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「そういう訳なの」
お由宇は話を聞くと、興味深そうに頷いた。
びしょ濡れでマンションに帰った俺達を迎えてくれたのはお由宇だった。万里子のことも何があったのかも聞かず、てきぱきと世話をしてくれた。
万里子は初めは怖いからここに泊まるなぞと言っていたのだが、帰らなくては返って不審を抱かせるということと、お由宇がひどく心得たように俺の世話を焼き、おまけに部屋の合鍵を持っていたのにいたく気分を害したらしく、結局帰ってしまっていた。
ようようひと段落ついたところでコーヒーを淹れてくれたお由宇が、俺の冒険活劇を最後まで聞き取り、その後に呟いたのが最初の台詞というわけだ。
「リモコン操縦されてたのね。椎我が操作していたのか……あるいは、共犯者が操作していて椎我が成果を確かめに来たのか、のどちらかでしょうけど」
「椎我がそんな物を持っていた感じはなかったがな」
「じゃ、共犯者の線が濃いわね」
「共犯者って、椎我と話していた重役か?」
「それは雑魚だと思うわ」
「雑魚って……他に誰がいる?」
「いろいろね」
お由宇は半分ほど飲んだカップの中身をじっと見つめていた。
「『にせもの』の父親、か…」
「そうさ。なさぬ仲の父母に兄という訳だ」
「…」
お由宇は答えず、ポン、と机の上に小さな箱を放り出した。ラベンダー色の箱、掌に載るぐらいの、2センチほどの厚みのある箱だ。表面の文字を読み上げる。
「ゼコム鎮痛剤…」
「はい」
もう一箱、お由宇は同じ箱を取り出した。
「これもゼコム…」
「どちらが本物だと思う?」
「え?」
俺は慌てて両手に載った箱を見比べたが、大きさと言い印刷と言い、ほとんど変わらない。ひっくり返してもわからない。
「わからないな…」
「目をつぶってごらんなさい。右が本物よ」
「?」
俺は目を閉じて弄りまわし、右の箱の隅に、何かボコボコしたものが触るのに気づいた。目を開けてその部分を見ると、小さな点が何個か、規則正しく浮き出している。
「これ…」
「点字よ」
お由宇は、テーブルの上に、つん、つん…と指先で点を打って見せた。
「ぜ・こ・む。あつしの案だそうよ」
「らしいな」
「そうね。でも、問題はこっち」
お由宇は贋物のゼコムの方を取り上げた。
「これ、ね、ゼコムに比べると、約10倍、依存性が高いの」
「え、ちょっと待てよ。ゼコムってのは、パスフェンAより依存性が高いんじゃ…」
「そう。それよりも依存性の高い贋物ゼコム。麻薬として使えないこともないそうよ」
「だけど、なんだって、そんなものが…」
「これが見つかったのはほんの偶然なの。本来なら店頭へ出回らないはずのこの偽物が、何の手違いか店に出てね、それを買って使った人がいつもと違うと感じたのね。医者にかかって体調不良の相談と一緒に、この贋物ゼコムのことも話したのよ。この時の医者が、ちょっとその方面に頭の回る人で、警察に持ち込まれたというわけ。ゼコムとパスフェンAの産業スパイ事件と並行して、極秘に捜査を進め始めたの」
「ふん」
「ところが最近、これを輸出しようとしている動きがあるらしいことがわかってね。当局も本腰を入れて探ろうとしているんだけど、捕まるのは雑魚ばかり。で、この辺りで元締めをなんとかしようという方向に向いて来た」
「それで、あの事件があんなにでかい騒ぎになったのか…」
「どころが、手がかりになりそうなあつしは事故死、あなたは行方不明」
「俺…?」
ぞくりとして、伏し目がちにこちらを見ているお由宇に問いかける。
「何が言いたい?」
「つまりね、さっき狙われたのは、万里子じゃなくて、あなただったかも知れないってこと」
厄介事好きらしい背後霊あたりが、おいでおいでをしている気がして来た。
「ま、狙われたのが万里子だとしても、こっちには好都合だわ」
「え?」
「あなた、万里子に同情しているでしょ」
「う」
見抜かれて唸る。
「可愛いと思ってるでしょ」
「う」
「じゃ、付き合ってみることね。その代わり、いい情報を教えてあげる」
「なんだ?」
「椎我義彦も模造品よ」
にっこり笑ったお由宇の顔を、俺はまじまじと眺めた。




