エリシュとの食事
騎士隊に報酬を支払った翌日、ロズヴェータは、約束通りエリシュを食事に誘った。場所は、王都の中でも背伸びをすれば、なんとか支払えるだけの店だ。むろん、何もやましい気持ちのないロズヴェータは昼食を誘う。
──何が食べたい?
そう質問したロズヴェータに、なんでもいい。という恐ろしく適当な答えを返したエリシュであったが、そこで本当に何でも良いと考えるのは浅はかというものだった。
あくまで根気強く、肉が良いのか、魚がいいのか、時間はどの程度あるのか……事細かな質問を経て、彼女が望んでいるものを割り出すと、ロズヴェータは店の予約を取るとともに、必要な服をそろえる。
「礼装とまではいかなくとも、騎士装は必要だろうな」
騎士たる身分の者が、国が主催する正式な行事に参加するときの服を引っ張り出して、それを着用すると、エリシュを誘う。好む好まざるとにかかわらず、騎士校で教え込まれる女性に対しての礼儀というものだった。
いかに狂犬、蛮人などと呼ばれていようとも、元をたどれば歴とした貴族の出である。手を抜けば見破られるだけの眼力を持ち合わせている。だから、手を抜いて心証を悪化させるよりも、多少面倒と感じつつも手を抜かずに食事に誘う方が、まだマシであった。
「ほうほう、相手はルフラージのお嬢様だとか? いや、ロズ坊、よくやった! うんうん、騎士たる者浮名の一つや二つ流さねば、恥というものよ」
勘違いを豪快に笑う養父ユバージルの誤解を解くだけの気力もなく、せっせと支度を済ませ、食事に出かける。途中、ユーグが若干捨てられた子犬のような視線でロズヴェータを見てきたが、構っている暇はなかった。
「また、今度な」
「はい。お気をつけて」
そういって別れた後も、なぜかユーグの気配を感じながらロズヴェータはエリシュとの待ち合わせ場所へ到着した。
王都の中央広場に、昔の有名な技師の発明した噴水がある。恋人達の待ち合わせ場所としてよく使われるそこを、待ち合わせ場所に指定したのは、ただ単に目的の店に近いからだった。過去の依頼で散々王都の中を走り回ったロズヴェータは、王都の中のどこに何があるのか、概略を理解していた。
「エリシュは……まだか」
危なかったと内心安堵しながらロズヴェータは、エリシュを待つ。この噴水の優れたところは、日時計を兼ねているところで、大まかな時間を知ることが出来る点だった。これ以外で時間を知るためには、教会の鳴らす鐘の音で時刻を知るしかないのだ。
昼の12の鐘が鳴らされる頃、騎士装をしたエリシュが噴水に到着した。
「お~、悪ぃ悪ぃ。待った? 噴水広場ってなかなかわからなくってさ」
「いや、今来たところだ」
赤い髪を肩の処で短く切り揃えたエリシュは、背丈がある分だけ騎士装を着ても似合っている。形の良い眉と切れ長の瞳は、意志の強さを感じさせ、美人の範疇に入るのだろう。
未だ成長途中のロズヴェータからすると、どうしても着られている感のある騎士装である。二人が並んで歩くと、姉弟に見えることがあるらしく、どこか王都の住人から微笑ましく見守られる視線を感じて、ロズヴェータは居心地が悪かった。
「じゃ、行くか。あまり時間に余裕があるわけじゃないしな」
「はいよ」
腰に差した細剣を軽く触り、二人は歩き出す。商業区をしばらく歩くと、目的の店が見えてくる。食事を楽しむというよりは、恋人が逢瀬を楽しむという雰囲気の店に、そんな気配など微塵も見せない二人がズカズカと入り込む。
「いっしゃいませ」
よく躾の行き届いた店員に案内され、二階にある個室に通されると、ロズヴェータのよろしく、という一言で食事が運ばれてくる。
「へぇ、奮発したなぁ」
窓から見える景色は、よく手入れされた庭園だった。季節に応じた花が咲き誇る庭園から窓を開けると香しい花の香りが個室に入ってくるように設計されたその空間に、次々と食事が運ばれてくる。
前菜として、魚介の出汁を使ったスープ。薄く塩味で味付けされた黄金色に輝くその中に入っているのは、反対側が透けるほどに薄く切られた根野菜の一種だ。独特の辛みが評価の分かれるところだが、この店の調理の仕方は、辛みがほとんど消えている。
スプーンですくえば、その透明感と花の香漂う部屋に香辛料の香りが交じり合って食欲を刺激する。
続いて出てきたのは、葉物野菜のサラダであった。
朝採れたばかりなのだろう、瑞々しい野菜の歯ごたえは、何よりの御馳走と言えた。口にしやすいように程よい大きさに切られた野菜に、先ほどのスープよりも少し濃いめのドレッシングがまぶしてある。その上から乾燥させたチーズをふりかけ、魚介を混ぜ込んだサラダに二人で舌鼓を打つ。
そうこうしているうちに、メインの食事が運ばれてきた。
香辛料をふんだんに使った豚肉は、足を丸ごと一本豪快に使ったものだった。だが、豪快な中にあっても、丁寧に切り分けられ、食べるものに対する配慮を忘れない。焼き具合も外側は良く火を通してパリッと音が出るほど香ばしく、中は程よく火を通してしっとりと整えられた焼き具合である。口に入れれば噛み締めたそばから、肉汁が口の中に広がり、肉自体はまるで溶ける様に口の中で消えていく。
同じく出てきたのは王国南部で主食として食べられる穀物を鶏肉とともに煮込んだパエリアあった。オリーブの油を絡めてパプリカなどの野菜類を一緒に炊き上げ、平たい皿に載せられてきたその量は、食べ盛りの二人の胃袋を満たすのに十分な量であった。香辛料を大量に使ったこれらの料理は、西に行けば行くほど高級品として知られ、王侯貴族しか食べれないという価値を持つ。
だが、リオングラウス王国においては、そこまでの値段はしない。東西貿易の中間地点に位置するこの国では香辛料の価格も、調味料のうちの一つ程度でしかないのだ。
エリシュが、口の周りを脂でべとべとにしながらも豪快に肉を頬張る。よほど美味いのか一心不乱にパエリアをかき込む。熱々のパエリアを口の中に頬張ると先ほど口の中に入れた肉が消えた後に、欲しかった歯ごたえ抜群の穀物が口の中を満たす。
塩で味付けされたパエリアに、さらなる食欲を刺激されて、再び肉を頬張る。無限ループに突入したエリシュの対面で、ロズヴェータは上品に食事を続ける。一口一口しっかりと味わう様子は、育ちの良さを伺わせるに十分であった。対面で獣のように食事をしている少女も同じ教育を受けているはずなのに、この差はなんなのか。
「ふぉいえあさ」
「食ってから喋れ」
肉をバリバリと咀嚼しながら口を開いたエリシュに、ワインで喉を潤したロズヴェータが容赦なく切り捨てる。エリシュもまた手元にあったワインを一気にグイっと飲み干してから、中年の親父のようにくはー、たまんねえわと言いながら乱暴にグラスを置く。
「それでさ、提案なんだけど今後ともうちと共同で依頼受けない?」
「それはまたどうして?」
依頼の規模的に仕方なく共同で依頼を受けることはある。しかしながら、共同で依頼を受けるメリットはそこまでないのではないか、とロズヴェータは判断していた。
「ん~今回の依頼でさ、結構頼りになったから、一緒にどうかなって」
「評価してくれているところうれしいが、やりたいこともあるしな」
先ほどまでパエリアをがっついてたスプーンを弄びながらエリシュは、ロズヴェータに問いかける。
「やりたいことって、なに?」
「ん? どうでも良いだろう。そこまでお前には関係ないさ」
苦笑して逃げようとするロズヴェータをエリシュは許さない。窓の外に視線をやるロズヴェータの横顔を、エリシュは正面から見据えていた。
「言ってみなよ。手伝えるかもよ。それとも、人に言えないようなことやろうとしてるわけ?」
「それは……」
視線を戻して彼女を正面から見たロズヴェータは、彼女の視線の強さに気圧される。
「俺は、人の都合で左右されない人生を送りたいんだ」
「嘘ね」
「っ!? 嘘ってことはないだろう」
「じゃ、本当のことを言ってないわね。でその人の都合で左右されない人生を手に入れてどうするつもりなの?」
「……俺に何を言わせたいんだよ?」
一切視線をそらさずにロズヴェータを見つめるエリシュ。彼女の様子に若干苦手意識を喚起されて、ロズヴェータはナイフとフォークを置いた。
「復讐なんて、やめておきなさいよ。無駄なことに労力を使うより、今楽しいことに時間を使えば?」
「……例えば?」
否定も肯定もせず、ロズヴェータは一口ワインを口に含む。
「この後私とデートして、連れ込み宿に泊まるとか?」
「ぶーっ!?」
直後エリシュの発言に、ロズヴェータは盛大に口に含んだワインを吐き出した。気管に入ったのか、せき込みながらロズヴェータはエリシュを見る。
──お前なにいってんの!?
というロズヴェータの視線を受けてもエリシュはどこ吹く風でロズヴェータを見つめている。咳き込むロズヴェータは、苦しさのあまり鼻水を流し、思わず布で口元と鼻を覆う。
「そんなに、焦る? まぁあくまで一例だけど」
「お、お前連れ込み宿とか意味わかってるのか?」
「男女が一晩一緒にいて、あれやこれやするんでしょ? 子供じゃないんだから知ってるわよ」
「いや、その結婚まで男女は清い関係でいなきゃいけないと……」
杓子定規的なロズヴェータの答えに、エリシュはため息をついた。
「そんなの騎士隊で守ってるやつなんて稀な方だと思うけど?」
命を的に仕事をする彼らからすれば、欲望に正直に生きることが正義なのだ。禁欲的な生活をしている者が皆無かと言われれば、そんなことはないが少数派であることは間違いない。人間の三大欲求に素直に、従う──つまり、食欲、睡眠欲、性欲を満たすのに素直に従うのが騎士隊の兵士というものだった。
ごくりと、ロズヴェータの喉が鳴る。
「……」
しばらくの沈黙が二人の間に降りる。
普通そこに漂うのは、甘酸っぱい雰囲気のはずなのに、なぜかロズヴェータの脳裏に去来したのは、猫に追い詰められたネズミの心境だった。いや、猛犬に追い詰められた兎か。
「……ちなみに、その代価は?」
にやりと、エリシュの脂で濡れた口元が三日月を描く。まるで肉食獣が笑っているようだった。
「当然、戦場では私に尽くしてね。私のために作戦を立て、私のために盾となり、私の功績のために資金を融通するの」
──悪魔。
悪徳商人も裸足で逃げ出す笑みがそこにあった。
「エリシュさん、それは奴隷というのでは……?」
「求めよ、されば与えられん。ただし代償は必要よ」
そこまで聖典には書いていないはずだが、彼女の中では十字教の聖典の字句ですら簡単に変換されてしまうらしい。戦争がなくならないわけだ。
「まさか断らないわよね?」
そういわれて彼女の騎士装越しの体を想像してみる。胸は布越しにわかるわずかな膨らみがあるばかり、唇は脂で濡れててかてか光って、口の端には食べかすがこびりついている。腰つきはよくわからないし、指先は男も真っ青の剣ダコがある……握り潰されそうだ。
──あれ、どうしよう。あんまりそそられないぞ?
逆の意味で冷や汗をかきだしたロズヴェータ。
彼女のことを女性としてより、友人としてしか見てこなかったために、この国の女性としての美点が褒めようがない。
──いきなり言われてもちょっと、心構えが。
と言った心境であった。
だが、そこでロズヴェータの頭に瞬時の閃きが舞い降りる。
──もしかして、これは高度な冗談の掛け合いなのではないか。
「……」
これはエリシュなりの冗談であり、それに右往左往するロズヴェータをからかって遊んでいるだけ。そう、いつものじゃれあい。
だとすれば、ここで慌てる必要はない。そう慌てる必要はないのだ。
冷静に、冷静に対処をしなければならない。切り返してこそ、道が開けるはず。
ロズヴェータは、口元を拭ったままの姿勢からやっと再起動して姿勢を正した。ナプキンを置くと、身を乗り出すように両肘をテーブルに着き、手を組む。
口元が隠れるように両手を持っていくと、きわめて自然に見えるように脱力し、エリシュに視線を合わせる。
「エリシュ」
務めて低い声を出したロズヴェータの思惑に、エリシュは乗った。先ほどまで慌てふためいていたロズヴェータの豹変に彼女は戸惑う。
「は、はい」
「……ないわ」
「……」
降りる沈黙は嵐の前の静けさだった。
徐々に震えだすエリシュの手が、握っていた豚の骨付き肉を握り潰す。しかも骨の部分を、だ。
「ロズぅ……」
地獄の底から響くような声に、ロズヴェータが対応を誤ったかと、冷や汗を流しながらも姿勢を変えないままでいる。常に勝負の世界は厳しい。対応を誤れば奈落の底へと真っ逆さまに落ちていくのは、戦場でも対人関係でも変わらない。
ましてやその関係性は、猛犬とか弱い兎である。
震える兎に、猛犬が狂ったその牙を突き立てようとしたその時──。
「──失礼します。デザートをお持ちしました」
店員の声が響いて、エリシュが動きを止める。
お互いに無言で、デザートを食べ始める。デザートは、よく冷やされた砂糖菓子であり、果物の甘さと砂糖の甘さが程よくマッチした絶品であった。
「で、さっきの話どこまでが本気だったんだ?」
ナプキンで口元を吹き、落ち着いたエリシュにロズヴェータが問いかける。
「ん? まぁ一緒にやっていかないって話は本気だったよ。あと条件も」
こちらも落ち着きを取り戻したエリシュの答えに、ロズヴェータは本気で抗議する。
「こっちの条件が悪すぎ」
「利益は分け与えよ、ただし名誉は我が物」
聖典にもあるでしょ、と笑う彼女に、げんなりした様子でロズヴェータが突っ込む。
「そんなこと誰も言ってないし」
徐々に会話がいつもの調子を取り戻し、そのまま解散の流れとなった。
久々に楽しい時間を過ごしたロズヴェータだったが、もしも、の話を想像すると今までの関係のままではいられないことを感じて無意識にそのことにふたをした。
今はまだ、彼女との関係はこの心地よい友人関係のままでいたい。そう思いながら。
副題:ロズヴェータちゃん、デートを楽しまされる。




