#76
見渡す限りの蒼穹だった。
猟機ごと高速輸送機に乗り、俺たちは空を飛行していた。
こうして高みから見下ろすと、アイゼン・イェーガーの地平は緑が少なく、やはり不毛な荒野が大地の大半を占めていることがわかる。
リフターはこうして単機でも空を飛ぶことができる拡張ユニットだが、航続距離はあまり長くない。なるべく早めに着陸地点を決めておく必要がある。(ちなみに奪っても自分のものとはならないのだが)
なんとか危機は脱出したものの、俺は気を緩められずにいた。その原因は堂々と先頭を飛ぶ深紅の猟機だ。
猟機のメインカメラで捉えると、敵性識別で表示される。
サビナの猟機である。
『シルト、あの人ってまだ戦うつもりかな?』
ダイレクトラインでイヨも警戒したように聞いてきた。
「どうだろ……」
サビナとの休戦の約束は、あの拠点を無事に脱出するまでということだった。
いきなり襲いかかってくる可能性はゼロではなかったが。
俺は迷った末、一応友好的に話しかけた。
「あ、あのー……。ちょっと、よ、よいですか?」
『なによ』
「えと、さっきの休戦のこと、なんですけど……」
『ああ』
どうかヤブヘビをつつかぬようにと祈っていると、
『ま、なんか気を削がれちゃったし。とりあえず今日のところは見逃してあげるわ。シルト、だっけ。あんたとの勝負はお預けよ』
サビナはあっけらかんと答えた。
俺は心底ほっとした。
サビナは気分屋なので、これまでのように激情すると厄介なのだが、それが幸いすることもある。
「……ども」
『で、次、どうするん』
チアがぼそりと発言した。
『そうだよね……』
〈オルクス〉を目指すにしても、このリフターでは飛行戦艦のような高度まで飛翔することはできない。そもそもどこか関連がありそうな遺跡のフィールドを目指すつもりだったが、それもなんの確証もない目標だった。
『仕方ないわね』
ふとサビナが言った。
『とりあえず、アタシたちの拠点に連れていってあげるわ』
「拠点が……あるんだ」
意外、というわけでもなかった。
程度の差はあれ、上級プレイヤーなら持っていてもおかしくはない。
「じゃあ、高度を下げて――」
『必要ないわよ。向こうもいまこっち近づいてるから、もうすこしで見えるはずよ』
「?」
意味がよくわからない。
だがやがて、俺たちはそれをまざまざと見せつけられた。
『うそ――』
イヨが愕然とつぶやく。
雲海を割って、巨大な影が眼前に出現した。
最初に俺たちが乗船した飛行戦艦〈フレースヴェルグ〉に匹敵するサイズ。ちがうのは、左右に長く広い翼が広がっていること。その翼が全体を包むようにその巨体を覆っている。まるでとてもなく大きなエイだ。
その胴体下部には、海賊船を連想させるドクロのオブジェクトが飾られていた。
『あれが、アタシたちの“拠点”よ』
長らくアイゼン・イェーガーをやっていたが、実際に初めて見た。
“航空拠点”と呼ばれる代物だった。
*
近づいていくにつれ、サビナの航空拠点が予想以上の大きさであることがわかった。
尾ひれのように伸びた部分のハッチが開き、先導役のサビナに続いてそこに吸い込まれる。
俺たちはリフターごと収容された。
「すごい……」
まさに空飛ぶ母艦――歩行する都市であるヒュージフットを見たあとでも、十分驚嘆に値するスケール感だった。
猟機を転送格納すると、自動的にカタパルト脇の埠頭の上にアバターが移動した。
航空拠点のなかは、まるで猟機の工場のような光景が広がっている。さらに仲間らしき他のプレイヤーの姿も見えた。こちらをしげしげと見つめている。
近くにサビナが現れる。
「こっちよ」
サビナに促され、通路へと入った。
おそらくブリッジなど拠点内の各場所へと続いているのだろう。
「こんな風になってるんだ……」
イヨもしきりに周囲を眺め、感心しきっていた。チアは、これがどうすごいのかあまり理解していないようだった。
ネットで紹介されているのを見たことはあったが、実際にこうして足を踏み入れるのは初めてだ。
それにしても――
「どこにこんな資金が……」
全世界の一千万のプレイヤーのなかでも、航空拠点を所有しているのはおそらく二十人もいないだろう。それぐらい途方もない資金が必要になる。
「そりゃそうよ。だって、アタシはトップチームの一員だったのよ。……まあ元だけど。で、公式戦には賞金が出るでしょ」
「それは……はい」
シーズンごとに行われる公式ランキング戦には、猟機のパーツを製造するための素材や完成された兵装・フレームパーツ、そして賞金 (※ゲーム内通貨)が報酬として用意される。
デュエルバトル・チームバトルともに、上位のプレイヤーに与えられる賞金の額はかなり大きい。通常はコツコツとクエストの報酬やガイストから入手できるジャンクパーツの売却で稼ぐものだが、そういう場で荒稼ぎする対人プレイヤーもすくなくない。
「普通はみんなで山分けしてそれぞれ使っちゃうもんだけど、アタシが前にいたチームはそういう風にはしてなくて、リーダーの意向で貯金することにしてたのよ」
サビナのその発言で、はっとした。
思い出した――
「ま、まさかあの金……」
「あの?」
「あ、いや……」
サビナが不審そうに見てくる。
俺は動揺を押し殺しつつ、ようやく合点がいっていた。
そういう事か。
以前、俺たちのチームは何シーズンか連続でトップを維持していて、それだけで莫大な報酬を獲得していた。
だがサビナの言う通り、リーダーの指示でその資金はすべて貯蓄し、すぐには使わなかったのだ。いつかに備えて、ということだった。
だがその使い道を決める前に、俺はやめた。
その後は高校に入学してすぐぼっちになって伊予森さんに会ってまたアイゼン・イェーガーをやる羽目になって……など、いろいろあったので、稼いだ賞金をどうしたのかなどまったく忘れていた。
……それをまさか、こんな使い方をしていたなんて。
リカルドとか、ほかのメンバーは反対しなかったのだろうか?
「で、そのあと前のチームが解散することになって、そこで残った資金をアタシがガメ……もとい、代表して譲り受けたのよ」
「……なるほど」
だとしても、それを自分専用の航空拠点の購入にあてるという思い切りのよさは、まさにサビナだ。
「あんたたち、補給と修理していったら?」
気前よくサビナが言った。
イヨが意外そうにする。
「え、いいんですか」
「あんたたち攻略中なんでしょ? ずいぶん瀕死の機体のやつもいるみたいだし。せっかく拠点に立ち寄れたんだから」
「……あの、ごめんなさい」
ふとイヨが立ち止まり、サビナに頭を下げた。
「すこしだけ、あなたのこと誤解してたかもしれません。あ、でもさすがにちょっとタダじゃ悪いかもって――」
「は? 無料なわけないでしょ」
サビナが当然のように言った。
途端、イヨの表情が険しくなる。
「……おいくらですか」
「三機分の補給と修理。あと特急料金。しめて9000万Gね」
「たっ、高っ! ぼったくりじゃないですか!」
「適正料金よ。富士山の上の飲み物だって高いでしょ。あれと一緒」
「あっ! も、もしかして、そのためにわたしたちをここに連れてきたんですか!?」
「そうだけど」
「ひ、ひどい……!」
「はっ、いやならすぐ降りてくれる?」
「うっ……」
サビナは悪魔のように笑み崩れた。
「どうすんの? 払うの? 払わないの? さあはっきりしなさい!」
サビナは監禁部屋から脱出したときの仕返しとばかりに高らかと言い放つ。
横目で相談してくるイヨに、俺は力なくうなずいた。
この状況では、足元を見られても仕方がない。
こうして俺は、またなけなしの資金をほぼ失うこととなった。
*
サビナの航空拠点のなかのドック。
イヨやチアの猟機と並んで直立した俺の猟機は、綺麗に直っていた。イレイガとの戦闘で失ったシールドを含む各兵装も元に戻っている。
これでまともに攻略を続けられるな――と安堵しながら見上げていると、
「へんな機体ね」
サビナがとなりにいた。
俺の猟機を興味深そうに眺めている。
「よく……言われるので」
言葉選びに気をつかいながら、俺はそう返した。
迂闊なことは言えないが、変に黙っていても怪しまれる。
「なーんか、これに似た猟機をどっかで見たような気がすんのよね……」
じわり、と冷や汗が(現実の身体の方で)浮かんだ。
「……気のせいでは」
「ううん、そんなことない。あともうすこしで思い出せそうなんだけど」
「む、無理に思い出さなくても……」
「は?」
「ぁ、いや……」
サビナは怪訝そうにする。
まずった。やはり余計なことは口にしないほうがいい。
「でも、あんたいい腕してるじゃない」
サビナがこちらを見もせずに言った。
「あんなズタボロの猟機でアタシと渡り合ったやつは、たぶんあんたが初めてよ」
「……偶然、っす」
「そう? アタシは強いやつを見抜くのは得意だから、すこしぐらい自慢したっていいのよ」
相変わらずサビナは上から目線だった。
「次は、万全の状態でやってみたい」
「……」
同じ思いが、なかったわけではない。
しかし、やはり気乗りはしなかった。
戦いそのものが嫌なのではなく、サビナの場合は後が面倒なのである。仮に勝っても負けても、しつこくされる未来が容易に想像できた。
「まあ……い、いつか」
「そうね。ところで、あんたたち〈オルクス〉に行くつもりなの?」
「一応、そういうつもりでは……あるけど」
ただ、なにも手がかりがない。
まだ共同戦線イベントのステータス上は失敗となっていなかったが。しかし、やはり最初からやり直すしかないのだろうか。
「ふーん……」
サビナは金儲けについては容赦はないが、最初に会ったときよりはだいぶ態度が軟化しているように感じた。
一方で、俺はどうしても気になっていることがあった。
「あの……。サビナ……さんは」
「サビナでいいわよ。気持ち悪いわね」
「ああ、はいっ。どうして……その、シルバーナイトっていうプレイヤーのことを探して?」
俺は地雷原を歩くような気分で、そう口にした。
どうか気づきませんように、と答えを待っていると、
「そいつ、黙っていなくなったのよ」
底冷えする声にぞっとした。
「そいつがいなくなったせいで、アタシたちのチームはばらばらになった。っていうか、リーダーのプレイヤーが、そいつの代わりはいないって譲らなくて。せっかく1位まで上り詰めたっていうのに。……一応、仲間だって認めてたのに」
――やっぱりか。
予想はしていたことだった。
だがこうして面と向かって言われると、罪悪感に苛まれた。
「それに、言いたいこともあったのに……」
サビナはぼそっとつぶやいた。
後を引くようなその言い方が、妙に気になった。
「……ど、どんな?」
「え?」
俺はただなんとなく聞いただけだったのだが、サビナは急に顔を赤くした。
「な、なんであんたなんかにそんなこと言わないといけないのよ!?」
「えっ、やっ、スミマセン……」
調子にのるな! となぜかまたキレられた。
なんなんだ、いったい。
困惑しつつハラハラしていると、サビナがふんと鼻を鳴らした。
「〈オルクス〉、ね。とりあえず、そこまでは送ってってあげるわよ」
「え……?」
きょとんとした。
まったく予想もしていない発言だった。
「い、いいの?」
「他にアテがないんでしょ? ま、これもなにかの縁だしね」
サビナは血統書付きの猫のような気まぐれさを発揮して、不敵に微笑んだ。
相変わらず読めないやつだった。
「……ありがと」
そして、ごめん。
俺は礼を口にしつつ、心のなかでサビナに謝っていた。
空の旅は順調に続いていた。
いまのところは。




