#64
『シルト、ごめん……』
イヨの声が聞こえた。
ボイスチャット機能が回復していた。
チアのときと同じだ。有視界距離なら使用可能になるらしい。
俺はその弱々しい声に引き寄せられるように、機体を前進させようとした。そこにあの男の声が割り込んだ。
『おっと、それ以上動くなよ?』
長い橋の向こうで、〈ベヲウルフ〉が、イヨの猟機〈ヴィント・マークα〉に向けたバーストライフルを誇示するかのように悠然と立っている。
〈ヴィント・マークα〉は武装も両腕部も失い、脚部も破損し機動力が著しく低下している。あの状態では回避しようもない。耐久ゲージも残りわずかだ。
もしあれが撃たれれば、まちがいなくイヨは撃破される。
『黙り込んでどうしたんだ? ショックでも受けてんのか? はっ、俺は“釣り”が好きなんだよ。こいつは今後のためにも覚えておいたほうがいいぞ』
実に愉快でたまらない、という声だった。
また俺たちはイレイガの意のままに引き寄せられた、ということだろうか。
おそらくだが、イヨはチアと一緒に行動中、イレイガに狙われていることに気づいたのだ。だからチアを逃がして、自分が相手を引き受けた。
その結果がこれだ。
イレイガの強さを考えれば、ふたりで戦っていても結果は同じだっただろう。
だとしても――
俺は衝撃から抜けきれないまま、つぶやいていた。
「……なんで」
『あ?』
「わざわざ、こんなこと……」
あのとき戦ってみて、十分わかった。
イレイガの実力は本物だ。機体もそれに見合うだけのハイレベルで構築されている。
まともに戦っても、十分相手と渡り合うことができる。
それなのに。
なぜこんな真似をする必要があるのか。
『はぁ? 頭足りねえのか?』
俺には理解できなかったが、イレイガにとってはちがったらしい。
当たり前のことを聞かれてうんざりするような反応だった。
『強いやつがより強いやり方をとるのは当前だろうがよ! 馬鹿じゃねえのか!?』
イレイガが哄笑する。
耳ざわりなその声に、俺たちはふたたび絶句した。
『なんと、卑劣な……』
ザンノスケが苦しげにうめいた。
モルガンとチアも言葉を失っていた。
『ったく、ニブチンは勘弁してくれよ。いいか、いまこいつの運命は俺が握ってんだよ。つまりおまえらは俺に逆らえないってわけだ。まあもっとも、素直に今回の攻略は諦めるんなら話はべつだがな。すぐに楽にしてやるよ』
『みんな、こんなやつの言うこと聞かなくていい! 戦って!』
すかさずイヨが叫んだ。
それでも、俺たちは動けなかった。
俺たちが武装を構えた瞬間、イレイガは嬉々としてトリガーを引くだろう。まちがいない。
それもまたやつの思い通りなのだ。
俺たちに仲間を見捨てさせようとしている。目の前で、俺たち自身の責任で。
『ちょっと、なんでみんな……。シルト?』
イヨは当惑している。
なぜ戦ってくれないのか、と。
だがだめだ。
俺には、それは選べない。
代わりに――俺は無言のまま、チアに短いテキストメッセージを送った。
『はっ、すこしは利口じゃねえか。じゃあまずは――てめえからだ』
〈ベヲウルフ〉が悠々と、右腕に携えた重力砲を持ち上げた。
その照準は、俺に向いていた。
腕部の携行火器としては、規格外の破壊力を有する重力砲。
左のライフルの銃口は、変わらずイヨ機を捉えたまま。
『逃げんなよ? いや、まあ逃げてもいいがな。ただしその瞬間、この女はゲームオーバー、ドックに強制帰還だ。一緒に楽しくやってたのに、オトモダチに見捨てられて残念だなぁ?』
『そ、そんな攻撃耐えられるわけないじゃん!』
『は? 知らねーよカス。てめえでなんとかしろや』
モルガンの反論もむなしく、重力砲にエネルギーがチャージされる。
その砲口に黒くねじれた光が収束していくのが見えた。
重力砲のしかも最大チャージの一撃を、正面から受け止めろというのか。
それはすなわち、自殺に等しい。
装甲が厚く耐久ゲージの高い重量機なら、なんとか耐えられるかもしれない。
だが俺の軽量機は、まちがいなく撃破されるだろう。
イヨか、自分か、どちらか選べということか。
落ち着け――
これで、永遠になにかが失われるわけではない。
この共同戦線クエストもまた再挑戦することはできる。猟機も資金さえあれば直る。チャンスはまたいくらでもある。
だけど。
いまこいつに、こんなかたちで奪われるのは、耐え難かった。
『覚悟を決めたか? それでいいんだよ。どうせおまえらは俺の――』
チアからメッセージの返答が来る。内容はごく短い。
―― YES 。
重力砲の光が最大限まで強くなる。チャージが完了する。
俺は頭のなかで操作のタイミングを計った。
シルト! シルト殿! よけてぇ!
イヨたちの叫び声が聞こえた。その直後。
『遊び道具なんだからなぁ!』
重力砲が発射された。
集束した黒い波動が、俺の視界を飲み込んだ。
機体がバラバラになったかと思うほど激しく揺れた。重心を下げてわずかでも安定性を高めたが、それでも機体は大きく後退しあらゆるステータスが無慈悲に一変した。
――操縦席が非常灯に照らされる。
警告音と警告表示のオンパレード。そのすべてが危機的状況を伝えていた。
俺の猟機は、まだ立っていた。
それは直前で機体の前方に重ねるようにして突き出した、二枚のシールドによる防御効果だった。それが機体の撃破をかろうじて防いでくれた。
しかし、限界はあった。
『シルト……』
イヨの声が震えていた。
まわりからは俺の機体がどういう状態かよく見えていることだろう。俺もステータス表示でそれはすぐに把握した。
まず、両腕のシールドを犠牲にした。
さらに左腕部が全損。肘の先から千切れている。もう使いものにならない。
加えて重力砲の広範囲攻撃により、機体各所にダメージを受けていた。頭部が《中破》判定を受け機能低下、レーダーマップが使用不能。武装もマルチランチャー、レーザーソード、レーザーカッターともに《大破》。胴体部脇のチェーンダガーを残し、すべての武装が使用不能に陥っていた。
機体の耐久ゲージは、残り一割を割り込んでいた。
吹けば飛ぶような状態。
それでも生き残った俺の猟機を見て、イレイガが奇声を上げた。
『ひゃはは! すげーじゃねーか! こいつはおもしれぇ!』
イレイガは興奮していた。
それがはじめて――ようやく現れた“隙”だった。
重力砲着弾のエフェクトが晴れて視界がクリアになるのとほぼ同時。チアの多脚猟機が、スナイパーライフルの銃口を持ち上げていた。
イレイガは俺の猟機に気をとられて、それに気づくのがわずかに遅れた。
ろくに照準できたとは思えないほどの時間。
チアは迷わずトリガーを引いた。
飛翔したただ一発の弾丸が、イレイガのバーストライフルを破砕した。
『――――は?』
次の瞬間。〈ヴィント・マークα〉が破損した脚部を酷使し、跳躍する。
すかさずザンノスケとモルガンが援護射撃。レールガンとライフルの弾幕を浴びせ、イヨが障害物に身を隠す時間を稼いだ。
『ちっ……』
イレイガは無難に後退し、一斉射をかわす。
その間に俺たちも迷わず距離を詰め、柱を背にした〈ヴィント・マークα〉と合流した。
『イヨ~! よかったよぅ~!』
『う、うん。ごめんね、みんな迷惑かけて……。最初撃ったの、チア?』
「そう。さすが、マジですごい」
『……どゃ』
チアはぶっきらぼうに応じた。
チアのスナイパーライフルでも、ほとんど限界射程距離に近かった。しかもマニュアルで照準する時間はほとんどなかったはずだ。
それを針の穴を縫うように、敵のライフルの銃身に当てた。
チアにしかできない芸当だ。
俺たちが固まって防御布陣をとっていると、〈ベヲウルフ〉は反転、背を向けてスラスターを噴射した。
『あの男、逃げるでござるよ!』
「いや、待って」
ちがう。
おそらく、また誘っているのだ。
俺たちが逆上して追ってくることを期待している。
頭に血が上った状態なら、カウンターを食らわせやすいからだ。
それがわかっていて露骨に背中を見せている。迂闊に乗るにはいかない。
いまはそれよりも、
「モルガン。イヨの機体、直せるかな……」
モルガン機はリペアキットを搭載している。
使用回数は限られているし、修理にも時間はかかる。完了すれば武装まで元に戻るので便利だが、フィールド上では護衛役の仲間がいなければ迂闊には使えない代物だ。
『うん、もちろん!』
『待って。シルトの機体のほうが……』
『あ、たしかに……』
ふたりの猟機の頭部がこちらに向いた。
だが俺はすでに決めていた。
「いや、俺はいいので。それより、チア、とザンノスケさん。あの……修復中、ふたりを守ってもらえます、かね……?」
『それは無論であるが……。しかし、シルト殿はいったい……?』
「さっきのやつは、俺が」
『シルトが?』
「うん、だから……相手を、してこようかな、って」
そう言った。
なるべく平穏に意図を伝えたつもりだったが――
『『は?』』
ザンノスケとモルガンの声がハモった。
直後、操縦席にふたりの怒声が響いた。
『な、なにを言ってるでござる!? お主、自機の状態がわかっているでござるか!? ま、まさかカミカゼ!? 総玉砕の覚悟でござるか!? いかんぞシルト殿、自棄になってはならぬ。いくらこれがゲームとはいえ軍国主義は遠き過去のもの。竹やりで戦闘機は落とせぬでござる!』
『そうだよシルト! きみ、なに考えてるの!? ま、まさかもう眠いの!? お風呂上りでちょっと気持ちいいのはわかるけど、ダメだよまだ〈オルクス〉にも到達してないのにぃ! そ、そんなに眠いなら、ボクに任せて! その……目が覚めるとっておきの方法があるから……と、特別にしてあげても……いいんだよ!?』
「…………いや、玉砕覚悟でも、眠くもないので」
ふたりの猛非難に、さきほど重力砲を食らったときよりも冷や汗が出た。
というかモルガンの――夏華の“とっておき”とはいったい?
「とにかく、ほんとに、大丈夫」
『大丈夫って……』
『シルト』
困っていたとき、イヨが口を挟んだ。
一瞬、同じように咎められるかと心配したのだが、
『好きにしていいよ』
『えぇえええええ!?』
イヨの発言に、モルガンとザンノスケが悲鳴に近い声を上げた。
チアはなにも言わず黙っている。
とりあえず、GOサインをもらえたのでほっとした。
「じゃあ、行ってきます」
俺は唖然としたままモルガンたちを残して猟機の輪から抜け出し、イレイガ機が逃げていった方向――実験都市の中心部へと機体を移動させた。
後ろを振り返るつもりはなかった。
*
『――降参にきたのか?』
イレイガはいきなりそう言った。
都市の第二隔壁付近。
すでに他のプレイヤーは通り過ぎたあとのようだった。
やや斜めに屹立した隔壁も、すでに突破されている。この向こうで、最後の隔壁を守護するガイストと戦闘を繰り広げているのだろう。
半壊した研究施設やガイストの残骸が散らばった場所で、イレイガは待ち構えていた。
隠れるつもりもないようだった。
当然かもしれない。
敵戦力が、撃破直前の軽量機だけならば。
『つか、なんでてめえひとりなんだよ。つまんねぇなぁ……。もうどうせ真面目に戦う気もないんだろ? 天地がひっくりかえっても勝てねーもんな』
〈ベヲウルフ〉が大仰に両腕を開き、上体を反らした。
わざわざあんな煽りモーションを登録しているとは。逆に感心した。
「普通に、戦うつもりだけど」
『はぁ?』
イレイガはしばし沈黙した。
よほど、俺の言葉が理解できなかったらしい。
『いやいやいや、おまえ、目ん玉ついてんのか? お得意のシールドもソードもうないぜ? そんなスクラップ寸前の機体で、ふざけすぎだろ!』
本当に可笑しいのだろう。リアルで腹を抱えている姿が目に浮かんだ。
まともな戦いなど最初から期待していないようだった。
ああ、わかっていない。
本当に、なにも――
「武器なら、ここにある」
『あ……?』
俺はモニター越しに周囲を見渡した。
フィールド上には、猟機を支えるハンガーのようなマップオブジェクトがいくつもあった。その中には開発中の武装を表現したオブジェクトが置かれている。
モニター上には、それと重なるように《↓ GET ARMS ↓》と文字が出ていた。
適当に目星をつけたものに歩いて近づくと、文字がブルーからグリーンに変わる。モニター上に指で触れて選択。
次の瞬間、素手だった俺の機体の右腕部に、新たな武装が転送された。
それは近接戦闘用の大型ハンマーだった。
槌の部分にスラスターような噴射口――加速機構が施されている。レーザー系や超振動系の兵装ではない。純粋に質量と運動量でダメージを与える、無骨な鉄塊。
俺はそれを右腕部だけで持ち上げ、肩にかついだ。
そして無言のままのイレイガに向けて、宣戦布告を口にした。
「じゃあ、遊びをはじめよう――」




