#48
結局、俺の高校生活はあまり変わっていない。
学校に来てもまともに話すのは伊予森さんくらいだし、それだってちょっとした会話程度だし、勉強は付いていくのがやっとだし、他のクラスメイトたちは部活やなにやらで、日に日にそれぞれの人間関係を構築しつつあるのが目に見えて消えたくなるし。
そのせいなのか、なんなのか。
最近、妙に気が抜けていた。
授業にも身が入らない(それは前からだが)。もうすぐ一学期の期末試験だというのに、これではまずい。またしても下から数えた方が早くなってしまう。まずいとは思いながらも、ついぼーっとしてしまうのだった。
休み時間、俺は机で寝たふりをしていた。
ふと、横目で千亜を眺めた。
伊予森さんとなにか話している。
そこに自然と他の女子も集まってきた。千亜はだいぶキョドっているが、一応ちゃんと受け答えしていた。小さな笑いが起きる。千亜も照れたように赤くなりながら、控えめな笑みを浮かべる。
多少は、状況がよくなったのかもしれない。
一方の俺は、相変わらずリアルソロプレイを続けている。
すこし前までの充実していた日々が嘘のようだった。
あれから成瀬たちから誘われることも、ぱったりとなくなってしまった。
伊予森さんには個別に連絡は来ていたりするらしいのだが、俺が行かないのなら行かない、と固く決めているらしい。
すこし申し訳なかった。
聞いたところによると、一葉はかなりお怒りらしかった。晴先輩の誘いを断るなんて信じられない! なんなんですかあれ! などと憤慨しているらしい。
まあ、いいさ。
リア充への道は険しい。地道に、自分のペースでやっていこう。
それくらいが俺には似合っているのだ。
とはいえ、それはとはべつに、もうひとつ気になることが残っていた。
それはそれで、重大事項だった。
――結局、成瀬は伊予森さんに告白したのだろうか?
*
「なに、してるの」
昼休み、俺が使われていない第一小講義室の使われていないベランダで、ひとり弁当に箸をつけていると、突然扉を開けられた。
千亜だった。
固まった俺は、おそるおそる千亜を見上げた。
はげしく気まずい。
「……しょ、食事ですが」
俺を見る千亜の視線が、疑問から難色を示すものに変わった。
立場が逆転していた。
「べつに、俺がどこで昼飯とったって、いいでしょ」
屈辱に耐え、ぶっきらぼうに返した。
それでもう終わりかと思った。だがなぜか千亜は、なにをするでもなく、黙ってそこに立っていた。
「? なに」
「……ぁ……」
千亜はその小さな指先を絡み合わせ、身体をもじもじさせ、目を泳がせ、懸命になにか言おうとしていた。俺は手を止め、気長に待った。
やがて、
「……ありが、ぅ」
と、口にした。
俺は千亜から視線を戻し、冷めた卵焼きを口に入れた。
わかってはいたが。
どうしてこう、無駄に察しがいいのか。
その洞察力をもっと生産的なコミュニケーションに活かせればいいのに、と自分を棚に上げてそんなことを思った。
「べつに」
端的に返した。
今度こそ、それで終わりかと思ったが、「ひ、ひひっ!」と千亜が唐突に引きつった笑い声をもらした。
「とっ、と、特別に……」
「え?」
「友達の作り方、おっ、教えてあげても、いい」
箸を持つ手に、思わず力がこもった。
「……調子に乗るなよ」
「で、でも……じ、自分のほうが、ひ、昼休みもひとりじゃな、ないし……。それに比べて、た、盾は、いまだぼっち。あっ、哀れ……」
「だれが哀れだっ!」
なんだかもう、気を遣っているのがばかばかしくなってきた。
むしゃくしゃした。
せめてなにか、言い返してやりたかった。
「……まあ俺は、告白して振られた相手から逃げたりはしないけど」
いきなりジョーカーを使った。
効果てき面。効きすぎてしまい、千亜は顔面蒼白になった。
千亜の拳がぎゅっと握られる。
「……あれは、黒歴史」
「へぇ、そう」
「うそじゃなぃ。ほんき、ほんとう。わっ、わかげのいたり……」
「でも一度芽生えた気持ちは、すぐには変わらないんじゃ」
「ちがぅ! べつに、もうなんとも思って、なぃし……い、いまは他に――」
そのとき。
千亜の顔が爆発的に赤くなった。
まさに熟した林檎か苺か。とにかく、見ていて心配になるほどの変化だった。
「他に……なに?」
「かっ」
「?」
「かっ――――!!!!」
千亜は突然俺に襲い掛かり、弁当を奪い取った。
唖然とした。
なんだ?
いまどうして、俺はキレられた?
千亜は真冬の吹雪のなかにいるように、耳まで赤くしている。
まさか本気で怒ったのか。さすがにちょっと傷をえぐり過ぎたのかもしれない、と俺は反省した。ついでに弁当も返してほしかった。
*
学校からの帰り道、俺は凍りついた。
先日、成瀬たちと集合地点にしていた通学路の交差点のところだった。俺が彼らに決別の言葉を口にした場所である。
そこに、成瀬がいた。
近くの街灯にもたれかかっていた成瀬が、俺に気づいた。
「よっ」
成瀬は寄ってきて、気さくに手を挙げた。
俺はどう反応していいかわからない。
今日は伊予森さんはさきに帰っていた。俺も図書館に寄ったりしていたので、いつもよりすこし遅い時間だった。
まさか、ずっと待っていたのだろうか。
わざわざ俺を待ち伏せて?
想像した途端、急に胃がきりきりした。
「おいおい、そんなにイヤそうな顔すんなよ」
「べ、べつに、そういうんじゃ……」
かつて感じたことのない気まずさと、ふたりきりという状況に、俺はなにも言うべき言葉が思いつかなかった。
だがそれは俺だけだったらしく、
「ちょうど良かった。改めて、礼を言いたくてさ」
成瀬はそう言った。
「礼って……なにが」
「バトルのことだよ。遠野だって言ってただろ」
「ああ……。まあ、それは……」
「楽しかったよ」
成瀬はふっと口元をゆるめた。
自信と愛嬌に満ちた表情。
そのとき、成瀬をまぶしく感じた。
適わないな――
結局、俺と成瀬では人間としての器がちがう。知性や行動力もだ。
ああいう拒絶の仕方をした相手に対して、こんな風に自分から接することができる。
俺が大人になってもこうはなれないと確信した。
もし、伊予森さんが成瀬を選んでも、それは仕方ない。
そのほうが、みんなが幸せになれるのかもしれなかった。
「――俺も、同じ」
かろうじて、俺はそう言った。
いまなら素直にそう答えることができた。
「そっか。また、いつかやろうな」
「……ああ」
うなずくと、成瀬がこぶしを突き出してくる。
俺は面食らった。
やや照れを感じつつも、それに応じて拳をかるく当て返した。
いつかこいつにすこしでも追いつきたいな――そう思いながら。
そのときだった。
「――ふたり、なにしてるの?」
聞き覚えのある声がした。
振り返る。
そこに私服の伊予森さんがいた。
制服でないので、一度家に帰ったらしい。
その隣には、この前会った小学生の女の子――伊予森さんの妹の諷がいた。テニス用らしきスポーツバックを肩にしょっている。
伊予森さんは拳を突き合わせる俺たちを見て、目を丸くしていた。
思いっきり恥ずかしかった。
対して成瀬はとくに気にした様子もなく、伊予森さんたちが来ることを知っていたのか、おぅと軽く応じた。
すると諷がこちらに、というより成瀬のもとに駆け寄ってきた。
「あー! 晴くんまたネクタイしてなーい。不良なんだ~」
「はぁ? オレはぜんぜん不良じゃないって。超優等生」
「うっそだー。だって晴くん学校のあと買い食いとか遊んだりとかいっぱいしてるんでしょ? もうテニスもやめちゃったし」
「オレは人間関係大事にする男だから」
「? よくわかんない」
そのやりとりにぽかんとしていると、伊予森さんが寄ってきた。
「どうして、遠野くんといっしょなの?」
「ああ、ここでばったり遠野と会ってさ」
ん?
もしかして……成瀬は俺を待っていたのではなく、伊予森さんたちを待っていたのか? なぜ?
俺のその疑問に答えるように、諷がスポーツバックを成瀬に預けて隣に並んだ。
「はぁあ……今日も練習かぁ」
「おい、いきなりため息かよ」
「だって、晴くんきびしーんだもん」
「それは、あれだよ。オレ、諷のこと好きだから。一途の愛ゆえってやつ。だからもうちょい気合い入れようぜ」
「うわー出た、晴くんってほーんと軽いんだから。わたしだまされないもん」
「おっ、諷は賢いなぁ。帰りにコロッケおごってやるよ」
「えーやだなにそれー! そんなんじゃなくて、クレープとかがいいー」
「ま、それは今日のがんばり次第だな」
「うー……」
成瀬と諷はなにやら仲良さそうだった。
もちろん男女の意味ではなく、まるで兄と妹のようである。
「じゃあ、帰りまた送ってくから」
「うん、いつもありがとね」
伊予森さんが礼を言って、どこかへ向かう成瀬たちを見送った。
俺はひとり、状況が呑み込めないでいた。
「――テニスの、練習?」
俺は目をまたたかせた。
伊予森さんは当然のようにうなずく。
「うん。諷、小学校のテニスクラブに入ってるんだけど……晴がそこのOBで、中学のときも部活でテニスやってたから、よくプライベートで教えてもらってるの」
「はぁ……」
「で、晴がけっこう諷のこと目にかけててくれて。どこまで本気かわかんないんだけど、この調子でがんばれば全国大会も夢じゃないとかいって。そんなのほんとかなぁって思うんだけど、晴ってば諦めてないんだよね」
「そ、それって……」
俺は前に聞いたふたりの会話を思い出す。
あれは、そういう意味だったのか。
呆気にとられつつ、俺はそれ以上の嫌な予感を覚えた。
まさか――
「さっき、成瀬があの子のこと、好きとか言ってたけど……」
「? あぁ、ほんと晴も口ばっかりうまいよね。いつもああ言って諷の機嫌とって練習がんばらせようとしてるの。まあ、それで身が入るならいいんだけどさ」
予感が的中した。
――オレ、彼女のこと好きなんだよね
あのとき俺に言った、“彼女”とは、諷のことだったのか。
ようやく俺は確信した。
謀られた――
成瀬はきっと、俺が勘違いするとわかっていてあんなことを言ったのだ。
たしかに、あのときはまだ成瀬のことをあまり知らなかったが、実際にはそういう悪戯が好きそうな性格だ。俺の反応を見て、内心ニヤニヤにしていたにちがい。
全身から力が抜けた。
一人相撲にもほどがある。
やはり慣れないことはするものじゃない、と痛感する。
修羅場とか三角関係とか、そういうハイレベルなラブコメ展開に耐えられる域には、俺はまだ達していないのだ。
「――遠野くん、後悔してない?」
俺がひとり疲労を感じていると、ふと伊予森さんが言った。
「成瀬たちの、こと?」
「うん」
「まあ……。自分で決めたことだから」
状況が色々と複雑すぎた。
ああするしか、俺の頭では思いつかなかったのだから、仕方ない。
それに得たものだって、きっとある。
それはとても小さなものかもしれないが。
「たぶん、これでいいんだと思う」
「そっか」
伊予森さんはそこですこし歩を早め、俺の前でくるりと振り返って言った。
「わたし、そういうシルトが好き」
世界から音が消えた。
「え――」
真っ白になった頭で、俺は伊予森さんを見つめた。
なにごともなく、普通に微笑んでいる。
「い、いま……」
「うん? シルトのことは好きだよ。強いし、頼もしいし」
「???」
伊予森さんが、なにを言っているのかわからない。
好き? シルトのことは?
――俺は?
伊予森さんにじっと見つめられ、俺は大層動揺してしまった。
「そ、そっか。それは、よかった……」
「…………それだけ?」
「え?」
なぜか、伊予森さんは小さなため息をついた。
落胆の吐息にも聞こえた。
なんだ?
なにかいま、とてつもなく重大な間違いを犯してしまった気がするが、それがなんなのか、ぼんやりとしてわからない。
切に時間を戻したかった。
だが悲しいかな、たとえ一秒たりとも過ぎたことは戻らないのである。
「ねぇ、あの話って、遠野くん的にはまだ生きてる?」
――あの話?
「なんだっけ、いや、なんでしょう」
「だっ、だから、ほら……」
伊予森さんはめずらしく、口ごもった。
指先でその長い髪の先をくるくるともてあそび、数秒。
なぜかあさっての方向に視線を落としながら、ぽつりと口にした。
「海、いっしょに行こうかって」
ウミ、イッショニイコウカッテ――
「か、かっ、くあっ」
「遠野くん、落ち着いて」
焦った。
つい過呼吸ぎみになってしまった。
またも醜態を晒して恥ずかしかったが、忘れるはずもなかった。
そして断る理由など、百万回生まれ変わってもあるはずがない。
ごくり、と俺は唾を飲みこんで言った。
「も、もも、もちろん、です」
「よかった」
これから苦しい期末試験があって、そのあとには待ちに待った高校最初の長期休暇がある。
ふと見上げた空はどこまでも高く続いている。
入道雲の向こうから、夏がやって来ようとしていた――
あとがき
数話にわたってお届けしてきた『千亜、成瀬編』は、これにて一区切りとなります。(千亜はレギュラーキャラなのでこれからも出ますが)
今回、ようやく自分の描きたかったもののひとつが書けたのかも、などと感じつつ、自分も盾たちのことを少しずつ知りはじめているこの頃です。
さて、近頃めっきり涼しくなってきましたが、作中ではこれからが夏本番。
ということで、次回は待望(?)のテコ入れ回、もとい水着回です!
舞台は南の島。小麦色の肌のヒロインも登場予定です。
また今回ゲーム部分は対戦要素が多かったので、次回はすこし冒険(攻略)メインの内容にできたらなぁと、なんとなく考えています。
さらに唐突ではありますが、↓こちらも開始しました。
http://book1.adouzi.eu.org/n4802cx/
アイゼン・イェーガーにつながるお話、という位置づけです。
主人公の性格から舞台となる土地、作中の雰囲気や展開など、いろいろな意味でアイゼン・イェーガーとは対極的な作品になります。
こちらは文庫一冊分くらいの短い内容で終わる予定ですが、よろしければ……。
次回更新ですが、プロット等準備のため、しばし空きます(スミマセン。。)
ですが、よいものをお届けできるように粛々とやっていこうと思いますので、どうぞ今後とも盾たちの日々にお付き合いいただければ幸いです。
次回、EP05/第1話『常夏の挑戦』
夏、海、泊まり……なにかが起きる予感です。




