#78
高度計を確認した。
数値は上限を振り切っていた。
その状態で止まっているということは、俺がいま猟機の足で踏みしめている地面は、地上から途轍もなく離れた高さにあるということだ。
その場で旋回。猟機の足で急制動をかけたため、盛大に地面を掘り起こしていた。
その跡をたどって、ゆっくりと機体を前進させる。
地面の端で慎重に停止し、下を見下ろした。
「高っ……」
想像を超える絶壁だった。
この〈オルクス〉のなかでも、十分に高い場所だ。俺がいまいるところ以外に、足場になりそうな場所が見えない。鉱物めいた質感の斜面だけがはるか眼下まで延々と続いていた。
全体的に塔というか、筒状の構造になっているのかもしれない。
俺は端側から降りるのを諦めた。
〈オルクス〉は別世界のような風景だった。
前方には朽ちた石の建物と森が広がっている。足元は豊かな草花に覆われ、それらをゆったりと揺らす風にはときおり鮮やかな色の花びらが混じっていた。
猟機の集音マイクを開く。普段はあまり使うことのない機能だ。
適当な方向に向けると、鳥のさえずりや、水流のせせらぎが聞こえた。
荒涼としたアイゼン・イェーガーの地上世界とはかけ離れた幻想的な場所。まるでべつのゲームに入り込んでしまったような感覚すらあった。
「ここが、〈オルクス〉……」
ひとしきり見とれてから、俺は重要なことを思い出した。
イヨたちの猟機が見えなかった。
すぐにレーダーマップで位置を確認し――ほっとした。
近くにいる。
耐久ゲージ等のステータスから見ても無事らしい。
俺はやわらかな草地を踏みしめ、猟機を移動させた。
イヨたちとはすぐ合流できた。
イヨとチアの猟機は、森と一体化した古びた遺跡のなかにいた。
アーチ状の門ひとつとってもあまりに大きい。まるで巨人サイズ――猟機の大きさを前提に作られたようなスケールだった。
『よかったぁ、みんな無事で。でもわたし、途中で失神するかと思ったよ』
『もいっかい……やってもいい』
イヨはまいった様子で、対照的にチアはけろりとしていた。
そこで俺は、なにか足りないことに気づいた。
「あ、そういえばサビナは……」
すっかり忘れていた。
思い出したところで、ちょうどボイスチャットがかかってきた。
『あんたたち、どこにいんのよ!』
出た途端、甲高い怒鳴り声が頭のてっぺんまで抜けた。
「ええっと……」
レーダーマップを確認。
だがすくなくとも、サビナは探知圏内にはいなかった。
運悪く、サビナだけずいぶんと離れた位置に着地したらしい。
「まあ、進んでいけばどこかで合流できる……かも」
『こ、このアタシをひとりにするわけ!?』
『あれれ~。もしかしてぇ、寂しいんですかぁ?』
ここぞとばかりにイヨが茶化す。
『そっ……! そんなわけないでしょ!?』
いいからちゃんとアタシを探しなさいよ! 五分以内に! と無茶なことを言ってサビナはチャットを切った。
無性にため息が出た。
「じゃあ、行こっか」
サビナがいなくなりイヨは妙に晴れやかだ。
まあ、ここまで協力してもらっているので放置してはかわいそうだろう。ただサビナはなんというか……一緒にいると大変なのだ。気疲れするというか。それは以前から変わっていない。
それに、問題はべつのところにもあった。
リクアターの燃料残量のゲージが、半分を切っていた。
避けられない代償だった。
補給直後といえども、アフターブーストを湯水のように使えばこうなる。ただ、そうしなければここにはたどり着けなかった。
攻略中に燃料がゼロになれば、強制的にドックに戻されてしまう。
つまりゲームオーバーだ。
『燃料、最後まで持つかなぁ……』
「まあ、無駄に使わなければたぶん」
どのみちここまで来た以上、進むしかない。
俺たちは覚悟を決め、〈オルクス〉の攻略を開始した。
崖下の斜面を、スラスターをオフにして徒歩で降っていく。
猟機の重量により、踏み出すたびにパラパラと足元がわずかに崩れ、鉱物の欠片が虚空へと落ちていった。
ブーストジャンプして飛び降りれば早が、燃料を節約したかったのと、飛んだ先に着地できる場所があるかわからなかった。せっかく〈オルクス〉に乗り移ったのに、落下死だけは避けたい。ちなみにこういう道の走破性は、チアの多脚猟機が秀でている。
斜面の途中で、ふいにイヨの〈ヴィント・マークα〉が立ち止まった。
『すごい景色……』
時間経過により、空の色が変化していた。
雲海がオレンジ色に染まっている。
たしかに絶景だった。
『それはそうとして、こっちで道あってるよね?』
「たぶん……」
俺は自信なく答えた。
移動しはじめてわかったのは、俺たちが落ちたのは〈オルクス〉の最頂部に広がるエリアだったということだ。
俺たちはわずかな道と足場を手掛かりにして、すり鉢状に広がった下階層へと向かっていた。
進める以上は、これが正しいルートのはずだ。
足元とレーダーに目を配っていたとき、ふいにチアが言った。
『なんか……表示、出てる』
「なんかって……」
俺も遅れて気づいた。
視界――モニター上に《↓ REFUEL ↓》というアイコンが出ていた。
ヒュージフットの上で見たものと同じだ。
螺旋階段のように渦巻いた斜面の先に、青く光る岩石のようなマップオブジェクトがあった。自然系のフィールドで見るタイプである。
『補給ポイント? よかった~』
イヨの〈ヴィント・マークα〉が意気揚々と前進する。それにチアの〈オクスタン〉も続いていく。
イヨと同じく、俺もまずは安堵した。
補給ポイントがあるということは、これが正規ルートだということだ。
だが同時に、奇妙に感じた。
なぜこんな手前で? フィールドの広さに対して、早すぎやしないか。
その疑問を抱くのがわずかに遅かった。
「あっ――」
補給ポイントの手前の斜面、そこにイヨ機の脚部が設置した瞬間――崩れ落ちた。
不自然な崩落。
猟機をまるごと飲み込む穴が生まれ、スラスターをオフにしていた二機はその奈落にのみこまれた。
さらにその直後、横の岩が磁石のように動いて穴を塞いだ。
「くそっ……!」
罠だった。あとほんのすこし早く気づいていれば。
レーザーソードをトリガー。逆手に持ち替えて真下を突き刺すオートモーションで攻撃。
だが固い手応えに弾かれる。
攻撃した箇所に、グラフィック状の変化はなにもなかった。オブジェクトの耐久ゲージも表示されない。
落胆する。破壊不可のオブジェクトだ。
アイゼン・イェーガー世界の『遺跡』は、猟機をはじめとする高度文明の産物であるという設定だ。自然の風景に惑わされていると、ときおりこういう目にも遭う。
無事、だとは思うが。
生身ならともかく、猟機に乗っているのだ。
すこしして、イヨたちがチームチャットを開いた。
『落ちちゃったー……』
声にそれほど焦りはなかった。
「大丈夫?」
『うん。大丈夫。敵も近くにはいないし。……いまのところ』
「そっち、どんな感じ?」
『なんだろう……。待って、ライトつける。……なんか、洞窟? みたいな』
洞窟か。
やはりこの足元に、次の階層が広がっているらしい。
『道、どこかでつながってるとは思うけど……』
「うん、俺もこっちから、探してみるから」
『よろしくー』
『……よろ』
迂回して合流するしかない。
俺はふたたび地道な移動を開始した。
*
進んでいくと、さきほどイヨたちが落ちたものと同じような穴を見つけた。
今度は罠はない。
そこからスラスターを使って減速しながら、ゆっくりと降下した。
足場があることを確認し、着地。
「へぇ……」
思わず、感嘆の声が出た。
第二階層は、景色が一変していた。
中はたしかに洞窟のような見た目だった。足元も天井も、水色で透明な結晶の壁に覆われている。
まるでクリスタルの洞窟だった。
それにしても、つくづく今回のクエストではよく落ちる。
そのたびに一応なんらかの変化を迎えているので、そういう運命だと思って前向きに考えたほうがいいのかもしれない。
着信があった。
サビナからだった。
あまり出たくなかったが、あとが面倒になるので無視するわけにもいかない。
『ちょっとぉ! アンタいまどこにいんのよぉ!?』
全周モニター上にサビナの顔がポップアップで映し出され、操縦席に金切り声が響いた。
案の定、とても怒っている。
こちらからもまだサビナの猟機は探知できていない。
「オルクス遺跡……? のなか、ちゃんと進んでますが……」
『ぜんっぜん見つからないわよ! ほんとに道合ってるんでしょうね!?』
合ってるか否かと問われれは、答えは『わからない』だ。
俺もはじめてくるフィールドのことまでは知らない。
「たぶん……。いまのところは、順調に下に降りてきたので」
『下ぁ? あのねぇ、アタシは登ってるのよ!』
「え」
そのとき、俺はふと気づいた。
もしかしたら、この〈オルクス〉は上と下、二つのルートがあるのかもしれない。そのどちらから攻略してもいいようなフィールドになっている。だから中心階層には取り付けるような足場がなかったのだ。
「どこかで道が合流する……のかも」
『……ふん、まあいいわ。あ、あとチームの加入申請するから、受け付けてよね』
「あ、ああごめん……」
俺はサビナからチームの加入申請を承諾した。
だがサビナはなぜかチャットを切ろうとせず、
『あんた、あのイヨって女とどんな関係なわけ?』
「は……?」
困惑した。
急になにを言いだすのか。
やはり、まだ俺のことを疑っているのだろうか?
「べつに、ただの……友達」
『はーん、友達。そう。…………ほんとに?』
「? は、はい……」
『そ、そう』
サビナの声が妙に軽くなる。
不気味で、俺は逆に怖くなかった。なんだ?
『あ、あのさ! あんたって、いまその……あんたのそのチームっていうか、ずっと一緒にやってる人って、決まってたり――』
「あ……ごめんあとで」
『は? ちょ、ちょっとまだ話は――』
俺は一方的にチャットを閉じた。
レーダーにガイストの反応が浮かんだからだ。
そしてそれ以外の反応も。
前方に人型ガイストが三体、一箇所に固まっていた。なぜこちらを捕捉していないのか、その理由はすぐにわかった。
ガイストの中心に、白い女の子のアバターがいた。
三方をガイストに囲まれていた。
そのとき俺の頭には、二つの疑問が同時に浮かんだ。
ひとつは、俺たちのほかにも先客がいたのか? ということ。
もちろん、俺たちが最速の到達者だとは思っていない。
この共同戦線クエストの解放日の初日でもないし、すでに他に攻略済みのプレイヤーはかなりいるだろう。
ただ、今回俺たちが参加しているワールド上の区分では、俺たちだけだと思っていたのだが。
そしてふたつめは、もっと単純なこと。
なぜ猟機を呼ばない?
戦闘エリアで生身でいるメリットなど、なにもないのに。
「う、動くな……!」
とっさに外部スピーカーをオンにして叫びながら、俺は即座にスラストペダルを蹴りつけていた。
ガイストに接近。手前の一体がこちらに気づいて動きを止めた。
よく見るとそれは人型というより、ゴリラだった。
前傾姿勢で異様に長い両腕が地面に付いている。頭部の球体型カメラアイがぐるりと動きこちらを捉える。
突っ込む直前にバックブースト。
わずかに速く、眼前をガイストの長い腕が薙ぎ払われる。
二撃目が来る前にその腕をレーザーソードで切断。
間髪入れずに胴体を両断した。
残った二体も一挙に押し寄せた。
怒り狂ったような四足歩行の突撃。予想以上に速い。俺は左肩後ろの〈五式重盾『鐵』〉を左腕部に装備。防御姿勢。
それでも大きく機体を吹っ飛ばされた。
脚部のアブソーバが最大駆動。わずかに耐久ゲージが減少。休む間もなく左右から二体のゴリラ型ガイストが迫る。
手強い。
ただの雑魚だと思っていたが、すぐに認識を訂正する。
それでも、強いプレイヤーの猟機とは比べるまでもない。
一体を横からシールドバッシュで迎撃。旋回しながらもう一機の攻撃を回避、袈裟斬りを返す。態勢を立て直して背後から迫る敵を、脇から突き出したレーザーソードで串刺しにした。
敵ガイストが沈黙。
経験値のカウンターがまわり、ジャンクパーツリストに品物が追加される。
『よかった。間に合って』
間近で猟機が戦ったにもかかわらず、その少女は平気そうに言った。
「え……? あぁ……危なく、敵に」
「いえ、私がです。こうしてあなたに会えました」
「?」
不思議な発言。
困惑する俺をよそに、その真っ白な服の女の子はのんきに微笑んでいた。




