第26話 研究員
「良平、こっち!!」
息を切らせながら階段からかけ上がってきた良平達を、私は手招きをして生存者のいる事務室へと呼び込む。
「はあ、はあ、はあ...」
「片山君は?」
「すまない、捨て奸にしてしまった」
「そんな...」
「仕方ないです、あの怪我ではそうするしか」
信じられない、さっきまで陽気な青年としてふるまっていた片山君が死んでしまうなんて。
「彼がいなければ私達は助かりませんでした」
「俺が油断していた」
「いえ、あの場合は仕方ありません。武器を置いた相手に撃ってくるなんて」
「入江、階段を見張れ!!誰が来ても躊躇わずに撃つんだぞ!!」
「了解!!」
良平はそう指示をすると新しい弾倉を取り出して銃に装填する。
「敵は5人、いや、もっといるかもしれない。装甲車まであるからな」
「許せない、連中は何者?」
「分からんが、自衛官ではない。恐らく新日本国だと思う」
「うう、もう追っ手が来たのね」
「あ、貴方は...」
いつの間にか意識を取り戻し、良平に声をかけてきた研究員の女。彼女は治療を受けていた机にお尻を乗せて静かに口を開く。
「連中もしつこいわ」
「おばさん!!」
意識の戻った彼女に気づき、明莉ちゃんはすぐさま抱き付ついて笑顔を見せる。
「ここの人達は自衛隊さんで悪い人じゃないよ」
「自衛隊?そう、まだ本土に残っていたなんて運が良いわ」
「外にいる連中のことをご存じで?」
「まあね、私達は連中から逃げてきたから」
彼女はそう良いながら、着ていた白衣のポケットからタバコを取り出して口に咥える。
「...やはり、貴方は写真で見ました。ワクチンの開発者ですか?」
ワクチンの開発者!?初めて耳にする希望ともいえる言葉に私は先程目にした資料を手に取る。薄汚れ、難しい言葉が並ぶそれには被験者や試験薬といった言葉が並び、彼女が感染者に対し何かしらの研究をしていたことが伺える内容だった。
まさかワクチンの開発にも成功していたなんて...
しかし、私の期待をよそに彼女の口から出たのは予想だにしないことだった。
「ワクチン?何を聞いたかは知らないけど、それは違うわ」
「え、では?」
「私は確かに逃げてきたけど、生物兵器の研究をしてただけよ」
「今、なんと!?」
「貴方達がワクチンと勘違いするのも無理はないわね、だってこの子は地球上で唯一抗体を持ってるんだから」
「貴方、名前は?」
「山瀬裕子、細菌学者よ」
山瀬はそう言いながら、ライターを取り出してタバコに火を灯す。
「はじめのうちは治療法を探してたんだけどね」
「ならば何故生物兵器を?」
「この子の抗体を使っても治癒することはできなかった。何せウイルスは速効性が高くて直ぐに脳を支配し、記憶中枢をはじめとした自分達にとって不必要な部分を破壊するからね。私達は予防できないかも試みて、動物実験を経て作成した予防薬を人間に試した。しかし、被験者は感染させた途端に、記憶を失い自我を失った。そう、抗体は特殊で彼女以外には意味を成さないのよ。私達は絶望した、だけど新たに感染した被験者はそれまでの感染者と違い人を襲わなかった。ある信号を除いてね」
「信号?」
「特定のシグナルによって感染者を操ることができたのよ。どうも感染者同士が襲い合わない背景には感染者同士で分かるシグナルがあるみたいね。抗体によってそのシグナルがより顕著になり、操れることに私達は気づいた。その結果を軍に報告したら、すぐさま軍事利用する判断に至った」
生物兵器を作る?何を言ってるんだ。
「軍事利用だと?お前は何言ってるんだ!!」
「良平待って!!」
「村田さん!!」
良平が身を震わせながら山瀬に掴みかかろうとしたが、山中さんが止めに入る。
「相手は怪我人ですよ!!」
「うるさい!!あんな危険な代物を広めようなんて許せるか!!」
「良かった、貴方達がマトモな人達で」
ウイルスにより多くの仲間を失い、誰よりも感染に対する憎しみを抱いて怒りを露にする良平を前にしても、山瀬は恐れること無く更に口を開く。
「私がいた新日本国は感染者の殲滅と来る日本政府との戦いに向けて戦力を集結させていた。だけど、日本は元々少子化が進んでたこともあって兵士の数は足りず、犯罪者崩れを雇っても間に合わない。それならば戦えない老人やクズなニートを強制的に戦力にしようっていう発想が生まれた」
「てめえ!!」
「貴方達は狂ってる!!」
信じられない、感染を止めるどころか守るべき国民を兵器に変えるなんて。
「そう、狂ったことをしようとしたから、私と夫は反対した。だけど、働かない人間を置いて食べさせておくほど余裕はない。事実、新国家の理想を掲げている裏では使えないと判断した人間は処刑してたし。いい加減、殺すのも面倒だから有効活用する方が良いと判断したんでしょう。毎日この子から血液を採取して生物兵器を作ることに嫌気を感じた私と夫は隙を見て逃げ出したのよ」
「...そうか、さっきは取り乱してすまない」
「いや、それがマトモな人間の反応よ」
山瀬は良平にそう答えるとともに口から大きな煙を吐き、言葉を続ける。
「この子を殺すこともできたけど、出来なかった。私達には子供ができなくて寂しかったのが災いしたのかしらね。研究室にいるうちに親心が沸いちゃって」
「どこに行くつもりだった?」
「沿岸部は奴らのテリトリーだから、いっそ内陸の小松に行くつもりだったわ。あそこはこの近辺で唯一の日本政府の拠点だったし」
「小松は陥落した。今は俺達だけだ」
「なら良かった、私を置いてこの子を避難所に連れて行ってもらえない?」
「この子?貴方は?」
「...私は、もう、感染してるから...」
山瀬は突然身を震わせ、鼻血を出す。振り替えると右目が白く濁り始めていた。え、なんでなの?彼女は噛まれて無かったのに...
「実は諦めきれなかった夫がこっそりワクチンの研究を続けていてね、私が被験者として付き合ってたの。私、うっかり研究室で感染してしまって何とか開発中の薬で抑えてたんだけど、繁殖を抑えるだけで死滅させることはできない。もう限界かもしれない」
「おい、しっかりしろ!!美鈴、早く杉田先生に見てもらうんだ!!」
「杉田...?まさか...小松にいた杉田君がいるの?」
「知ってるのか!?」
「良かった...彼が生きているなら無駄にならない...」
山瀬は震える身体で机の上に置かれた鞄を指差す。
「主人は私達を逃がすために命を落として...ここに研究データとサンプルが...この子と一緒に杉田君に...渡して...」
「しっかりして!!」
「駄目、このウイルスは脳に潜んで増殖する。前代未聞の特徴から、人為的に作られた説もある...既に身体中に広がってきて...いる...」
「おばさん!!」
身体を震わせる山瀬に対し、明莉ちゃんは泣きながら彼女に抱きつく。山瀬はそんな明莉ちゃんに対し、優しく頭を撫でて口を開く。
「この子をお願い、じ、人類の希望...夫のためにも...杉田君のところに...」
「何を言ってるんだ!!」
「だ...め...早く殺し...て...」
「おい!?」
「竹井さん、明莉ちゃんを離して目を隠して!!」
「は、はい!!」
「嫌!?」
私の指示を受け、竹井さんは強引に明莉ちゃんの身体を持ち上げて引き離す。
「この子の前で...醜く...なりたくな...い」
「おい、諦めるな!!」
「良平、離れて!!」
私はすぐさま良平を突飛ばし、銃口を向ける。
「ごめんなさい」
「あ、あ...あり、がとう...間に合って、よ、良かっ...た」
最後はせめて楽にしてあげようと私は山瀬の額を一撃で撃ち抜く。倒れた彼女の顔は感染により黒く血走った肌であるものの、どこか満足した表情だった。
同じ女性として美しい姿のまま最後を迎えたい気持ちは嫌でも分かる。
「美鈴、お前...」
「これしか方法は無かったのよ」
「まだ聞きたいこともあったのに!!」
「ワクチンのこと?どう考えても無理な話でしょう、目的を見失わないで」
「...すまん、そうだったな」
片山君を死なせたことで良平も恐らく動揺してたんだろう。ましてやワクチンの可能性が潰えたことに焦りも見える。
「荷物はこれで全部です」
「今の銃声でここも気付かれたから早く逃げましょう!!」
「いや、連中は素人だ。逃げるよりも反撃するのが手っ取り早い、入江は俺に付いてこい。美鈴は援護、山中さんと竹井さんはその子とサンプルを頼みます。奴らは強力な武器を持ってますから決して交戦しないで隠れていて下さい」
「分かりました、お気をつけて」
「人類の希望を奴等に渡すものか!!」
そうだ、良平の言う通り山瀬達はワクチンを完成させることはできなかったけど、抗体を持つ明莉ちゃんがいるのならまだ希望はある。
「おばさん...」
「大丈夫、私達が絶対に守ってあげるからね」
私はそう言いながら、明莉ちゃんの身体を抱き締めて口を開く。
「山瀬さんの意思は私達が確かに受け取ったわ。今までよく頑張ったわね」
「...うん」
「うちには貴方と同い年くらいの子供達がいるの、みんな良い子達よ。悪い人達をやっつけたら連れてってあげるわ」
この子から家族を奪い、助けてくれた恩人すらも殺した新日本国。何が新政府だ、お前達のやり方なんてただの独裁じゃないか。絶対に許さない!!
決意を固めた私は静かに立ち上がり良平達に振り返る。
「良平、奴らに正面から立ち向かえば犠牲は避けられないわ。何せこちらは連中よりも数や装備で劣るんだから」
「何か手があるのか?」
「私に考えがあるの、ウイルスを弄んだ連中にピッタリな方法がね」
明莉ちゃんを守り、人類の未来を願った山瀬夫妻のためにも私達は負けるわけにはいかない。
国民を守る現役自衛官の強さを思い知らせてやるんだから。




