に耐え、すぐさま敵の追撃に備える。足に伝わる衝撃を膝を柔らかく固定せずに、受け止める。ここで膝を固くして即座に飛び出せる姿勢を取ろうとすると、姿勢を崩して相手にいらぬ隙を与えるのだ。

 距離が出来た瞬間に、しびれの残る掌で剣を握りなおす。

 異常な腕力だった。

 見た目の線の細さからは想像もできない異常な腕力。

 相手の構える姿も、どこか不自然であった。まるでほとんど剣の扱いをしたことがないようなものが、ふとした拍子に思いついた構えを試しているようなおかしな構えだ。

 防御偏重で長剣を肩口近くまで上げ、切っ先はこちらを向いている。振り下ろしを警戒した構えをしているのに、なぜか常に攻撃的に仕掛けてくる。むしろ初動が見やすく、だからこそ対処できているのだが、あの構えに何の理があるのか、全く理解できない。だがそれでもあの異常な腕力が脅威には違いない。

 いや、その構えすら今は取っていない。

 敵は肩に担いだ長剣で、トントンと拍子を刻みながら、陰湿な笑みを浮かべている。異様に充血した眼には狂気の色が見えるが、命のやり取りではよくあることだ。

 静かに息を吐いて呼吸を整える。

 訓練でもよくやった精神を整える反復行動だ。

 敵は、こちらを侮っているのだろう。陰湿な笑みをそのままに、肩に担いだ長剣をそのまま一息の踏み込みと同時に振り下ろす。初動は丸見えで、普通ならすり抜けざまに関節を斬るか、相手が空振りをした瞬間を狙って、首を落とすか対処できる。

 しかし、それを許さないのが相手の異常な腕力だった。

 踏み込む速度も速いが、何より振り下ろす長剣の速度が、敵の異常な腕力によってこちらの行動を許さない必殺の一撃となっている。

 まるでバネでも入っているような異常な踏み込みが、普通の人間なら届かないはずの距離を届かせる。 

 ──身体を強化する程の魔法などあっただろうか!?

 一瞬だけ脳裏をよぎる未知への恐怖に竦み、すぐさま気力を振るい起こす。

 ──埒もない! 身体強化ができたとして、それがどうした!?

 手持ちの手札で戦うしかないと腹をくくり、振り下ろされる長剣に剣を合わせようとして、目で追いきれない速度を確認して、すぐに軌道を変更。全力で飛びのく。

 振り下ろされた敵の長剣が勢いそのままに地面に激突。土煙が舞い辺り一面を覆い隠すのと長剣がいくらかの小石を弾き飛ばしながら地面を割っていた。

 飛びのいた場所から土煙に紛れて仕掛けるには、態勢が悪すぎた。後先を考えずに飛び退いたため、姿勢は崩れ、すぐには反撃できない姿勢だった。

 空振りは疲労を誘う。

 実感として知っているそれを敵に期待するには敵の能力が不気味すぎる。

 瞬時に態勢を立て直し、反撃に映ろうと一歩を踏み出した瞬間、相手の剣が土煙を一振りで払った。恐ろしい風圧で土煙を払い除けたのだと認識した瞬間、仕掛ける好機かと思って前に出る。

 相手からはまだこちらが認識できていない。

 少なくともこちらの位置を把握しているのなら、無造作に土煙を払ったりしないはずだった。

 未だ完全には晴れない土煙の中を、一気に突き進む。土煙が目に入るのも構わず、緊張と不安で目を見開く。生き残れれば、あとで目を洗う必要があると考えたが、今そんな心配をしている場合ではなかった。

 ──指呼の合間に生死がある。

 手の届く場所に相手の命があり、相手からも自分の命を握られている。剣を振り、当たり所が悪ければそれだけで命を落とすのだ。

 狙うは敵の関節。最短最速の突きで一気に相手を行動不能に追い込むべく、長剣の間合いに踏み込み、同時に突き出す長剣の切っ先。思い描いた軌道で寸分違わず突き出された長剣の切っ先が、敵の肘に吸い込まれるように走り、突如素手で掴まれた。

 ──は?

 理解できない光景に一瞬だけ動きも思考も止まる。

 長剣は両刃で切っ先は鋭く砥いでいる。養父の己の武器に気を遣えない奴はすぐに死ぬ、という忠告に従ってのことだが、それを素手で止めることなどできるのだろうか。

 例えばもし、常人がそれやるとして、騎士の突き出す突きをつかみ取るなどということをしたら、確実に指が落ちる。勢いに負けてそのまま突き入れられる。

 騎士が突きを放つということは、その体重を剣先に乗せ、肉を貫き骨を断つ覚悟で放つ一撃なのだ。それをまるで無造作に子供の木剣をつかみ取るかのように容易く成し遂げる。

 何かの冗談かのような光景に、脳が映像を理解するのを拒む。

 見上げれば、陰湿に哂うその顔と、ゆっくり振り上げらる長剣。敵の長剣、刃、血の色──。

 ──まずいっ!!!

 鳴り響く火事の警鐘のように狂った速度で危険を察知する機能が、全力で騒ぎだす。

 距離は至近、間合いは近い。

 後ろは──無理だ。左右は──追いつかれる! どこだ!? 生き延びられる場所は!?

 至近距離で見る相手の顔が、口元が歪む。

 得物をいたぶる強者の笑みだ。羽虫を潰す幼子の無邪気さとは別の……弱者をいたぶるのが心底好きでたまらないという、歪んだ笑みだ。

 手にした長剣を突き入れようとも、一度止められ、勢いを無くした長剣のなんと重いことか。まるで巨木か大岩に突き立てた長剣を動かそうとしているように、動かない。

 まるで大人と子供だ。

 ──ここまで差があるのか!?

 絶望という名の諦めが、脳裏をかすめていく。

 ──ここで死ぬ。こんなところで死ぬ。いやだ、いやだいやだ! こんなところで死ねるものか!

 指呼の合間にあった死が、敵の姿を──あるいは刃の姿を借りて自分の前に死を運んできている。長剣を動かそうにも動かず、後ろへ飛んでも、左右へ逃げても追いつかれる。

 一呼吸が分割され、幾重にも引き延ばされたような感覚の中、眼球が脳に伝える情報が死にたくないという欲求に異常な速度で情報を飲み込み、脳は普段以上の速度でそれを処理し続ける。

 そして見つけた唯一の生還の道。

 ──前。

 それを見つけると同時に、長剣を手放し、相手の脇をすり抜ける様に恥も外聞もなく転がり、土に汚れながら地面に這いつくばる。

 ──だが、ここからどうする!?

 背後で再び衝撃音。

 恐らく空振りした長剣が大地を砕いたのだ。

 再び巻き上がる土煙と、砕けた大地の衝撃で勢いよく飛んできて体にあたる小石。振り払われる土煙。

 ──なにか。何かないか。逆転できる手段……いや、少なくとも体勢を立て直すための何か!?

 握り締めるのは乾燥し細かくなった土くれ。

 こんな土では、穀物は育たたないだろうなと、そんな場違いな感想を持った程度だった。だからこそ、少ない可能性に賭けてでも距離を取り、手にした石くれを、最後の武器として握り込む。

 ──分かっている。

 長剣で殺せない者が、長剣を素手で掴み取るような者に、石くれが効果があるというのは、およそ不可能な推測でしかない。しかし、それでも、こんなところで死ぬわけにはいかなかった。生き延びるために、何が何でも時間が必要だった。

 敵の視線が土煙を鬱陶しい気に払いのけ、こちらを見る。

 視線が合った。

 その瞬間、敵が嘲笑う。隠すことのない嘲笑。強者は己だと、見下ろす余裕の笑み。同時にゆっくりと敵が長剣を振りかぶり──。


◆◇◆


 敵の振り上げられた長剣が、輝きを放つ。

 それは神々しいなどというものではなく、まるで限られた時間を経過した後の予定調和の破滅の色だった。

「な──!?」

 驚き見上げたグロッゼンの視線の先で刻印武器マールクエイジャンが、砕け散る。

 刹那、彼の腹部を襲った衝撃は、咄嗟に組み付いたロズヴェータの体当たり。

「──っ!?」

 悲鳴を上げる間もなく、腰から崩れ落ちたグロッゼンの視界が、宙を泳いで加速し衝撃と共に固定される。馬乗りになったロズヴェータが不敵に笑い、口の端が吊り上がる。拳を覆う鉄の硬さを確かめる様に、ぎゅっと音がするほどに握り込んでいた。

「貴さ──ぶっ!?」

 言葉を言い終わるまで待つはずもなく、ロズヴェータは無言のままに拳を振り下ろす。手加減も迷いも一切ない人を壊すために振るわれる純粋な暴力。痛い、と思う間もなく視界が弾け飛ぶ。グロッゼンが最初に感じたのは痛みよりも熱だった。思わず顔を覆うために両腕で顔を覆えば、今度は……。

「が──はっ!?」

 鳩尾に容赦なく降り注ぐ鉄拳。

 一撃で痛みに耐えかね、腕が反射的に下がる。胃からせり上がってくる嘔吐と肺から強制的に叩き出される空気。見開かれた目は充血し、痛みを和らげる手段を必死に探す。しかしその視界の中に振りかぶられるロズヴェータの拳。

「あ──ぶっ!?」

 言葉を発する暇もなく、再び振るわれる拳。

 顔と腹を庇うように腕を上げた、その隙間に的確に人体を壊すことを目的とした拳が叩き込まれる。

「ひぃ──たす──げぶ!?」

 最後まで悲鳴を発することすら許さない。そこまでしてもロズヴェータは、無言。それがまたグロッゼンの恐怖を煽る。相手の望みがわかるのなら、交渉のしようもある。この暴力をやめさせられる切っ掛けを作り出せるかもしれない。

 だが、一切言葉を発せずまるで言葉を忘れたように殴り続けるロズヴェータの姿は、グロッゼンをして恐怖の対象でしかなかった。次第に恐怖が心を蝕み、グロッゼンを追い込んでいく。

「ひ、や、──やめ、ぶっ!?」

 だが、ロズヴェータはやめない。一方的に容赦なく、相手が壊れるまで拳を振るい続ける。

 そのうちの一発がグロッゼンの顎を打ち抜き、ぐるんと目を回す。

 今まで必死に守っていた腕が力なく垂れさがり、殴られるのに恐怖していた顔から意識が飛んだのを確認して、ようやくロズヴェータは殴るのを止める。

 そこでようやく細く長い息を吐き出し、周囲を見渡した。

「……隊長、皆ドン引き」

 帝国の元傭兵“兎”《ミグ》のルルが一言発すると、ロズヴェータは、眉間にしわを寄せたしかめっ面で遺憾の意を表明する。

「そんなことは……」

 言いかけてところどころ歪んだ自分の血濡れた鉄籠手グローブを見下ろすと、あるいは、狂戦士の気があるのかもしれないと、ため息をついた。

「……縛っておいてくれ。後の敵は?」

「こっちは片付いた。向こうは副長が対応」

「そうか、それじゃ大丈夫かな?」

 グローブについた血を払うと、ロズヴェータは周囲を見渡した。

「被害の方は?」

「確認中、ほとんどないと思う」

「そうか、それは良かった。戦果は?」

「ふふん」

 そう鼻を鳴らすと、ルルは薄い胸を張る。親指で指さす先には、捕虜にした敵の騎士隊が山となっていた。

「略奪、良いよね?」

「まぁ、認めるよ。勝者の権利だろう?」

 当然とばかりに頷くと、ルルは帝国語で彼女の部下達に檄を飛ばしていた。

「勝者の権利だ! しっかリ、稼げ!」

 まるで蛮族のように聞こえるが、獅子と王冠の(リオングラウス)王国と帝国では微妙に勝者の権利の幅が違う。

「さて、ユーグの方は……」

 飛ばされた長剣を拾いなおし、ロズヴェータはもう片方の戦場に足を向けようとし、呼び止める声に足を止める。

「あ、隊長!」

「ん?」

 拾いなおした長剣を再び鞘に戻そうと、視線を下げていたロズヴェータは、振り返って視線を上げた途端意外な近さにいるルルに、驚き目を見開いた。

「……ふん、あんなの私でも勝てたんだからね!」

 頬を膨らませ、腕を組んで見上げるルル。だが無表情の中にも、その瞳は何か期待するものがあるらしく、ロズヴェータの反応を伺っている。

「お、おう。ルルの実力は疑っていないが……」

 流暢な王国の言葉での、いきなりの強気発言に、ロズヴェータは困惑しながら頷く。

「ん? 違うか……あぁ、助かったよ。ありがとう」

 若干冷めた表情で軽く手を振って今度は普通に感謝の言葉を述べて、背を向けるルルに首を傾げながら、ロズヴェータは今度こそ、副長ユーグの様子を確かめに足を先頭方向に向けた。


副題:ロズヴェータちゃん、またしても殴り勝つ。

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