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アイゼン・イェーガー  作者: 来生直紀
EP05/ 第6話 スカイダイヴ
75/93

#74

「なにを、言って……」

 俺はうめくように返した。

 そうすることで精一杯だった。

 戦争……?

 いったいどこからそんな単語が飛び出してきたのか。アイゼン・イェーガーのクエストかストーリーについての言葉かとも思ったが、ちがう。状況の奇妙さも相まって、俺はすでに混乱していた。

「悲劇についての話さ」

 男は身を引いて、椅子の背にたれかかった。

「そもそもこの時代、たかが(、、、)戦争やテロで人が死ぬなんて、ばからしいと思わないか?」

「……?」

「こんな風にVRゲームで全世界の人間とリアルな遊びを楽しめる時代に、いまだに勝ち負けを決めるのに人間の命をリスクにさらすなんて、実にばかげている。しかもそれは戦いを仕掛ける側はもとより、受ける側双方に制御不可能な範囲で発生する。これが厄介で面倒なところさ」

「はぁ……」

「そもそも戦争の悲劇は、人が殺したり殺されたりすることにある。そうだろう? 殴られれば人間は痛いし殴った相手に怒りを覚えるかもしれないが、人死にとは比べるまでもない。死はだれも取り戻せないからね。宗教だの資源だの、まあ争う理由くらいはあってもいいが、報復だの憎しみの連鎖だの、これはもうまったく合理的ではない。この二十一世紀にもなって、我々はいったいいつまでそんなものに手を焼かなければいけないんだ?」

 俺は呆然としていた。

 話の半分も理解できなかったが、この目の前の男が、なにかの偏見に満ちているということだけは分かった。

「我々……きみもそうだが、まがりなりにも先進国と呼ばれている国で暮らす人間たちには、それを解決に導く義務がある」

「うぇ……?」

 突然矛先を向けられ、俺はチアのようにたじろいだ。

「文明的・思想的に進んだ者たちは、それに見合う力を持つべきだ。決して後進の野蛮人たちと同じレベルに――それこそすでに通り過ぎた(、、、、、、、、)過去のレベルにとどまっているべきではない。我々は先進的な文化と倫理、いわば正義を有している。とあれば、その正義の執行力も併せ持つべきだ」

 戦争の次は、正義ときた。

「だがそれは、ときに非常にデリケートな力も必要とする。いくら強力な銃や爆弾を開発しても、その執行力としては不完全だ。いま、そしてこれから必要とされている理想的な力とは、もっと汎用的で応用可能なものを指しているのだが、想像できるかな? そう、たとえば都市部や山岳地帯など場所を選ばずに運用でき、地上戦では武装歩兵を圧倒しつつ、戦車や航空戦力とも渡り合える陸戦兵器のようなもの……とかね」

「あ、あのぅ……」

「すべては、正義の保護のために」

 正義の保護。

 男はそう表現した。


 そこまで我慢して聞いていた俺は――いよいよついていけなくなった。


 いったいこれは、どういう茶番なのか?

 わざわざ拠点に連れてくるくらいだから、なにか俺たちに用があったのではないのか?

 それとも、やはりヤバい連中だったということか。

 そういえば宗教とか言っていたし、そっち関連の人たち、ということかもしれない。

 ゲーム内での布教活動とかだろうか。ゲームという共通の趣味を通じて警戒を解いてその道へと誘う……なんだか、ありえそうな話だった。

 当然、そういうことは普通のオンラインゲームでは規約違反となる行為だ。 

「――と、いうのは冗談さ」

 ふいに男が頬を緩めた。

 俺は唖然とした。

 なにが。

 いったい、どこからどこまでが冗談なのか、まったくわからない。

「いまのは僕がきみぐらいの年齢のとき考えていたことでね。子供の幼稚な発想さ。現実はそんなに簡単ではなく、もっと複雑に因果が絡み合っている」

 男がすっと立ち上がる。

 俺もつられて腰を上げたが、男が歩み寄ってきたのでそのまま後ろに下がった。 

 とっさに身構えたが、男は手を差し出しただけだった。

「だが、きみの反応を確認できてよかった。ありがとう」

 俺はただ、じっと男の手を見下ろした。

 握り返すことはできなかった。


 その握手に応じることが、なにか危険な契約となるような気がした。


 *


 俺はまた男たちに連行され、サビナたちの部屋に押し込まれた。

 イレイガがザンノスケを突き飛ばしたときのような手荒さだった。あまりに突然の暴挙に、俺は反応できなかった。

 ふたたび扉が閉められる。

 中にいたイヨとサビナとチアが、俺を見つめた。

 狭い室内に、気まずい沈黙が流れる。

 きっ、とサビナがこちらをにらんだ。

「な……なにやってんのよあんた!? なにか話をつけてきたんじゃないわけ!?」

「いや、そう言われても……」

「だいたい、あいつらは何モンなのよ!」

「……さあ」

「さあって、あ、あんたたちのせいでしょ! アタシはなにも関係ないんだから!」

「…………さあ?」

「むきーっ!」

 サビナが地団駄を踏んで暴れる。

 それを迷惑そうに横目にしながら、イヨが近寄った。

「シルト、大丈夫?」

「うん、べつになにも……。なんか、変な話聞かされたけど」

「どんな?」

「いや……ちょっとなんていうか、説明しにくいことで……」

「いいから教えて」

「えっと……」

 小さなささやき声でイヨと身を寄せ合うようにして話していると、ふん、とサビナが鼻をならした。

「女房面して、ばっかみたい」

「なっ……! 仲間を心配して、なにがいけないんですか!?」

「へぇ~なっかまぁ~? ほんとにそれだけぇ~?」

「あ、あなたには関係ないでしょ!」

「アタシはこいつに用があんのよ! あんたこそ引っ込んでなさいよ!」

 ふたりが火花を散らしてにらみあう。

 サビナとイヨの相性はつくづく悪い。一方のチアは我関せずといった様子で、壁を意味もなく見つめていた。

「あの……とりあえず、きゅ、休戦的な。ど、どうでしょう……」

 俺は気後れしながらも言った。

 こんな厄介な状況で、サビナとも争っている場合ではない。

 サビナはじっと俺たちをにらんだあと、大きなため息をついた。

「……まあいいわ。不本意だけど、とりあえずここを出るまでは協力してあげるわよ。不本意だけどね!」

 イヨはまだげんなりしているが、これでなんとか心配事がひとつ減った。

 あとはこの目的不明の連中と、この状況だ。

 俺は扉を開けようと手をかけるが、堅く閉ざされていた。

「……はっ、さっきからそんな感じよ。だから出られないのよ」

 サビナが言った。

 どうやら、閉じ込められてしまったらしい。

 拠点の部屋には施錠機能も一応付けられるのでおかしいことではないが、こんなことは初めてだ。だいいち、他のプレイヤーを招いて部屋に閉じ込めるなんて悪質なことをしたら、その拠点と拠点の所有プレイヤーは炎上して袋叩きにされることだろう。そもそもマナー違反だ。

「とりあえず運営にメールはしたけど、すぐにはどうにもならないかも……」

 イヨが困り顔で答えた。

 まさか、このまま放置されるのだろうか?

 ログアウトしても、また再開したときにはここからになる。

 ドックへの帰還を選択すれば脱出はできるだろうが、今回の〈オルクス〉攻略状況もリセットされてしまう。もっとも進んでいるとは言えないが。

 ふと直感のようなものを覚えた。

 もしかしたら。

 この男たち狙いは、それなのではないだろうか。つまり。

(俺たちを、帰させたい……?)

 わからない。

 それになんの意味があるのか。

 仮にいまホットなフィールドである〈オルクス〉攻略のプレイヤーの邪魔をしたいとしても、期間内であれば何度でも挑戦することができるのでそれほど致命的ではない。いや、それとも。

 “今回”にしか存在しない、なにかがあるというのか。

「脱出、しよう」

 俺は言っていた。

 そうすべきだと感じた。

「脱出って……どうするのよ」

 サビナが眉をひそめる。

「ここには出口がひとつしかない。あんたがいま開けられなかったその扉よ!」

 俺は独房のような狭い部屋を見渡した。

 現実なら天井に通気口のひとつくらいあるだろうが、ここにはそんな抜け道になりそうなものはなにもない。

「まあ、なのでそれをこれから考えて……」

「まったく、頼りにならないわね」  

 サビナは露骨に嘆息した。だがやがて、あ、と声を出した。

 その表情は明るい。

「わかったわ。じゃあアタシがまず、あいつらの気を引くわ」

「どうやって?」

「演技よ。急病の振りをすんの。そうすればやつらも放っておけず、中に入ってくるでしょ。そこを全員でタックルして脱出するの」

「……リアルで急病になったとしても、彼らはどうしようもないんじゃ……」

 海より深い沈黙。

 気づいたサビナが、アバターの頬を急速に赤くした。

「う、うるさいわね! 冗談で言っただけだからね!?」

 サビナが怒鳴る。

 呆れようもなかった。

 とはいえ、俺も妙案があるわけではない。

 こんなことなら、部屋に押し込められるときにもっと抵抗すればよかったのだ。だが後悔先に立たずだ。

「……それ、あとのほうは、使えるかも」

 ふとイヨが言った。

「わたしに任せて」

 イヨは扉に近づき、無言で覗き口のほうを指さす。

 そこから扉の外に立つ男の後頭部が見えた。まさに見張り番よろしくそこに立っている。

 イヨは覗き口のほうに近づき、男に話しかけた。

「あのー……すみません。彼、シルトがさっきの人と、もう一度話をしたいって言ってるんですけど」

 突然、そんなことを口にした。

 身に覚えのない俺はぎょっとしたが、イヨがこちらに向かってウインクをしたので、とりあえず黙ることにした。

 扉の外の男は、無言。

 いや無視しているのだろう。

 もしかしたら彼らの中心人物――さきほど俺が対面したあのプレイヤーから、そう命じられているのかもしれなかった。

「あの、聞こえていますか? わたしじゃなくて、シルトが、そう言ってるんですけど。『取引』をしたい、って」

 取引。

 俺は感心した。実にそれっぽい、雰囲気のある言葉である。

『……どういう取引だ』

 ようやく反応があった。

『それは……すみません、あなたには、お伝えできないんです』

『ふざけるな』

『本当に、いいんですか? わたしにはよくわからないんですけど……それはあなたが決めていいことなんですか?』

『なに?』

「はやく、伝えてほしいんです。シルトはそう言ってます」

『……』

 長い長い沈黙。

 扉の外に、なにも動きは感じられない。

 ダメか――

 希望がかすんでいく。

 唯一の道が潰えた、そう思ったそのとき、

『そいつだけだ』

 男が答えた。

 そのとき、全員が内心でガッツポーズをしたはずだ。

 扉の隙間から、俺が手招きされた。

 ほかのメンバーはうしろに下がり、俺だけが扉に近づく振りをする。

 ギィッ、と扉がわずかに開かれたその瞬間、


「えいっ!!」


 サビナのアイディア通り、全員でタックルをかました。

 アバターに能力差はない。つまり、単純な足し算で力関係は決まる。

 後ろの三人が俺ごと男を突き飛ばした。バランスを崩して転倒。もみくちゃになりながら、とにかく急いで身体を起こす。

「走って!!」

 すかさずイヨが叫んだ。

 全員で一目散に走り出した。

 遅れて下敷きになっていた男がなにかを叫んだが、聞くはずもない。

「イヨ、さすが……!」

「……見事」

「あいつら、シルトに興味持ってたみたいだったから、もしかしたら上手くいくかもって思っただけ」

 十分だ。だれかのトンチンカンな腹痛案を頼りにしなくてよかった。

 ……と思っていると、サビナと目があった。

「あんたいま、アタシのこと心のなかで馬鹿にしたでしょ!」

「い、いや……」

「ふふん、どうです?」

 イヨが勝ち誇り、サビナは屈辱に頬をゆがませた。

「な、なにか文句あるわけ!? いいから、いまはとにかく逃げるわよ!」

 サビナの言う通りだ。

 見知らぬ拠点の地下通路。

 俺たち四人は、全力で逃亡を開始した。


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