#52
「クイズに、スイカか……」
俺たちはエントリーの順番待ちをしながら、ほぼすべて男女で構成されたカップルたちが行う競技の模様を眺めていた。
俺たちが参加しようとしている競技は、まず用意されたクイズに答え、一問でも正解した時点で即座にクイズコーナーからダッシュ、すぐさま目隠しをしてぐるぐる回り、十メートルほど先に置かれたスイカ割りにチャレンジ――そのトータルタイムを競うという内容だった。
ただし、クイズに回答するのもスイカを割るのも女性だ。
男は一貫して彼女をフォローする役らしい。
「あの……。わたし、やりたいです」
列の途中で、クリスが名乗り出た。
「大丈夫? クイズとかあるけど」
「それは……あの、スイカ割りって、ずっと憧れてて……」
クリスの瞳は、実に子供らしい純真な好奇心に満ちている。
それを前にしてだれも反論はしなかった。
「うん、じゃあクリスちゃんお願いね。見た感じ、クイズも学校で習うようなすごい簡単なやつばっかりだし、大丈夫だよ」
たしかに、いまのところ中学生なら簡単にわかる程度の問題しか出ていない。
「じゃあ、よろしくね、クリス」
「は、はいっ!」
「クリスちゃんがんばって~。そして……ぜひ1位商品の“A5ランク黒毛和牛特上カルビセット”をゲットしてきて!」
「……がんば」
俺とクリスがエントリーを済まし、残りの二人はギャラリーへと移動した。
まもなく順番が回ってきた。
クリスが回答台に立ち、俺はその正面で問題が書かれたパネルを一枚ずつクリスに見せていく。パネルの裏には問題と回答が書かれている。問題はわからなければパスしてもいい。そのあたりは男の判断力が試されるのだろう。
司会者の男が、俺が手にしたパネルの問題を高々と読み上げた。
「第1問! 理科のジャンルから! 植物が日光を浴びてデンプンなどの栄養を作ることを、さてなんというでしょう?」
ラッキー、これは簡単だ。
パネルの裏には予想通り【A:光合成】と書かれている。
さあクリス、答えてくれ。
「…………?」
なぜかクリスは、ぽかんとしていた。
ん?
どうしたのだろう。そんなに難しくはないはずだが。ド忘れしてしまったのか。
「く、くいしんぼう!」
クリスはあわてて口走ったが、ブブー、と不正解のブザーが鳴る。
「そ、そうしょく!」
ブブー!
「す、すいとる……」
ブブー!!
タイマーは無常にも時間を刻んでいき、クリスがどんどん泣き顔になっていく。
焦った俺は「ぱ、パスで」と言った。
「第2問! 数学のジャンルから! 【3x + 4 = 25】 この数式のxを求めよ!」
俺は心のなかでガッツポーズをとった。
これは簡単だ。暗算でも余裕でわかる。
だがなぜか、クリスはぽかんとしていた。
「……あのぅ、えっくすってなんですか?」
そのとき、俺は非常に重大な失敗にようやく気づいた。
クリスは――小学生だった……っ!!
完全に迂闊だった。数学ではなく算数。そういうレベルなのだ。小学生の学力を過信してはいけない。
「こ、これもパスで!」
「第3問! 公民のジャンルから! 日本国憲法の三大原理は――」
「こうみん……?」
クリスはまたも頭上にハテナマークを浮かべている。
「パス! 次で!」
「第4問! 古典のジャンルから! 『をかし』を現代語に――」
「お菓子、ですか?」
「パスパス! パスでお願いします!」
問題を変えるも、一向に正解できない。それでもクリスはがんばって答え続ける。
大勢のギャラリーも最初は他人事のようにウケていたが、いつのまにか場の空気が一丸となり、クリスを応援するムードになっていた。
一生懸命なクリスに、がんばってー! などと声援が飛ぶ。
その空気に当てられ、ついには司会者までもが困りはじめた。
「だ、第20問! 数学のジャンルから! A君はあるテストで90点を、B君は75点、C君は42点を取りました。えーこのときの……、こ、このときあなたはどう思いましたか!?」
「感想!? 数学では!?」
「え、A君がすごいと思いました!」
クリスは実に小学生並の感想を口にした。
当然だ。なにもおかしくはない。むしろよくがんばった。ギャラリーの客も感情移入していているのか、なぜか感涙している。
司会者は思いっきり悩むようなタメを作ったあと、
「かわいいので、正解!」
「なにその理由!?」
会場から大きな拍手が沸いた。
ま、まあいいか。
俺はさっそくクリスの手を引いて、急いでスイカ割りの方へと向かった。
クリスが目隠しをしてバットを持ち、俺が身体をくるくるとまわしてやる。
十回ほど回り、クリスがバットを構えて立った。
ただし、俺の方に向かって。
「く、クリス、逆逆」
「ふぇ……こ、こっちですか?」
「いや一回転しちゃってる! そっちじゃなくて!」
クリスはスイカに近づくどころか、なぜかどんどん俺のほうへと向かってくる。バットを持っているので妙な迫力があった。
だがそのとき、クリスが砂に足をとられて、大きく前に傾いた。
危ない、と思った俺は、とっさにクリスの前に飛び込んでいた。
ボフッ! と砂地の上にそのまま押しつぶされた。
「だ、だいじょう――」
俺の鼻先が、やわらかく温かいものに包まれていた。
あわてたクリスは俺の顔に胸を押し付けたまま、もぞもぞと動く。
――これは、まずい。
しかも目隠しをしているので、それはなんというか非常に……イケない感じの光景だった。
「ごめんなさい! シルトさん、怪我してないですか?」
クリスの声は純粋に俺を心配していた。それ以外の、例えば自分の身体が密着することで男がどうなるとか、そういう邪な懸念などは含んでいない。
当然だ。そういう感情を催す方が社会的にマズイのである。
「キニシナイデクレ」
俺は一切の感情を押し殺しながら、クリスの手を引いて立ち上がらせた。
それからさらに数分かけてスイカへとたどり着き、なんとか割ることに成功。ギャラリーから盛大な拍手を受けた。
――記録はぶっちぎりのドベだった。
「が、がんばったねふたりとも?」
伊予森さんが、げっそりした俺の肩に触れた。
「はは……」
なんだか体力以上のものを消費した。
次はせめてもうすこし女子と触れ合わないですむものがいい、と思った。
「今度は……あれに参加してみよっか」
次に俺たちが向かったブースでは、テーブルと椅子が二セットずつ、そしてその中央に大きなモニターが置かれていた。
掲げられた横断幕にはこう書かれている。
『 カップルで力を合わせて勝ち抜け レトロゲー決戦! 』
どうやら昔のゲームハード――ファミコンで勝負を行うらしい。
「ふーん、『く○おくんのそれゆけ大運動会』だって。遠野くん、知ってる?」
「ああ、それなら一応……。でも、なんでこんなところで……」
「アウトドアでインドアな競技をやるというミスマッチ感がいいんじゃない? ……わかんないけど」
ずいぶん個性的な企画だった。
「あ、商品はVHMDの最新機種だって! 今度こそゲットしたいね」
伊予森さんはやはり燃えていた。
「わたしが、やる」
だがそこで、意外にも千亜が名乗り出た。
「千亜、できるの?」
「……これ、得意」
「そうなのか……」
俺もすこしは携帯端末のアプリでやったことはあるので、まあ人並みくらいにはできるだろう。すくなくともさきほどの企画よりは心労がすくなくて済むはずだ。
俺はすこし気を抜きながら、千亜とふたりでエントリーを済ませた。
だが俺の楽観は、完膚なきまでに裏切られることになる。
最初の種目はクロスカントリーだった。
千亜が『くまだ』というキャラを、俺は『さおとめ』というキャラを選ぶ。
二頭身のキャラクターが計4名、横スクロールの画面を互いを蹴落としながら進み、順位を競うという内容なのだが――
「おい、回復ドリンク俺に飲ませろよ!?」
「自分もダメージ、ぁる……」
俺と千亜は並んでプレイしながら、醜い言い争いを続けていた。
「いや1ミリくらいしか減ってなかったじゃん! 俺のほうが瀕死なんですけど!?」
「は、早い者勝ち……!」
なんてやつだろう。
仲間のためにという発想がないのか?
たしかに最初の言葉通り千亜はその腕を――外道プレイの腕を発揮した。
相手が塀をよじのぼっていればとび蹴りをかまし、狭い水路で相手がうしろにいようもならハメごろし、武器を拾えば神がかった投擲で先頭キャラを背後から撃ち抜いた。
次の球割り(垂直の棒に上って画面上にある球を割る種目)でも――
「あ! おまっ、いま俺もうすこしで割れそうだったのに! なんで横からタイヤを投げるの!?」
「て、敵が近づいてたから」
「俺ごと落としたら意味ないだろうが――って、しかもひとりだけこっそり登ってるし!」
「ふ、ふひひ……地上の者どもよ争え……!」
千亜は俺を囮にして、自分が一着を取ろうとする。
さらに種目は、ビルの屋上での勝ち抜き格闘戦へと移った。
「おい! 俺を人間魚雷に使うんじゃない……!」
「だ、だってこれそういうキャラ……」
「それ俺もダメージ食らうから! もう体力やばいから!」
「犠牲はつきもの」
千亜がキャラクター固有の技を使い、ダウンした俺を投げつけて相手キャラクターにぶつけた。俺と相手が一緒になって吹き飛ぶ。
ドゥウン……というSEを響かせ、ついに俺のキャラが消滅した。
その結果――
「えー総合ポイントにより、優勝はこちらのカップルに決定しましたー!」
仲睦まじそうなカップルが、盛大な拍手を受けていた。
「むぅ、惜しい……」
千亜はその鬼畜プレイで見事単独優勝を飾ったものの、俺が最下位だったので、トータルポイントでは中ぐらいの順位に終わってしまった。
「……仕方ない。盾は、よくやった方」
「なにその上から目線!? もとはといえば千亜が――」
言い合う俺と千亜の横で、伊予森さんたちががっくりと肩を落としていた。
「次だよ! ほんとに次は勝つからね!」
伊予森さんは切羽詰っていた。
すでにほとんどの競技で優勝が決まり、残っているものは少ない。
大きなメインステージの上で、最後の受付をしていた。
「えーいよいよ今年のサマービッチカップルコンテストもラスト競技となりました!
最後を締めくくるのはこちら――『 愛の絆を試せ! 心理相性コンテスト! 』だぁ!」
司会者の雄たけびを合図に、一斉に歓声がわく。
心理相性?
「えーこのゲームはですね、壇上に上がってもらったカップルふたりに同じ質問をしますので、お手持ちのスケブに相手と同じになるであろう答えを記入してもらいます。見事その回答が一致していれば、得点になります!」
「なるほど……」
つまり、お互いの気持ちを読むことが必要ということか。
相手とどれだけわかり合っているか、ということもである。
優勝商品は例の海外旅行のペアチケットだ。商品のなかでは一番高額なものだろう。
「遠野くん、行こう」
ついに、伊予森さん自身が言った。
俺は緊張しながらも、こくりとうなずいた。
エントリーをして、ステージ脇の列に並ぶ。
最後の競技ということもあってステージの前には観客が集まっていて、そのなかにクリスと千亜の姿もあった。
しかし、あまり自信はなかった。
相性、か――
そのとき、なぜか伊予森さんが片手を差し出した。
「遠野くん、て……」
「え?」
壇上に上がる男女は、みな手をつないでいた。
その意味に気づき、かっと頬が熱くなる。
しかし、つないでいないとそれはそれで逆に目立ちそうな雰囲気だった。
「し、失礼します……」
俺はおそるおそる、伊予森さんの手をとった。
しっとりとやわらかく、細い手だった。
「が、がんばろう」
「うん」
微笑む伊予森さんとともに、俺たちはステージへと上がった。
司会者がマイクを手に、問題を読み上げる。
「ではまず最初の相性質問は――『休日の朝、起きたらまずなにをするか?』だ!」
俺はちらりと横目でアイコンタクトをとった。
伊予森さんもそれに視線で答え、うなずいた。
会話はもちろん禁止されているので、お互い無言でスケブに答えを書き込んでいく。
「――えーそれでは書き終えていただいたようなので、一斉にめくっていただきましょう……どうぞ!」
俺と伊予森さんは、同時にスケブを前に掲げた。
伊予森さんの回答:
【 顔を洗う 】
俺の回答:
【 PCのモニターを付ける(PC自体の電源は付けっぱなしのため) 】
「残念ッ!」
会場から大きな落胆の声がもれた。
ぞくり、と寒気を感じた俺は、そっと隣を見た。
伊予森さんが、鬼ごときオーラをまとって俺をにらんでいた。
(なにPCのモニターって!? そんなのあとでいいでしょ……!!)
と、その目が語っていた。
ご、ごめんなさい。でもそれ以外思いつかなかったんです。
なるほど普通はそうなのか……。
「では次の質問です。『ふたりっきりのデートの日。ランチはなにを食べたい?』」
伊予森さんの回答:
【 カフェでパンケーキ 】
俺の回答:
【 モ○バーガー 】
伊予森さんのオーラが、鬼から仁王へとパワーアップした。
会場の女子たちからは、「えーありえなーい」などと不満がもれている。
ほ、本当にごめんなさい。
マ○クよりお洒落かと思ったのだが……。
「またしても残念ッ! えー次の質問はこちら――『今年の彼氏の誕生日、ずばり彼女になにをプレゼントして欲しい&プレゼントする?』ですっ!」
ふたたびアイコンタクトを取る。
伊予森さんは「そういうことだよね?」という目で応え、回答を記入した。
伊予森さんの回答:
【 新しいPC 】
俺の回答:
【 とくにない 】
ついに伊予森さんのオーラが邪神と化した。
「は、はは……」
全身から滝のような汗が浮き出る。
やばい。
なにひとつ合う気がしない。
せ、せめてなにかもっと身近な話題が出てくれば……。
「え、えーこちらのカップルの今後がすこし不安ですが……気を取り直していきましょう。
次の質問です、『デートの予定が、あいにくの雨で今日は彼氏の家で過ごすことに。ふたりでなにをして過ごしますか?』」
あ――
これは、お互いの内心を探る必要もない。
今度こそは、大丈夫だった。
俺も伊予森さんも迷わず、すらすらとスケブに回答を記入した。
司会の合図で、一斉に差し出した。
伊予森さんの回答/俺の回答
【【 ゲーム! 】】
一瞬の戸惑いを表す沈黙のあと、会場から大きな歓声が返ってきた。
*
結局、優勝には遠くおよばなかった。
一応参加賞としてもらったコーラを手に、俺はひとり浜辺を散策していた。女子たちはしばしシートで休憩している。
「これが海か……」
とにかく見るものやることすべてが、俺にとっては新鮮だし、刺激的だ。
当然楽しいのは事実だが、色々と上手くはいかない。
興味本位で歩いているうちに、俺は人気のない岩場のほうへとやってきていた。
足元にはなにかの貝や海草がへばりついていた。
そのせいで岩肌はぬめっていた。気をつけないと転ぶな、と思ったまさにその瞬間、片足をとられて俺はその場にすっころんだ。
「いっ……て」
痛みと同時に、猛烈な羞恥心がこみ上げた。
なんてダサイ姿だ。だれかに見られてはいないか、とっさに周囲を確認した。
幸いにも、まわりには人はだれも――
「ふぎゃっ!」
奇妙な悲鳴が聞こえた。
視線の先。
だれかが尻もちをついて盛大にこけていた。
その突然の遭遇に、俺は自分の身体の痛みも忘れて呆けてしまった。
年は同じくらいだろうか。男か女か、俺はすぐに判断ができなかった。
ティーシャツに短パン姿で、お尻をさすっている。
そこから伸びる手足は華奢だが、健康的な小麦色に日焼けしていた。
どこかで水をかぶったのか、ショートカットの髪からぽたぽたと水滴がしたたり落ち、雫がのどもとを伝ってシャツと胸の隙間に流れていた。
「大丈夫……ですか?」
びくり、とその子の身体が震えた。
ゆっくりと俺のほうを仰ぐと、大きく目を見開いた。
「み、見たの……?」
声はやや高いが、落ち着いている。ますます性別がわからなくなった。
「はぁ……まぁ」
嘘をつく理由がなかったので、俺はうなずいた。
途端。
ふぇえええん! とその子は情けない声で泣き出した。




