#59
目の前で砂埃が舞った。
ブラックアウトした視界が戻ったとき、俺の分身は地面の上に倒れていた。
砂粒ひとつまで描かれた超細密なテクスチャが、大地の渇きを生々しく表現している。その上に手をついて身体を起こした。じゃりっ、と砂をこする音が耳を打つ。音声まわりに問題がないことを確認しつつ、俺は自分がいる場所を見渡した。
「ここは……」
荒野のど真ん中だった。
見えるのは広大な砂地と、切り立った岩山、そして青い空だけだ。
どうやら、〈オルクス〉付近の空域からここに落ちたらしい。
――さきほどの飛行ガイストの襲撃。
〈フレースヴェルグ〉が撃墜され、俺たちは生身のまま空中へと投げ出された。
空中でほとんどコントロールは効かなかったが、落下の途中までは視野が生きていた。近づく地表を呆然と眺めていたとき、急に視界が暗転した。
まるで意識を失ったかのように黒く塗りつぶされたそれが戻ったとき、俺はここに倒れていたのだ。
あきらかに正常とは思えなかった。
アバターにも生命判定はあるので、高所から落下したり、あるいはガイストに踏み潰されたりすれば猟機の撃破認定と同じ扱いとなり、ドックへの強制帰還となる。それなのにあの高度から落ちて無事とは。
「どこだっけ、ここ」
こういう風景はアイゼン・イェーガーでは見慣れたものなので、すぐに場所を思い出せなかった。
メニュー画面からマップを確認。
付近には街はおろか、プレイヤー所有の『拠点』すらひとつも見当たらなかった。
ずいぶんと僻地に落ちたらしい。
ぼんやりと頭のなかで、アイゼン・イェーガー世界の広域地図を思い描く。おそらくだが、攻略で言えばかなり高レベルのプレイヤーが来る場所だ。首都ミッテヴェーグからは遠く離れている。飛行戦艦で長距離移動していたのだから当然といえばその通りだが。
とりあえず、みんなと連絡を取らなくては。
「――あれ?」
思わず呟きがもれた。
手元に表示したメニュー画面が、いつもの操作に反応しない。
さきほどはマップが見れたので全体のエラーではない。いま使おうとしていた機能だけが不具合を起こしていた。
「チャットが使えない……?」
ボイスチャットも、テキストチャットもだ。項目は出ているのに、触れてもなんの応答もなかった。
どういうことだろう。
やはり、なにか深刻なエラーにハマってしまったのか。
どうしたものか。
一度ログアウトしてみるのも手だ。共同戦線イベントは、途中で撃破されるなどしてドックへ帰還すると攻略状況がリセットされてしまうが、ログアウトによる一時中断ならまたすぐに再開できる。
そのとき、なにかの気配がした。
そう――気配だ。
聞き慣れた猟機の重低音ならすぐわかる。だが明らかにそれより小さい音だった。そう遠くない距離に、なにかがいる。
ガイストだろうか。だとしたらまずい。
一応周囲を確認。十分なスペースはある。
「ロード」
猟機の呼び出しコマンドを唱えた。
転送された猟機の操縦席に移され、一気に目線が高くなる。俺は呼び出した自機〈シュナイデン・セカンド〉の機体を、その場で旋回させた。
迎撃準備のため、背部にマウントしていた重シールドを手に持ち、腰部のレーザーソードの柄に手をかける。同時にレーダーマップを確認。
そこに反応があった。
かなり近い。前方の岩山の陰からだ。
一瞬緊張が走ったものの、俺はすぐに安堵した。
レーダーに映っていたのは、味方機のアイコンだった。
俺は自分からそちらに近づく。
その機体が岩陰から出てきて、こちらを視界に収めた。その瞬間、
『うひゃぁ!?』
中性的な声が操縦席に響き、慌てふためいたようにライフルの銃口を向けてきたので、俺はとっさにその腕部をシールドで押さえつけた。
「待って。モルガン、俺」
それは大型のバックパックを背負った電子戦機――モルガンの猟機だった。
数秒の沈黙ののち、モルガンが叫んだ。
『し――シルト!?』
「うん、そう」
『…………よ』
「?」
『よかったよぉ~~!!』
モルガンが器用にも猟機ごと抱きついてきた。
今度は俺も避けることができず、そのまま押し倒された。衝撃とともに視界が傾き、盛大に砂埃が舞い上がる。俺の猟機の耐久ゲージが95%から92%に減少した。全周モニター上に << Friendly Fire >> と警告表示が出る。
『うわぁ!? ご、ごめん! その、さっきまですっごく心細くって、や、やっと会えたからうれしくって……』
「……まあ、大丈夫。アイコン、味方機だったんじゃ」
『え? ああ……そっかぁ』
レーダーをよく確認していなかったのか、モルガンは照れるように言った。
そのとき、またも奇妙な違和感が俺を襲った。
モルガンの答えに対して、ではない。
それがなんなのか、自分でもよくわからなかった。
なにについて?
強いて、特定するのであれば、
――音、だろうか。
『シルト、ひとり? イヨたちは?』
「え、ああ……。俺の近くには、いなかった。たぶん、かなり遠くに落ちたんだと思うけど……。それにさっきからチャットが使えなくて」
『あ、それボクもだよ』
その答えを聞いた俺はわずかに安心し、それ以上に落胆した。
不具合は俺だけではないらしい。いまこうしてボイス機能は生きているので、近くなら使えるということか。
『どうしよっか……』
まずはイヨたちと合流したいが、居場所がわからない。
アイゼン・イェーガーのオープンワールドは広大だ。当てもなく探すのは無理がある。連絡がつかないことには、どうしようもなかった。
「一回、ログアウトする?」
『……うーん。それもあるけど、でも……』
なぜかモルガンは気が進まないようで、声のトーンを落とした。
『イヨは、あんまり歓迎しないかも』
「? どうして」
『だってほら、そういうのって……ちょっとずるいでしょ? 外部ネットを使ってるのと同じだし』
「それは……まあ」
外部ネットの主なコミュニティサイトでは、いまもリアルタイムで途切れなく情報交換がされているだろう。いまの俺たちと同じように飛行戦艦から落下して困り果てている、という内容の問いかけも出ているかもしれない。俺たちも現実ではすぐ傍にいるわけだから、VHMDを外してどこにいるのかと聞くのは簡単だ。
だがモルガンの言うとおり、それはすこし野暮なのかもしれない。
『それにチャットまわりが使えないのも演出なら、それに沿ってやったほうが楽しいと思うし。せっかくの初見プレイなんだから』
「……じゃあ、うん。とりあえず、このまま続けよう」
まあ、こういう状況が新鮮なのはたしかだ。
深刻に考えすぎか、と思っていたとき、レーダーマップに反応があった。
「なにか近づいてる」
『え?』
モルガンが来た方角から、またべつの猟機が近づいていた。
今度は、味方機ではない。
俺はレーザーソードを構え、刃を出力した。
だが向こうも気づいたのか、突然進路を90度変えた。逃げる気だろうか。
突然、レーダー上の敵機のアイコンが消失した。
『あれ、消えたよ……?』
一気に全神経が高ぶった。
まさか、アクティブ・ステルスか。
だとしたらまずい。
もっともリスクを減らす対抗手段。位置を見失う前に――仕掛ける。
「モルガン、援護お願い」
『う、うん!』
俺は迷わず岩山の陰から飛び出した。
開けた荒野に目を走らせる。どこにも猟機の姿はない。
どこかに身を隠したのか。いや、だとしたら早すぎる。光学ステルスまで併用しているのだろうか。この瞬間にも狙われている可能性がある。
俺は回避運動をかねて機体を滑らせながら周囲を警戒。だがそのとき、足元付近でなにかが動いたのを、目の端で捉えた。
とっさに急制動をかけた。
撒き散らされた土煙が、ゆっくりと晴れていく。そのなかにいたものを、俺は目視で確認した。
足元にいたのは、生身のアバターだ。
「ひぇえええ……」
和風な着流し姿のプレイヤーが、絶望的な表情でこちらを見上げていた。その特徴的な容姿を、俺はもちろん覚えていた。
「……ザンノスケさん?」
「ほ、ほぁ? そ、その声……もしや、シルト殿であるか!」
ぱっとザンノスケの表情が明るくなった。
どうやらレーダーから消えたのは、猟機から降りたためだったらしい。呼び出すときと同様、機体は瞬時にドックへと転送される。
「なんで、生身に?」
「いや……。もう逃げ切れないかと思い、あわよくば敵が見失ってくれるかと……」
たしかに、あやうく気づかずに踏み潰すところだった。
そういう形でのPKは(とりわけペナルティはないといえ)さすがに罪悪感を覚える。
俺とモルガンも猟機を降りて、ザンノスケに近づいた。
俺たちを見て、心底ほっとした様子だった。
「あの……逃げ切れないって、どういうこと?」
モルガンが不思議そうに聞いた。
「! そ、そうであった。お二方、ここは危険でござる!」
唐突に、ザンノスケがあわてふためいて言った。
俺とモルガンは顔を見合わせる。
「危険って……なにが、ですか?」
そこでザンノスケは足元に視線を落とした。
「某の仲間が……、全員、やられてしまったでござる……」
ザンノスケの顔は、痛恨の思いに歪んでいた。
そうさせるだけの目に遭ったのだと、俺とモルガンも理解した。
「やられたって……なにに?」
「それが……わからぬのだ」
「わからない?」
ザンノスケは近くの大きめの岩に腰を下ろした。
「某は飛行戦艦から落ちて、一度なにも見えなくなったのだが、それが直ったら地上に倒れていたのでござる。しかもメッセージまわりの機能が死んでおり、困っていたところ幸いにも猟機のレーダーで仲間たちの反応を見つけたので、合流しようとしたでござる」
「ボクたちも、似たような状況」
モルガンの言葉に、ザンノスケは納得したようにうなずいた。
「……襲われたのは、その直後だったでござる。集まっている味方機の姿が見えたので某も近づこうとしたのだが、いきなり一機が大ダメージを受け……。
いつのまにか、やられていたでござる。わけがわからぬ。敵の姿は見えず、攻撃は苛烈であった。連携をとる暇もなく、次々と全機撃破されてしまった……。それで、某はあわてて逃げ出してきたのだ。正直、あれほどの恐怖を感じたのは、このゲームではじめてのことでござる」
俺はたちは唖然として、ザンノスケの言葉に聞き入っていた。
どういうことだろう。
このイベント用に用意された特殊ガイスト、あるいはNPCの操る猟機という可能性はある。ただ、いまの話が本当なら難易度がシビアすぎるが。
あるいは――手練れのPKか。
「もしかして……あの人じゃ」
「……やはり、シルト殿もそう思われるか」
ザンノスケも同じことを考えていたようだ。
思い浮かんだのは、飛行戦艦の上で出会ったあのプレイヤー――イレイガだ。
あの男も自分たちと同じように、無事な状態で着地したのかもしれない。
そこからたまたま目についたプレイヤーを手当たり次第に襲いはじめた、というのは、あの男の言動を振り返れば想像に難くない。
だとしたら、俺たちも安穏とはしていられない。
「えっと……チーム、組みます……?」
一応、遠慮がちに俺は言った。
俺の提案に、ザンノスケは目を丸くしている。
「よ……よいので、ござるか?」
「は、はい、俺はべつに。あっ、モルガンは」
「うん、シルトがいいなら。ぼ、ボクも怖いし……」
了承をもらえたので、俺はほっとした。
「かたじけない……。恩に着るでござる」
俺はザンノスケからチーム加入申請を受けた。まだイヨとチアは数に入っているので、五機の上限数ぎりぎりだった。
俺はイヨたちのステータスを確認した。
サビナたちとの戦闘時から、猟機の耐久ゲージは減ってはいない。無事なのはたしかだ。もしかしたら、いま向こうも同じようにこちらのステータスを見て、ため息をついているのかもしれない。
いや、あるいは気楽に未知の冒険に胸を高鳴らせているか。
俺は乾いた風の吹く地表から、遠い空を仰ぎ見た。
これと同じものを、いまのイヨたちも見ているのかもしれなかった。




