#80
視えない敵との戦闘。
狙われる側からすれば、恐怖以外のなにものでもない。
からくりは光学ステルスユニット。
その名の通り、視覚的な迷彩を施す補助兵装だ。同時に近距離限定だが敵機のレーダーを欺瞞する機能も併せ持つ。性能的にはアクティブ・ステルスの上位装備だが、その分、エネルギー消費が大きいのが欠点だ。
つまり長い時間、使い続けられるわけではない。
透明化していられるのは、せいぜい十秒かその程度。
だがそれ以上に厄介なのは――
真後ろに出現した気配を頼りに、〈五式重盾『鐵』〉を構えた。
シールドの上を赤い三本のレーザーエッジが薙いだ。
対物シールドの耐久値が大きく削られる。
もう一方の〈LUCIUS〉を構える余裕がなかった。
防御から最速でレーザーソードの斬り返しをつなげる。空気中の水分が蒸発する効果音が鳴る。だが手ごたえはない。
幻影のような猟機の輪郭が遠ざかり、またたくまに姿が雲隠れする。
「速い……」
敵は俊敏だった。
軽量機か、軽量機寄りの中猟機の速度。重武装型ではない。
しかもいまスラスターの噴射炎が見えなかった。敵機は、スラスターを使わっていない。脚部フレームのアクチュエータによるステップを駆使している。
ハルが得意としていたマニューバと同じ。
速さは互角か、あるいはそれ以上だ。
前方の空間がわずかに揺らめいた。
バックブーストで後退。
直後、機体が縦に揺れた。
敵の攻撃ではない。洞窟の低くなった天井部分に、猟機の肩がぶつかった。
不快な揺れに耐えながら、視えない敵との距離をかせぐ。
このエリアは非常に狭い。機動性重視の猟機には不向きな場所だ。ここではいつものように空間を大きく使った戦い方はできない。
だが向こうは、それをなんの苦にもしていないと感じた。
スラスターを使わないのは、エネルギー消費を抑えるためだけの理由ではない。
瞬間的な加速や最高速度よりも、最小限の動きの組み合わせで複雑なマニューバを実現するためだ。
右側に圧迫感。
ほんの間近に来るまで気づけなかった。
シールドを振り上げ、かろうじて敵の火器――腕か?――を外側に弾いた。
直後、砲口が火を吹く。あさっての方向にグレネードが着弾。壁の結晶が砕け散る音と振動音が洞窟内に響く。
レーザーソードの反撃は間に合わない。
すでに敵機は離脱している。
もうひとつ、気づいたことがあった。
それは、敵の静かさ。
設定上とはいえ、二十トンの鉄の塊が動いているのだ。ほとんどの場合、猟機はやかましいものだ。ゆえに聴覚から得られる情報もかなり多い。
だがこの敵には、それがほぼゼロといっていいほどない。
レーダーに補足反応。
すこし離れた位置に、敵機を捉えた。だがその方向に目を向けても猟機らしき姿が見えない。いや――レーダー上で敵の位置を示すあたりに、ちょうど巨大なクリスタルの岩陰があった。そこに機体を隠している。
ああやって、エネルギーを回復する時間を稼いでいるのか。
俺はすぐに反撃することよりも、敵の特徴を分析することに注力した。
まず敵の装備は、近接用のレーザークロー。
刃が連装しているため威力は高いが、リーチがきわめて短いため対人戦では命中させにくい。主力兵装ではないのか。
さらに敵は姿を隠すため、斬る瞬間だけ刃を出力していた。
俺のレーザーソードのように、出力器が刀身と同じ長さまで備わっているものでは、それほど意味がない。ただ出力器が柄だけのタイプで、かつ刃のリーチを常時敵に見せたくない場合や、いまの敵機のように姿を隠すときに併用して使われるテクニックだ。
加えてグレネード弾の発射火器。弾の爆発と衝撃の大きさから、それほど大経口のものではない。腕部に固定するタイプか、それに近い種類。
それらのいずれかで、一撃離脱戦法を繰り返している。
戦い方としては非常に単純。
だが洗練された動きだ。付け焼刃ではない。
それなら――
メインスラスターオン。
〈LUCIUS〉を左腕部にマウントし、ブーストダッシュで正面から接近。
光学ステルスといっても、まったく視えないわけではない。
いるとわかっていれば反応できる。
その自信があった。
こちらが近距離戦闘の間合いに入った瞬間、ふたたび敵機がレーダー上から消えた。光学ステルスを起動した。
来る。
透明化した敵機が岩陰から躍り出る。
それがわかったのは、ほんのすこしの蜃気楼のような揺らぎ。それを目で追ってあとはイメージで補完した。
敵機はどちらを使う。
レーザークローか、グレネードか。
イメージのなかの中量猟機が地面を蹴りつけ、こちらに肉薄する。
前者――
レーザークローが下から突き上がる。
レーザーソードを斜め上から振り下ろした。
互いのレーザーエッジが衝突。
灼熱の刃が激しく干渉。
まばゆい発光が鼻先でまたたく。
フルアクセル。
メインスラスターの出力を最大まで上げ、力任せに弾き返した。敵が刃をオフにして遠ざかる。その気配は以前よりもはっきりと感じられた。
実戦で、つばぜり合いが起きることは実はかなり珍しい。
互いの太刀筋が同じタイミングで重なるというのは、それぐらいお互いの反応速度が拮抗していなければ起こらない。
驚嘆に値した。
単なる反射神経だけの話ではない。それに追従する操縦コマンドの入力の速さ、正確性、そして戦術眼。どれも確実に戦いなれた人間のそれだ。
もう一度来る。
危機感――否、恐怖に突き動かされた。
重く粘度の高い圧力の向こうに、敵猟機の操縦者の確固たるとした強さを感じた。
それはまさに、あの“黒の竜”と戦ったときと同じ。
一度刃を交えるごとに、こちらの動きを学習し、進化する。
だがそれは、こっちだって――
敵の姿を完全に見失う前に、腰部後ろのハードポイントにマウントしていたマルチランチャーを装備。
セレクトしたスモーク弾を発射。
前方で濃い灰色の煙幕が爆発的に膨れ上がった。
乱れる煙の動きが、敵の挙動を明確に示してくれた。
丸見えだ――
捉えるのを待たずに、俺はブースト・マニューバで斜め横から接近していた。
一撃で斬り伏せる。そのつもりだった。
だが。
敵機の足元でグレネードが炸裂した。
爆風がスモークを吹き飛ばした。
洞窟内を煙が吹き抜け、通常よりはるかに速く霧散してしまった。
グレネードの爆発で、煙幕を無力化した――
驚異的な判断力と、機転の利き。
だがその一瞬、敵が光学ステルスを再起動したのか、敵機の姿が至近距離で見えた。
敵機の特徴的な一部分が目に焼きついた。頭部の後ろに向かって伸びる角。高性能なレーダーユニット。決して珍しいフレームパーツではない。
それでも。
それまで積もりに積もったある疑念が、ひとつの確信に変わった瞬間だった。
冗談だろ――
そう思わずにはいられなかった。
ありえないことだったからだ。どんなに可能性を広げて想像を膨らませたとしても、真っ先に否定すべきことだ。
だが、もうできなかった。
数々の奇妙な出来事と違和感が、その確信を裏づけしていた。
だからこそ、俺はそのときすぐにゲームからログアウトしなかった。
そうしたい衝動とも戦っていた。
敵機は雲隠れしたまま、攻撃を仕掛けてこない。
そのときふと、戦闘の流れが変わったことを感じた。
敵の攻撃の勢いが、失われつつある。
なぜ?
なにか、ほかのことに気をとられているような――
ふたたびレーダーマップ上に、敵機の反応が浮かび上がる。
さきほどとはちがう地点の岩陰に隠れていた。俺は最初、それがただ光学ステルスで激しく消耗するエネルギーを回復しているだけだと思っていた。
だが、それだけではない。
なにかを探している……?
『シルトさん、大丈夫ですか?』
ちょうどそのタイミングで、キーが聞いてきた。
「……」
『シルトさん!』
「え?」
『大丈夫ですか?』
「あ、うん。……ただ敵が」
俺は意識の9割をレーダーに向けていた。
敵は、ただ隠れているのではない。
――戦闘がはじまる前に、キーが隠れた場所を探っている。
「……あの」
『はい』
「逃げます」
『はい?』
俺は直感で即座に結論した。
すみやかにさきほどキーが隠れた岩陰に接近。その場で機体をひざまづかせた。キーの驚いた顔が視界の端に映る。
レーザーソードをオフにし腰部脇にマウント。空いた右腕部のマニュピレータで彼女の身体をつかみ上げた。
『ひゃっ』
その場で旋回。敵機を無視して洞窟の奥へと一直線に向かった。
非常に狭く、道の先がどうなっているかもわからないのでアフターブーストは使えない。それでも危険なほどの速度を出した。
手のなかに収まったままのキーが聞く。
『さきほどの敵、私を狙っていましたか?』
「はい、たぶん」
敵の狙いは俺と、そしてキーの両方に向いていた。
洞窟内は入り組んでいた。途中、何度も分かれ道に行き当たったが、なにも考えずにルートを選択。止まっている余裕はない。
敵は追ってきている。
レーダーでも目視でも捉えられないが、そう確信した。
『止まって!』
――バックブーストをかけた。
機体の胸部下から小さな噴射炎が上がる。その推力と脚部のブレーキングで、機体が急停止。
機体の足のほんの数メートル先で、道が途絶えていた。
その代わりにあったのは、上下に広がる膨大な筒状の空間だった。
行き止まり?
メインカメラで上下左右を見渡す。俺たちが立つ場所から見てやや上方、わずかに猟機一機分程度が乗れそうな足場が見えた。
あそこに飛び移れということか。
操作をわずかに誤れば、この穴の底に落ちる可能性もある。
だが迷っている暇はない。
「つかまってて。……ください」
『はい』
キーは臆すこともなく答えた。
メインスラスター・オン。地面をけりつけブーストジャンプで跳躍した。
空洞を縦に上昇。
足場の上でスラスターをカット。そのまま自由落下でそこに着地した。
硬直が生じる、その瞬間。
それを狙うと踏んでいた。
急速旋回。
二種のシールド――〈LUCIUS〉と〈五式重盾『鐵』〉を、左右の腕で同時に構えた。予想外だったはずだ。
亀のような完全な防御体勢に、透明な気配が激突した。
まったく音もなく、光学ステルスで奇襲をかけた敵猟機を直前で展開したシールドで弾き返した。
衝撃で機体が後ろに滑る。
手ごたえあった――
俺は機体をわずかに傾け、眼下の奈落を覗き込んだ。
「落ちた、か……?」
位置的には落下しておかしくない。
おそらく光学ステルスを使っていたせいで、スラスターにまわすエネルギーは多くなかったはずだ。
だが撃破判定の表示は出ていない。まだ生きている。
とはいえ、ひとまずは――
全身にべっとりと張り付いていた緊張感が、ようやく消え去った。
『お見事です、シルトさん』
キーは冷静だ。
さきほどの俺への警告といい、いまのこの落ち着いた態度といい、慣れているというよりは、なにか確固たる目的と意思がそうさせているような気がした。
「さっきの……。そっちを狙ってたみたいな……」
『そのようですね。やはり、急いだほうがいいです。このまま進みましょう』
「……」
急いでこの〈オルクス〉の最深部を目指す理由。
俺はこのキーという少女に促されながら、それがさきほどの敵から逃げ切るため以外にもあるような、そんな気がしていた。




