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アイゼン・イェーガー  作者: 来生直紀
EP05/ 第1話 常夏の挑戦
50/93

#49

- EP05(上) あらすじ -

高校に入って最初の夏休み、やることもなくだらだらと過ごしていた盾は、楓から例の南の島旅行に誘われる。クリスと千亜も加わってようやく本当の意味でのリア充らしいイベントに浮き足立つ盾だったが、その先で待っていたのはアイゼン・イェーガーの大規模共同戦線クエストだった!?




 カキィン!

 小気味のよいバッティング音が、高く響いた。

 俺は居間で横になりながら、テレビ中継されている甲子園の模様を眺めていた。

 観客の大歓声と実況の叫び。八回裏、ツーアウト満塁でスリーベースヒットを打った打者が全速力で塁線上を走る。ランナーが次々とホームに帰ってくる。 

「おーすご。やっぱ実質カルロスだなー」  

 そばに置いた携帯のレーザーディスプレイには、ネット民たちの書き込みが爆発的に流れていた。

 卓上にはアイスコーヒーとアイスと菓子類を完備。

 そして強めのクーラー。まさに厳しい自然(夏)に抗うための人類の叡智である。 


 ――夏休みに入り、俺の生活は堕落を極めていた。


「掃除の、邪魔なんだけど」

 いつのまにか、母親が掃除機を手に傍らに突っ立っていた。

 声だけですでに不機嫌なのがわかる。その原因はもちろん不肖の息子――俺である。

「あんた、暇ならどっか出かけたら?」

「べつに、用事とかないし」

「一日中うちにいるの、あんただけなんだからね」

 言われずとも、そんなことは知っている。

 今日だって、妹の詩歩は図書館で友達と勉強に、弟の篤士は新しくできたらしい彼女と遊びにでかけている。

 まったく、良く出来た弟妹たちである。

 ふたりはこのままがんばって、幸せになってもらいたい。そしてもし余裕があるなら、将来俺の人生を援助してもらえると有難い。月に三万円くらいとか。

「バカなこと言ってないで、服でも買いに行ったら? あんた何年同じ服着てんのよ」

「……いや、仕方ない」

「はぁ? なに、服を買いに行く服がないとか言わないでよ」

「服を買うセンスがない」

「それは……まあ、たしかにないわね」

 あっさり認めるあたり、さすが母親である。

 はぁ……どこで道を踏み外したのかなぁ、と嫌味たらしい愚痴から逃げるため、俺は自室へと退散することにした。


 ――そういえば。


 二階に上がりながら、ふと思い出して、俺は携帯からカレンダーを開いた。

 一週間後の平日に、続けて二日間、印が付いている。

 以前、伊予森さんから、空けておいて欲しいと言われていた日付だ。

 そのどちらかで、遊びに出かけることになっている。例の、一緒に海とか行こうというやつだ。もしかしたら遠出の、ちょっとした旅行になるかもしれない。

 だがそれ以来、まだ連絡がなかった。

 俺からなにか言ったほうがいいのだろうか?

 しかし「え、なにそんながっついてるの?」みたいに思われないだろうか。あまり暇だと思われるのも気後れした。実際は完全に暇だとしても。

 部屋に入ってベッドに沈み、目を閉じた。

 連絡すべきか、待つべきか――


 携帯が鳴った。


 俺はびくっと跳ね起きた。

 聞き慣れない音に、無駄に驚いてしまった。

 通知を見ると、伊予森さんからだった。

 まさかのタイミング。ひとりでうろたえながら、俺はとりあえず電話に出た。

「も、もしもし」

『遠野くん? ごめんねいきなり』

「いや、ぜんぜ――ごほっ、ちょっとごめん」

 喉が絡まったので、何度か咳払いした。

『どうしたの? 風邪?』 

「いや……。家族以外の人と話したのが、ひさしぶりだったので」

『……すごいね』

「まあ、逆に、ね」

『そうじゃなくて。このまえ千亜と話したとき、まったく同じこと言ってたから』

「……そう……」

 べつに嬉しくない共通点だった。

「……それで、なに?」

『あ、あのね。今日って、時間あるかな?』

 ドキリとした。

「う、うん。今日はちょうどなにも」

 冷静を装いつつ、微妙な見栄まで張ってしまう。

 伊予森さんはなぜかほっとしたような吐息をつき、やがて、すこしためらいがちに口にした。

『うちに……来てほしいんだけど』


 *


 幸い、着ていく服はあった。

 教えてもらった住所にしたがって辿りついたのは、見晴らしのいい高台に建つ高層マンションだった。

 その最上階に、伊予森さんの家はあった。

 こんなセレブしか住んでいないような高級マンションの、しかも最上階。

 もしかして、伊予森さんの家ってすごいお金持ちだったのか?

 到着したことを連絡し、地上まで迎えにきてもらった。

「遠野くん、いらっしゃい」

 涼しげなミニスカート姿の伊予森さんが、サンダルを鳴らしてやって来た。

 魅惑の生足につい目を奪われてから、あわてて目線を上げた。なにか言われるかと思ったが、伊予森さんの表情はどこか曇っていた。

「いや、大丈夫。暇だったし……」

 伊予森さんに付いていき、エレベーターに乗り込む。

 呼ばれたので来てはみたが、実はまだ、はっきりとした要件を聞いていなかった。

「もしかして、今度の打ち合わせとか?」

「……まあ。それもあるけど」

「?」

 妙に歯切れが悪かった。

 どうしたのだろう。

「あ、それでね。クリスちゃんと千亜もOKだって。だから旅行は、四人でだね」

「え――」

 思わず聞き返してしまった。

 そう、なのか……。

「どうかした?」

「いや、べつに……。そっか、うん、了解」

 それはそう、か。

 いつだれが、ふたりきりで遊びに行く、などと言ったのか。彼氏彼女でもあるまいし。勘違いも甚だしい。危なくそれ前提で話をするところだった。それこそ痛いやつになってしまう。危なかった。

 ……しかし、要は男は俺ひとりということか。

 それはそれで、居心地が悪かった。

 まあ、一日くらいならなんとかなるだろう。荷物持ちくらいのポジションはありそうだし。

 まもなく最上階に到着。伊予森さんが近くの扉を開けた。

 表札には『IYOMORI』と出ている。

 勧められるまま上がらせてもらい、リビングのほうへと通される。 

「どうぞ」

「あ、お邪魔しま――」

「なんだテメェ」


 そこに、コロンビア・マフィアの親玉のような巨漢がいた。


 紫色の高級そうなワイシャツ姿、ズボンはサスペンダーで吊るしている。肉厚の顔には深い皺と古い傷痕が刻まれ、たっぷりと口ひげを蓄えている。太い葉巻をくわえ、煙をくゆらせていた。なにより一番目を引いのたのは、片目を覆い隠す眼帯だろうか。

 俺は生まれてはじめて、ちびりそうになった。 

「えっと、わたしのお父さん」

 伊予森さんがさらりと言った。

 足が勝手に震えはじめる。

 ――財布を置いていくので、いますぐ帰らせてほしかった。



 伊予森父と、伊予森さん、そして俺がテーブルを挟んで座っている。

 酸素が薄い気がした。脈拍が苦しいほど速まっている。

「てめぇが、遠野盾というやつか?」

「は、はぃ……」

「あぁん!? 聞こえねえぞ!?」

「はい! そうです!」

 涙目で俺は答える。

 そのマフィア王――ドン・イヨモリ(※仮称)は、俺をつま先から頭の天辺までギロリとにらみつけた。

「お父さん、声うるさい」

「おぅ、すまんな」

「彼が、前から話してた友達の男の子。昨日話したやつ、遠野くんとも一緒に行きたくて」

「こんな貧相なガキと、だと?」

 ドンの鋭利な眼光が、俺を射抜いた。

 視線だけで人を殺められると思った。

 現にいま、俺が心臓麻痺などを起こしそうだった。

「お父さん、こう見えても遠野くんはとっても強いんだから」

「――へ?」

 突然、伊予森さんが言った。

「ほう」

「ね?」

 伊予森さんは俺に、意味ありげなウインクをした。

 ――いや、意味がわからないんですけど?

 いったいなにを言い出すのか。

 ……というか、伊予森さんが言ってるのは、当然ゲームの話だろう。

 だがこんな緊迫した状況で、そんな戯言を口にするなんて。べつに俺が言ったわけではないのに、気まずさと後ろめたさで、いますぐ気化してしまいそうだった。

 唖然とした俺を、ドンは反り返った姿勢のまま睥睨している。

「――テメェ、得物は?」

「え、えもの?」

「なにを使うかと聞いている」

 使う?

 武器のことか?

 頭のなかに、大量の疑問符が浮かんだ。

 え、なんでこのお父様、話に乗ってきたの? まさか、こんな見た目だけど、実はゲームも嗜む人なんですとか、そういうことなのか?

 俺は目を合せる度胸もなく、床を見つめながら頭をフル回転させた。

 しかし、わからない。

 どうしよう。

 言った瞬間に蹴り飛ばされそうな気がした。

 だがこのまま黙っていてもやはり蹴り飛ばされそうなので、とにかくなにか答えるしかない。

 人生で二番目くらいの緊張に耐え、俺は口を開いた。

「き、近接系のものは一通り……」

「ほう?」

「な、長物の斧とか、殴打系のハンマーとかメイスも前は使ってましたし……。で、でもまあ一番使いやすいのは、やっぱり長めの剣ですけど……」

「長ドスか」

 ドス?

「相手を仕留めるとき、テメェならまずなにを心がける?」

「仕留め……? あ、そ、そうですね……。と、とにかく、敵に近づくことでしょうか……」

「ほう」

「相手に自分の内心を悟られないため、でもありますけど……。自分のペースに相手を巻き込むために、あえて我が身を省みないで戦うのが、大事かと。……と、ときと場合にもよりますがっ」

「ふん……面白いことを言う」

 なにが面白いのか、だれか教えてほしかった。

 伊予森さんはこれが喜ばしい展開なのか、目を輝かせて俺を見ている。

 そんなきらきらした瞳で見られても。 

「いままで、何人くらいとやりあった?」

「え? さ、さあ……。数えたことはない、ので……」

「ざっとでいい。答えろ」

「……せ、千人以上とは……少なくとも」

「……なに?」

 ドンの目の色が変わった。

「テメェ、ふざけてんのか?」

「す、すすすみません……!」

「お父さん、威圧しないの」

「ん、ああ……」

 俺の背中にはびっしりと汗がにじんでいた。

「う、うそでは……け、決して……」

「そんなナリで、まさかそんな大層なことを堂々と言い放つとはな。それで、常勝無敗とでも言うつもりか?」

「い、いえぜんぜん! ……むしろ、負けた数のほうが圧倒的に多いので」

「……それは、どういう意味だ?」

 なぜ食いついてくる?

 そんなにゲーマーがめずらしいのか?

 もう勘弁してほしかった。だが、途中で逃げられる状況ではない。

「いえ、そ、そのままの意味と申しましょうか……。お――僕は、べつに強かったわけではなくて……。その……たぶん、僕が勝手に、勝てるまでやり続けただけのことだと、思います……。あ、諦めが悪かったので」

 正確には、他にやることがなかったから、というのが正しいが。

「勝てるまで、か……」

 ドンは値踏みするように、こちらから視線を外さない。

 頭がくらくらしてきた。

 なぜ俺は、こんな怖い人に自分の後ろ暗いゲーマー半生について語っているのか?

 伊予森さんは俺だけに見えるように、小さく親指を立てた。

(グッジョブ!)

 なにが? ねぇなにが?

 ドンはさらに、とか「兄弟はいるのか?」「クスリはやってねえだろうな」など関連性のよくわからない質問もしてきた。俺はただ正直に、「下に二人います」とか「いえとくになにも、健康です」と答えるしかなかった。

 しばらくして、ようやく尋問が止んだ。

 沈黙のなか、ドンが口を開いた。

「こいつは、なかなかどうして……」

「……?」

 ドンは立ち上がり、葉巻に火をつけた。

 顔をしかめた伊予森さんにぐいぐいと押しやられ、ドンがベランダの扉を開けて、外に煙を吐き出した。

「――もし、テメェが俺の目に適わないようなやつだったら、三枚に下ろして捨ててやるつもりだったんだがな」

「は、はは……」

 笑えない冗談だった。

 というか冗談なのかも定かではない。

「楓」

 ドンが娘の名を呼んだ。

 そして大きくため息をついて、肩を下ろした。

「今回だけ、特別に許可してやる」

「ほんと!?」

「ただし、連絡は絶対に欠かすな。それと必ず予定通りに行動すること、いいな?」

「ありがとう! お父さん大好きだよ!」

 伊予森さんがドンの背中に抱きつく。

さすがに娘には弱いのか、そのときばかりはドンの横顔もすこし緩んでいるように見えた。

 そうなってようやく、伊予森さんも晴れた笑顔を俺に向けた。 

「今度の旅行、楽しみだね♪」

「はは……まあ、ね」

 俺は精根尽き果て、それどころではない。九死に一生を得た気分だった。

 というか、あの恐ろしい黒森さんのルーツがどこにあったのか、ようやく理解できた気がした。

「じゃあ、これからどっかで打ち合わせしよっか?」

「ああ、うん」

「うわーでもほんとよかったぁ。うちって基本的には放任主義なんだけど、今度ばっかりはお父さんもうるさくって。でも許してもらえたの、遠野くんのおかげだよ」

「それは、よかったけど」

「すっごく楽しみ! 友達と泊まりの旅行なんて、初めてだもん」

「ああ、俺もそれは……」

 頭のなかでなにかが引っかかった。

 それは非常に――非常に重要なことだった。

「……ごめん、もう一回言ってもらっていい?」

「? 友達と、泊まりの旅行が初めて、って」


 ――――泊まり?


「あれ、言ってなかったっけ?」


 伊予森さんはただ不思議そうにしている。

 遠くから、セミの音が聞こえた。

 季節は夏真っ盛り。


 なにかが起こる予感がした。



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