追放
叩きつけた斧槍の全身全霊の一撃がはじき返される。普段なら叩き折れるはずの長剣が、まるで分厚い鋼鉄を叩いたかのような錯覚を覚える。変異術で強化したとはいえ、手にした物質までをも強化するなど、伝え聞いたことすらない。
眼前に聳え立つ強敵に、竜殺しの槍騎士団の先遣隊を任された熟練のアーセルは冷や汗を流す。王国側に侵入してくる帝国側の戦力が過剰すぎる。
変異術持ちが二人。
アーセルの常識からすれば、異常な事態と言っていい。
よもや本格的な侵攻の前触れだとすれば、いかに南部で最有力の騎士団竜殺しの槍と言えども、ひとたまりもない。
大変な場面に居合わせたものだと、知らず口元が緩む。その心の動きとは裏腹に、アーセルの一撃は、寸毫も緩むことなく繰り出される。
アーセルにしてみれば、いま彼にできることは、少しも変化しない。眼前の難敵を排除し来援を待つ。
そう難敵だった。
獣の魂を宿したおぞましき鎧姿。手にした長剣すら強化を疑うその技量。過去の帝国との小競り合いの経験から、帝国騎士でも上位の力量を疑うべきだった。
それに加えて──。
「でぇいやあぁぁ!」
アーセルの背後から襲ってきたのは、足を止めたはずのもう一人の変異術持ち。そちらは、拳打による攻撃が主軸だが、その速さが尋常ではない。熟練のアーセルの魔法は、確かに彼女にかかっている。
斧槍の一撃と合わせて繰り出した【遅延】は、効果が持続しているはずなのだ。にもかかわらず、常人よりも速度が速いとは、一体どういうことなのか。
彼女の繰り出す蹴りを斧槍で弾きながら、アーセルは攻撃に転ずることができない。想定よりも、眼前の敵の力量が上の現実に舌打ちすると、注意力を周囲の把握にあてる。
こちらもよいとは言えない。
集めた情報から敵は北へ移動の真っ最中であったはずだった。
そこから考えるに、背後を取って襲撃をかけることができたはずなのに、動揺が思ったよりも小さい。推定される数のほぼすべてが、既に戦いに参加しているのではないかと思われた。
だとすれば、当然ながら竜殺しの槍騎士団の先遣隊が数の面で不利である。本隊の到着までどのくらいの時間が必要か数えて、アーセルは再び舌打ちした。
同時、繰り出される眼前の長剣を振り払う。
再び繰り出す【遅延】は、相手の防護に弾かれる。
徐々に劣勢になる状況に焦りを感じ始めた時、アーセルの視界を土煙が覆う。眼前の難敵は長剣を構えたまま動いていないのだから、この状況を発生させたのは足の速い方だった。
直後、首筋に走り抜ける悪寒を感じて、馬の腹を蹴る。
慌てて蹴ったために驚いた馬がいななき、結果としてそれがアーセルの命を救った。嘶いた馬の首筋を銀閃が走り抜けたのだ。
直後に噴き出す馬の血しぶきと、崩れる態勢。転がりながら、それでも咄嗟に立ち上がり、斧槍を構えたアーセルの耳に、敵の撤退の声が聞こえた。
ここで逃がしては──。
という思いで声を出そうとして、足首の違和感に視線を向ければ、折れ曲がった左の足首が目に入り、直後に襲ってくる痛みに、思わず呻く。
その一瞬の差が、傭兵団が撤退する間を与えてしまう。
結果として、本隊が到着するまで敵を拘束し続けることはできなかった。
本隊が到着した後、足首の治療を受けながら熟練のアーセルは、ジグネヴァディに苦い表情で報告せざるを得なかった。
敵は、帝国傭兵団。
数は、40ないし50であり、北へ向けて逃走中。主要戦力は変異術持ちが二人存在し、実力は帝国騎士の上位に匹敵するであろう、と。
その報告を聞いたジグネヴァディは、表情を引き締めて、竜殺しの槍騎士団に告げた。
「逃がすわけにはいかないな。北にある村々に伝令を走らせて情報を集めろ。それと、国境兵団にも連絡。圧力をかける」
「国境兵団に手柄を譲るのですか!?」
若いニガルが驚きと共に問いかけるが、ジグネヴァディとアーセルは苦笑して首を振る。
「そう焦るな。アル・ハタル持ちがいる傭兵団はそう簡単に捕捉はできない。国境兵団には、本格侵攻可能性ありと伝えてやればいい。事実、可能性はあるのだからな」
ジグネヴァディの言葉に続いてアーセルも頷く。
「そういうことだ。国境兵団は、後ろに敵がいると分かった時点で斥候程度は出すだろう。それが帝国の傭兵団にとっての良い牽制になる」
「敵の疲労を誘うと?」
若きニガルが正解にたどり着いたのを確認して、ジグネヴァディは頷いた。
「打てる手は全て打つ。戦う前の準備こそが、勝敗の大半を決める。団長の受け売りだがな」
笑うジグネヴァディは、ニガルの肩を叩くと、指揮下の騎士隊に声をかけて前進を再開する。
「帝国傭兵団を倒せば、久々の大きな戦果だ。団長からも十分な給金がでるだろう。南部の平穏のため、自身の名誉、栄達のため、与えられた任務を果たせ!」
◇◆◇
ロズヴェータとユーグが、再び隊商の商人の元を訪れたのは、その日の宿営場所に到着し露営の準備に皆が忙しく動き回っているときだった。
すでに隊商の長である商人の元には、他の商人の雇った護衛や、隊商に参加した商人自身が集まっており、雰囲気は騒然としたものになっていた。
「なんだろうな?」
「……例の話が漏れたのかもしれません」
ユーグの懸念にロズヴェータの顔色が変わる。
今、その話が隊商全てに広がれば下手をすれば隊商そのものが瓦解する予感があったのだ。ロズヴェータ自身、例の話を聞いた時の動揺はそれほどに激しいものだった。
「とにかく騒ぎの中心を見極めよう」
「そうですね。ただ、どうするかは決めておいた方が良いかと」
「わかっている。結論は変わらない。受けた依頼はやり遂げたい」
ロズヴェータの言葉に頷いて、二人は騒ぎの中心へ向かった。
「どうなっているのですか!?」
説明を求める声に、騒ぎに中心にいる商人と、その商人が庇うようにしている一人の少女の姿がある。周囲からの罵声に近い声に、商人はややあってから口を開くと今まで何度も口にしたであろう言葉を繰り返すのだった。
「私を信じてほしい。決して悪いようにはならない」
その言葉に、周囲の商人や護衛からは失望と怒りの綯交ぜになった声が聞こえる。ため息かあるいは、隣の誰かとかわす言葉か。その違いこそあれ、彼らの不満や不安を解消するには至らないようだった。
だがロズヴェータとユーグが到着した直後、事態は動く。
「このままでは、後ろから襲ってくる帝国の傭兵団に皆殺しにされるのではないでしょうか?」
青白い顔をした商人の言葉に、その場にいた全員がぎょっとした顔をして、その発言者を見る。隊商を率いる商人と同じ規模の商品を扱う商人だった。その分多くの護衛を引き連れているが、その割には隊商の中心にいるというよりは、距離を取っている印象の商人だった。
ロズヴェータの元にも、分隊長のガッチェから各商人の護衛達に関する情報が集まってきていたが、その中でも最も近づきにくい護衛だったという話を聞いている。
「それはいったいどういうことですか!? なぜ帝国の傭兵団が?」
事情を知らない者からすれば、当然の疑問に、青白い顔をした商人はやや恐ろし気に答えた。
「言ったとおりです。後ろで発生したのは、帝国の傭兵団が国境兵団とぶつかり、それを、口惜しくも撃破したのだと思います。私の護衛がそのことを確認しています」
ざわめきが大きくなる。
「なぜ帝国の傭兵団がこんなところに!?」
悲鳴に近い隊商に参加した商人の声に応えるように、青白い顔の商人は言葉を発する。
「狙いは、その娘です」
青白い顔の商人が指さした先には、隊商の長の商人が庇うようにしている一人の小柄な少女。頭からすっぽりとローブを被っているため、表情は伺い知れないが、肩幅や身長から推し量れる。
「そうですよね、隊商長殿」
念を押すように確かめられ、隊商長の商人は唸る。
肯定も否定もしないその無言こそ、彼の返答だと受け取った周囲は、一斉に非難の言葉を吐き出す。ロズヴェータが到着したのはちょうどその時だった。
「なんで帝国の傭兵団に狙われねばならないのだ! 隊商長、その娘は何なのですか!?」
当然の周囲からの疑問に、商人の男はきつく目をつむった。庇った少女を差し出すなど論外、しかしうまい説明ができないのも事実。進退窮まった男は、沈黙を答えとするしかなかった。
「このうえは、隊商長殿には、隊商を離れてもらうしかありますまい」
ざわめく周囲の商人の動揺を更に煽るかのような声は、青白い顔をした商人のもの。
「そうだ! 狙われているのが、隊商長の商会なら、それがいなければ……」
段々とその声が大きくなる様子に歯噛みしながら、ロズヴェータは隊商を率いる男の元へたどり着く。
「どういうことだなどというつもりはありません。事情は何となく分かります。どうします?」
きつく目をつむっていた隊商を率いる男は、顔を歪めて決断をせねばならなかった。
「……今日の内に隊商を離れます。幸いにも少し先に村がありますので、そこまで足を延ばします。夜には到着できるでしょう」
妥当な判断だとロズヴェータは頷いた。
このままの隊商を維持するのは不可能だ。もはや隊商を率いる男に対する信頼はなく、下手をすれば護衛同士での殺し合いすら起きかねない。
「ユーグ。宿営準備を取りやめて、出発の準備だ」
「よろしいので?」
驚いた表情をした隊商長に、ロズヴェータは頷く。
「依頼された内容は果たしたいと思います。ですが、万全ではないことはご承知ください」
ロズヴェータの言葉に男は頭を下げた。
自身の荷物をまとめ、身内だけで固まると出発の準備をする。それを言葉もなく見送る今まで隊商を組んでいた者達。そしてまた出発する者達もみな無言であった。
疑心暗鬼と諦念、あるいは怨恨と悔悟。様々な感情が二つの集団の間に横たわっていた。重苦しい沈黙は、空気を淀ませていた。
まるで見えない重りがあるかのように、誰もかれもが無言である。
少なくなった護衛隊商を囲むように、三頭獣は、黄昏までに間があるのを確認し、今度は後ろの商人達をも警戒の対象として歩き出す。
先日打ち解けたはずの護衛達も、命令さえあれば三頭獣を襲う可能性すら否定できない。容赦などしていては、食い殺されるのがこの世界の厳しい現実だった。
副題:ロズヴェータちゃんいつの間にか、ハブられる。




