#53
褐色の肌の美少年(仮)が、俺のコーラに口をつけた。
ごくごくと喉がうごめき、中身を飲み干していく。瓶の口に触れた桃色の唇から、俺はさっと視線をそらした。
「ありがとう……」
「いや、全然。もらいものなので……」
なんとなくあげてしまったが、一応効果はあったようだ。
ついさきほどまで、だいぶ取り乱していた。どこか怪我したわけではなく、俺に見られたのが相当恥ずかしかったらしい。
まだなにか危うそうな気がしたので、俺はこの場から立ち去れずにいた。
「きみ、観光客のひと?」
「は、はぁ。そうす……」
「だと思った。海、あんまり慣れてない感じだし」
「そ、そうっすか……」
慣れていないのは、お互い様では。
という俺の視線に気づいたのか、その子は急に慌てた。
「ぼ、ボクはちがうよ! だって地元だし、いろいろ知り尽くしてるんだから! た、ただボクがちょっとだけドジなだけで……」
ごにょごにょと弁解しながら、コーラをそばに置いた。
だが安定が悪かったらしい。コーラの瓶がかたんと倒れた。
「わっ!?」
コーラの瓶は中身をぶちまけながら、カランコランと岩肌を転がっていく。あわてて追いかけようとするが、コーラは無情にも岩肌のすきまに落ちてしまった。
その目に涙が溢れる。
「う、うぅ……!」
「……まだ、売ってると思うけど」
「せっかくくれたのに……。ごめんね」
「べつに、気にせずに」
なぜ俺は、初対面の相手を励ましているのだろう?
よくわからない。だが、
「ありがとう。きみ、優しいんだね」
上目遣いに見つめられ、俺はふいにドキっとしてしまった。
お、落ち着こう。
相手は男 (かもしれない) のに。
「ボク、本条夏華。きみは?」
「俺は……と、遠野盾です」
「よろしく、盾くん」
「え……」
あまりに意外だったので、俺は戸惑った。
俺の名前を聞いて、いじらないどころか聞き返すことすらしない人は珍しい。
逆に居心地が悪いような、妙な感じだった。
「高校生?」
「は、はぃ。高一っす……」
「じゃあ、そんなに変わらないね。よし、じゃあお互い敬語はやめようよ。いい?」
「はぁ、まあ。いいす……い、いいけど」
お互いというか、そっちは最初からタメ口だったような気が……。
初対面の相手に俺もだいぶテンパっていたが、自分よりも相手がドジだと思うと、妙にリラックスできるものである。
「本条さんは……」
「夏華でいいよ」
「……な、夏華……は、もしかして、ここの人、なの」
「うん、地元だよ。すごい、なんでわかったの?」
「……さっき、言ってたし」
「だれが?」
「あ、あなたが」
数秒の沈黙の後。
かーっと夏華は顔を赤くした。
「わ、わかってるよ! 冗談、冗談だから!」
だいぶ、いや相当に天然なのかもしれない。
俺はひきつった愛想笑いを浮かべながら、
夏華の綺麗に日焼けした手足に目がいった。
それに対して俺の肌は生白く、しかも筋肉もないので実に貧相だった。これが中学三年間をゲームに費やした男のリアルな身体である。
俺が妙な居心地の悪さを感じていると、
「ちょ、な、なにっ?」
突然、夏華が俺に身体を寄せた。
座ったままずるずると後退した俺の足にまたがるようにして、こちらに向き合った。
目と鼻の先に、線の細い顔があった。
「逃げないで」
真剣な声で言い、こちらに手を伸ばす。
その冷たい指先が、そっと俺の肩や胸をなぞった。
全身が痺れるような感触がした。さらに夏華は、ぺたぺたと俺の身体を遠慮なく触りまくっている。
「あの、な、」
なにをしているのか。
あまりの衝撃に、そんな疑問の言葉すら喉の奥で止まってしまった。
「――うーん、もうちょっと、鍛えたほうがいいかなぁ」
「…………へ?」
夏華は、まるでアスリートのコーチのような視線でこちらを見ていた。
「すこし脂肪が少なくて筋肉が付きにくい身体だけど、骨格はしっかりしてるし、身長も平均的だから、鍛えればもっとよくなると思うよ」
「く、詳しいんだ……」
「うん。興味あるから」
「ほ、ほほぉ」
ずいぶんと大胆な発言だった。
俺は状況に動揺しすぎて、まともなリアクションがとれない。
だがそんな俺の様子が、夏華にはツボだったらしい。急におなかを抱えて笑い出した。
「盾くんって、面白いね」
屈託のない笑み。
その勢いに圧倒されながらも、つられて俺も可笑しくなってしまった。
気づくと、もう日が傾いていた。
海岸から見るオレンジ色の水平線は、普段の日常には存在しない景色だった。
と、そこで俺は気づいた。
しまった。
ちょっとの散歩のつもりが、もう二十分以上経っていた。伊予森さんたちを待たせたままだ。今頃、俺のことを探しているかもしれない。
「そ、そろそろ戻らないと」
「じゃあボクも」
夏華は立ち上がり、お尻に付いた砂をはらった。
俺たちは岩場から降りて、ビーチに向かって歩き始めた。
「実はね、友達が本土から遊びにきてるんだ」
途中、夏華が口にした。
「へえ」
「それで、今日ボクがバイトしてる旅館に泊まることになってて。ほんとは日中は忙しくて会えない予定だったんだけど、すこし早めに上がれたから一緒に遊びたくて浜に来てみたんだけど、どこにいるかわかんなくて……」
「連絡、は」
「それがぁ、タイミング悪く携帯失くしちゃって……」
またしても夏華は涙目になった。
その情けない姿にさすがに同情した気分になっていると、こちらに向かってくる人影に気づいた。
伊予森さんたちだった。クリスも千亜もいる。
「あ――」
三人とも、呆然とした顔でこちらを眺めていた。
その原因はまちがいなく、俺のとなりにいる謎の美少年だろう。
「どうして……」
伊予森さんの声は茫洋としている。
全身に嫌な汗が浮かんだ。
「いや、ちがっ、これは」
どう弁明すればいいのか。
たしかにすこし時間を忘れてしまったのは俺の落ち度だ。
だが決して、そういうアレではない。見知らぬ子と遊んでいたみたいな、そんなこと俺にできるはずもない、というかこれは果たして焦る状況なのかもよくわからないが、とにかくなにか言わねばと思った。
「こ、コーラをあげてて……」
「なんの話」
千亜に真顔で突っ込まれた。
馬鹿か。なにを言っているんだ俺は。
自分の口下手さに死にたくなったが、ぽかんとしていたのはクリスと千亜だけで、伊予森さんはそもそも俺を見ていなかった。
「夏華?」
「――え?」
伊予森さんがゆっくりと、夏華に近づく。
そして嬉しそうな声を上げて、夏華と手を取り合った。ふたりはやがて十年来の親友のように抱き合った。
「や、やっと会えたよぉ!!」
夏華が嬉しそうにはしゃぐ様子を、俺は呆然と見つめていた。
*
夕方になり、俺たちは予約していた宿泊場所へと足を運んだ。
民宿と旅館の中間くらいの建物だった。荷物を抱えて玄関に着くと、さっそく宿の人たちが迎えにきてくれ、部屋へと案内された。
ふすまを開けると、い草のいい匂いが広がった。
畳にテーブルの上にはお茶のセット、ペーパーディスプレイのテレビがひとつと、部屋の隅には座布団が積まれている。
どこか懐かしさを感じるアットホームな旅館だった。
下手に高級なホテルよりも、こういうところのほうが落ち着けるというものだ。
「ウチの宿にいらっしゃい」
ここまで案内してくれた宿の人――夏華がにっこりと言った。
バイトしている旅館、というのがここだ。
最初から伊予森さんが彼女の働き先を知っていて、それでここに決めたらしい。
そもそもこの島を選んだ理由が、夏華の存在だったのだ。
「でもびっくりしちゃったよ。いきなり遠野くんと夏華が、いっしょに現れるんだもん。ってか時間空いたなら連絡してくれればよかったのに」
「し、したかったんだよ! でも……」
言いよどみ、なぜか夏華は俺をほうを伺う。
携帯を失くしたとか、会えずにさまよっていて岩場で盛大に転んでいたとか、恥ずかしいから言わないで――みたいな視線だった。
ともあれ、夏華は目的を果たせてほっとしたようだ。
「それで、ふたりはどういう……」
「モルガン――あ、夏華のアバターの名前ね。モルガンとはけっこう前に、アイゼン・イェーガーでよく遊んでたんだ。それで仲良くなって、それからは普通に外で連絡も取ったりしてて。ただ夏華がこっちに住んでるから簡単には会えてなくさ。それで、今日ようやく夏華のいる島に遊びに来れたってわけ」
「遠いところから、わざわざありがとうね」
「お、お世話になりますっ」
「……っす」
クリスと千亜が改めて頭を下げる。
「そ、そんな、ボクはただのバイトだよ。でもなにかあったら気軽に言って、いろいろサービスするから」
そう言って夏華は俺に目配せした。
ね? というその視線の意図するところはよくわからないが、それが妙に色っぽく、俺はうろたえてしまう。
というか、いまだに男なのか女なのか自信がなかった。だぼっとしたティーシャツを着ているため体型もはっきりとわからない。
外したときの気まずさを考えると、みんなのいる前で聞く度胸は出てこなかった。なにより俺が恥ずかしい。
「じゃ……じゃあけっこうベテランなんだ。夏――ほ、本条さん、アイゼン・イェーガーは」
「うん。モルガンはわたしが始めたばっかりの頃、色々と親切に面倒みてくれたの」
「イヨのほうがすごいよ。いまはオペレーターでけっこう有名だもん」
「そんなことは……あ、あるけど」
伊予森さんがめずらしくデレていた。
「でも最近、モルガンと一緒に遊べなくて寂しかったよ」
「うん……色々忙しくて」
夏華はすこし気まずそうにした。
リアルな人生の方で色々あるのは、だれだってそうだろう。あまり詮索するものではない。伊予森さんはそれ以上は聞かなかった。
夏華はすぐに元の快活な表情を取り戻し、言った。
「それより、夕食準備できてるから。楽しみにしてて」
*
夕食を済まし、旅館の風呂(温泉)にたっぷりつかったあと、俺は女子たちの部屋に呼ばれた。
当たり前だが、泊まる部屋は別である。
ノックして部屋に入ると、伊予森さんと千亜に加えて、俺と同じく呼ばれたらしい夏華の姿もあった。
みなティーシャツやジャージなど、ラフな格好をしている。風呂上りのため髪がまだしっとりしているのが妙に生々しかった。
「し、失礼します……」
「? なんでそんな他人行儀なの」
「や……。一応、男なので」
俺の言葉に、伊予森さんが視線を鋭くした。
「遠野くん、なんだかちょっとやらしいかも」
「な、なんで!?」
俺は焦った。
だが気づくと、千亜も俺をじっとにらんでいて、
「……妄想乙」
ぼそりと言った。
くそっ、なぜ俺が変な気を起こしているみたいな空気になっているのか?
まあ緊張しているのは事実なので、俺はぐっとこらえて話題を変えた。
「そういえば、クリスは?」
伊予森さんは無言のまま、そっと指を差した。
耳を澄ませると、部屋の奥に敷かれた布団で、だれかが寝息を立てていた。
――クリスだ。
くるまった布団から、わずかに寝顔が覗いていた。
まさに天使の寝顔というに相応しい愛らしさだった。
「昼間はしゃいだから、疲れちゃったみたい」
もう十一時を過ぎている。子供なら眠くなっても仕方ないだろう。
俺は若干声をひそめることにした。
「それで、なにするの? トランプだけ持ってきたけど」
「え?」
「――え?」
突然訪れた微妙な空気に、俺は困惑した。
俺はてっきり、定番のトランプとかボードゲームとか、そういうものをやるので呼ばれたのだと勝手に思っていたのだが。
「まったくもう、遠野くん、ちょっと気がゆるみすぎじゃないかな」
「ご、ごめんなさい……」
俺はなぜか謝っていた。どういうことだろう。
そのときだった。席を立っていた夏華が、俺たちの前にゴーグルのような形の電子機器をカチャリと置いた。
――VHMDだ。
しかもここにいる人数分ある。
「な、なんでVHMDを?」
「夏華が近くのレンタルショップから借りてきてくれたんだ」
「へぇ。……いや、そういうことじゃなくて、その」
「ふふっ、なんだ、盾くん知らなかったんだ」
夏華は当然知っているのか、やけに楽しげだ。
こほん、と伊予森さんは咳払いし、
「それではここで、本合宿の目的を発表します」
「これ、合宿だったんだ……」
衝撃の事実を初めて知った。
というか部活でもないのに、合宿とはいったい。
「どうして今日だったのか、どうしてこのメンバーだったのか……それはすべてある計画に基づいていたの。私はずっとこの日を――」
「イヨ、その話長いの? 早くやろうよ」
夏華はやはり天然なのか、空気を読まなかった。
伊予森さんはすこし赤くなりながら、(やや控えめに)声を張った。
「期間限定の大規模共同戦線イベント――天空遺跡〈オルクス〉攻略に出発だよ!」
――ああ、そうだった。
どうして忘れていたのだろう。
伊予森さんの計画に、それが出てこないはずがない。ここが常夏の島だろうと、そんなことは関係ないのである。
これが、この夏のもうひとつの旅のはじまりだった。
次回、EP05/第2話『天空に至る道』
いろいろと因縁が渦巻いてまいります。




