亡国の姫と騎士
遅れて申し訳ありません。難産でした。
ロズヴェータが考えをまとめるために歩くとき、美貌の副官ユーグは何も言葉をはさまない。問われるまで口を開くことがないために、護衛に徹しているともいえる。貴族の住み暮らす区画から抜け出して商業区、さらにはその外苑に広がる平民区へと足を延ばしていく。
人通りが少ない方へ自然と向かうロズヴェータは、騎士隊拡大の利益と不利益を交互に考えながら、目の前の風景を追っていた。
確かにアウローラの言葉には説得力がある。
今のままでは、いずれ騎士隊を運営する資金が乏しくなり、立ちいかなくなるだろう。そうすれば、より報酬の高い危険な仕事に手を出す必要や、兵士の解雇も考えなくてはいけない。
それを回避するならば、アウローラの言う通り受ける依頼の数を増やして金を稼がねばならない。
なにせ、銀行業を営む金貸し商人どもに預けているだけで金が減っていく。膨大な手数料を取られ、返ってくるのは僅かばかりの金額だ。
必然的に、訓練に取られる時間は減り、ロズヴェータとは別の依頼を受ける者達と接する時間の長いアウローラの影響力は強まるだろう。
つまり、問題は金なのだ。
「金、金、金……か」
なんとも世知辛い。
ふとため息をついたロズヴェータの視界の中を、豪華な馬車に乗った商人が通り過ぎる様子が見えた。
「そういえば……」
彼らはどうやって金を稼いでいるのだったか。以前に護衛をした大商人達のことが頭をよぎり、ロズヴェータは足を商業区へ向ける。
改めて商業区を見渡すと、その中は大きく三段階に割れている。
平民区へと隣接する小規模な商店がひしめく区画。
平民区では、演劇が人々の関心を集めていた。亡国の姫と救国の騎士。強欲商人と良き聖教徒。ある悲劇の王。人気の演目が並び、講演をしている広場には数えきれない人々が詰めかけ、通行にも支障をきたす有様だった。
貴族区へと隣接する高級な商店が軒を連ねる区画。
その中間地点に位置する区画で職人や専門的な知識のある者達のための区画。
平民区へと隣接する区画は、日用品や食料品などが主な商売のタネのようだった。安い店から安全性を主張する店、あるいはお得なのかよくわからないサービスを提供する店と、様々な業態がある。所々で大声での呼び込みは当たり前、朝と夕には今日の食事を求める者達でごった返している。
それと対を成すような貴族区へと隣接する高級な商店は、ひっそりと静まり返っていると言ってもいい。通りを歩くのは着飾った貴族か金持ちの商人やその婦人達。まるでその店の宝石や品物を買うことが、一種のステータスであるかのように商店の店員自身が恐ろしく高価な服を着て丁寧な対応をしている。
職人や専門的な知識のある者達のための区画では、罵声に近い注文とそれにぶつけるような返答が時折飛び交いながらも活気がある。
その中で金貸し達の営む商店の本店は、貴族と隣接する高級店が並ぶ区画にある。
そこへ足を向けようとしていたロズヴェータに、声をかける者がいた。
「あれ、ロズヴェータじゃん? どうしたのこんなところで?」
かけられる親しみのこもった声に振り返れば、幼馴染の少女と仲間を連れた魔女猫ニャーニィの姿。
「久しぶり、だな」
思わぬ出会いに、僅かに目を見開いたロズヴェータが口を開くと、猫のような笑みを見せてニャーニィは笑う。
「うん、久しぶり。ところで何してんの?」
「ああ、ちょっとな」
そう言って視線を金貸しの銀行にやるロズヴェータに、不穏なものを感じ取ったニャーニィ。以前王都で助けたターニャが、ニャーニィの袖を引っ張って耳打ちすると、彼女もそれに頷いて、震える声で提案する。
「あー、そのなんだ。飯でも食べながら話を聞こうか。大丈夫私が奢ってあげるから!」
「え? あ、いや別に……」
「いいから、いいから! な、お前達もいいよな!?」
ロズヴェータの手を引っ張ると、強引に仲間を誘って歩き出す。その方向は、銀行とは真逆の平民区。彼女の行きつけの大衆食堂【聖なる丘で昼食】。
悪名高き、莫迦食い達の聖地である。
半ば無理矢理席に座らされ、注文をさせられると目の前には麦酒。
「で、いくら必要なの?」
「ん?」
話の見えないロズヴェータと、全てわかっているよ、といった風なニャーニィ。
「ロズヴェータ、あんたには借りがあるからね。少しで良いなら無利子で貸してあげるけど」
「いや、そういうことじゃない」
ようやく誤解されていることに気が付いたロズヴェータは、その誤解を解くためにニャーニィにあらましを説明をした。
「なぁんだ。そんなこと?」
一通りの説明を聞いた彼女は、大きくため息を吐いてエールを飲み干す。
「心配したわぁ。私の心配と親切の料金を返してほしい位だわー」
そう言って周囲の笑いを誘う。
「まぁ、真剣に悩んではいる」
「まー、確かにね。隊を二つに分けるってのは、結構リスキーなのよね。うちも家計が火の車じゃない限りやるつもりはないわ。まぁ、そこの副官さんみたいに忠誠心絶対ですってんなら、別だろうけど」
ちらりと美貌の副官ユーグを見てニャーニィは笑う。
「私は、ロズヴェータ様のお側を離れるつもりはございません」
断固として言い切る美貌の副官に、ニャーニィは口笛を鳴らした。
「どうしたら、そんなにモテるのか教えてほしいぐらいだわ」
険のある視線をユーグから向けられたニャーニィは、苦笑して話題を変える。
「そうだ。お金の話だったわよね? まぁ単純に増やせばいいんじゃないの?」
「……そう簡単に増やせれば苦労はないが」
ロズヴェータのため息は、思い悩んだ時間の分だけ、重く深いものだった。
「ん~? うちの商会に投資してみる? お父ちゃん、最近頑張ってるから交易にも力を入れてるしね」
「そういえば、ニャーニィの処の実家は南部の豪族だったか?」
「そうそう。ザザールってのよ。王都にも支店だしてるし、話は通しておいてあげる」
「それで、どのぐらい儲かるんだ?」
「投資するなら陸路の交易かな。うちなら2分ってところかしら」
「高いのか、低いのかわからない数字だな」
眉を顰めたロズヴェータの表情に、ニャーニィは苦笑した。
「あたしだからいいけど、ロズヴェータ……そう明け透けに言うと他の商人にぼったくられるわよ」
「きをつける」
ニャーニィの袖を引っ張るターニャが彼女の耳元でコソコソと囁く。
「そこは、お前だけだとか言ってそっと抱き寄せるべきだよね?」
「え?」
「あれ、ニャーちゃん演劇見てないの?」
「ヴィリエスター流離譚面白かったよ」
「あのね、昼間から酔っぱらわないでよ」
「良いじゃない。この世は全てこともなし。お酒さえあればね!」
突然会話に入ってきたニャーニィの幼馴染ターニャの言動に、ニャーニィは驚き、なぜ驚くのかとターニャも不思議気に首を傾げたが、どうやら酔っぱらっているようだった。
そういえば、最近恋愛ものの演劇を見ていたなと目を細め、とりあえず軽く頭を叩いてロズヴェータとの会話に戻る。
「ああ、うん。そうしてよね。んで利益の高低だけど、低めね。だけど堅実よ。投機的なものは、なし。後時間もかかる。銀行屋どもに預けておくのと比べたら、随分マシな数字だと思うけど」
「まぁ、そうだな……」
銀行屋の手数料程阿漕な数字ではないことを、ロズヴェータは認める。
「一口このぐらいからよ。それと、何事も絶対はないからね。損することもある」
示された金額は、三頭獣の資金からすれば、随分余裕のある金額。ロズヴェータの手持ちの資金でも二口ぐらいなら買える金額に、ロズヴェータは顰めた眉をそのままに問い返す。
「随分安いが……」
「ああ、良心的な値段設定にして広く薄く集めようとしてるのよ。お父ちゃん、その辺りは篤志家気質だからね」
「それで、何を扱ってるんだ?」
「なんでも、よ。宝石、武器、植物から、変わったのは人とかもね」
「奴隷ってことか?」
「奴隷も、傭兵も。基本運送を司ってるのがザザール一家だから、集めた資金で隊商を組む感じかな。ああ、利益がでないってことは隊商が失敗したってことだから、あんまりないわよ」
彼女の言う、“あんまり”につい先日ちょうど当たったロズヴェータは嫌な記憶を刺激されて口を閉じる。
「まぁ、考えてみて。別に強要するつもりはないし。善意よ、善意。期待してるからね?」
笑って食事に戻るニャーニィに、ロズヴェータは苦笑するしかない。
「そうだな。検討させてもらうよ。ちなみにどこからどこまでの隊商が組まれるんだ?」
「そうだね、南は都市国家シャロンから、王都を経由して北西都市国家ミューニヘルまでが、主な交易ルートかな」
目の前に置かれた山盛りの料理を、苦労してユーグと共に平らげるとロズヴェータはニャーニィと別れた。
その後、再び歩き出すロズヴェータは邸宅に戻る前に馴染みとなっている娼館に立ち寄るとユーグと相談にふけって、辺境伯家の邸宅に戻ったのは深夜になっていた。
◆◇◆
アウローラとの会談の場を持ったロズヴェータは、【騎士校】の制服に辺境伯家から下賜された装飾剣を腰に差して、会談に臨んだ。普段であれば決してしない正式な服装をしているのは、この交渉に随分力を入れている証拠だとアウローラから見えるように、だ。
場所は辺境伯家の邸宅内にある応接室。
普段なら決して使わない公的な場所に、交渉の場を指定されたことも、アウローラから見れば意外の念を禁じ得ない。王国の一貴族として必要最低限の体裁を整えただけの応接室とはいえ、普段生活しているのが使用人たちが暮らすような質素な空間であったから、相対的に豪華に見える。
先に到着していたアウローラが着座している所に扉が開き、どこからどうみても新進気鋭の若い騎士たるロズヴェータと、その従者たる美貌のユーグが入ってきたところで、アウローラの目が見開かれるが、彼女の表面的に表れた動揺はそれだけだった。
対するアウローラは普段の服装のまま。てっきり平素の服装で来ると思っていたアウローラは油断していたが、毅然とした様子で切り込む。
「では、結論を聞きましょうか」
「別動隊を組織するのは、お断りします」
予想していたのと別の答えに、アウローラの眉根が寄せられる。
「理由を聞いても?」
不満顔で頬を膨らませたアウローラに、ロズヴェータは毅然と言い切る。
「一つに、この騎士隊が優先するのは、参加する者の安全が確保されているかどうか。さらに騎士隊全体に利益があるかどうか」
ロズヴェータの答えに、アウローラは反論する。
「どちらも満たしていると思うけれど?」
目を閉じて首を振り、ロズヴェータは憂いを込めたように視線を伏せた。
「一つ見落としています」
「なんでしょう?」
若干苛立たし気に聞いたアウローラは、直後立ち上がったロズヴェータの動きに、今度こそ目を見開いた。
ロズヴェータは、音もなく立ち上がると、腰にさした装飾剣を抜き取り、彼女の前に片膝をつき、剣を捧げ持つように首を垂れる。
「……」
無言で予想外の行動をとるロズヴェータを見た後、盗み見る様に副官ユーグを見ると、ギリギリと歯ぎしりしながら今にも手を剣にかけようとしている。
「……貴女の身の安全が保証されません」
「え?」
またしても予想外のロズヴェータの答えに、アウローラの普段は明敏な頭は混乱の極みになっていた。
「貴女の騎士として貴女の身が危険にさらされることは、看過できない」
「……」
疑問符が止まらないアウローラの脳裏によぎるのは、隊商の護衛でのこと、あの時確かに“私の騎士様”と呼んでいたことを思い出し、アウローラは赤面しつつ、目の前に片膝をつくロズヴェータに、疑念を抱く。
──まさか、本気にしたの?
それを否定したいアウローラに、更にロズヴェータは、追い打ちをかける。
「姫」
呼びかけるその呼称がロズヴェータの口から出ると、アウローラの顔の温度が上がったように感じる。かつてはそう呼ばれるのが当たり前の、もう呼ばれることが当分ないと思われたその呼称に、アウローラは自身でも不思議なほどに戸惑い赤面する。
「……いや、あの」
なんとか会話のペースを取り戻そうとするアウローラが口を開こうとした瞬間、さらなる追撃がロズヴェータから放たれる。
「ですので、私は貴方の騎士として一つの提案があります。南部都市国家シャロンから北西都市国家ミューニヘルまでの交易への投資」
ロズヴェータとすればここが本命。
「都市国家シャロンの助けとなり、貴女様が不用意に危険にさらされることもない。この不肖騎士ロズヴェータ・スネク・カミュー未だ若輩なれど、貴女の騎士となったからには、貴女を万難を排して守り通す所存」
ずいっと差し出される装飾剣に、その分だけアウローラは若干下がる。
「どうぞ、この提案を是とするのなら、この剣を受け取り叙任を」
「……」
一息に言いきったロズヴェータから、痛いほどの静寂を経て、アウローラは装飾剣を取る。
「……騎士ロズヴェータの提案を受けます」
装飾剣を受け取ると、彼の肩をその剣で叩き、剣を返却する。
素早く剣を収めると、ロズヴェータはすぐに立ち上がり、早速手配をすると言って退出していく。その後に続く副官ユーグは、いつまでもアウローラを睨みつけていたが、二人が退出するとアウローラは自分の頬に手を当てた。
若干熱いようなその頬を冷ますように、ため息を吐くと、彼女は一言呟いた。
「……やられたわ。私の騎士様」
副題:ロズヴェータちゃん、舞台俳優
なお、ユーグさんは、悔し気。




