盗賊の討伐依頼の裏でⅣ
振り下ろされた長剣の衝撃が、受け止める長剣伝いに握った手のひらに伝わる。少しでも気を抜けば零れ落ちそうになる長剣を、さらに力を込めて握り締める。しかし、続いて視界に入った相手の強引な突進に、思わず舌打ちしたくなった。
振り下ろされた剣を盾にするように、あまりに早すぎる突進。肩の防具を長剣に押し当て、一気に視界に敵の姿が広がり迫る。先ほど長剣の衝撃を受け止めるため踏ん張った足が、根を生やしたように地面から離れない。頭では避けねばならないと分かっているのに、その命令が足まで伝わる前に敵の次の行動がくる。わかっている。先程受けた衝撃が、抜けきらないのだ。
──横に。
剣戟一つの衝撃に、次への対処が遅れた。
致命的なまでに遅いそれに、敵の追撃は容赦なく襲い来る。
「──」
結果として横に受け流そうとしてびくともしない敵の長剣に、失敗を確信する。ならば、次善の行動をとらねばならない。
悲鳴をかみ殺し、上から下に迫る突進の衝撃をふわりと足を浮かせることで受け流そうとする。ここで踏ん張ってしまっては、相手の衝撃に潰される。まるで枯れ木を木剣で薙ぎ払うように、衝撃をまともに受けてしまっては、手か腕か腰か足か……いずれかが悲鳴を上げて壊れるだろう。
そしてそうなってしまっては、これ以上敵を抑えることが出来ない。多少の被害を許容して相手の衝撃を受け流す。
そのためには、まず相手を見ることだ。
無意識に目を見開く。衝突の瞬間を──相手が力を籠めるその一瞬を、その目に焼き付け、一瞬──ほんの刹那の瞬間だけそれに先んじて飛ぶ。
できなければ命に関わるそれを瞬時に決断して、相手の鍔迫り合いの勢いに押されたように半歩引く。イメージするのは風に舞う木の葉だ。風に突き破られることもなく、その身を躍らせる。
まるで肩を槍の先端のようにして突進してくる敵の衝撃のポイントを足を引いて僅かにずらす。だがこれをずらし過ぎれば敵はそれに応じて修正をしてくる。あくまでも敵に気づかれない程度、敵が思う通りの突進から違和感を感じない程度に僅か、こちらに有利な条件を引き出す。
見開いた瞳に映る敵の突進の肩。
それが鍔迫り合いの長剣に衝突する瞬間、つま先に力を込めて衝撃の方向を見極めて飛ぶ。
「──っ!?」
相手の速度、対格差から衝撃の強さを予測してはいたが、その予想を大きく上回る衝撃力が体を襲う。まるで本当に風に舞う木の葉のように、自分で後ろに飛んだ予測着地地点から、大きく後ろにずれた。
肩を中心とした突進と合わせて、相手は更に長剣を押し込んできたのだ。
空中にある間さえ、反撃など思いもよらない。体幹を意識して着地の姿勢を維持するのが精一杯だった。着地の衝撃に耐え、すぐさま敵の追撃に備える。足に伝わる衝撃を膝を柔らかく固定せずに、受け止める。ここで膝を固くして即座に飛び出せる姿勢を取ろうとすると、姿勢を崩して相手にいらぬ隙を与えるのだ。
距離が出来た瞬間に、しびれの残る掌で剣を握りなおす。
異常な腕力だった。
見た目の線の細さからは想像もできない異常な腕力。
相手の構える姿も、どこか不自然であった。まるでほとんど剣の扱いをしたことがないようなものが、ふとした拍子に思いついた構えを試しているようなおかしな構えだ。
防御偏重で長剣を肩口近くまで上げ、切っ先はこちらを向いている。振り下ろしを警戒した構えをしているのに、なぜか常に攻撃的に仕掛けてくる。むしろ初動が見やすく、だからこそ対処できているのだが、あの構えに何の理があるのか、全く理解できない。だがそれでもあの異常な腕力が脅威には違いない。
いや、その構えすら今は取っていない。
敵は肩に担いだ長剣で、トントンと拍子を刻みながら、陰湿な笑みを浮かべている。異様に充血した眼には狂気の色が見えるが、命のやり取りではよくあることだ。
静かに息を吐いて呼吸を整える。
訓練でもよくやった精神を整える反復行動だ。
敵は、こちらを侮っているのだろう。陰湿な笑みをそのままに、肩に担いだ長剣をそのまま一息の踏み込みと同時に振り下ろす。初動は丸見えで、普通ならすり抜けざまに関節を斬るか、相手が空振りをした瞬間を狙って、首を落とすか対処できる。
しかし、それを許さないのが相手の異常な腕力だった。
踏み込む速度も速いが、何より振り下ろす長剣の速度が、敵の異常な腕力によってこちらの行動を許さない必殺の一撃となっている。
まるでバネでも入っているような異常な踏み込みが、普通の人間なら届かないはずの距離を届かせる。
──身体を強化する程の魔法などあっただろうか!?
一瞬だけ脳裏をよぎる未知への恐怖に竦み、すぐさま気力を振るい起こす。
──埒もない! 身体強化ができたとして、それがどうした!?
手持ちの手札で戦うしかないと腹をくくり、振り下ろされる長剣に剣を合わせようとして、目で追いきれない速度を確認して、すぐに軌道を変更。全力で飛びのく。
振り下ろされた敵の長剣が勢いそのままに地面に激突。土煙が舞い辺り一面を覆い隠すのと長剣がいくらかの小石を弾き飛ばしながら地面を割っていた。
飛びのいた場所から土煙に紛れて仕掛けるには、態勢が悪すぎた。後先を考えずに飛び退いたため、姿勢は崩れ、すぐには反撃できない姿勢だった。
空振りは疲労を誘う。
実感として知っているそれを敵に期待するには敵の能力が不気味すぎる。
瞬時に態勢を立て直し、反撃に移ろうと一歩を踏み出した瞬間、相手の剣が土煙を一振りで払った。恐ろしい風圧で土煙を払い除けたのだと認識した瞬間、仕掛ける好機かと思って前に出る。
相手からはまだこちらが認識できていない。
少なくともこちらの位置を把握しているのなら、無造作に土煙を払ったりしないはずだった。
未だ完全には晴れない土煙の中を、一気に突き進む。土煙が目に入るのも構わず、緊張と不安で目を見開く。生き残れれば、あとで目を洗う必要があると考えたが、今そんな心配をしている場合ではなかった。
──指呼の合間に生死がある。
手の届く場所に相手の命があり、相手からも自分の命を握られている。剣を振り、当たり所が悪ければそれだけで命を落とすのだ。
狙うは敵の関節。最短最速の突きで一気に相手を行動不能に追い込むべく、長剣の間合いに踏み込み、同時に突き出す長剣の切っ先。思い描いた軌道で寸分違わず突き出された長剣の切っ先が、敵の肘に吸い込まれるように走り、突如素手で掴まれた。
──は?
理解できない光景に一瞬だけ動きも思考も止まる。
長剣は両刃で切っ先は鋭く砥いでいる。養父の己の武器に気を遣えない奴はすぐに死ぬ、という忠告に従ってのことだが、それを素手で止めることなどできるのだろうか。
例えばもし、常人がそれやるとして、騎士の突き出す突きをつかみ取るなどということをしたら、確実に指が落ちる。勢いに負けてそのまま突き入れられる。
騎士が突きを放つということは、その体重を剣先に乗せ、肉を貫き骨を断つ覚悟で放つ一撃なのだ。それをまるで無造作に子供の木剣をつかみ取るかのように容易く成し遂げる。
何かの冗談かのような光景に、脳が映像を理解するのを拒む。
見上げれば、陰湿に哂うその顔と、ゆっくり振り上げらる長剣。敵の長剣、刃、血の色──。
──まずいっ!!!
鳴り響く火事の警鐘のように狂った速度で危険を察知する機能が、全力で騒ぎだす。
距離は至近、間合いは近い。
後ろは──無理だ。左右は──追いつかれる! どこだ!? 生き延びられる場所は!?
至近距離で見る相手の顔が、口元が歪む。
得物をいたぶる強者の笑みだ。羽虫を潰す幼子の無邪気さとは別の……弱者をいたぶるのが心底好きでたまらないという、歪んだ笑みだ。
手にした長剣を突き入れようとも、一度止められ、勢いを無くした長剣のなんと重いことか。まるで巨木か大岩に突き立てた長剣を動かそうとしているように、動かない。
まるで大人と子供だ。
──ここまで差があるのか!?
絶望という名の諦めが、脳裏をかすめていく。
──ここで死ぬ。こんなところで死ぬ。いやだ、いやだいやだ! こんなところで死ねるものか!
指呼の合間にあった死が、敵の姿を──あるいは刃の姿を借りて自分の前に死を運んできている。長剣を動かそうにも動かず、後ろへ飛んでも、左右へ逃げても追いつかれる。
一呼吸が分割され、幾重にも引き延ばされたような感覚の中、眼球が脳に伝える情報が死にたくないという欲求に異常な速度で情報を飲み込み、脳は普段以上の速度でそれを処理し続ける。
そして見つけた唯一の生還の道。
──前。
それを見つけると同時に、長剣を手放し、相手の脇をすり抜ける様に恥も外聞もなく転がり、土に汚れながら地面に這いつくばる。
──だが、ここからどうする!?
背後で再び衝撃音。
恐らく空振りした長剣が大地を砕いたのだ。
再び巻き上がる土煙と、砕けた大地の衝撃で勢いよく飛んできて体にあたる小石。振り払われる土煙。
──なにか。何かないのか。逆転できる手段……いや、少なくとも体勢を立て直すための何か!?
握り締めるのは乾燥し細かくなった土くれ。
こんな土では、穀物は育たないだろうなと、そんな場違いな感想を持った程度だった。だからこそ、少ない可能性に賭けてでも距離を取り、手にした石くれを、最後の武器として握り込む。
──分かっている。
長剣で殺せない者が、長剣を素手で掴み取るような者に、石くれが効果があるというのは、およそ不可能な推測でしかない。しかし、それでも、こんなところで死ぬわけにはいかなかった。生き延びるために、何が何でも時間が必要だった。
敵の視線が土煙をうっとおし気に払いのけ、こちらを見る。
視線が合った。
その瞬間、敵が嘲笑う。隠すことのない嘲笑。強者は己だと、見下ろす余裕の笑み。同時にゆっくりと敵が長剣を振りかぶり──。
◆◇◆
ロズヴェータ率いる三頭獣は、次の任地を言い渡され、不満を飲み込みつつもその準備に追われていた。簡単に移動というが、三頭獣は30を超え、騎士隊としては大所帯である。消費する食料をはじめとする物資の調達は、移動する日数を計算に入れた正確なものでなければならない。もし、移動中に食料が尽きた、などということが起きればそのまま野垂れ死ぬということにもなりかねないのだ。
あるいは、盗賊に身を落として討伐される側に回るか。
想像する嫌な未来に、ロズヴェータは鼻を鳴らしてもう一度計算をやり直す。
会計を任せる彼の村出身の二人──村長の娘メッシーとそれを補佐するメルブは今回危険を考えておいてきている。
もともと順調にいくなら、任地の移動などは考えず、比較的大きな街を拠点としてその周辺の盗賊を虱潰しに潰していく予定であったため、補給はあまり考えなくてよかった。精々が一日二日……予備を含めても三日の食料を携行させ、それが心もとなくなれば街に帰って補給すればよいと考えていたのだ。
だからこそ、今回の異動は余計な出費と余計な日数と余計な計算をロズヴェータにもたらし、その理由にまで思い至って、それを飲み下すのに苦労していた。いまだロズヴェータの中では、納得いかないことだった。なぜ理不尽に功績を奪われ、それを黙って受け入れなければならないのか。命がけで部下が稼いだ功績を何もしない輩が旗頭だからと言って横取りしてよい法はないはずだ。
しかし、覆す手段がない。
相手はやりなれているのか、申請を覆すあらゆる手段を潰しにかかっている。そういう意味では、ロズヴェータが迂闊であったというしかない。旗頭を信頼していたともいえるが、同じ騎士であろうと信頼すべきではない者と信頼すべきものの区別は、予めつけておくべきであった。
納得はできないが、教訓としなければならないと心に刻んで、再び計算して出した結果を副官のユーグに伝え、部下に調達に走らせる。ここ二日ロズヴェータは移動準備の指示に追われていた。
◆◇◆
「……ほう?」
積み上げられた金貨の量を目算で測り旗頭に指名されたゲランは、嫌らしく笑みを浮かべた。
相手は、商人。辞を低くして差し出すように金貨を積み上げるその姿勢は、ゲランの自尊心を大いに満足させるものだった。
「手下となる騎士隊を、どうにかしてほしいとな?」
尊大な物言いに、商人はまるで冥府の神の前であるかのようにへりくだって声を震わせる。
「は、はい。これはほんの手付。お約束していただけるなら、更に倍の金額をお支払いいたします」
「ふむ……」
ゲランの懐事情は厳しい。
歴戦のと言えば聞こえがいいが、幾たびも経験を積んで未だに功績を積み上げて騎士隊以上になれないということは、それだけ何かが欠落しているのだ。
騎士になった当初こそ周囲から期待されていたゲランであったが、年が経つに連れてその期待はどんどん色あせていくばかりだった。特定の妻を持てず、騎士隊の兵士は質の悪いものがほとんどである。頼むのは己の力のみという性格上、依頼が成功して金が入れば、当然最も信頼できる自分自身に使うのは、ゲランの中で当然の理だった。
だからこそ評判が悪い。
そんなことを長年続けているからこそ、実力はあっても他人の功績を横取りするという誹謗を受ける。
金使いは当然荒い。
日ごろのうっ憤を晴らすため、実力ある己を周囲が疎んで……理由をつけて酒を飲む。女を買う。博打を打つ。そんな生活を続けて居れば、当然ながら懐具合は厳しくなる。
「しかしな……旗頭というのは、責任ある立場だ。ましてや今年騎士校を卒業した新年度者なのだろう? 大目に見たらどうだ?」
交渉事は余裕を見せねば始まらない、と考えてゲランは一応の説得をする。
「い、いいえ。あのものは我が商会に恥をかかせてくれました。とても許してはおけません。どうぞ、ゲラン様! 貴方様のお力で」
「ふむ、しかしな……これでは覆い隠すのも」
「……あと、いかほど?」
頭を下げたままの商人が伺うように視線を上げるのを確認し、ゲランは内心で、魚を釣り上げたかのように喝采を上げた。
──馬鹿め、かかったわ!
そんな内心をおくびにも出さないように、口元を手で覆い、眉を寄せる。
「倍額出せるかね? それなら考えぬでもない」
「倍額!? でございますか……」
逡巡する商人を見下ろしゲランは、その様子から出すだろうと予想する。相手は王都の大店である。金はあるところにはあるものなのだ。
「今すぐにはご用意できませんが……そうだ! こ、こちらの品では?」
「ん? なんだ。随分優美な剣だが」
「西方由来の長剣で、刻印という力ある文字が刻まれた剣だそうです。かなりの値段がするものですが、ゲラン様にこそ……」
「二振りあるではないか」
「はい。西方から交易品として取り寄せたのですが、これを差し上げますので是非!」
「ふむ……」
「よし、では受け取ろう」
「おお! では!」
「だが、金額は罷らぬ。倍額用意せよ! まさか不満はあるまい?」
「ひっ……はい」
消え入るような声に満足し、ゲランは西方由来の刻印が刻まれた剣を手に取った。
「……ほう」
沸き上がる力。微量の魔力を流せば、煌めく刀身の美しさが際立つ。
一目で彼はそれに魅了されたが、狡猾な面も持ち合わせていた。これほどの力、無償で使えるものか? 一人、己の言うことを聞く騎士に、試させてみよう。
ゲランは席を立って立ち去るが、その内心を知ってか知らずか、底冷えのする瞳で王都の大店の使者を名乗る商人は、口元に酷薄な笑みを浮かべゲランの背中を見送っていた。
副題:ロズベェータちゃん後手に回って翻弄される。




