#79
その白い服の少女は、笑顔でこちらを見上げていた。
独特な雰囲気だった。
生身で全高二十メートル近くある猟機の前に立てば、普通は反射的にたじろくものだが、少女は平然としている。
単に慣れているだけなのか。
俺は改めて周囲に敵がいないのを確認してから、猟機を降りた。
目の前の少女と向き合う。
背は俺のアバターより低い。理知的な表情が印象的だった。
「えっと……」
視点を合わせて少女のプロフィールを閲覧した。
アバター名は、master key となっていた。
「マスターキー……?」
「え?」
俺のつぶやきに、その子はなぜかきょとんとした。
「ああ、ごめんなさい。そうですね……じゃあ私のことは、キーとでも呼んでください」
「は、はぁ」
その名前に覚えはない。
しかし、ぼんやりした既視感があった。
どこかで会ったような――
思い出せなかった。
「あ、さっきは助けてくれてありがとうございます。私も、急に遭遇してびっくりしちゃいました。実際にやってみると、けっこう怖いものですね」
「……あの、どうして」
どうして猟機を呼ばなかったのか。
それを尋ねようとしたとき、先に少女――キーが口を開いた。
「あなたにお願いがあります」
「え?」
キーは真剣な眼差しを俺に向け、
「私を、この〈オルクス〉の最深部まで連れていってほしいんです」
そう言った。
突然の依頼に、俺は呆気にとられた。
「実は、私は戦うことはまったくダメダメなんです。なので、あなたのように戦い慣れた人にエスコートしてもらう必要があります」
非常にストレートな物言い。
普通なら無遠慮というか、ずうずうしいと思うところだが、あまりに淡々と言われて俺はそう感じる暇もなかった。
要は、協力してほしいということか。
共同戦線クエストだし、おかしいことではない。
「べつに……よいです、けど」
「ありがとうございます。では行きましょう。時間があまりないので」
キーはくるりときびすを返し、延々と続くクリスタルの洞窟の奥へと歩き出そうとした。
俺は戸惑い、その背に声をかけた。
「あの、猟機は……」
「あぁ……。そうか、これでは時間がかってしまいますね」
「それは、そうかと……」
「では肩に乗ります」
「?」
一瞬、なんのことかわからなかった。
だがキーはごく平然と、なんの躊躇もなく言った。
「あなたの猟機の、です」
純粋に楽しそうな彼女の発言に、俺はまたぽかんとした。
*
『わわっ、すごく揺れます』
「でしょうね……」
キーは俺の猟機の肩の上に座り、装甲にしがみついている。
生身で人の猟機に乗ったり、その状態で高速移動をしたりなど、何度かお遊びでやったことはあった。生身もダメージ判定を持っているので、一定以上の高度から落ちたりすれば死亡――撃破認定を受ける。
だがそれ以前に、いま会ったばかりのプレイヤーによく頼めるな、と俺は思った。
しかし、なぜか不快な感じはなかった。
決して可愛い女の子のアバターだから、というわけではないのだが……。
加えて俺はもうひとつ、大きな疑問を抱えていた。
「あの、〈オルクス〉にはどうやって……?」
まさか航空拠点から飛び移る方法が、標準だとは思えない。
『普通に来ましたよ。このクエストのための飛行戦艦が出ていたじゃないですか』
「やっぱ、ですか……」
その答えは、安堵と落胆を同時にもたらした。
では俺たちが遭遇したのはなんだったのか。
もしかしたら、ランダムイベントのようなものかもしれない。何回かに一度は、あんな風に撃墜されてしまう展開が組み込まれているとか。
だとしても、ずいぶんと難易度に開きがありすぎる気がするが。
「キーさんは、ソロ……なんですか?」
『はい』
「……でも、あんまり得意じゃない、って」
『いけませんか?』
「あ、いえ……」
どうも相手の立場がわからず、調子が狂う。
初心者のわりには堂々としているし、かといって熟練者の得意げな感じともちがう。まあそもそも、俺は人との会話自体苦手だが。
早々に俺が黙ってしまうと、キーが言った。
『シルトさん。どうしてあなたはこのゲームをやっているんですか?』
「え……」
気軽な質問、というトーンではない。
妙に真剣な口調だった。
「どうしてって……。ただ……趣味で」
『他のゲームではダメなんですか? VRゲームは他にも色々あるじゃないですか。剣と魔法のファンタジー風なものとか、スペースオペラ風なものとか』
「べつに、駄目ってわけでは……」
単純にやってみて、アイゼン・イェーガーは性に合っていた。
だからのめり込んでやり続けた。それだけのことだった。それ以上のことなど、深く考えたこともない。
それなのに、まるで非難するような彼女の言い方が気になった。
「あの……なんで、そんなこと」
キーはすこし考え、
『できることなら、もうこのゲームをやめてほしいんです』
「は……?」
俺は、つい猟機を止めてしまった。
きらきらと反射する青い洞窟のなかで、見知らぬ女の子を機体に肩に乗せている。そしてなぜかゲームをやめるように忠告された。
極めて不可解な状況だった。
「な、なんで、ですか?」
『これがひどいゲームだからです』
「ひどい……って、ど、どこが……難易度、とか?」
『すべて』
キーはにべもなく断定した。
この子はいったい、なににそんなに怒っているのだろう?
たしかに日々、ネット上ではいろいろな議論が白熱して交わされている。
あの兵装が強すぎて厨武器だとか、オンラインのシステムに改良の余地があるだとか、グラフィックの作りこみがどうとか、挙げればきりがない。
しかし、それでも世間的には十分な人気を獲得しているゲームだ。ひどいと断言するほどではない。まあ個人の感想はそれぞれだが。
「そんなに……ですか」
『ある意味アイゼンは、人類史上最低最悪のゲームです。クソゲーです。
倫理的にあってはならない』
「そ、そう……」
可愛らしい顔に似合わず、暴言を吐く子だった。
では、なぜこのゲームをやっているのか。
そうつっこみたくなったが、さすがに聞き返す勇気はなかった。
『この場ですべてお伝えできれば、どれほどいいか……。いえ、それでもあなたがそれを信じてくれるかどうかはべつのお話ですが』
「? な、なにを……」
『あなたは――れたということです』
突然、音声にノイズが混じった。
あるいはそこだけ空白になって途切れてしまっている。
キーは弱々しく微笑んだ。
哀しい表情だった。
『―――――、――――です』
なにを言っているか、ほとんど聞き取れなかった。
それを、彼女もわかっているようだった。
『ほら。リアルタイムの禁則処理がかけられているので、肝心なことは言えないんです』
禁則処理?
よっぽどのことがない限り、そんな制限はかからない……はずだ。
テキストメッセージはともかく、こうして直接話している限りは。
キーは深々とため息をついた。
『本当に、どうしてこんなことになったのか。まさか勝ってしまうなんて……』
「……?」
いよいよ疑問がパンクしそうになったとき、警告音が鳴った。
レーダーマップに敵性反応。
ガイストだ。
俺はその場で機体をかがませ、キーを地面に下ろした。
てっきり協力して戦ってくれると思っていたのだが――
『では、よろしくお願いします』
キーは当然のように言った。
「え?」
『だって、私は猟機を使えないですから』
猟機を、使えない?
ありえない。
このアイゼン・イェーガーで猟機を呼び出せないなど、ゲームの根本を否定している。
『来ますよ。気をつけて』
言われるまでもなく接近する敵を横目で捉えていた。さきほども遭遇したゴリラ型の重ガイストだ。
キーはぱたぱたと歩いて、岩のような巨大なクリスタルのかげに身を隠した。実に他力本願だ。
とにかくいまは、目の前の危機に対処しなければならない。
俺は左腕部に〈五式重盾『鐵』〉をマウント、右腕でレーザーソードを抜刀した。
ゴリラ型ガイストの両肩のランチャーが火を吹く。
飛び出したロケット弾の雨が次々と着弾。
爆風をシールドで防ぎながら弾幕を抜けた俺の機体は、敵のリロードのタイミングで一息に距離を詰めた。
最後の一体。
ゴリラが大槌のごとき拳を振り下ろす。まともに受ける気はない。
ぎりぎりまで引きつけてサイドブースト、ドリフトターン、バックブーストの連続マニューバで敵の背面に潜り込む。
マニュアル入力の太刀筋は――刺突。
レーザーソードの切っ先が敵の胸部から飛び出した。
撃破認定。
『すごいです。お見事』
岩陰から出てきたキーが、ぱちぱちと拍手する。
どうも、体よく使われているような気がしないでもない。
「……まあ、これでどうにか――」
一息つけると思っていると、目の前のクリスタルの壁がきらりと光った。
本当に、ただそれだけの現象。
それでも反応できたのは、ここにいるのが俺の猟機だけだとわかっていたからだ。生身のキーがいくら動いたとしても、そうはならない。
スティックを戻してスラストペダルを踏み込む。
目の前を赤いレーザーエッジの光刃が薙ぎ払った。
緊急後退の揺さぶりに耐えながらも、決して目だけはつむらなかった。
レーザエッジ越しの空間が、ぼんやりと蜃気楼のように揺らめいていた。
ダメージアラート。
胸部の装甲を削り取られた。だがそれほど大きな損傷ではない。即座に機体を加速させる。目視とレーダーで索敵。
『気をつけてくださいッ!』
地面の上でキーが叫んでいる。
彼女も気づいた。
モニター上には、なにもいない。レーダーマップにも敵は映っていなかった。
いまのは……?
見えない敵。
どこから、どこを狙ってくる?
正面に〈五式重盾『鐵』〉を構えた。
直後、二度目の衝撃が襲った。
強烈な爆発と猛火――グレネード弾。
対物シールドの性能のおかげで、機体にダメージはない。俺は姿勢制御をしつつ最大の集中力で目を凝らした。
発砲時に出た硝煙。
それが人型のなにかの輪郭に沿うように、曲がって流れていた。
煙が消えるまでのほんの一秒足らずの時間。
それが俺を救ってくれた。
敵の正体は――光学ステルスで透明化した猟機。
すさまじい敵意と殺気。敵の存在に気づかなければ、なにが起きたかわからないまま撃破されていただろう。
その瞬間、確信した。
ザンノスケさんの仲間を襲った猟機が、いまここにいる――




