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アイゼン・イェーガー  作者: 来生直紀
EP05/ 第2話 天空に至る道
58/93

#57

「なんとか乗れたね……」

 イヨが心底ほっとした様子でつぶやいた。

 俺もようやく張り詰めていた緊張が解け、あらためて周囲を見渡す余裕ができた。

 数分前まで足を付けていた大地はすでに遠く、澄んだ青の世界が俺たちを360度、取り囲んでいた。ゆったりと流れ落ちていく景色とともに、さきほど抜けたばかりの真っ白な雲海は、手が届きそうなほど近くに敷かれている。

 いま俺たちは、空にいた。

 ここは飛行戦艦〈フレースヴェルグ〉の展望甲板(デッキ)だ。

 〈グスタフ・ドーラ〉は目的地であるライターハーフェンに、飛行戦艦出発の二分前に到着した。そこから迷わず発着場へと猛ダッシュし、乗船。

 そうして俺たちはなんとか無事、〈オルクス〉攻略へ旅立つことができた。

 この〈フレースヴェルグ〉は、今回の共同戦線のイベント用に公式運営から用意された乗り物である。天空遺跡〈オルクス〉には、猟機だけでは辿りつけず、まずほとんどの(、、、、、、、)プレイヤーは、自力で到達することができないためだ(他にも一応手段はある)。

 甲板の前方から後ろを振り返れば、巨大な砲門や艦橋がそびえている。

 この飛行戦艦も猟機と同じく遺跡の高度文明技術の結晶であり、世界の開拓を求める者たちの懸命な発掘と改修によって、ついに長き眠りから目覚めさせることに成功したのだった(……という設定だ)。

 ともあれ、新鮮な光景である。

 艦の甲板には、俺たち以外にも多くのプレイヤーたちがひしめいていた。

「ねえねぇ、こんなに集まってみんなでひとつのフィールドを攻略しにいくなんて、なんかわくわくするね!」

 モルガンが瞳を輝かせ、イヨとはしゃぎ合っている。 

 俺もふたりほどではないが、気持ちが高揚していた。

 共同戦線イベントは初めてではないが、もちろん今回のフィールドは未知の場所だし、ひさびさの冒険感に胸が躍っていた。

 空の向こうを眺める。まだ遺跡は見えない。

 だが確実にそれは、俺たち攻略者たちを待っている。


「――なんだろう」


 ふいに、イヨの声が聞こえた。

 気づくと、周囲までの賑やかな喧騒がなりを潜め、不穏なざわつきに変わっていた。 

 他のプレイヤーの視線につられ、俺もそちらを眺める。

 甲板の中央近くのスペースで、だれかが揉めていた。

 向かい合ったふたりの男が言い争っている。

 一方はいかにも喧嘩腰といった乱暴な口調で、もう一方は及び腰になって相手をどうにかなだめようとしていた。

「ざけんじゃねえぞ! 俺の機体にケチつけようってのか!?」

「ち、ちがうんでござる。某はただ珍しいと――」

「その口調もイラつくんだよ! なめてんのか!?」

「そんなことは――」

 喧嘩腰の男が、相手を突き飛ばした。

 ござる口調の男が甲板にはいつくばる。

 アバター自体には能力差のようなものは設けられていないため、単純に不意を突かれたせいだろう。しかしやったほうの男は、そういったアバターの使い方にも慣れているような節があった。

「なにあれ、サイアク……」

 イヨが露骨に嫌悪をあらわす。モルガンも怯えていた。

 俺はすぐに直感する。

 あれは、関わらないほうがいい。

 ゲームでも現実世界でも、危ないやつはいる。それをわかっていて自分から首をつっこむのは利口ではない。

 俺はやんわりとみんなにその意図を伝えようとしたのだが――どうやら、遅かったらしい。

 なぜかイヨは男に近づいて、話しかけていた。

「ちょっと、いいですか」

「えっ!?」

 俺は素で驚きの声を上げた。

 イヨは衆人環視のなか、なんのためらいもなく男に近寄った。

 な、なんて勇敢な。

 さすがあの親にしてこの子あり、というべきなのか。

 いや、感心している場合ではない。

「あぁ?」

 喧嘩腰の男がイヨのほうに振り向いた。

 アバター名は、ERAGA と表示されている。イレイガ、と読むのだろうか。 

「せっかくみんな楽しくゲームやってるのに、空気悪くするのやめてほしいんですけど」

「あぁ?」

 男――イレイガのアバターは、その言動が不自然ではない容姿だった。目つきが鋭く、髪はホスト風というかのツンツンと逆立っている。イケメンキャラではあるが、露骨すぎてちょっと引いてしまうぐらいの印象だった。俺はなんとなく昔の自分のアバターを思い出し、軽く憂鬱になった。

「なんだよ、あんたが代わりに相手してくれんのかよ」

「……バカじゃないの?」

「あぁ!?」

 イレイガが声を張り上げる。だがイヨは動じていない。

 それが面白くなかったのか、イレイガは視線をイヨから周辺で傍観に徹しているギャラリー(俺を含む)に向けた。 

「ったく、どいつもこいつもザコの癖によぉ」

「あなた、だからそういうことを……」

「俺に勝てるって思ってるやつがいたら、名乗り出てみろよ! なぁ!?」

「あのねぇ、それくらい――」

 俺はうしろから、イヨの腕をこっそり引っ張った。

 驚いて抗議の表情を浮かべるイヨに、無言で首を振る。

「なんで――」

「あれ……あの服」

 俺は目線で、イレイガのほうを指した。

 黒ベースに、血のような濃い赤がまじったコートとズボン。さらに片方の肩だけで留める形のマントを羽織っている。マントには細やかな金の刺繍が施されていた。

 単に見た目としてかっこいいが、俺が言いたいのはそのことではなかった。

「あれ、特別報酬で手に入るやつ」

「だから……なに?」

「だから……」

 イヨは知らないらしい。

 それほど意外ではなかった。クエスト等で入手する特別報酬だけでも、猟機の素材からアバター関連のものまで無数にある。コアなプレイヤーでもそのすべてを知っている人は少ないだろう。

 俺はためらいつつも、口にした。 


「あれ、PKで1000機以上撃破したプレイヤーが入手できるやつだ」


 アイゼン・イェーガーでは、PKはゲームシステムの基幹要素だ。

 敷居は高いが悪いことではないし、むしろ売りのひとつといってもいい。

 フィールドに出ている攻略中のプレイヤーを襲い、撃破する。それによってジャンクパーツや経験値を獲得する。野良でやる以外にも、正式にそれを請け負って報酬を得るクエストすら存在する。

 PKは、対等なデュエルマッチやチームバトルとは一線を画す。

 待ち伏せ、奇襲、数の利、はたまた敵NPCであるガイストすらも利用して、相手プレイヤーを追い詰めることが許される。

 策士的な頭脳プレイも役立つが、結局のところ必要となるのは対人戦闘技術だ。

 それがなければ返り討ちにあい、襲撃は成功しない。しくじれば問答無用で自機を大破させられる。大きなリスクも背負った行為だ。

 だがこの男、イレイガは1000機――千人以上のプレイヤーを、これまで倒してきたということだ。

 多少このゲームをやったことがある人間なら、それがいかに困難なものかは簡単に想像がつく。ただやみくもに時間を費やしてもできるものではない。

 ハルのような、純粋なランカープレイヤーとも異なる。

 もうひとつの対人戦のスペシャリスト。

「それって……」

「その……強いことは、嘘じゃないと思う」

 イヨは信じられない、という顔をしている。

 ああいう言動をするやつはかませキャラというか、実力はたいしたことのないイメージを持ってしまうが、おそらくイレイガの場合はそうではない。

 なにか不正チートを働いていないとは言い切れないが、だとしてもここまで挑発的な言動をとるのは、本当に自信があるからではないか。 

「やっぱいねーのかよ。ほんとなさけねぇなあ」

 イレイガに関わろうとする者は、イヨ以外にはいなかった。

 目を付けられたら、このあと〈オルクス〉到着後に標的にされる可能性がある。たまたま野良のPKプレイヤーに襲われるならともかく、特定されて狙われるというのは気分がいいものではない。

 俺もイヨを連れて、そっと立ち去ろうとしたのだが――

 タイミング悪く、イレイガは一緒にいた俺に目をつけた。 

「おい、おまえ」

 内心びくっとした。

 それがアバターの身体にも、同様の反応をさせてしまう。

「なんとか言えよ。おまえはやれんのか?」 

「あ……べつに、あの、俺たちはそういう……」

「なんだよおまえ、声震えすぎだろ! どんだけびびってんだよ!」

「そっ……。だか……」

 くそっ。

 なぜ声が小さいだけで、そこまで言われなければならないのか。

 だが、言い返すことができなかった。

 腹が立つのに、言葉が喉から上へと出てこない。

 わかっている。つまりは慣れだ。

 度胸とかそういうのは、そういう状況にどれだけ慣れていて、平静でいられるか。それでいえば、俺は完全に動揺していた。

 俺はこういうことには徹底的に慣れていない。

 当たり前だ。

 普通のコミュニケーションすら苦手なのに。

 だれかと喧嘩したり、言い争ったこともほとんどない。俺はずっと、その手前にいる人間なのだ。

 ゲームのなかだといっても、肉声の怒鳴り声を前にしたら、途端に萎縮してしまう。

 こういうとき、きっと成瀬ハルなら臆せずに言い返すのだろうな、と頭の片隅で思う。その度胸やコミュ力を一片でも分けてほしかった。

「おいなんとか言えよ」

「……」

 惨めだった。

 知り合いが――イヨやモルガンが見ているこの状況だからこそ、屈辱だった。

 さぞみんな、俺にがっかりしていることだろう。曲がりなりにも男なのに、言い返すこともできないのかと。


「うっさい。ぼけ」


 ――言ったのは、俺ではなかった。

 いつのまにか俺の横に立っていた、小柄なアバターだった。

 チアだ。

 チアは無表情でイレイガを見上げながら、呪文でも唱えるかのようにつぶやいていた。

「ハゲ。カス。アホ」

 あまりに淡々とした罵倒。その場のだれもが、呆気にとられていた。

 イレイガもその異様な反撃に、わずかにうろたえを見せた。

「は、ハゲてねーよ」

「ゴミ。ミジンコ。ゾウリムシ」

「このっ……!」

 チアはまったく臆すことなく、じっとイレイガにメンチを切っている。

 信じられなかった。

 その小さな身体のどこに、そんな勇気があったのか。

 イレイガも黙ってはいない。ゲームシステム内の禁止ワードに引っかからないぎりぎりの言葉を使って、チアを口汚くののしり返した。

 だが、チアはぴくりともしない。

 やがて周囲のプレイヤーたちからも、失笑がもれた。

 それはイレイガにとっては予想外だったらしい。なにを言っても反応のないチアに、イレイガは舌打ちした。

「……ちっ、あほくせ」

 分の悪さを察したのか、すっかり興が醒めたという態度でイレイガはきびすを返し、艦内の入口の方へと向かっていった。

 それを機に、ようやく甲板にもとの穏やかな賑やかさが戻った。

「チアかっこいい!」

「す、すごいよぉ~~!」

 イヨとモルガンがチアに駆け寄る。

 俺もまだ呆然としながら、チアに近寄った。

「あ、ありがと。…………チア?」

 呼びかけても、なぜか反応がなかった。

 イヨたちと顔を見合わせる。

「? どうしたんだろう」

 まさか気絶したとか、そういうオチではあるまい。ちゃんと動いてはいる。

 そこで俺は、あることに気づいた。

 手元でメニュー画面を開き、チアにテキストチャットを送ってみた。


  YOU:もしかして、音声ミュートにしてる?

  

  Chia:うん


「……なるほど」

 俺は本気で感心した。

 それなら――たしかに動じないだろう。

 相手がなにを言っているか、まったく聞こえないのだから。

 チアの勇敢な行動に隠されたからくりを理解し、俺は一気に脱力した。


 *


 航海(航空?)自体は順調だった。

 予定では、飛行戦艦はもうまもなく天空遺跡〈オルクス〉を有視界に収めることができるらしい。

 それを見つけようと、俺がぼんやりと空を眺めていたとき、

 

「――さきほどは、すまなかった」


 痩身の男が話しかけてきた。

 ゆったりした着流しをまとい、長髪をうしろでくくっている。その細いフレームの眼鏡は除くとして、和風な容姿のアバターだった。

 最初、イレイガと言い合っていたプレイヤーだ。

 そういえば、どさくさに紛れていつのまにかいなくなっていた。

「助けていただいたのに、礼を申すことができず。どうかお許しをいただきたい」

「や……まあ、はい」

 俺はなにもしていない。

「某は、ザンノスケと申す。よろしければザンとお呼びくだされ」

「は、はぁ……。えっと、シルト、です」

 イヨとモルガンは艦内を散策しているため、この場にはいなかった。チアもどこかをぶらついているだろう。

 それにしても、ずいぶんキャラを意識した喋りだった。

 まあこういう人は素直にゲームを楽しんでいるようで、好感を持てる。

「さきほどの女史にもぜひお礼を申し上げたい。ここですこし待たせていただいてもよろしいか?」

「それは……ど、どぞ」

「感謝いたす」

 俺は沈黙を気にして、なにか言わねばと焦った。

「あの……さ、さっきは、なんで揉められていて……いたんですか?」

「む。それなのだが……っぬぉ!?」

 言いかけている途中で、突然ザンノスケが奇声を上げた。

 なにを見たのかと思えば、その先に戻ってきたチアの姿があった。

「そ、そなた……」

「???」

 チアは目を丸くしている。

 知り合い? と思ったが、まだ初めて間もないチアにはいないだろう。それにチアは俺以上のコミュ障なのだから。


「なんと……なんとすばらしいロリアバター!」


「――は?」

 ザンノスケがチアに詰め寄った。

「ひっ」

 怯えたチアが俺のかげに隠れる。まあそうだろう。俺もすこし怖かった。

 だがザンノスケは朗らかな笑みを浮かべ、感動にうち震えていた。



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