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アイゼン・イェーガー  作者: 来生直紀
EP05/ 第8話 不可侵領域
88/93

#87

 あれから一週間が経った。


 夏休みも半分を過ぎると最初の開放感はすっかり薄れ、ただ過ぎていく時間の早さと未記入・未入力の宿題の山に、気が滅入りはじめていた。

 うだるような炎天下が続くある日、伊予森さんから連絡があった。

 伊予森さんはまた家に誘ってくれたのだが、俺はあのコロンビアマフィア――もとい個性的なご家族が心底怖かったので、丁重にお断りした。代わりに、高校近くの公園で落ち合うことになった。

 伊予森さんからのお呼び出し。

 本来なら心躍るところだが、俺の足はなぜだか鉛のように重かった。


 *


 公園の噴水前のベンチに、伊予森さんがいた。

 俺に気づくと落ち着いた微笑を浮かべた。

 涼しげなシャツワンピ姿。普段の印象と変わらない、完璧に綺麗な伊予森さんだった。

 近くの自販機で互いに飲み物を買って、ベンチに並んで腰を下ろした。ちょうど木陰になっていて多少暑さをしのげた。

「急にごめんね。今日はどうしてた?」

「いや……とくに、なにも」

 俺は正直に答えた。

 起床⇒飯⇒クーラー⇒アイス⇒扇風機⇒ゲーム⇒テレビ⇒ネット⇒飯(※以下無限ループ)というのが、語弊なき俺の夏休みである。

「とくにって……せっかくの休みなのに」

「うん、まあ……」

 それはわかっているのだが。

 しかし夏休みだからなにかイベントがある、というのは非現実的だ。

 あったらいいなとは思うが、さすがに毎日は基本的になにも起きないものである、というのが俺の感覚だった。

「千亜とはね、けっこう遊んでるよ」

「へぇ……」

「でも千亜って遠野くんといっしょで、あんまり外に出たがらないんだよね。あと、人の多いところも苦手みたいだし」

「それは……だろうね」

 リア充の伊予森さんに付き合うのは、カースト底辺付近をさまよう俺たちのような日陰者には荷が重い。体力的にも精神的にも。

 がんばれ、千亜。それがリア充への道だ、と俺は他人事のように思った。

「暇してるなら、プールでもいく?」

「いや、それはちょっと……」

 俺が即座に難色を示すと、伊予森さんが顔をほころばせた。

「うそうそ、冗談だってば」

「はは……」

「でも、このあいだの特訓ですこしは泳げるようになったでしょ?」

「まあ、5メートルくらいは……」

 先日の海での実地訓練のおかげか、最終的に犬かきで十秒浮くくらいのスキルは身につけていた。

 ……それを果たして泳げるといっていいのかは、微妙だが。

 泳ぐことにはなんの魅力も感じなかった。しかし、伊予森さんの水着姿をまた見れるなら行ってもいいかもしれない、と邪な動機で心がぐらつく。

「そういえば、なんか変なんだよね。うちのお父さん」

「え、ドンが……?」

「どん?」

「あ……な、なんでも……。お、お父さんが、なにか?」

「それがね。このあいだの旅行の話してて、最初はふつうだったんだけど、途中から急に怒り出して機嫌が悪くなってさ」

「えっ」

 急に不安になった。

 なにか俺の行動に問題でもあったのだろうか。

「べつに、遠野くんのことじゃないと思うけど」

「そ、そう……。ちなみに……どんなことで?」

「それがほんとによくわかんないの。

 ただ、遠野くんの初体験を手伝ってあげたって、話しただけなんだけど」

 飲みかけのコーラを吹き出した。

 マーライオンレベルの逆噴射だった。

「わっ!? と、遠野くんどうしたの!?」

「げっほっ! ぐふっ、ど、どうした……っていうか、それ」 

 なに、なんだ。

 まさか俺が知らないうちに、俺は人生できわめて重大な経験をしていたのか!?

 愕然としたまま見返していると、

「? だって、遠野くん海で泳ぐの初めてだったんでしょ? だから、みんなで手伝ってあげたって話しただけで……」

「…………ああ」

 ギャグなのか?

 そういう親子間コントなのかと問い詰めたくなったが、どうも伊予森さんの口ぶりからすると。本気のすれ違いが生じているらしい。 

「なのに、お父さん急に顔真っ赤にして怒り出しちゃって。わたしもちょっとむかっと来たから、もう教えてあげないって言って、いまちょっとケンカしてるんだ。あ、そういえばお父さんがまた遠野くんの顔が見たいって言ってたよ。今度はふたりで話がしたいんだって」

「は、はは……」

 しんだ。

 俺の命も、きっともう長くない。

 四方の木でセミが鳴いている。

 このやかましい昆虫たちが短い命を散らすのが先か、俺が変死体となって発見されるのが先か。

 深い沈黙が横たわる。

 伊予森さんは、噴水のほうをぼんやりと見つめていた。

 その横顔に胸を刺された。

 彼女の心がなにに向いているのか、聞かずともわかった。


「夏華と、連絡がとれないんだ」


 伊予森さんは言った。

 その言葉だけで、伊予森さんの振る舞いがから元気なのだと、わかってしまった。

「そっか」

「アカウントも、なくなってた」

 ゲームアカウントごと抹消。

 以前、俺がやったことと同じだ。

 俺はまるで自分が責められているかのような苦しさを覚えた。

「急に、消えちゃった……」

 あのあと。

 俺たちは旅館の人に夏華のことを問い詰めた。

 事情を話して頼み込み、バイトの面接時に夏華が提示していた住所を教えてもらい、帰りのフェリーが出るまでの時間を使って、島のその住所に足を運んでみた。

 だがそこに待っていたのは、なにもないただの空き地だった。

 住所も連絡先も、まったくのでたらめだった。

 音信不通。

 夏華をたどる手がかりは、なにも残されていなかった。


 ――これが、最後だと思うから


 あの夏華の言葉が、こんなかたちで突きつけられると予想できるはずもなかった。

「遠野くんには……言ってたんだよね。もう会えなくなるって」

「……うん」

「どういうことなのかな。……ドッキリにしても、ちょっとひどいよね」

 伊予森さんは、無理をして笑みをつくった。

 俺に、伊予森さんの気持ちはわからない。

 夏華と――モルガンと過ごしたのは、たった一日だけ。

 伊予森さんはリアルで会ったのは初めてとはいえ、アイゼン・イェーガーでは昔から何度も遊んでいた仲だといっていた。リアルの友達と、きっと変わらない存在だったのではないだろうか。

 いや――リアルでもネットでも孤立していた俺に、なにがわかるというのか。

 強い無力感に苛まれる。

 本当に、夏華はどこに行ってしまったのか。

 いや、いまとなっては、そもそも本条夏華というのが本名なのかどうかさえ、俺たちにはわからなかった。

 なにか事情があったと、そう思うしかなかった。 

「それから〈オルクス〉だけと……。やっぱりわたしたち以外、内部であんなものを見た人はいないみたい。飛行戦艦から落とされたのも、あのときだけだって」

「そう……なんだ」 

 俺も自分で調べていたので、ある程度は知っていた。

 夏華の言葉に応じて出現したように見えた、二機の“黒の竜”。

 そしてあのゲームの世界観に似合わない現実的な戦車。

 ひどく不気味だった。

 ザンノスケさんをはじめ、途中まで俺たちと同じ目にあったプレイヤーもいた。

 だが全体からみれば、母数があまりに少なかった。ネットでは半信半疑というかネタ扱いする意見が大半を占めていた。さらに皮肉なことに、その不思議な体験がまたアイゼン・イェーガーというゲームにホットな話題を提供していた。

「そういえば、あの人からは、なにか来た?」

「え、あの人って……」

「女海賊船長みたいな人」

「ああ、サビナね……」

 次にログインしたとき、サビナからメッセージが入っていた。

 話をすると、サビナは自分が謎の戦車型ボスに不条理な撃破をされたことを憤慨していたが、それよりも俺との賭けに買った件を持ち出してきた。

 いま思うと、やはりあんな条件には応じるべきではなかった。

 俺がしぶしぶサビナの要望を聞くと、


『貸しにしとくわ』


 悪魔的に笑み崩れるサビナが目に浮かんだ。

 いっそその場で無茶なことを言われたほうが、どれほどマシだったか。今後、確実に面倒なことに巻き込まれることが確定した。

 そのことを伝えると、伊予森さんは笑った。

 だがそれもいっときのもので、すぐにその横顔はかげってしまった。

「ほんとに、どうしたんだろう……」

 本条夏華――モルガン。

 現れ、そして消えてしまった。

 いったい、なにが目的であんなことをしたのか。

 それに俺は、あの“K”と名乗った男のことも忘れていなかった。

 そして〈オルクス〉内部で出会った、マスターキーという名前のあの少女のことも。

 戦争、正義――

 ただの妄言。

 そうわかっているのに、なぜか頭から離れなかった。

「モルガン……夏華とはね」

 ふいに、伊予森さんがつぶやいた。

「この前、ひさしぶりに一緒にゲームができて、うれしかったんだ。前とぜんぜん変わってなくて。慌てっぽいところとか、気弱なところとか。でもゲームでは上手くて頼りになって、最初の頃はいっぱい助けてもらったんだ。……夏華がリードしてくれなかったら、わたしはあのゲームをすぐにやめちゃってたかもしれない」

「……そっか」 

「夏華となら、本当になんでも話せる友達になれるかもって、

 ……そう、思ってたんだけどなぁ」

 俺たちと一緒に攻略して(遊んで)いたときの夏華。

 そして俺たちの前に立ちはだかったときの夏華。

 どちらかがまったくの演技だとは、俺には思えなかった。

 どちらも本当の夏華でありモルガンなのだと、いまはそう思うことが本当の事情を知るために必要なのではないかと感じた。

 

「また、会えるよ」


 気づくと俺はそう言っていた。

 なんの根拠もなかった。

 ただの気休め。誤魔化しに過ぎない。

 でも、それだけじゃない。

 それは俺の願いでもあった。

 伊予森さんだけでなく、俺自身の。

「あ……そんな気がするっていうか、その……。根拠は、ないけど……」

 しかし、無責任すぎる。

 伊予森さんの顔を見る度胸もなく、早々に自分の発言を後悔していると、


「ありがとう、遠野くん」


 ベンチに置いた手に、やわからな感触が重ねられた。

 ぎょっとしながらも、俺はとっさに手を動かすことはできなかった。

 できるはずがない。

 いったいどうして、こんなにも震えている女の子の手を離すことができるだろうか。 

 俺は汗ばんだ手をそっと裏返し、ぎこちなく手のひらをそっと重ねた。

 そうすることで、一秒でも早くその震えが止まればいいのにと願いながら。


 また会えるはずだ。

 アイゼン・イェーガーを続けていれば。

 いや、そうしなければいけない。


 そんな気がしていた――




 あとがき


 これにて、8話(全39部)にわたってお届けして参りました『〈オルクス〉攻略編』は完となります。(長かった……! 作中では一日の出来事なのに!笑)

 

 以前にもちょろっとお伝えした通り、アイゼン・イェーガーはわりと長いお話です。

 一大叙事詩! というほどではありませんが、完結までには必要とするエピソードがあれこれ積み重なっています。今回、ようやく物語の中核にすこし触れたという感じでしょうか。。


 次回のEP06は、また舞台を学校・日常生活に戻して、二学期を迎えた盾たちに起こる出来事を描いていく予定です。(なるべく明るい青春ラブコメな話にできたらいいな……!)

 また、これまでのエピソードで出てきたあの人やあの人には、近いうちに再活躍の機会があるので、今後の展開にどうぞご期待ください。

(いまのところ決まっているのは、EP07が野郎メインの展開になりそうということですが。。)

 

 、、、とその前に、さきの宣言通り、次はもう一方のお話であるプロト・イェーガーの第2話を更新する予定です。そちらがある程度進んだ段階で、アイゼン・イェーガーの本編に戻りたいと思います。


 なかなか気の長い話で大変恐縮ですが、、最後までお付き合いいただけたら非常に幸いです。



 では次回、プロト・イェーガーの予告にて。


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