#68
- EP05(下)あらすじ -
〈オルクス〉へ至る手段を求め自走都市に眠る巨大ガイストを撃破するも、圏外航空機は何者かによって撃破されていた。途方にくれながらもゲームを再開したシルトたちだったが、その直後、執念深く追ってきていたサビナに発見されてしまう。
かつての仲間の圧倒的な戦闘能力の前に、シルトは窮地に陥るのだが――
VHMDを外すと、景色が一変した。
畳、低いテーブル、お茶用のポッド、窓側の障子――庶民的な旅館の部屋の様子が目の前に広がっている。
ゲームを開始したときとなにも変わっていない。
部屋の半分がうす暗かった。クリスが寝ているため、ゲームをはじめる前に伊予森さんが灯りを調整していたことを思い出した。
遅れて千亜と伊予森さん、そして夏華がVHMDを外し、息をついた。
「はは、やられちゃった……」
夏華が短い髪をいじりながら言った。
苦笑いのような、ばつの悪そうな表情を浮かべている。
俺はなんと声をかければいいのかわからず、言葉につまってしまった。
ぎこちない空気が横たわる。
そういう状況で最初に言葉を発したのは、俺や千亜のようなコミュ力の低い人間ではなく、やはり伊予森さんだった。
「ちょっと、休憩しよっか」
クリスを起こさないよう、女子部屋から俺の部屋に場所を移した。
時刻はもうすぐ深夜二時。こんな夜更かししてゲームに興じるとは、実にいまどきの不健康な若者たちだ。
そういう生活を長年続けた結果が、デフォルトで濁った目を持つ俺である。
「――でも、輸送機が壊されてたってどういうこと?」
伊予森さんが言った。
細い眉がすこし吊り上っている。
俺がさきほどゲーム内で、破壊された圏外輸送機のことをイヨに伝えた。モルガンがやられたこともあったので、一度ログアウトすることにしたのだった。撃破されたり自分でドックに戻らない限りは、クエストはまた中断地点から再開できる。
「だれかがわざと攻撃したってこと? あれってプレイヤーが壊せたんだっけ?」
「どうだっけ……試したことないから、なんとも。ネット、見てみる? ほかの人がどうなってるか……」
俺は改めてそう言った。
コミュニティサイトでは、すでに話題に上がっているかもしれない。
予想外のことがいくつもあった。
飛行戦艦〈フレースヴェルグ〉の撃墜。地上に落下しても無事だったこと。チームメンバーとすぐにチャットが使えなかったこと。そして辿りついたヒュージフットで、〈オルクス〉への唯一の切符だと思っていた圏外輸送機が破壊されていたこと――
ここまでトラブルが重なると、もはや理不尽さより、なにかの意図を感じずにはいられない。
まるで、俺たちが〈オルクス〉に到達するのを妨害しているかのようだ。
俺の提案に、伊予森さんはわかりやすく揺らいだ。
「うー……正直、すごく見たい」
「じゃあ――」
「見たい……けど! やっぱりだめ。ネタバレ見ちゃったらやだし。それに、すぐネットに頼ろうとするのはゲーマーとしてどうかなって思う」
「そう、かな……」
あまり持論のない俺は答えに窮した。
そんな俺たちを見て、夏華がくすりと笑った。
「イヨってば、あいかわらずゲームのことは徹底してるね」
「えぇ、だって勿体ないでしょ?」
「わかってるよ。ボクも見ないのに賛成かな」
とくに変わらない夏華の様子に、俺は内心ほっとする。
「……おなか、すいた」
千亜がぼそりとつぶやいた。
俺も手元のペットボトルが空だった。持ってきていたお菓子も、すこし心もとない。
「じゃあ……俺、コンビニ行ってくるけど」
「あ、じゃあわたしも」
すかさず伊予森さんが立ち上がった。
わざわざふたりでいかなくてもいいと思ったのだが、俺がそう口にする前に伊予森さんが夏華たちに問いかけた。
「千亜と夏華は、なにがいい?」
「じゃあ……ボク、イチゴ牛乳がいいな。パックのやつ」
「千亜は?」
「……ほうじ茶。あとさきいか、あとビーフジャーキー」
おっさんみたいな注文だな。
歴然とした女子力の差を感じつつ、俺は伊予森さんと一緒に買出しに出かけた。
*
夜空に無数の光点が敷かれている。
俺と伊予森さんはふたり、海沿いの道を歩いていた。
昼間のぎらぎらした暑さが嘘のようだった。心地よさについ目を閉じ、息を吸い込む。潮の香りと生ぬるいそよ風が、俺たちを優しく包んでいた。
その一方で、ガードレール越しに臨く夜の海はあまりに黒く静かで、どこか不気味ですらあった。
「はぁ……。こんなに苦労するとは思わなかった」
となりで伊予森さんがぼやいた。
「うん。たしかに」
共同戦線クエストは俺もこれまで何度も経験していたが、これほど苦戦したのははじめてだった。
演出やらイベントに凝っている、と考えればいいことではあるが。
だが、妙に腑に落ちないことが多かった。
ザンノスケさんと、その仲間を襲ったというPK。
イレイガではなかったとしたら、いったい誰だったのか。
そしてそれ以上に、俺たちは微妙な問題に直面していた。
目下、俺たちが決めないといけないことは――
「やっぱり、今回は諦めてもいいかな」
ほぼ予想通りのことを、伊予森さんは言った。
「うん……」
俺は反論しなかった。
もちろん中途半端な状態で終わりたくはない。
ただ夏華がやられてしまった以上、もう一緒に遊ぶことはできなくなる。
同じイベント内で一緒に参加して遊ぶには、俺たちもクエストを一旦放棄して、最初からやり直さなければならない。となると、これまでの苦労がリセットされてしまう。
だがそれは、瑣末なことだ。
また機会を改めて挑戦すればいいだけのことだ。
「俺は、べつにいいけど」
「ごめんね」
「いや、ほんと全然気にしては」
「っていうか、いつから?」
「え?」
「夏華って、名前で呼んでるの」
「――――」
あまりに突然の追求に、思考が固まった。
そんなところを突っ込まれるとは思っておらず、俺は口をぱくぱくさせた。
「やっ、あの」
「あやしいなぁ」
伊予森さんが猫のように目を細める。なお焦る。
「そ、そういうふうに言われたから、そうしてるだけで! 俺が、勝手に呼んでるわけじゃ……」
「ふふっ、わかってるってば」
伊予森さんがすぐに表情を崩した。
冗談か……。俺は安堵しつつ、ふと夏華がゲーム内で言ったことをまた思い出した。
これが最後かもしれない。
もう会えなくなる。
あのことを、伊予森さんは知っているのだろうか?
さすがに俺に話して、伊予森さんが知らないということはないと思うが……。
そういえば、飛行戦艦の上でイヨになにか頼まれたことがあったような。
思い出した。
「そ、そういえばさ、なんか用あったんじゃ……」
「え……あ」
伊予森さんは視線をそらし、めずらしく言いよどんでいた。
なんだろうか。
静かな海のほうを眺めながら、伊予森さんが口を開く。
「遠野くんって、さ」
「うん」
「彼女とか、作らないの?」
ん?
KANOJO?
ワッツ? そのワードのミーニングが俺にはアイドンノーで、などとルー化するくらいには日常から遠い概念だった。
彼女?
っていうか……。
それ以前に、俺には男子の友達もいないのだが。
いや、かろうじて成瀬は友達……と呼べるのかもしれないが、あれ以来けっきょく顔を合わせていない。向こうがどう思っているかは知らないが、俺に気まずさが残っていた。いいやつだとは思うが、堂々と友達認定する気にはなれなかった。
彼女、か。
だいたい、そういうのは焦るものではない、と俺は思っている。
たしかに、いまはみんな早いのがスタンダードらしい。中学のときも、クラス内で付き合っているカップルはかなりいたような気もする。まあ、よく知らないし、たまたまうちのクラスでは多かっただけかもしれないし。
俺の弟の篤士も中二で彼女持ちだが……。あいつは昔からチャラいので例外だ。というか、考えると無性に腹が立ってきた。まあそれはいい。
恋愛とか彼女とか、急ぐものじゃない。
なぜなら――
まだ時間はあるのだから。
高校生活はあと二年半以上ある。
きっと三年になるまでにはできているんじゃないだろうか。
それに、もし高校できなかったとしても、大学に入ってから作ればいいのだ。
さすがに大学生ともなれば、ひとりかふたりぐらいとは付き合う気がする。
実際、進路のことはまったく決めてないし、具体的にどうすればいいのかはわからないが……。とにかく、いま急がなくても大丈夫なはずだ。
そして、いずれできた最初の彼女と仲良くなった頃に、おそらく俺は彼女とこんな会話を交わすのである。
――え、遠野くんって、いままで彼女いなかったの?
――あれ? 言ってなかったっけ?(←できるだけしれっと)
――すごく意外。どうして?
――べつに。ただ、いままで本気で好きになった人がいなかっただけ……かな
――えっ、それって……
……
…………みたいな。
なので(?)、無理して作らなくてもいいのだ。
べつに俺が遅いわけではなくて。まわりが無駄に急いでかたちだけの恋愛をやっているだけで。いずれ俺も本当の相手が見つかるはずで。きっと、そのうち、いつかは……。
不安になってきた。
「遠野くん?」
「ふぁっ!?」
俺は現実に帰還した。
「ど、どうしたの? 急に黙り込んだから、ちょっとこわかったよ。ごめんね、急に変なこと聞いて……」
「い、いや、べつに。ああ、彼女ね。彼女は……」
「うん」
「いまは、ちょっと……」
「……うん」
「その…………、く……クールタイムかな」
今世紀最高に愚かな言葉が口から出た。
案の定、伊予森さんがきょとんとしている。
すぐに猛烈な後悔が押し寄せた。
「それって……え、だれかと、最近まで付き合ってたの?」
「えっ? あ、いや……まあ、いや、そういうんじゃないんだけど……。た、たとえっていうか……き、気持ち的にっていうか、まああの……」
「?」
くそっ、馬鹿か俺は。
なんでつまらない見栄を張って、こんなしょうもないことを言ってしまうのか。
顔が熱かった。
恥ずかしい。死にたい。とにかく死にたい。
「い、」
必死に誤魔化そうとして、「伊予森さんは?」と発しかけた質問の言葉を、俺は直前で飲み込んだ。
――聞いてどうする。
いや、聞きたくない。伊予森さんがだれとどれくらい付き合ったかなど。
それで、「三人くらいかな」などとさらりと答えられたらどうなる。
俺は動揺する。
なぜ動揺するかはわからないが、吐いてしまうかもしれない。それくらい嫌で不快で忌わしい想像だった。
ふたりの足音だけが夜道に反響した。
結局、不恰好な沈黙が横たわってしまった。
このザマだ。
伊予森さんみたいに知っている人相手でも、ろくに会話が続かない。
本当に自分を消してしまいたくなる。
そんな俺に気を遣ってか、伊予森さんから口を開いた。
その第一声に、度肝を抜かれる。
「わたしは――」
え? 言うの?
と思った。
しかし俺に止める権利などあるはずもなかった。
聞きたくなかった。言わないでほしかった。
それでも無意識が聴覚に意識を集中させた。
「まだ、彼氏とかいたことないし……」
言葉は、そんな風に聞こえた。
というか、伊予森さんははっきりとそう言った。
一瞬、固まった。
「あ、そうなんだ……」
なにも言葉が続かない。
ただ俺は、ひとり戦場で生き残った兵士のように呆けていた。
こんなに安心したのは、高校の合格発表のとき以来だった。
同時に、罪悪感がこみ上げる。
自分だけ誤魔化してうやむやにして、伊予森さんにだけ言わせて。
その卑怯さが許せなくなった。
「――俺も、ない」
気づくと、そう言っていた。
伊予森さんが、まじまじと俺を見る。
言えた。
押し寄せてくる羞恥心をぐっと耐えると、逆にわずかに晴れやかな気分になった。そうだ、最初から素直にこう言っていればよかったのだ。そう反省した途端、自分の臆病さを自覚した。
俺は結局のところ、あらゆることに臆病なのだ。
だから前に進めない。進まないのではなく、できない。
あれこれ内心で言い訳を量産することには長けていて、なにか行動に移すことはほとんどない。
それでいいのだろうか。
でもずっとそうしてきたから、それ以外の方法が俺にはよくわからない。
「そう、なんだっ……」
伊予森さんの言葉尻が弾んでいたので、俺はすこしだけほっとした。どうやら気を悪くしてはいないようだった。
「……遠野くん。ひとつだけ、お願いがあるんだけど」
「あ、なに?」
なにかコンビニで奢ってほしいとか、それくらいのことだと思った。
ふと抵抗を感じた。
足を止めた。
俺は半身だけで振り返る。
すぐうしろで、伊予森さんが、俺の服のすそをつかんでいた。
指先だけで小さく。
壊れ物でも扱うように、小さな力で。
髪を垂らし、うつむいている。表情はよく見えない。
その行為の意味を理解できずに、俺はただ目をまたたかせていた。
「あのね、あの……」
波の音でかき消えてしまいそうな小さな声に、じっと耳をかたむける。
星の海も夜の海も、どこかすべて幻想的で。
「――手、つないで」
ただひたすらに、現実感がなかった。




