生還
倒れるロズヴェータの姿を見て、動揺が激しかったのは副長ユーグだった。
「ロズ!?」
美貌の副長がその表情を悲痛に歪ませ、悲鳴を上げる。武器すら投げ捨てる勢いでロズヴェータを助け起こすと、吐しゃ物に汚れた顔をぬぐう。長い睫毛の奥で紅色の瞳が動揺に激しく揺れ、銀色の髪を振り乱しながら自身が汚れるのも構わず、顔を近づけてロズヴェータの顔色を伺う。
「ロズ! 目を、目を開けてください! あぁ……!」
「おい! どうなんだ!? 若様は生きているのか!?」
絶望に喘ぐユーグの悲鳴が暗がりの中に響く。今にも泣きださんばかりのユーグに声をかけて励ますのは、ガッチェだった。しかし彼も、未だに襲ってくる不死者を倒しているため、動揺激しいユーグに聞くしかない。
「あぁ、やはり、止めるべきだった。あぁ……あぁ……!」
錯乱の域にあるユーグの混乱に、ガッチェも舌打ちする。
「くそっ!」
このままではいずれ不死者に押し切られ、ロズヴェータは本当に不死者の仲間入りをしてしまいそうだった。ならばどうすると、ガッチェは自問するが、答えは容易に出ない。ここでロズヴェータとユーグを見捨てて逃げてしまうのが最も生き残る確率が高いように思えるが、それをしてしまえば、今は生き延びても将来的に自滅でしかない。
辺境伯家は、三男を守れなかった者を許しはしないだろう。
では、二人を守り切れるかと自問して極めて厳しいと判断を下さざるを得ない。
いずれにしても破滅は遅いか早いかの違いしかないのだと改めて知って、ガッチェは舌打ちした。しかしそれでも短槍を振るって不死者を葬るのは、改善の目があるからだ。
「散り散りになった分隊が戻れば、な! くそ!」
著しく低い可能性に賭けざるを得ない己の分の悪さを呪って、ガッチェは吐き捨てる。そんな可能性に賭けてしまわねばならないほど、ガッチェは追い詰められていた。
周囲の何かが助けにならないかと視線をやり、必死に考えを巡らせる。そのガッチェの視線の中に、不死者以外の人の姿が映った時彼は否応なく声を上げていた。
「おおい! こっちだ!」
三人だけの人影でその中に少女が混じっている姿を見て、ガッチェはすぐに後悔したが、声をかけてしまった以上は仕方ない。しかもその少女はこの村に入る時、ロズヴェータと仲良くしていた少女だった。
「神よ、この世に救いはないのか!」
まともな信仰の徒なら決して口にしない罵声を上げて、敵をなぎ倒す。それでも少女の護衛らしき二人の戦士はなかなかの腕前で、ロズヴェータまでの道を切り開く。
「……どきなさい!」
息をのむ少女は、次いでロズヴェータを掻き抱くユーグに声をかける。
「お前」
だがユーグから返ってくるのは殺意を秘めた赤い瞳。類まれな美貌と相まって壮絶な表情だったが、少女は臆せず、さらに言い募る。
「助けてあげます。どきなさい!」
ぎらりと、ユーグの目が光ったような気がしたのはあるいは、その瞳を見つめる少女の気のせいかもしれない。だが、獲物を狙う獣の視線でユーグは少女を睨んでいたのは事実だった。彼の手元から長剣がほとんど感知できないほどの速さで動き、少女の首筋にぴたりと刃先が添えられる。
「何様のつもりだ! もとはと言えばお前のせいだろうが!」
左手でロズヴェータを掻き抱きながら、右手だけで長剣を操るその技能と力量は年齢に比して恐ろしいほどの高みにある。怒りと悲しみに歪んだ表情は、絶望という絵があるのならこれ以上ないほどの題材になるだろう。
だが少女は、引かない。
こんなところで引いては、自身の野望が叶わない。
父から託された夢、一族の再興、国を興すのは自分だという自負を胸にアウローラ・ヘル・ノイゼは商人の娘の仮面を脱ぎ捨てた。
まるで魔法のように、その一瞬で彼女の雰囲気は商人の娘から、一国の至高の座を担うに相応しい人物に変身する。親しみやすい商人の娘から気高く威厳溢れる一国の王女へと変わった彼女は、告知天使のような冷たい真実をユーグに突き付ける。
「貴方に、その人が助けられますか? 私ならできます。どきなさい。私は治療術師です。それとも、貴方はその人を殺したいのですか」
怒れる紅蓮の赤に、冷徹な氷結の蒼の視線が真正面からぶつかり合う。断固とした言葉と共に、首筋に突き付けられた刃先にも構わず、アウローラは、一歩前に出る。
「──っ!」
僅かに、怯んだユーグが剣を引く。それでもアウローラの首筋には、わずかに刃先が突き刺さり、赤い雫が流れ落ちる。
「どきなさい。私がその人を救ってあげます」
王たる威厳を備えて宣言されるその言葉に、なおも抵抗を見せるユーグであったが、ロズヴェータの命を人質に取られた状態ではいかにも弱い。持ち得る交渉の札とてなく、ロズヴェータの命を思えば敗北を認めるしかないのだ。
「……少しでもおかしな真似をすれば、即座に殺してやる」
アウローラの襟元を掴み上げ、首筋に切っ先を突き付けながら囁かれる言葉は、精一杯の負け惜しみだった。
「……精々無事を祈りなさい。この回復魔法は特別です。これが終われば貴方は私を殺せない」
そういうと、彼女はロズヴェータの顔を覗き込み、次いで一番症状の酷い腕を見て息をのむ。
「思ったより進行が速い。悪魔の腕か、いいえ、黒薔薇姫か」
小さくつぶやかれたのは、彼女の知識にある毒魔法の名前。小さくそれを口に出して、己の知識を確かめねばならないほど、実は彼女も緊張していた。
必ず救うといった彼女の言葉は嘘ではない。彼女が、自身の変装を解いたのは目の前の小さくそして若い騎士に命を預けると決めたからだ。
「──解け、叡智の光……」
アウローラの見るところ、ロズヴェータの症状は重い。毒に犯されてから相当な無理をしたのだろう。
「読み解け、白紙千万願。癒せ、恩寵の重さを喜びの輪に変えて!」
歌うように柔らかな音程で奏でられるその音が、ロズヴェータにかざした彼女の腕に青い光を生み出す。柔らかく包まれるようなその光が、徐々に彼女の手からロズヴェータの体に移っていき、赤黒く変色していたロズヴェータの腕から徐々に元の色を取り戻していく。
「繰り返すほどに、希う、奇跡を、神よ」
アウローラの額に汗が浮かぶ。それでも彼女は祈りを止めない。
ロズヴェータの全身から毒を取り去った彼女は、ゆっくりと長い睫毛を振るわせて目を開け、ほっと息をついた。
「……聞きなさい。彼の命は繋ぎ留めました。しかし」
アウローラが言葉を止めたのは、ロズヴェータの顔色を確認すると、即座に手元の剣を握り締め、彼女の首を狙うユーグを牽制するため。
「今私と彼の命は繋がっています。これがどういう意味を持つか、わかりますね?」
「……戯言を言うな! それをしてお前に何の意味がある!?」
悲鳴を上げるユーグの罵声を、アウローラはにっこりと否定する。
「私は彼が気に入りました。しばらくは彼と一緒にいるつもりです。命を助けたその代価を取り立てるまで、ね」
ぎりり、と奥歯を噛み締めすぎたユーグが、怨敵を目の前にした視線でアウローラを睨む。
「命を取引の材料にするのか!」
「必要とあれば、何でも商売の天秤に乗せましょう? この世の真理は、等価交換。彼の命に相応しいものを、受け取る権利が私にはある。それとも、貴方はこの方の命と等しいものをお持ちで?」
そう言われてユーグは言葉に詰まる。
ロズヴェータの命に代え得るものなど、この世に何一つないのだ。だからこそ副官の地位にとどまっている。
「よろしい。状況は理解しましたね。ならば、この剣をどけ、戦列に加わったらどうです? 4人でなら、この包囲も切り抜けられるのでは?」
それでも彼女の言葉に従うのが業腹なのか、ユーグは敵意も露にアウローラを睨んでいたが、一度ロズヴェータの表情を見下ろし、毒の消えたその顔を心配そうに撫でて、宝石を地面に置くようにその身を横たえると、剣を握って立ち上がる。
「すぐに戻ってくる。おかしな真似はするな」
「そういえば、貴方からも必要なものを戴いておりませんでした」
地面に膝をつき、立ち上がったユーグに余裕の表情を見せるアウローラ。疑問符に表情を歪めるユーグに、口元を三日月に歪めて彼女は嗤った。
「無知な貴方に教えてあげる。助けてもらったら、対価を差し出すか……ありがとう。でしょ? 坊や」
奥歯を噛み締め、目を剝いて怒りを露わにするユーグに、アウローラは悠然と微笑んだ。
「言ってろ!」
ユーグは踵を返してガッチェ達が戦う現場に加わる。
「ふふふ。自重しなくてはね。でも、ふふふ……私の騎士様。あなたの命と同等なもの。私の国。お父様の夢。楽しくなりそうね」
先ほどユーグに向けたのとは別種の、粘着質な視線をロズヴェータに向けて、眠るその横顔を撫でるアウローラ。氷結の蒼の瞳の中に、眠る我が子を見下ろすような優しさと、獲物に執着する肉食獣の片鱗を同居させていた。
ロズヴェータが目を覚ましたのは、間もなくだった。
◇◆◇
幸運にも命を拾ったロズヴェータとは対照的に、戦場の中で被害が拡大したのがハリール傭兵団であった。三頭獣のガッチェ分隊は、散会した後、来た道を帰る形で三々五々に出口に向かって走った。
結果としてそれが、ハリール傭兵団に不死者達の攻撃を集中させることになる。
まるで揺れ動く天秤が、乗せる重しを見つけたかのように彼らにとっての不幸が続く。
目的の少女を探して森の奥へ進んだ副長“兎”のルルは、三頭獣のガッチェ分隊の兵士が森の奥から逃げてきて、合流するたびに、まるで不死者を引き連れてくるかのような錯覚すら覚えた。
三頭獣のバリュード及びヴィヴィ分隊も合流しているため、戦力的には最も多いからこそ、必要最低限の被害でその襲撃を切り抜けられていたものの、だからこそ特大の災厄を呼び寄せたともいえる。
副長ルルからすれば意外なことに、バリュードもヴィヴィも決して手を抜くことなく不死者の殲滅に手を貸しているからこそ、副長ルルも彼らを囮に逃げるなどという卑劣な行為をとることをしなかった。そして森の奥から現れたその姿を見て、誰ともなくその絶望の名前を呼ぶ。
「空駆ける屍鬼……」
「なんで、まさか2匹いたのか?」
呆然とする彼女達の中あって、比較的冷静なルルは戦力差を計算していた。疲れ果て、傷ついたこの集団で不死者の統率者を相手取ることが出来るだろうか、たとえ勝てたとして、後ろで時間を稼いでいる団長ハリールを助けに行けるだけの力を残せるだろうか。
彼女の出した答えは否だった。
どちらか一方であれば、可能かもしれない。森の奥の目的は諦める、もしくは団長ハリールを見捨てて少女を手に入れる。そのどちらかを選べと言われれば、彼女は間違いなく団長ハリールを取っただろう。
だから彼女は決断する、ここで目の前の敵を殲滅する。そして少女は諦める。
「戦闘準備、目の前のアレを──え?」
だが、彼女からすれば最悪なことに空駆ける屍鬼は予想外の行動に出る。不死者の波を彼女達にぶつけるのと同時に、大きく羽ばたいて戦場を離脱しようとしたのだ。
「助かった……?」
空に羽ばたく空駆ける屍鬼を見上げて、安堵の息をつくのは無理からぬことであった。そしてその進行方向に何があるかを考えて、先ほどの安堵は一気に絶望へと染まる。
彼女らの団長ハリールの戦う戦場へ空駆ける屍鬼は向かったのだ。
「いけない! 戻ります。反転を!」
一気に取り乱す彼女に、ここで初めて三頭獣の面々と意見が衝突する。
「ちょっと待て、森の奥の捜索はどうなる?」
もともとそのために彼女達と協力していたヴィヴィ達からすれば、隊長の捜索を切りあげる理由がない。強敵が去ってくれるなら、あるいは屍になってしまっていたとしても隊長を持ち帰らねばならないのが、三頭獣の偽らざる感情だった。
副題:ロズヴェータちゃん、寝ている間に修羅場




