小さな波紋
熟練のアーセル率いる竜殺しの槍の騎士団先遣隊は、ハリール傭兵団の後衛部隊を発見して、陣形を整える間もなく突撃を開始する。
先頭に立つアーセルは馬上で斧槍を掲げ、少数ながら存在する弓兵と魔術兵に援護射撃をさせながら、一気に距離を詰めていく。
彼らにしてみれば、本隊を率いるジグネヴァディの来援まで持ちこたえればいい。乱戦にしてさえしまえば、時間は稼げると踏んでいた。
また、過去の交戦経験から帝国の注意すべき戦力である変異術持ちの比率は決して多くないとも考えていた。
「突撃だ!」
だとしても、大胆な決断ではあった。しかしそれだけアーセルは、ジグネヴァディを信頼している。過去いつでもジグネヴァディは、アーセルの期待を裏切ったことなどないのだから。
彼が接敵する直前、馬上から目に入った揺らめく大気と光る稲妻が、彼らの敵の所在を告げていた。後ろに続く部下に声を張り上げるとともに、自身の魔法を練り上げる。
「アル・ハタル持ちがいるぞ! 決してまともにあたるな!」
だが、それでも彼の結論は変わらない。
突撃だ。
広く展開した敵の中央に、揺らめく白煙。
徐々に晴れていく白煙の向こうから、垣間見えるおぞましき獣の魂を宿す鎧姿──。
「続け! 神は我らと共に在り!」
集団から突出するように、熟練のアーセルは馬をかけさせた。
◇◆◇
──変異術。
獅子の紋に王冠王国において、そう呼ばれる三日月帝国で使用されている魔法は、体の一部や武器の一部に紋章を刻む。
世界一般に存在している魔素を、体の内側に取り込みその力とするために発達した魔法の形態である。その効果は絶大であり、膂力が通常時の3倍になり、指向性を持たせた聴力が動物並みになったりと効果と用法は様々であった。
帝国で一般に普及しているのは、体の一部に紋章を刻む方式で、死ねばその紋章は消失する。
王国でも少数ながら使い手は存在するものの、一般的にならなかったのは、その特性による。
継戦能力が低いのだ。
全身に魔力を纏わせるため、極端なものだとアル・ハタルを使っているだけで消耗してしまう。だからこそ王国側では流行らなかったし、使い手は帝国側がほとんどだった。
では、なぜ帝国側でこの魔法が廃れないのか、その理由は帝国側の人種に求められた。
白エルフ・砂エルフ・黒エルフ等、総称してエルフと呼ばれる三日月帝国を構成する彼らは、魔力に対する適正がとても高い。種族的な特徴として、非常に端正な顔立ちと、比較的低めな身長、長い耳があげられる。肌の色や瞳の色、あるいは髪の色などはそれぞれだが、それ以外は往々にして人間種と同じである。
彼らは王国に住む人間に比して、魔力が高く長時間の変身を可能にしていた。だからこそ、アル・ハタルを使うことに躊躇がない。
ギリギリと奥歯を噛み締めながら、“兎”のルルは握り締めた拳に力を込めた。
目の前には馬上から大上段に、斧槍を振り上げた王国騎士の姿。槍先から柄頭まで全身鋼鉄製の逸品は、その重量と特性によって使い手を選ぶ。エルフには魔法を使わねば不可能なその膂力、修練の果てにたどり着いたであろうそれを扱える技量を持った、一撃必殺。
振り下ろされる超重量は、当たれば致死。かすっただけでもその後の行動を制限される。そして制限されたその先に待つのは、一切の躊躇なく突っ込んでくる訓練された軍馬の突撃だった。
小柄な“兎”のルルからしてみれば、否。普通の人間からしてみても、騎士のために育てられた軍馬というのは、一つの兵器と言っていい。鎧を着た騎士を支え、さらに必要により自身にも鎧をつけるための強靭な体躯と、それを乗せて走り抜けるための持久力と瞬発力を兼ね備える。また、魔法を恐れず、自身の体が傷つくことも恐れず、乗り手が命ずるままに突撃していくその訓練過程を経て、やっと一人前の軍馬と呼ばれるものになる。
そのため、質量は人間の6倍から7倍にあたる。それを四本足で支え、突進してくるのだ。現代で言えば戦車が突撃してくるのに似ている。
訓練のなされていない兵士であれば、それだけで恐慌に陥りかねないその恐怖を、“兎”のルルは、歯を食いしばって耐えた。
全身に行き渡る魔力が変質して彼女の体を覆う。発熱した皮膚の表面に魔力で編んだ茶色い毛並みが鎧となって生えそろう。握り締めた拳に集中する魔力が、毛並みの外側に薄い表皮となってその体を覆っているのがわかる。
足を広げ来るべき衝撃に備えた彼女の頭上に、勢いをつけた斧槍の超重量が降り注ぐ。
「──おぉおおお!!」
「──でりぃぁああァ!」
目の前の王国騎士から放たれる裂ぱくの気合に負けぬように、彼女も吠えていた。
振り下ろされた超重量を、己の拳一つで跳ねのけるため振り上げる。
衝突する二つの凶器が、音を立てて弾かれた。
地面をえぐり、沈む足への衝撃を鎧が補強することでなんとか耐えたルルの眼前に、軍馬の姿。
「──あぁァアァ!!」
斧槍を退けた手とは逆の手で、軍馬の体を横から殴りつける。
「──チィ!?」
斧槍を弾かれた衝撃と軍馬への衝撃で、ルルへの突進経路から外れたことに舌打ちし、王国騎士は勢いを弱めて、半包囲する傭兵団の包囲の中へ流れていく。
その様子を横目で追った彼女は、追撃をと考えて自身の足に巻き付く鎖の存在に気が付く。魔力で編んだであろうその鎖の姿に、視線がきつくなる。
去り行く王国騎士が振り返りざまに、口の端を歪めて笑ったのを彼女の強化された視力は見逃していなかった。
──手強い。
一撃を加えると同時に、王国の非効率な体の外に働きかける魔法を使って彼女の足を封じに掛かったのだ。一撃に必殺の意気を込めながら、それが成し得ない場合を想定している二段構え。戦場を生き残ってきた敵の手腕だった。
「──っ!」
まるで沼に足を突っ込んだように重い足。
呪いの類か、と判断して彼女は視線を騎士が突っ込んできた後衛にそそぐ。まるで彼女を避けるように左右に展開するそれらに、舌打ちした。
ここは耐えるしかない。
牽制のために放たれる炎や、水弾を叩き落としながら、重い足を引きずるように、彼女は先ほどの騎士を追う。
彼女の判断を肯定するように、王国騎士の正面に再びアル・ハタルの輝きが見えた。
◇◆◇
隊商と共に進むロズヴェータの処へ、元狩人のグレイスと帝国出身のナヴィータがやってきたのは、未だその日の宿営地を決めるにはまだ早い時間だった。
つまりは、徒歩での移動をしている中ロズヴェータの隣に立つと、小声で告げる。
「若様、後方で何かもめ事のようです」
代表して報告したグレイスの言葉に、疑問に首を傾げて視線をナヴィータに向ける。
「おいらの、同族のにおいがするね。かなりヤバめの奴だ」
それの意味するところを察して、思わずロズヴェータは後ろに視線を向ける。
「距離は?」
「この隊商の足で言えば2日、ただし相手の足の速さがわからないよ」
それはそうだ。ロズヴェータが考えねばならないことは、その対処だった。
「数はわかるか?」
首を振る二人に、再びロズヴェータは考え込む。
「帝国の目的は何だと思う? 野盗の類か?」
視線を今度は隣を歩く副官のユーグに向ける。
「わかりませんが、ナヴィータが危険と判断する理由は?」
「帝国の騎士か、それに準ずる奴がいるね。これは気配だけど、変異術って魔法を使う奴がいると、おいらなんとなくわかるんだよね」
騎士校の講義にも出てくる有名な帝国騎士の代名詞。変異術を使える人材が後ろにいるということは、戦いが生起したのだろう。
なぜという疑問と共に、誰と戦っているのかという疑問も生じる。
普通に考えれば、南部の王国勢力との衝突だ。こちらがさして気にする必要はない。襲い掛かってこられなかっただけで幸運と考えて、隊商の護衛を継続して先に進むのが正しい。
ただ、何かが引っかかる。
豪族の不穏な動き、王国南部勢力と帝国の衝突。これだけではこの事態の全容を把握するなど不可能だ。
「情報が少なすぎるな……」
そもそもロズヴェータ達三頭獣は、数日前に来たばかりなのだ。十分な情報収集の時間も取れていない。そのことをわずかに後悔しながら、視線をチラチラとこちらを伺う隊商長の商人に向ける。
「知らないなら、知っている奴に聞けば良いか」
ロズヴェータは、情報収集のために隊商の長である今回の依頼人に近寄る。
「厄介ごとです」
「……なんです?」
護衛達とは徐々に距離を詰めつつあったが、まだ商人達とは信頼関係を築けていないロズヴェータは、警戒の眼差しを受けながら、根気強く事情を説明する。
「……それで、心当たりは?」
傍目に見てもわかるほど、顔色の悪くなる依頼人に、ロズヴェータは詰め寄る。
「……知りませんな。だが、それでも守ってくれるのが今回の依頼だったはず」
「そうはいきませんよ。場合によっては、何かを捨てて何を守るのか明確にしておいてもらわないと、判断を間違う場合がある」
ロズヴェータの視線が、長く続く隊列へと向く。
「万全に守れないと?」
「優先順位の問題です。この隊商が狙われた場合の話、何を優先するので?」
沈黙を貫く商人に、ロズヴェータは内心忸怩たる思いを抱く。しかし、強引に口を割らせるにはまだ弱い。後ろの騒動は、この隊商とは無関係であり、ロズヴェータの思い過ごしということもないわけではないのだ。
「あまり、時間がない。信頼が未だ構築できていないのは残念ですが、我らは本当は何を守るのですか?」
だが、明らかに怪しい商人の態度に、ロズヴェータは詰め寄る。これで間違っていたら、赤っ恥だと思いながらも、一歩踏み込んだ。
「それは……」
依頼主の視線が、わずかに向く方向を、ロズヴェータに同行していたユーグが素早く確認していた。
「あの少女が何か?」
そっと囁くように告げられたユーグの言葉に、依頼主の商人は驚愕に目を見開く。
「……時間がない、と申し上げたはずです。これ以上隠し立てされると、守る者も守れない」
がっくりとうなだれ、商人の話した内容に、ロズヴェータとユーグが今度は絶句した。
完全な厄ネタである。
後ろの衝突はまず間違いなく、この隊商を狙っている。恐らく練っている者が複数いて、それが相争っているのが今の状況なのだとおぼろげ乍ら理解した彼らは、揃って顔を青くした。
「……」
ロズヴェータとユーグは依頼主の話が終わると、彼の元を離れ二人で依頼のことを話し合わねばならなかった。
「……はっきり言います。今すぐこの依頼から手を引くべきです。まともにやりあうには、荷が勝ちすぎます」
忍び寄る帝国の首狩り総督イブラヒムの影。国内の勢力は、派閥ごとに真っ二つに分かれるだろう。それぞれの意見に従って、確保に動くであろう派閥は、余計な目撃者など許さない。
ユーグの意見に、ロズヴェータも同意だった。
「わかっている。しかし、このまま手を引いても……」
どういう形であれ、既にかかわりを持ってしまっている。
ここにいる全員の口を塞ぐことでもしないかぎり、情報の拡散は避け得ない。ロズヴェータが懸念するのは、この策謀の主が辺境伯家だった場合だ。今更ながら養父ユバージルの懸念を思い出す。だが、辺境伯家にどんな利益があるのか。
何より……。
「……ユーグ」
「はっ」
「……俺は、いつまで逃げ続ければいい?」
ぞっとするほど低く冷たい声に、ロズヴェータ自身の方が驚いた。
「……ロズが安全になるまで、逃げ続ければよろしい。騎士隊など解散しても、またやり直せる。貴方さえ無事なら、決して不可能ではない」
「……そうして俺は、また大事な場面で逃げ出すのか」
──お前との婚約を破棄する。
あの時、ロズヴェータは逃げたのだと曖昧な記憶の中で、時間が経つほどにその悔しさを噛み締めていた。過去へは戻れない。だが、もしあの時、ヒルデガルドの手を強引にでも奪っておけば、あんなみじめな思いはしなくて済んだのではないか。
冷え切っていたロズヴェータの背中に、腹の底から沸き上がった火が熱を伝える。
復讐を! 復讐をせねばならないのだ!
騎士たる者を侮ったものには、思い知らせねばならない。その盾は誰を守るためにあるのか、その鎧は何物を守るのか。そしてその剣は誰を切り裂くのか。
「ユーグ。依頼から手は引かない」
「ロズ!」
悲鳴を上げるユーグを見据えて、ロズヴェータは首を振る。
「俺はもう逃げない。最短で奴らに復讐するまで、決して立ち止まらない」
「ですが!」
「ユーグ。カギを俺達が確保する。その場合の利点は何だ?」
「……もし、全ての障害をはねのけて確保ができた場合、どの派閥に対しても利益を導くカギを手に入れることが出来ます。そして辺境伯家にも」
その言葉に頷くロズヴェータ。
王家派閥には、無用な騒乱を未然に防止したのだと。
宰相派閥には、都市国家シャロンとの連携の材料となる。
武官派閥には、対帝国の大義名分を提供できる。
そして辺境伯家には、帝国へその首を差し出し僅かばかりの安寧を買うことができるだろう。
「ですが、それを生かすための伝手が私達にはありません」
それらはいずれも絵に描いた餅だ。
「いいや、俺達には他の誰にもない武器がある」
「……わかりません。なんでしょう?」
「若さだよ」
ユーグの胸を軽く拳で叩いたロズヴェータは、冗談めかして笑う。だがその目は笑っていなかった。不器用に笑うロズヴェータに、ユーグは目を見開いた。
「僭主ネクティアーノの娘は、俺達と同年代だとすれば、なぜ逃がしたのだ。決まっている。今は勝てなくても次の世代には、勝つためだ」
「……」
黙り込むユーグは必死に頭を回転させる。
今派閥の頂点にいる者達の年齢はいくつか、そして自分達とのその間の差は。
「だから、その娘を確保して、何としても俺達は生き延びる。この依頼は、そういう依頼だ」
「追及は苛烈なものとなります。騎士隊の何名もが傷を負い、あるいは戦線に復帰できないこともあるでしょう。また最悪の場合死傷者を出すことも……」
「承知の上だ。俺達は何をしている? 命を懸けて望みをかなえるために、騎士になったんだ」
本来なら届くはずのない望みに手を伸ばす。
貴族という階層を駆け上がり、力をつけるためには、逃げ回っていて力を得ることなどできはしない。行動し、世界を変えるのだ。
「具体的にどうします? この依頼を完遂して、件の娘と接触を持ったとして、その後は?」
「その娘の目的次第だが、庇ってほしいならこの騎士隊で匿う」
「辺境伯家が、黙っていないのでは?」
「そこはユバージルに頼る」
すっぱりと養父を頼ると言い切るロズヴェータに、ユーグは苦笑を誘われた。
「わが父ながら、それほどの力があるとは思えませんが……」
「いや、ユバージルならやるだろう。俺を出汁にして辺境伯家の武官派閥を取りまとめようとしているようだしな。それにほぼ成功しつつあるのだろう?」
「……恐れ入ります」
父の失態を指摘されたような気分になってユーグは口ごもる。
「どちらにしても一度辺境伯家には戻らねばならない。この依頼を俺に回したナルク兄上にも、真意を問いたださねばならないからな。だがすべては、生き延びた後の話だ」
ロズヴェータの結論に、ユーグは頷かざるを得ない。
その上で、彼は最終の目的地を検討する。この隊商の目的地は、辺境伯領の北マドリヌまでの依頼であった。
「では、ラノッサに辺境伯軍を出してもらうよう依頼を出しましょう」
その前の辺境伯領南の大きな町に、養父ユバージルに出張ってもらう。
「そうだな。辺境伯家領内で騒ぎを起こすなら、それに対応するのは、辺境伯家の役割だ」
ユーグは伝令の選定に入るとともに、ロズヴェータは今一度隊商の長の商人と話を合わせるため、踵を返す。
先ほど受けた衝撃は、胸の中で炎となって燃えていた。
副題:ロズヴェータちゃん、なぜか強気。




