#54
首都ミッテヴェーグの街は、いつもに増して活気に満ちていた。
このアイゼン・イェーガーというゲーム世界でプレイヤーが最初に訪れる街であり、もっとも栄えている場所だ。
乾いた荒野に囲まれ地面も舗装されていないが、セントラルストリートを中心に隙間なく建ち並んでいるコンテナや倉庫はすべて猟機用で、公式、プレイヤーともにショップには事欠かない。さらには対人戦観戦用のラウンジや練習用の鍛錬場など、あらゆる施設が集約している。
行きかうプレイヤーの人混みのなかに、俺たち四人もいた。
「で、どこから参加するんだっけ」
俺はとなりに立つイヨに聞いた。
うっすらとブルーの入った長い髪と、以前新調したらしい軍服ワンピースのコスチュームがよく似合っている。
「シルト、そんなことも知らないの?」
「ま、まあ……」
「ボクわかるよ。えっとね……今回のイベント用に飛行戦艦が出るから、それに乗ればいいんだよ」
夏華――モルガンが代わりに答えた。
モルガンのアバターは両腕を出したベスト姿だ。色々と奇抜なコスチュームに事欠かないアイゼン・イェーガーでは、世界観を壊さないまっとうな部類である。
「また乗り物……」
ぼそりとチアが言った。
現実と同じく小柄で、やや病的な雰囲気を持った白い髪と赤い瞳のアバターである。
俺はようやく今回のイベントの詳細を自分で確認してみた。
クリア報酬のアイテムには『純粋反応結晶(S++)』と記載されている。
「これって、武装にも使える素材だっけ」
「そう! 普通のクエストだとこんなにランクの高い素材はまず手に入らないんだから。ぜぇ~~~ったいにゲットしなきゃ」
イヨは一番やる気を見せていた。
――今回の俺たちの目的は、公式の共同戦線イベントに参加することだ。
共同戦線イベントとは、通常のクエストがプレイヤー個人や五人までのチーム単位で受けるのに対して、数十人から最大百人程度までの同時参加が可能なクエストのことだ。
それに応じてクエスト自体の攻略にかかる時間、フィールドの広さや敵の難易度も通常のクエストより上がっている。場合によっては他のチームのプレイヤーとも協力する必要が出てくる。当然、報酬もそれに見合うだけのものが用意されている。しかも今回のように一定期間限定で公開されるイベントならなおさらだ。
ただし、ここはアイゼン・イェーガーの世界。
他のプレイヤーが、常に味方であるとは限らない。
クエスト攻略によって得られるジャンク素材や経験値(※クラフトスキルなどのサブアビリティに割り振れる)はクリアしたプレイヤーの数が少ないほど増加する。なにより、貴重な報酬をすこしでも独占したいと思うのは、見栄を張りたいプレイヤーたちを多いに扇動することだろう。
そして一番の障害は、未知数な新エリアそのものだ。
俺はふと空を見上げた。
当然、ここからではその姿は見えない。それはあまりに高く遠く、容易くは到達できない空に浮かんでいる。
――天空遺跡〈オルクス〉。
その名の通り、独立した浮遊陸地にある遺跡だ。
俺は今回のイベント自体のことはあまり気にしてチェックしていなかったので、詳細は知らなかったが、気合を入れていかないと攻略は難しいだろう。
「飛行戦艦の発着場って、ライターハーフェンだよね?」
イヨの問いにモリガンがうなずく。ライターハーフェンはアイゼン・イェーガーにある街のひとつだ。
「ああ……。あそこなら転送でいける、か」
「うん、今回はボクに任せて。出発には、まだ三十分くらいあるから」
モルガンはえっへんと胸を張っている。
今回、わざわざ俺たちが遠くからやってきたことへの感謝かもしれない。せめてゲームのなかでは格好いいところを見せよう、という思いがなんとなく透けて見えた。
「じゃあ、買い物とかあればいまのうちに」
一度クエストに出れば、街やドック、フィールド上の拠点には戻ってこれない。
俺たちがショップの並ぶ通り向かって歩き出そうとした、
そのときだった。
「――ねぇアンタ」
突然、通りすがりのプレイヤーに声をかけられた。
はっきりと明瞭な声が聞こえた。それは俺に指向して発せられたボイスだということだ。
「アンタだってば」
俺はその声の主に目を向けた。
現実ではあり得ない鮮やかな赤い髪に、オレンジのメッシュが入っている。それはまるで燃え盛る太陽のプロミネンスのようだった。
アバターの身長は俺より若干低いが、なにかの見栄か底厚のブーツでかさ増ししている。
なによりその海賊服のような豪奢なコスチュームは人目を引いた。
うしろには、チームメイトなのか大柄な男のプレイヤーが三人ほど控えていた。こちらも海賊の水夫のような粗野な服装だ。
女は、俺に強気な視線を向けていた。
「ちょっと聞きたいことあんだけど」
高圧的に、というか高飛車な感じで聞いてきた。
俺は声も出せなかった。相手の雰囲気に飲まれていたわけではない。
そのプレイヤーを、俺は知っていたからだ。
視線を合わせると自動的に視界に相手のアバター名が表示された。
Sabina という文字列が浮かんでいる。
俺は凍りついたように動けなかった。
なんで、こいつがこんなところに――
「ちょっと、聞こえてる? 音声バグってない? もしもーし」
女――サビナが俺をねめつけていた。
「は、はぇ」
俺はかろうじて応じた。
「よかったわ。あのね、ちょっと探してるプレイヤーがいんだけど」
サビナは一方的にそんなことを言い出した。
俺は正直、心臓を鷲掴みにされたような気分だった。
「すこし前にさ、“黒の竜”ってクソ強い無敗のPKプレイヤーを倒したって、噂になってたやつがいんのよね。いまアタシ、そいつのこと探してるわけ」
「――――」
頭が真っ白になった。
どうしてバレた。
なぜ見つかった。
驚きに驚きを重ねられ、俺は反応ができない。
「勘だけど、そいつアタシの元・知り合いなんじゃないかなと思ってるわけ。昔、デュエルマッチのトップランカーだった“シルバーナイト”ってやつ、知らない?」
「あ、……」
――――そうか。
俺はようやく、サビナの言っていることの本当の意味を理解した。
探しているのは、厳密には、いまここにいる俺のことではない。
“かつての”俺か。
現実なら、背中に大量の冷や汗が浮かんでいたかもしれない。
サビナはじっとこちらを見つめている。
「ひ、人違いでは?」
俺は上擦った声で、かろうじて答えた。
「……ほんとにぃ?」
露骨に疑いの目を向けてきた。
遠慮とかマナーとかいう言葉は、こいつの頭にはない。
突然、むむ、とサビナがうなった。
「っていうか……あんた、アタシとどっかで会ったことない?」
「き……気のせいかと」
「……そうよね。ちょっと声聞いたことあるかなって思ったけど。でもあんたみたいな地味ぃ~なキャラ、ぜんぜん覚えがないし」
なんて失礼なやつだろうか。
だが、気づいていないのは幸いだ。
こくこく、と俺は必死にうなずいた。
今も昔もボイスエフェクトはかけていなかったので、それで通りで偶然耳に止まったのかもしれない。だとしても相当な奇跡だが。
俺はサビナの記憶力の悪さに密かに感謝した。
「邪魔したわね。……行くわよ、あんたたち」
『へい姐さん!』
サビナの掛け声とともに、うしろに控えていた仲間たちが動きだす。サビナはお供を引き連れて大股歩きで去っていった。
――危なかった。
だいぶ怪しんではいたが、どうやらバレなかったらしい。
凍りついた状態からようやく解けた俺の近くで、イヨたちが呆気に取られていた。
「シルト、あれ誰? 知り合い?」
「……名前は、サビナ」
「? それって……だれ」
イヨやモルガンが説明を求めている。
あまり進んで話したいことではなかったが、露骨に隠すのも気が咎めたので、しぶしぶ俺は口を開いた。
「俺の……前のチームメイト」
高校に入学する直前、俺はアイゼン・イェーガーを一度やめた。
すべてのデータを抹消し、所属していたチームからも抜けた。
当時の仲間には、事前になんの相談もしていなかった。
引き止められるに決まっていたからだ。
かつての仲間がいまどこでなにをしているのか、まったく俺は知らなかったし、調べようとも思わなかった。
ただ少なくとも、以前の栄光は失われたのだろう。一度は頂点にまで上り詰めたトップチームの名前が、現在の公式のランキング上には載っていないことから、それは察することができた。
まずまちがいなく、俺がその要因の一端を作ってしまった。
もちろん、所詮はゲームだ。どこまで責任を感じるか、あるいは感じるべきと考えるかは、人それぞれだ。
ただ少なくとも以前のあのチームでは、全員が現実以上に情熱を注いでいた。それこそ現実世界をないがしろにするくらいに。
当然、俺もそのひとりだ。
恨まれているだろう。すくなくとも、再会していい顔をするはずがない。
それは俺がゲームを再開しにくかった理由のひとつでもある。
「……なら、なぜスルーしたし」
チアが不思議そうに言った。
「い、いいんだよ。俺だって気づかなかったみたいだし、面倒になりそうだから、あの、気にしないで……」
「……怪しい」
気づくと、イヨが俺をじっとにらんでいた。
「は、は?」
「なんか、ありそう」
「なんかって……」
「それに、女の人だったし」
「だ、だから?」
「だから……」
イヨが鋭いまなざしは、それだけで俺の過去を暴き出しそうな気配だった。
だが、そのとき。
「ま、まちがえちゃったよぉ~~~!?」
突然、モルガンが情けない声を上げた。
全員の注目が集まる。
「ど、どうしたの?」
「い、行けなっ、行けない……」
「行けない?」
「ちょ、直接、そうだったんだ、ど、どうしよう……!」
あたふたしたモルガンが言おうとしていることを、俺はすぐに察した。
直接、行けない。
「もしかして、発着場にフィールド転送できない……?」
モルガンが青ざめた表情で、こくりとうなずいた。
ほぼ同時に、イヨが、あっ!と声を上げた。
共同戦線イベントの詳細を記したクエスト告知の画面を開き、俺たちに向けた。
「こ……ここに、ちっちゃく『※イベント期間中、ライターハーフェンのフィールド転送機能は無効になります』って書いてある」
プレイヤーの瞬間的な一極集中を避けるためかもしれない。
転送可能だと出発時間に合わせて多くのプレイヤーが爆発的に増加するだろう。それが使えなければ事前に発着場へと移動するプレイヤーが出てくるため、自然と時間的なバラつきが生まれる。
「つまり……直接向かうしかないってこと?」
「……出発、いつ」
チアに言われ、俺はメニューからゲーム内標準時刻を確認した。
飛行戦艦の出発時刻 13:00
現在時刻 12:44
俺たちはそろって顔を見合わせた。
「あと、十五分しかない」
俺は猟機の移動速度とここからライターハーフェンまでの距離から、ざっと頭のなかで到着時間を予測してみた。
――確実に、間に合わなかった。




