#07
家から出るほかなかった。
あんな話のあとだ。篤士も「え~っと、おれ、どっか行ってよっか?」などとへたくそに気を遣おうとしてくる。
ああ頼む、なんて答えられるわけがない。
並んで歩くと、俺は改めてクリスのスタイルのよさに圧倒されていた。
背はまだかろうじて俺の方が高いが、クリスの年齢を考えると、抜かされるのはそう遠くないかもしれない。
「うれしいなぁ、シルトさんと一緒にでかけられるなんて」
「はは……。それは、なにより……」
休日なのでランドセルを背負っていないことがまだ救いだ。
だんだんと、あの赤く四角いカバンがトラウマになりかけている気がする。
「あの、これ、変じゃないですか……?」
大胆に足を出したショートパンツに、中のタンクトップが透けて見える薄手のシャツ。活発なクリスの印象を引き立たせるような、さわやかな格好だった。
「いいと思うけど」
当たり障りのない答えを返す。
実際クリスのスタイルなら、大抵の服は似合うような気がした。
「えへへ……」
クリスが身体を寄せる。肩が触れた。
見下ろすと、ショルダーポーチのストラップが胸の谷間を割って強調していた。
視線をひき剥がす。
まずいまずい。
相手は小学生だぞ。
変なことを考えるな。無心になるのだ。
「どこか行きたいところあります?」
「えっと……。本屋、とか」
本当のことを口にする。
「あ、いいですね。わたしも探したい本があったんですよ」
とりあえず駅前にある大型書店に行った。
だが店内でもクリスはいっこうに俺から離れようとしない。
表紙も見ずに手にとったファッション雑誌を適当にめくる。まともに中身も読まずこれからどうすべきか葛藤していると、クリスがのぞき込んできた。
「あ、その服かっこいいです。シルトさんに似合うと思いますよ」
「そ、そう?」
クリスが指指したのは、世紀末めいた黒いジャケットに赤いサングラスをしたモデル。
コピーは、『暗黒の堕天使は血の涙を流すんだぜ?』
意味がよくわからない。こういうのが、最近の流行りなのだろうか?
まったくもって疎い俺には判断しかねた。
問題はほかにもあった。
クリスが後ろからのぞき込んでくるため、背中になにか、やわらかいものが当たるのだ。この感触は……。
まずいまずいまずいまずい。
かつて、どれほど手強い猟機に背後をとられても、こんなに緊張したことはない。
「じゃあ今度、いっしょに買いにいきましょうね」
「はは……」
危険な約束が増えていく。
しかもクリスは、俺をかなり大人だと思って接してくるのだった。
高校生って普段どこに遊びにいくんですか? とか、やっぱり大人っぽいところですよね? などと聞かれるのが一番苦しかった。
普通の高校生がどこに行くかなど、この俺が知るわけもない。
中学生ですら不明だ。俺の外世界に関する経験と知識は、小学生のときで止まっているのだ。
そういう意味ではクリスと歩調が合っているとも言えたが、まさかそんなこと口に出せるはずもない。というか情けなかった。
ファーストフード店。
雑貨屋。
ゲームセンター。
プランもなく遊びまわり、しだいに日が暮れてくる。
「そ、そろそろ帰ったほうがいいんじゃ……」
「あ……」
クリスは携帯の時計を見て、
「ごめんなさい。うち、門限が厳しくて……」
「ううん。気にしないで」
ほっと胸をなで下ろす。
よかった。なんとか無事、何事もなく完了した。
数日分の体力を使ったような気がする。
「じゃあ、駅まで送って――」
「あ、それならうちにきて、一緒にゲームしましょう!」
「 」
そのときの俺の感情を表現しうる言葉は、ない。
クリスが腕をからませた。
強引にひっぱられながら、なにか口にしなければと焦り、
「で、でも! ほら、俺、VHMD持ってきてないし……」
そうだ。あれがなくてはVRゲームはできない。
取りにいっている時間はないし、ごめんねとても残念だけどまたいつかそのうち機会があったらねと喉まで出かかったところで、
「大丈夫です、うちにもうひとつありますから!」
天を仰いだ。
すでに退路を断たれていた。迅速な包囲網だった。
それでも往生際悪く俺が渋っていると、
「……シルトさん、あたしのこと、ほんとはキライですか……?」
「い、いや、べつに嫌いとか、そういうことは、ぜんぜんないけど……」
「よかった……。じゃあ行きましょっ!」
小学生のパワフルさには、敵わなかった。
大きな門に、広い庭。駐車場には高そうな外車が停まっている。
クリスの家は、豪邸とまではいかないが、裕福さが伝わる立派な一戸建てだった。
庭の柵から首を出している真っ白な大型犬に会釈しながら、俺は門をくぐった。
「お邪魔、します……」
本当に邪魔ではないのか。
というか、頼むから言ってほしかった。なんでもいいからいちゃもんをつけて追い返してくれまいか。
だが、迎えたクリスの母親は、
「まあ、いらっしゃい! さあさあどうぞ上がって上がって」
これでもかというくらい歓迎ぶりをあらわにした。
お茶を出され、お菓子を出され、面と向かって座らされた。
クリスよりも色の濃い金髪。澄んだ青い瞳。
傍目にも綺麗な人だった。クリスが大人っぽいため、姉妹のようにも見える。
「背も高くて、ステキな男の子ね」
「もう、ママ!」
背が高いのは当たり前だ。
しかも俺はべつに同年代のなかで大きい方ではない。
「クリスとは、どういうご関係なの?」
「……と、友達? です」
クリスにアイコンタクトで回答を求めると、クリスはなぜか恥ずかしそうに目を伏せ、一瞬唇に人差し指を当ててみせた。
まだ内緒ですよ? みたいな。
なにを? その秘密を俺が一番知りたい。
「この年で、こんなに落ち着きがあって。クリスも見習いなさい」
「はーい」
「……?」
不思議なやりとりだった。
もしかして。
俺は愕然として、美人親子の会話を見つめた。途中になって気づいたが、どうやらこの母親、俺のことを同級生の友達だと思っているようだった。
童顔といわれればそうかもしれないが、しかし、小学生だと思われるとは。
この人もちょっと普通じゃない、とようやく悟る。
「あ、あの……」
「どうしたの?」
「……いえ」
まずいと思うと今度は言い出しにくくなり、口をつぐんでしまう。
「じゃあ、あたしたち部屋でゲームしてるから」
「ほどほどにするのよ」
のほほんとしたクリスの母親に手を振られ、俺は力なく二階へと上がった。
クリスの部屋。
部屋に入った瞬間、クリスはベッドに飛びついた。
なにが起きたのか。わずかな一瞬のうちに、俺の目はその理由を捉えてしまっていた。
クリスはそれをばばっと布団で覆い隠し、すばやく振り返る。
「ご、ごめんさない! すこし出てもらって、いいですか!?」
「あ、お、はい」
回れ右して部屋を出る。不覚にも動揺していた。
見てしまった。
綺麗に畳まれた衣服の一番上にあった、小さな白い布切れを。
「ごめんなさい……どうぞ……」
クリスの耳が赤い。
「う、うん? 大丈夫?」
俺が大丈夫でないが。
気づいていない振りに努めたが、顔がひきつっていたかもしれない。
「あんまり見ないで、ください……」
昼間の勢いはどこにいったのか、クリスは恥じらいながら、クローゼットを隠すように立っている。
その中になにがあるか、想像しないようにした。
無だ。無になるのだ。
「あ、あのさクリス。俺やっぱり……」
「はいっ、どうぞシルトさん。わたしの機体、見てください!」
満面の笑みで差し出されるVHMDを、俺はついに突き返すことができなかった。
敗北感がこみ上げる。
やめるやめると言って、やめられない。傍から見れば、まるで本当に麻薬中毒のようだった。もしくはヘビースモーカーか。
見るだけだ。
そう自分に言い聞かせ、俺は自分のIDとパスコードを入力、アイゼン・イェーガーにログインした。




