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アイゼン・イェーガー  作者: 来生直紀
EP04/ 第3話 代償の道筋
43/93

#42

 あれから、千亜は学校を休んでいた。


 担任は「体調不良」と説明した。それしか聞いていないとのことだった。

 伊予森さんも心配していた。

 なにせ、自分があんな風に俺に後を託してからの、この出来事だ。自分がまた無理を強いてしまったせいなのかと、己を責めているようだった。

 俺は、それはちがう、と言うことしかできなかった。

 わからなかった。

 いったい、なにがどうなっているのか。

 また数週間前と同じく、ぽつんと空いた席。

 授業中も休み時間も、気づくと俺はそこを眺めていた。

 ただ言い知れぬ不安と、胸に穴が空いたような喪失感に苛まれるだけの時間が過ぎた。

「――遠野くん、この前の話だけど」

 休み時間、伊予森さんが、俺に千亜と最後に会ったあの日のことを改めて確認してきた。

「晴とひとはたちと出会って、それから紹介しようとしたらすぐに、千亜が逃げ出しちゃったんだよね?」

「そう、だけど……」

 いかにもリア充めいた成瀬と一葉のコンビ。

 それに千亜が苦手意識を抱いたのだとしたら、想像に難くない。しかし、だからといってあれほど過剰な反応になるだろうか。

 あの凍りついた横顔。

 俺はあのときの状況をよく思い返そうとした。

「……いや。どっちかっていうと、成瀬を見て固まっていたような……」

 そう口にすると、伊予森さんが口元をおさえた。

 なにか小声でつぶやいた。その表情が暗くかげっていた。

「伊予森さん?」  

「……わかった。ありがとう、遠野くん。すこし時間をちょうだい」

「あ、うん……」

 なにか考えがある様子の伊予森さんに、俺はうなずくしかなかった。



 数日後のことだった。 

 昼休み、伊予森さんに呼び出された。

「遠野くん。ちょっと、いい?」

「うん」

 人目を避けて、昇降口の物陰のほうに場所を移した。

 伊予森さんは周りに人がいないのを確認し、

「悩んでた。っていうか、いまでも悩んでるんだけど……」

 まずそう切り出した。

「……楠さんの、こと?」

 こくり、とうなずく。

「こういうこと、本人に内緒で勝手に喋るのは、絶対よくないことだって、わかってる。わかってるけど……でも、どうしても、わたしだけじゃ……」

 伊予森さんが俺を見ていた。

 すがるような、そして問うような視線だった。

 それはつまり、聞いて欲しいという本音と、本当に聞く覚悟があるのかという確認を同時に秘めていた。

 逡巡した。

 聞けば、戻れない。

 知らなかったことにはできない。

 千亜にバレてしまうとかそういうことではなく、俺が、俺自身を騙すことはできないからだ。

 それでも。


「教えて、伊予森さん」


 俺は言った。

 あまりに無力で、あまりに遠かった。

 この状態のままでは、俺にはなにもできないと思った。

「……わたしも、遠野くんにあの話を聞いてから、中学校のときの友達に聞いてまわったりして、それで終いにはあいつを問い詰めて、ようやく……初めて知ったんだけど……」

そこまで言って、それでもまだ伊予森さんは戸惑った。

 俺は急かすことはしなかった。

 答えるも答えないも、伊予森さんに委ねた。

 やがてその表情に、悲壮な決意が浮かんだ。

 そして震える唇が、答えを紡いだ。


「千亜……。中三のとき、晴に告白してるの」


 

 *


 とにかく、千亜とコンタクトをとる手段が必要だった。

 人づてに調べれば家の場所もわかるだろうが、それはさすがにマナーを欠いているし、場合によっては千亜をより追い詰めることにもなりかねなかった。

 一週間経っても、千亜は学校に復帰しなかった。

 手がなかった。

 夜、自分の部屋にいるときも俺はずっと考えていた。

 自分もそうだからわかる。千亜は基本的に、他人からの干渉を嫌っている。

 寂しさよりも摩擦のストレスが勝るからだ。

 いまどき他人とつながるツールは沢山世に溢れているが、どれも自分の都合でコンタクトを断てるようなものでなければ、使いたがらない。

 スイッチのオンオフを切り替えるように。

 だが現実には携帯端末はだれもが常に持っているし、オンオフの境目はないに等しい 

 いや――

 俺はふと、机の上に置いたままのVHMDに目をやった。 


 アイゼン・イェーガーだ。


 もしかしたら、ゲームの中なら。

 現実とつながりながらも、明確に分かたれた仮想世界なら。

 すぐにログインしてみたが、チアのステータスはログアウト表示のままだった。

 やっぱり、だめか……。

 メッセージを送ることもできたが、あえてそれはしなかった。催促はきっと逆効果になる。

 待つしかなかった。

 次の日も、また次の日も。

 俺はゲーム内で、荒廃した非現実のその世界で、チアを待ち続けた。



 深夜――VHMDを付けながら、眠気に襲われたときだった。

 イヨがログアウトしたあと、俺が街中から自分のドッグへと戻ってきてから、メニュー画面を呼び出したときだった。視界の端にあるチームメンバーのステータスに目が留まった。


 03 "Chia" - ONLINE 


 ――ログイン状態。

 即座に、チアの居場所を検索した。 

 幸いにも、チアはアバターの被検索をNG設定にはしていなかった。

 フィールド転送を選択。視界が光に包まれ、暗いドックから一転して、明るく開けた場所へと降り立った。

 カルサード平原。

 かつて俺もよくゲーム内で時間をつぶすときに訪れたあのフィールドだ。

 マップ上のアイコンにしたがって移動した。この世界ではどこにでもあるような変哲のない小高い丘の上へと登った。

 絶景だった。

 地平線に黄金のかたまりが落ちていく。

 上にあるのは紫雲を抱いた巨大な空。下にあるのはどこまでも続く乾ききった大地。

 現実には存在し得ない、幻想的な光景。

 

 その丘の上に、白い髪の小柄なアバターが座っていた。


「チア」


 チアが、こちらに気づいた。

 マップも見ていなかったのか、途端、慌てたように立ち上がった。

「逃げないで」

 とっさにそう言った。

 それがぎりぎりの線だった。だが、確信もあった。

 ログインしてなにをするでもなくこうしていたのは、俺かイヨが来るのをどこかで期待していたからではないのか。

 その可能性に賭けた。

 チアは背中を向けたまま黙り込んでいる。

 やがて、ゆっくりとこちらに向き直った。

 留まってくれた――

 それまで溜まっていた鬱々とした不安が、すっと消えていくようだった。

「……聞いた、の」

「え?」

「……………わたしの、くろれきし」

 じっと向けられるチアの視線に、俺は遅れて言葉の意味に気づく。

 黒歴史?

 思わず絶句してしまったとき、同時にチアもまた俺の反応を見ていた。アバターの繊細な感情表現がそれを可能にしていた。

 悟られた――

 自分たちが、チアと話をしたがっていることを。

 チアのことを、探ってしまったことを。 

 なにが? というふぬけた演技が喉まで出かかった。だが、

「……ああ。ごめん」

 気づいたときには、肯定していた。

 隠せたかもしれない。誤魔化せたかもしれない。

 けれど、そうしたくなかった。

 勝手に詮索したことをなじられる。それならそれでいいと、覚悟していた。

 だが、 

「……ばかだから」

 千亜はそう前置きした。

 重く閉ざされていた扉が、開いていく。

 俺は固唾を飲んで続く言葉を待った。

 

「勘違い、した」


 千亜はゆっくりと語りはじめた。

 ぽつりぽつりと、その不器用でたどたどしい言葉で。


 *


 中学校時代。

 いまと変わらず人と接するのが下手な千亜は、教室で孤立していた。

べつにいじめがあったわけではなかった。直接なにか被害を受けたとか、無視されたとか、そういうことではなかった。

 単純に、空気だった。

 いてもいなくてもだれにも影響を及ぼさない、そんな存在だった。

 千亜がそれを望んだわけではなかったが、気づいたときにはそうなっていた。なにかしたから、ではなかった。なにもしなかったがゆえの状況だった。

 それでも、希望を持っていた。

 形のない希望を抱いていた。

 中学生活も残り半年を切ってから、千亜はときどき、放課後学校に残るようになった。用事があったわけではない。ただそれまではHRが終わると同時に教室を出て、学校を出て、家に帰るだけだった。そこに小さな、ほんの小さな変化をもたらそうとした。

 たとえばだれもいない教室でひとり佇んでみたり。

 黄昏時の図書室ライブラリーで、先生が部屋を閉めるまで本を読んでみたり。

 “なにか”が起きることを待っていた。

 自分からだれかに対して行動を起こすことのできなかった――いや、そういう方法があるとも思いつけない千亜にとって、それが唯一の抵抗だった。

 だが、それが実を結ぶことはなかった。

 当然だろう。

 まさかそこにイケメンな男子、あるいはお姉様的な美少女が現れて、自分を見つけてくれる。そんな少女漫画のようなイベントなど、都合よく起こるはずもない。それは千亜も、どこかでわかっていたのかもしれない。

 だけど、それしかなかった。

 それしかできなかった。

 だから千亜は、意味もなく教室や図書室に残り続けた。 

 そんなある日。


 偶然という奇跡が起きた。 


 ――よっ、なにしてんの?


 同じクラスだった成瀬が、千亜に話しかけてきた。

 千亜は最初、頭が真っ白になってただ縮こまるしかできなかった。それでも成瀬は、千亜の緊張をほぐすように、気さくに接してくれた。

 ――楠さんって、本好きだったの?

 名前も覚えていてくれた。それだけで、そこで意味もなく待っていた空虚な日々がすべて報われた気がした。

 いわく、その頃成瀬は卒業アルバムの制作委員の一員だったらしい。

 資料を探したり写真を整理したり加工したり……そういった作業のために、端末も豊富にある図書室を訪れたのだ。そこでたまたまクラスメイトの女子がひとりで残っているのを見つけて、声をかけたらしい。

 それからときどき、成瀬は図書室に姿を現した。

 成瀬が来る日も、来ない日も、千亜はそこにいた。

 ほとんど話さない日もあった。ときどき、千亜の持っている本について聞いてきたり、あの資料ってどこにあったっけ? などとすっかり図書室の主と化していた千亜に尋ねてきたりもした。

 晴、晴くん――中学では男女問わずだれもが成瀬のことを『晴』と名前で呼んでいた。にもかかわらず、千亜はその名前を口にすることすらできなかった。

 それでも構わなかった。


 ――楠さんはヒマそうでいいよなー(チラリ)

 ――…………ご、ごめっ、なさっ……

 ――え? いやいや冗談だって。あ、でもよかったら、マジですこし手伝ってくれない?

 ――…………ぅぃ…… 


 放課後、成瀬と過ごすほんの短い時間は、千亜にとっては十分にドラマチックであり、とてつもなく嬉しいことだったらしい。

 やがて、千亜は致命的な想いを抱くようになる。


 成瀬が好き、という感情を。


 そして迎えた、卒業式の日。

 すべての条件が、最悪の結末をお膳立てした。

 もし、千亜と成瀬の進路が別々でなかったら。

 もしいまの時間がもっと長く続いていたのであれば、あれほど臆病でコミュ障で後ろ向きな千亜が、なけなしの勇気を振り絞ることはなかったかもしれない。

 だが千亜は、それを伝えた。

 そのとき、いったいどれくらい時間をかけて、どのくらいの覚悟を積み上げてそれを口にしたのか、想像を絶する。

 けれど、伝えてしまった。

 そしてそれを受け取った成瀬は、その場で返事を口にした。

 決定的な一言を。 


 ――でも、まだお互いよく知らないし……。


 その言葉が、どれほど千亜にとって衝撃的だったか、俺にはわかる。

 俺だから、わかってしまった。

 

 断られる覚悟はしていた。

 そこまでうぬぼれているわけではなかった。千亜を打ちのめしたのは、その否定の返答そのものではなかった。

 千亜にとっては、自分の知っている成瀬が、成瀬のすべてだった。

 けれどちがった。

 成瀬は、千亜の知らないもっと大きな世界に属していた。千亜と成瀬が共有していた世界は、そのなかのほんの一部分にしか過ぎなかった。

 勘違い、していた。


 成瀬に悪気があったわけではない。

 ただ『人と仲良くする』、その行為に対する認識がちがった。

 彼らにとって、それはごく日常の出来事で、もっと重要なことはその先にあって、けれど千亜にとっては、それはとてもとても遠かっただけのことで。


 だからこの話は、それだけの話。



「――――そういう、くろれきし」

 そこで、千亜の言葉は潰えた。

 俺はただ耳を傾けていた。

 なにかできる、なにか言える、なにか変えられる。

 根拠なく抱いていたそんな自信や衝動は、すべて粉微塵に砕けていた。

「…………べつに…………ぃぃ」

「なに、が」

「……盾が、気にしなくて、ぃぃ」

 俺の心中を読んだように、この状況で千亜がそんなことを口にした。

 ここまで来て、こんな状況で気を遣われるなんて。

 無力どころの話ではなかった。 

「…………学校には、いく」

「そ……そっか。それなら――」

「…………さよなら」 

 チアがログアウトした。

 わずかな光の粒子を残して消えたその姿を、俺は呆然と見つめていた。

 予感がした。

 もう、千亜とここで会うことはないのかもしれなかった。

 千亜は「いい」と言った。

 学校にも来る、と。表立った問題は、それで解決する。 

 アイゼン・イェーガーだって、べつに孤立していた千亜を見かねて伊予森さんが誘ったことだ。たしかのあの才能は惜しいが、無理強いするものではない。

 千亜が学校にまた来て、伊予森さんともたまに遊びにいったりして、それで十分状況は解決する。いや、解決するもなにも、もう終わった話なのだ。

だけど。


 べつに、いい。


 本当に、そうなのか?

 千亜がいいと、構わないと、本心から望んでいたとして。


 ――じゃあ、俺は。


 俺も本当にそれでいいと思うのか。

 なにもできなくても、それが当然だと、本当にそう思っているのか。


 チアがいなくなったあともずっと。

 俺は自分に問い続けていた。



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