#75
薄暗く狭い地下通路を無我夢中で走った。
先頭がサビナ、続いて俺、イヨ、チアの順でつづく。
サビナが走りながら叫ぶ。
「遅いわよあんたたち! 鍛え方が足りないんじゃないの!?」
「いや、走る速さは一緒だから……」
アバター自体に能力差はない。
ただ強いていえば操作に小慣れているかどうかのちがいはあるので、そういう意味ではたしかにサビナはそつがなかった。
だが問題は移動速度ではない。
サビナが急に立ち止まった。
俺はつんのめって、あやうくその背中にぶつかりそうになる。
「な、なに――」
「……こっちじゃなかった!」
「えぇ……」
「も、文句言うならあんたが先導しなさいよ!」
それはもっともだ。
この拠点は、非常に入り組んだ構造になっていた。まるで迷路だ。拠点の建物のプリセットにこんな種類のものはないので、ここのプレイヤーがわざわざそのように作った、ということだ。
そして、だれも正確な道順を覚えていなかった。
引き返し、べつの道から上への階段を探す。
だが角を曲がった先に待っていたのは、扉もなにもない壁だった。
「なっ、こっちも行き止まりじゃない!」
サビナが壁に向かって怒鳴っている。
こっちでもないのか。俺はふたたび来た道を戻ろうと、きびすを返した。
だがそのとき、アバターの足音がした。
「近くにいる……」
足音が反響しているため、距離感がつかめない。戻る途中で鉢合わせになるかもしれなかった。かといって、ここにいたら文字通り袋の鼠だ。
どうする。
どこか他に道は――
俺はふと、頭上を見上げた。
暗がりに目をこらす。
俺たちがいた場所のちょうど真上の天井に、通気口のような穴が空いていた。
こんなもの、さきほどまであっただろうか?
「あのさ……上、もしかして入れるんじゃ……」
俺は言いながら指差す。
「ど、どれよ!?」
「あれって……通気口、みたいやつ? なんでこんなところに……」
イヨも不思議そうだった。
当然現実ではないので、プレイヤーがそこまで作り込まない限り、こういったもの必要ない。たまたま凝っていたのが幸いしたのか。それにしても偶然が過ぎる。
まるで、俺たちが逃げるために用意されたかのようだった。
足音があきらかに大きくなる。
全員の血相が変わった。
不信感はぬぐえないが、他に逃げ道もない。
「い、急いで上がるわよ!」
サビナは迷いなく言った。もはや是非もない。
「ほら、はやくかかんでよ」
「?」
「アタシが登れないでしょ! はやくひざまづいて!」
「あ、ああ……」
さすがサビナだ。こういう命令をするのが実に板につく。
俺はその場で四つん這いになった。サビナはなんのためらいもなく俺の背中に乗っかった。そこから俺がゆっくりと背中を水平のまま持ち上げていく。
サビナが天井の通気口に手を伸ばし、みずから身体を引っ張り上げる。通気口の中に、その姿がするすると飲まれていった。
やはり内部に入れるらしい。
俺はすぐにイヨたちを促した。
「じゃあ、はやくふたりも」
「……さきに、シルトが」
「? な、なんで」
「い、いいから! なんでもだってば!」
なぜ怒っているのか?
アバターとはいえ、女の子を足場にするのは気が引けたのだが……。
「はよ。やばめ……」
チアがぼそりとつぶやく。それに急かされ、俺は心のなかで謝りながらイヨの背中に足をかけた。
サビナと同様にして身体を引っ張り上げる。
現実なら俺はこんなに身軽ではないが、そこはアバターに感謝だ。
通気口内は、下の通路よりもずっと暗かった。
目の前にサビナの足裏らしき影がある。それに続いて這って進んでいく。遅々としていてもどかしいが、こうするしかない。
ふとサビナの足が止まった。
怪訝に思っていると、
「ちょっと、前見たら殺すわよ!」
「は……?」
俺は数秒間その意味を考えて、やっとそれを把握した。
サビナのアバターは海賊服のようなコスチュームで、上着の裾は長いが、その下はミニスカートだ。
当然、この体勢ではその中が見えそうな位置関係だった。
……だからどうしたという話だが。
通気口内はかなり暗いが、まったくの暗黒ではなかった。
VHMDの映像輝度を上げたら、もっとよく見えるかも――
「明るさ上げたりしたら、二度殺すから」
「……たかがアバターで、気にしすぎじゃ――」
鼻先に靴裏が直撃。
現実だったら悶絶していたにちがいない蹴りだった。
「な、なにす――」
「うるさいわね! へ、へんたいじゃないの! う、うぅ見られたぁ……!」
「いやだから見えない……」
「ちょっと、先頭の人急いでよ!?」
イヨがうしろから叫ぶ。
「わ、わかってるわようっさいわね!」
サビナはふたたび匍匐前進を開始。
不安やらなにやらを抱えて進んで行くと、やがてわずかな光が見えた。
どうやら通気口はそこで終わりらしい。
「ど、どう?」
「……とりあえず、あいつらはいないわね」
サビナはすこし頭を出して下を確認していたが、あっ!と声を上げて通気口内から飛び降りた。
「階段あったわよ! ほらはやく」
サビナが慌て気味に手招きしている。降りると、たしかにちょうど目の前に階段があった。
俺たちはそこから上の階へと上がる。そこからはなんとなく見覚えがあった。
ぐるりと建物を一周するように廊下を走る。
猟機ならこんな建物くらい軽く吹き飛ばせそうだが、まだ非戦闘エリアだ。猟機は呼び出せない。
ふたたび階段を見つけて駆け上がる。
長い廊下。エントランスがすこし先にある。
出口が見えた。
同時に、エントランス付近に集まっていた野戦服の男たちの姿も。
彼らがこちらを見た。
見つかった――
「急いで!」
出口に向かって一直線に走った。
男たちが動くのを横目に、ぶつかるようにしてその扉を押し開けた。
途端、凶暴なほどのまぶしさが襲った。
外だ。
アバターの目は、人間のそれよりはるかに早く明るさに適応した。俺たちの目の前には、連れてこられたときに見た基地のような敷地が広がっている。
飛び出るなり、全員が次々に叫んだ。
『ロードッ!!』
四体の鉄の巨人が顕現した。
俺の〈シュナイデン・セカンド〉、イヨの〈ヴィント・マークα〉、チアの〈オクスタン〉、そしてサビナの〈ラナンキュラス〉が、各々のドックからここへと転送展開される。
敵も待ち構えていた。
最初に俺たちを包囲した、灰色の猟機が五機ほど見えた。
俺たちは四方に散開。
敵の一機が俺を捉えた。
スラスターによる高速移動とともに、ヒートアックスを振りかぶる。
俺はスティックを弾くように倒しスラストペダルをキック。サイドブーストで回避。側面に回り込む。同時に唯一残された兵装――サブアームズのチェーンダガーをセレクト。
ダガーで敵機の背中を袈裟斬りにする。
敵機の耐久ゲージが10パーセントほど減少。
浅い。
というより、敵の装甲の防御力に対してチェーンダガーの威力が低い。レーザーソードなどのメインアームズと比べるとあまりに貧弱だ。
だがこれしかない。
旋回した敵機が至近距離でバーストライフルを発砲。とっさに機体を密着させ、肘でその銃身を弾いた。炸裂弾頭が基地の地面をえぐり返す。
最速でダガーのマニュアルモーションを3種類入力。
残った右腕部がひるがえり、敵機の首元、胸部、腰部をメッタ刺しにした。
激しい火花が散り、敵機がたたらを踏む。その胴体に向かって突撃し、ほとんどヤクザの鉄砲玉のような一撃を見舞った。
かろうじて一機撃破。
チェーンダガーの耐久値がごっそりと減った。これも長くは持たない。
ほかのみんなは――
レーダーが使用不能なので頭部の振り向けメインカメラで周囲を索敵。
一番近くにチアの多脚猟機〈オクスタン〉の姿。
その後方から、灰色の猟機が迫っていた。
「チアうしろ!」
叫ぶと同時にチェーンダガーを放った。
投擲されたダガーが、敵機に当たり弾かれる。
だがそれで敵の注意がこちらに向いた。
その隙に旋回したチアがゼロ距離でスナイパーライフルをトリガー。重々しい発砲音が轟き、敵機の胸部を貫いた。
危なかった。
だがこれで、俺の猟機は完全に無力だ。あとは体当たりでもするしかないが、俺の軽量機体ではたいしたダメージも与えられないだろう。
『さんく――」
チアの言葉が途中で途切れた。
不審に思った直後、〈オクスタン〉が俺の前方に飛び出した。
横から炸裂弾が直撃。
〈オクスタン〉が煙と炎を散らしてのけぞる。
その射線の先、灰色の敵猟機がバーストライフルを構えていた。
俺をかばったのか。だがまずい。この位置だと二機とも――
『邪魔よ』
敵機の後ろから、より大きな深紅の影が現れた。
高出力のスラスターによりその背後に回りこんだ〈ラナンキュラス〉が、核弾頭ハンマー〈雷神〉を振り上げていた。
神の鉄槌が落ちる。
まばゆい滅びの光が膨れ上がった。
核砲弾の炸裂。
衝撃でこちらの足元まで揺れた。
真上から〈雷神〉の直撃を食らった敵機は、跡形もなく消し飛んでいた。
全身から蒸気を吹き上げる〈ラナンキュラス〉が、悠々と〈雷神〉を肩に担ぎ直す。
呆然とした。
「あ、ありがと」
反射的に、俺はそう言っていた。
するとサビナはぽかんとしたように沈黙し、
『べ、べつにあんたを助けたわけじゃないんだから! 調子に乗らないでくれる!?』
なぜかキレられた。
『おぉ……テンプレ……生で初めて聞いた』
『は? てんぷらがなによ?』
なにやら感慨深そうにしているチアと、怪訝なサビナ。
ふたりの噛み合わなさはさておき、すこしだけ懐かしかった。
以前もこうして、不条理にキレられていた気がする。
言葉を交わすのが億劫な俺は、だいたい無言で返していたのだが。
『それより、まだ終わりじゃないわよ」
「……みたいだ」
『うぇっ?』
基地の反対側から、さらに六機ほどの敵猟機が近づいてくるのが見えた。
それと同時に、近くで敵を撃破したらしいイヨの複関節猟機が、長いブーストジャンプで空中から舞い降りてきた。
『シルト、あれ見えてる?』
「うん。ちょっと、きついかも」
敵は何機いるのか。
こんな敵のフィールドで長々と戦ってはいられない。俺は周辺を見渡し、あるものを見つけた。
そこに整然と並んで駐機されていたのは、来るときにちらりと目に入った高速輸送機だった。台座のように全高は低い。サビナとその仲間が使っていたのと同じ、リフターというタイプだ。
『そっか! あんたもたまには役に立つわね!』
「でも……いいのかな」
『こういうのはね、早いもん勝ちなのよ!』
そういう問題だろうか。
だが四の五の言ってはいられない。
『チア、あれ乗るよ! 操作はそんなに難しくないから……が、がんばって!』
『……が、がんばる』
大いに不安の残るやりとりを交わしつつ、俺たちはリフターに飛び乗った。
リフターを起動。ペダルとスティックのコントロールの一部が、リフターのそれに切り替わり、リフターが浮遊する。
俺はすぐにスティックを持ち上げた。
急上昇。
またたく間に地表が遠ざかる。
空へと駆け上がりながら、後方を確認。俺と同様にリフターにまたがったイヨとサビナも続いて高度を上げていた。
だがやはり初めてで戸惑っているのか、チアがやや遅れている。
その下から、灰色の猟機が同様にリフターに乗った。
やはり追撃してくるか。
チアをカバーするため、俺とイヨが空中で旋回。弧を描いて低空から近づく敵機を迎え撃つ。
ロックオンアラート。
バーストライフルの銃口が向けられている。
俺はすでに武装がないので、とにかく回避に徹するしかない。
がむしゃらにリフターを左右に振りながら、敵機の間をすり抜ける。
遅れて敵機も旋回。
『がら空きよ!』
後方から迫っていた〈ラナンキュラス〉がハンマーを振り抜いた。
直撃。
リフターごと敵機が光に散る。空中分解し、炎を帯びた残骸が落下していく。
それを機に敵の編隊が乱れはじめた。
イヨの〈ヴィント・マークα〉がガトリング砲をフルオートで発砲。空薬莢が風に舞う花びらのように流れる。弾丸の雨が敵とリフターを直撃。煙を上げながら、敵が徐々に高度を落としていく。
さらにサビナがもう一機に〈雷神〉を見舞った。敵機は一撃で大破。
形成逆転だった。
安堵する一方で、俺は妙な違和感を覚えていた。
高性能な猟機のわりに、扱いはあまり上手くない。というか未熟だ。そちらのほうはレベル1というステータスに見合っていた。
戦い慣れていない?
だが、だからといって俺たちが相手に容赦する道理はなかったが。
イヨが最後に残った一機を撃ち落とす。
『やった……!』
『ひゃっほー! ざまあみなさいよ!!』
サビナが歓喜の声を上げる。
しばらく飛んでいると、チアのリフターの挙動も安定してきた。俺たちはそのまま一機に速度を上げて、現空域を離脱。
俺たちはかろうじて、敵拠点から脱出に成功した。




